2.自分勝手で、自業自得で
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
どこをどう走ったのか分からない。
雪希はいつの間にか、放課後は立ち入る者はいない特別教室棟――更に人気のない地階の階段下に逃げ込んでいた。
「なんという無様……」
雪希は蹲り、胸を露わにした己の姿を虚ろな瞳で眺めた。
(肌を見せたい人は――欲情してほしい異性はたった一人なのに……)
雪希は少しでも肌を隠そうと、残るブラウスの第一ボタンを閉めた。
それでも堂島に破かれた胸元が隠れることはなく、却って純白のブラジャーと色欲唆る双丘を強調する着こなしとなってしまった。
「どうしたらいい? どうしたらよかった? 私は……」
思わず堂島から逃げてしまった。
しかし、問題は何一つ解決していない。
成すべきことは遂げられず、堂島に弱みを握られていた。
「何であんなヤツが恋人? 何で私の隣にいるのがあんなヤツ?」
堂島とは少し前まで仲睦まじい恋人を演じてきていた。
雪希は学園三大美女の一人として憧憬の視線を受け、スポーツ万能で学業優秀と評される爽やかイケメンの堂島とはベストカップルとさえ言われていた。
しかし、今は堂島の本性と共にその偽りの関係が雪希を苦しめた。
「もし、堂島に身体を許せば……」
それをネタに更に脅迫されることは火を見るよりも明らかだ。
「もし、アイツをあからさまに避けたら……」
今や彼女達の関係は注目の的だ。
急に疎遠になったら、皆すぐに気付くだろう。
どうしたと騒ぐに違いない。
別れた。
堂島を嫌いになった。
それを皆に伝えたら――
「早まるな」「堂島との仲直りに協力するから」と、彼等は余計なお節介をしてくるだろう。
本当は陽が好きなんだと暴露したら――
周囲は雪希の言う事を信じない。
それは彼等の望む真実ではないからだ。
彼等は雪希の言葉をカップルの痴話喧嘩と自らに都合よく解釈を捻じ曲げて、おせっかいとばかり堂島に告げ口をして――
狡猾な堂島が雪希の裏切りに備えていないわけがない。裏切りを知った彼は雪希が最も傷つく方法で報復するだろう。
その時のターゲットはおそらく彼女の友人達だ。堂島は彼女達に『犯罪者』というレッテルを貼り付け、あらゆる手段を用いて苛烈に痛めつけるだろう。
雪希にとって友人はかけがえがない存在で無条件に大切にするものだった。
そんな彼女達が涙する姿を思い浮かべて――
考えるだけで辛い……辛い……辛い……
「よぉ……」
雪希は無意識に彼の名前を呟いた。
「よぉ……」
陽に身を寄せることができれば――
彼が支えてくれたからころ、雪希はこれまで多くの苦難を乗り越えてこられた。
「よぉ……よぉ……助けて……」
しかし雪希が嘆いても、その嘆きに耳を傾け助けてくれた人はもういない。
彼女は堂島の誘いに乗って彼と恋人関係となり、陽と距離を置いてしまった。陽が苦しんでいる時も呑気に堂島と仲睦まじい姿を陽に見せつけ、剰え率先して彼を貶めたのだ。
(その理由が「嫉妬心を煽る為だった」なんて言い訳にもならない。陽に愛想を尽かされるのも当然。どこまでも自業自得……)
もはや詰んでいた。
そして、どこまでも救えない。
彼女には破滅の道しか残されていなかった。
「よぉ……よぉ……ううぅっっ…………」
雪希は一人身体を震わせ涙した。
* * * * *
暫くして、雪希にふと影が差す。
雪希が顔を上げると――
「よ、お……?」
そこには陽がいた。
雪希は大きく目を見開いた。
望んだ時に現れて――
それは奇跡の様な出来事で――
しかし、雪希はこの奇跡を素直に受け入れることが出来た。
(だって、陽は私が辛い時に、そしていてほしい時に傍にいてくれる人だから)
陽は己のジャージを放り投げ雪希に被せる。
「よぉ……」
「……」
「よぉ……」
「……」
雪希の呼びかけに、陽は何も応えない。
彼はそのまま立ち去ろうとして――
「待って!!」
雪希は叫んで陽を引き止めた。
彼女は彼の腕にしがみつこうとして手を伸ばす。
しかし、それは虚しく空を切って、雪希は四つん這いに倒れた。
そして、今まで夕陽の陰でよく見えなかった陽の今の姿を見て、雪希は息を呑む。
元々、陽は中性的な顔立ちで優しい笑顔が特徴の好青年だった。
しかし、この時の彼は目の下が深い隈で覆われ顔色も悪く、しかし瞳だけは鬼火の様なハイライトをちらつかせ、さながら幽鬼の様だった。
彼は胡乱げな表情を浮かべて――
「陽、待って欲しい」
陽と対峙するのが怖い。
それでも、雪希は陽と向き合った。
「お願い」
雪希は零す涙を拭わず陽を見上げて懇願した。
「自分勝手だと思う。でも、聞いて」
「……」
「堂島に……襲われた……」
「私は堂島のことなんて、これっぽっちも好きじゃない。ベストカップルなんて全くの嘘。みんなが見たいものを見て出来上がった偶像……」
「あいつと別れようと思った。少しでも過去を清算しようと……」
「でも、あいつは私を脅迫してきた。友達を人質にして……」
「嫌々脱がされた、破かれた。あいつに肌なんて少しも見せたくなくて……セーターを着て、部活でもジャージを着てずっと隠してたのに……」
「怖い。この先、どうしたらいいのか分からない……」
「助けて。よぉ……」
「助けて。よぉ……」
「よぉ……」
自分勝手なことは雪希とて承知していた。
それでも、雪希は陽に縋った。
雪希はヨロヨロと陽に近付き、辿り着いた陽の腕に今度こそ顔を押し付けた。
その瞬間、掛けられたジャージと同じく温もりが雪希の中で広がる。
やっと触れられた。
でも、それでは物足りない。
彼に頭を撫でて欲しい。
抱き締めて欲しい。
そして、これからも彼の傍にいることを許して欲しい。
「よぉ……」
彼女は陽からの愛を祈った。
しかし――
すっと陽の腕は離れていく。
彼はスマホを手に持ち画面を雪希に見せつけて――
『この期に及んで惚けるなんて、それこそ今更だな……』
「――っ!?」
『東雲がトイレ盗撮で捕まった件だ。あれの真実がバレてもいいのか?』
『実際に東雲を嵌めたのはお前とお前の大事なお友達だ』
『雪希だって率先して被害者役を買って出てくれただろう?』
『俺はお前らがトイレにカメラを仕込んだ時の映像を持っているぞ』
雪希は絶句した。
その映像は先程までの雪希の訴えがいかに身勝手で、雪希の境遇がどこまでも自業自得であることを示すものだった。
雪希の懇願に対して、陽が与えたのは癒やしでも慰めでもなく絶望だった。
「これは……」
「盗撮は君達だけの専売特許じゃないよ」
「なんで……」
「僕がここにいる。それが理由だよ」
「これを……」
「別にどう使うかを君に教える必要はないでしょう。だけど、君を軽蔑するということだけは伝えておくよ」
「いやあぁぁぁっっ!!!」
雪希は絶叫し頭を地面に擦り付けた。
「そんなにこの映像を暴露されることが怖い?」
「暴露して構わない!!」
「そんなに堂島が貶められるのが嫌?」
「堂島なんかどうだっていい!!」
「それほど自身の罪を認められない?」
「そんなのとっくに認めてる!!」
雪希は逆上する様に泣き叫んだ。
それは人気が無いこの特別教室棟に木霊するほどの哀哭となった。
「それならこんな映像を気にする必要はないだろうに」
「そんなの気にしてない! でも……でもっ! 陽に軽蔑されたら!!」
「落ちぶれた僕に軽蔑されても君に何らダメージなどないでしょう?」
「そんなことない! 陽に軽蔑されたら、私、致命傷! 生きていけないっ!!」
「意味がわからないなぁ」
「ごめんなさい。意味が分からないと思う。でも、陽に軽蔑されたら、私は生きていけない……ごめんなさい……ごめんなさい……ううぅっっ……ああぁぁっっ――」
雪希は慟哭をあげて滂沱の涙を流すのだった。
「私は、やってはいけないことを……陽にあらぬ罪を……陽を盗撮犯に仕立て上げてしまった」
ひとしきり嗚咽を漏らした雪希は己の罪を白状した。
陽には己のやらかしがバレてしまっている。
それでも、自ら罪を認めなければ一生悔やむことになると、雪希は己の咎を吐露した。
「私の心は陽にある。でも、愚かな私は陽に構って欲しくて……堂島の甘言に乗ってしまった。陽を貶めてしまった」
「自業自得だと思う。それでも、陽から軽蔑されたら、私は耐えられない……うぅぅ……」
雪希は再び土下座した。学園最優の美女も台無しの姿を晒し、雪希は己の罪を悔いた。
それは見る人の心に響く誠心誠意、心の込もった懺悔だった。
しかし――
「それで僕にどうしろと? そして、君の謝罪に同情する要素がどこにあるのかさっぱり分からない」
応える陽の言葉は雪希の想像以上に冷酷なものだった。
「よ、よぉ……」
雪希は慌てて陽の顔を仰ぎ見る。
その表情はマネキンの様に一切の感情が浮かんでおらず、それが却って彼の苛立ちを克明に表していた。
「不思議そうな顔をしているね。同情を求めたのに許しを得られなくて不思議?」
「同情を求めた訳では……」
「では、その懺悔に何の意味があるのかな? なぜ僕が君を許さなければならないの? ましてや、君が語る気持ちとやらを汲まなければならない理由は?」
「あぅ……」
雪希の口から言葉にならない声が漏れる。
「男を性的に貶める罠は最も屈辱的で卑劣な所業だ。貶められた者は同性からも異性から同情を得られない――容赦のない謀略と言えるね」
「人の皮を被ったケダモノは敢えてその手段を取りたがる。そして、ケダモノは得てして、獲物を仕留めるその瞬間に油断し別のケダモノに捕食される。君もその一匹というわけだ」
彼の説明は雪希のやらかしがいかに醜く非道かを的確に表した。
許しを求めたはずの雪希は、むしろ陽をしてケダモノ呼ばわりされた。
「君の様な愚か者は世の中にたくさんいるんだ。いちいち構っていられない。自分でも言っただろう? 自業自得さ」
いつの間にか、陽の瞳は雪希を捉えていた。
それは汚物を見るような視線であって――
(そんな……そんな目で私を見ないで……)
雪希の手は自然と震えた。
「あと、先程から気になっていたんだけど、僕達はもはや下の名で呼び合える関係じゃないだろう」
「やめてくれない?」と言う陽の突き放す言葉が雪希を更に追い詰めた。
先程の堂島の指摘の通り、雪希は陽の幼馴染たる資格を既に失っていたのだ。
(でも、そんなことを言わないで……)
雪希の瞳は揺れ――
「君が堂島に脅されている話は元の僕には関係ない。勝手に後悔しててくれ」
それを別れの言葉に今度こそ陽はその場を立ち去った。
(そんな……そんな見捨てないで……)
雪希は彼の背中へと必死に手を伸ばす。
しかし、その手が届くことはなく――
蹲る身体を起こすことも出来ず――
やがて陽が見えなくなり――
こうして、自業自得の愚か者は愛し人に見捨てられた。
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