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19.お人形


 頬擦り(スキンシップ)を存分に楽しんだ雪希は居住まいを正して彼の足元に正座した。それから、彼女が停学扱いとなったこと、それに伴い彼女の友人や堂島について知り得た情報を陽に伝えた。


 陽は最後まで何も言わず雪希の話を聞く。雪希が言い終わった後も黙ったままだった。


「あの……」


 堪らず雪希の方から声をかける。


「答え合わせをしたい」

「答え合わせ?」


「うん。私、ちゃんと堕ちられている?」


 雪希が問うた瞬間、二人の間は重い空気が支配した。


「……」

「……」


 雪希を眺める陽の瞳にはおよそ生気が宿っていなかった。

 それでも、雪希は黙って彼を見つめ返した。


「……」

「……」


「…………」

「…………」


「……堕ち始め――見習いといった所かな」

「……ホントに?」


「ホント」

「ホントのホント? ワタクシ、ウソイイマセン」

 

「何で急に片言?」

「……さぁ、何でだろう?」


 問われても分かるわけがない。

 思わずジト目になる雪希。


「あと、判定が不服。もっといい線を行ってるはず。堕ちた分だけ私に情を吹き込まなければいけないからって、陽は嘘をついている」


「……ワタクシ、ウソイイマセン」

「だから、何で急に片言?」


「……」

「……」


「……ぷっ」


 雪希は堪らず笑いを(こぼ)した。


「なぜ頬を膨らませてる? ふふふ、強がる嘘つき陽は可愛い」


「男が可愛いと言われても嬉しくないけどね」

「そう? 陽は可愛い。そして、カッコいい」


 陽は肩を(すく)ませる。

 雪希もまた(おど)ける陽を見て笑い声をあげた。


 そして、雪希は躊躇いなく唇を重ね合わせた。陽もこれを受け入れる。口づけは情熱的で、しかしそこには緊張感は無く楽しむ余裕さえあった。


 長く深い繋がりの後、「ぷはっ」と可愛らしく息継ぎをした雪希は二人の間に架かる透明な糸を舐め取ってニヤリと笑った。


「これで陽とのキスは10回目。ぱちぱちぱち――」

「わざとらしい拍手……というか、よく数えてたね」


「ふふふ、好きな人との記念数字は覚えていて当たり前。そして、この調子だと、私が陽の『おヨメさん』になれる日も近い」


 怪訝な表情を浮かべる陽。


「何を言ってるの? 近いも何も、僕は雪希をお嫁さんにするとは一言も言ってないよ」

「陽が望む事を要約したら『おヨメさん』だった」

「はぁ?」


「独占欲満載の陽が服従精神旺盛の私を束縛する為には『おヨメさん』にしなくちゃならない。つまり、私が陽の『おヨメさん』になるのは近い。完全無欠、完璧な理論」


 「フフン」と鼻を鳴らす雪希を見て、陽は思わず「はぁ……」と気の抜けた声を漏らす。

 そして、彼は諦めた。


「そうだね〜。僕には雪希の独自解釈を止めれなさそうだよ〜」

「ふふふ、異口同音。覚悟覚悟♡」

「それを言うなら、同音異義じゃ――」


 それ以上の陽の抗議は雪希の口づけで阻まれた。


 終始愛に溢れてご機嫌な雪希と温和な雰囲気でこれを受け入れる陽。

 (たわむ)れる二人は幼馴染で親友に戻れた様で――

 愛を語り合う姿は恋人関係に至った様で――



 しかし、雪希は決して陽の恋人なんかではない。

 幼馴染で親友の関係に戻れた訳でもなかった。


(本当に――)


――本当に……


「陽の『人形(ラブドール)』になれてよかった――」


 雪希の口から喜悦の言葉が溢れ出た。



 かつてコンプレックスとしていた見た目ばかりの『人形』――

 全ての感情を陽の前で曝け出し陽の命令通りに動く可愛い可愛い『人形』――


 彼の傍にいる権利を奪取するため、

 彼の愛情を享受する未来に辿り着くため――


 醜く女を出して泣いて縋って、

 彼女の尊厳の全てを捨てて――


 雪希は陽の『人形』になったのだ。



(あぁ、幸せ……本当に、本当に♡)


 雪希は倒錯した想いを加速させ、瞳にハートのハイライトを浮かべて表情を(とろ)けさせた。



 そう――


 森林公園での告白の後――

 雪希は幸福な転落人生を歩み始めたのだった。



  * * * * *


 

 森林公園での告白――それは無茶で無謀で、その上脅迫めいた公開告白だった。

 それでも、陽が受け入れてくれた事で雪希の愛の告白は成就で完結した。


 そして今、雪希は陽におんぶされて帰宅の途についていた。

 陽と恋人関係になれた事で、雪希の心の中は喜びに満ち溢れていた。



 一定のリズムで身体が揺れる――

 陽の背中はいい匂いで暖かく――


 雪希が幸せ気分でウトウトとしていたところ、彼女達は何処か見覚えのある女性とすれ違う。


《――Ist es eine Emotion oder ein Gefühl? Gibt es ein Testament?(それは感情なのか感傷なのか。そこに意思はあるのか)》


 雪希には何を言っているのか、その意味する所は何なのか全く分からない。振り返ると、その女性は既にいなかった。

 そして、陽は一瞬立ち止まって、それから急に歩む速度を速めた。


 彼は時折、「約束が違うとか言うな」と呟いていた。雪希が彼の行動を訝しがっているうちに、陽は通りかかった公園の中に入り焦るように雪希をベンチに降ろした。


「よぉ? どうした?」


 雪希は小首を傾げる。

 しかし、陽は雪希の疑問に答えることはなく、1枚の紙面を鞄から取り出し――


()に会った時に渡そうと思ってた」

「これは……」


――『如月 雪希』を質に金参阡萬圓を借用す。

  甲が返済出来ない場合、丙(雪希)は

  身体、財産、その他人生で得られる全てを

  乙(東雲 陽)に譲渡する。


 それは後に堂島が見せた雪希を人質にする借用書だった。


 そして、その借用書は――



 彼女達が中学の時、雪希の父親が騙されて多額の借金を背負い、如月家は借金取りに追われる事件が起きた。その時、陽が雪希を救うため手持ち(・・・)の金で借金を代わりに弁済したのだった。


 一家は救われた。そして、雪希には内緒のはずだった。

 しかし、隠し事が苦手な彼女の両親では雪希に隠し通す事が出来ず、結局はバレてしまった。

 雪希は両親のことをよく理解していた。そして、彼等にこの大金を返済する能力があるとは思えない。

 どれだけ時間を掛けても自分が返す事を決意した雪希は、今度は雪希が両親に内緒で、陽の母親に返済期限のないこの借用書を作ってもらったのだ。


 そして今や、返済期限は無い、しかし陽との縁が切れれば返済しなくてはならない借金とその借用書は雪希が陽と離れることを生涯許さない絆そのものとなっていた。


 その大事な借用書をなぜ陽が渡してくるのか。

 僅かばかり残っていた眠気さえ霧散し、雪希は胸をざわつかせた。


「早いかもしれないが別れの挨拶だ。雪希には自由に――幸せになって欲しい。だから、雪希を縛るこの借用書を返そうと思う」

「陽、意味が分からない。別れの挨拶って何? それは恋人になったばかりの今の私達には相応しくない言葉。あと、返済が終わっていない借用書は受け取れない」


 雪希は陽の手を押しのける。

 しかし、陽は差し出す手を引っ込めなかった。


「分かってくれ。俺は雪希を傷付けたくないんだ」


――私を……傷付けたくない?


(陽は私の裏切りを恨んでいるはず。それに――)

「陽は私に徹底的に復讐すべき。恋人関係になったからと言って遠慮はいらない。今の陽には復讐が必要」


 彼の心に触れたからこそ分かる。その憎悪は復讐を止めてしまうことで、今度は彼を襲いその息の根を止めてしまう危険だってある代物なのだ。それは陽だって分かっているはずだ。


 それでも、陽は首を横に振った。


「自分を癒す為に復讐が必要――それは分かっている。それでも……それでも、俺は雪希を不幸にしたくないんだ」

「否。陽の憎しみが晴れるまで私を貶めてほしい。復讐を望む」


「復讐したくない」

「復讐してほしい」


「だって、俺は――」

「だって、私は――」


――だって……


「「だって、私(俺)は陽(雪希)を愛してるから――」」




「えっ?」


 雪希は目を見開いた。


「陽、今なんて言った?」


「……」

「もう一度言って」


「……ヒンズースクワット300回」

「そんなに出来ない。あと、絶対筋トレの話じゃなかった」


 ソッポを向く陽。


「……」

「……」


「……」

「……お願い。もう一度」


「……」


 雪希は陽の顔を見上げて決して目を逸らさない。

 陽は観念して嘆息をついた。


「……俺は雪希を愛してる」

「私を、愛してる――?」


 愛してる――それは恋人関係であっても受け取ることを諦めていた言葉だった。

 求めてやまなかったその言葉を耳にして、雪希は身を震わした。


「でも、それは片思い……雪希は俺なんて愛していないだろうけどさ」

「えっ?」


 続く陽の言葉に雪希は再び自分の耳を疑った。


「そ……そこでなぜ、私の愛を疑う?」

(陽は相手の心を読める。私の気持ちだって分かっているはずなのに)


「それは……言われたことがなかったから……」

「えっ?」


「今まで言われた事がなかったんだよ。雪希から『愛してる』と言う言葉を――」


 確かに陽が言う通り、雪希は他の女性(ライバル)を意識し過ぎるあまり、肝心の愛の言葉を彼に告げていなかった。


「そして、今更告白されても、やっぱり今更だったんだ。『憧れと恋心を誤解してるのではないか』『プライドの為、俺を惚れさせたかっただけではないか』――信用できる訳ないだろう? だって、俺は雪希の全てを疑っているんだから」


 雪希は敵に(くみ)して陽を(たばか)り貶めた。惚れさせることが目的化していたのも紛れもない事実だ。そんな薄汚れた心で今さら愛を祈っても、どうしてそれを信じられようか。


(陽の想いだけじゃない。私は……自分の想いまでも裏切り汚していたんだ)


 雪希は脱力して自分の身体を支えることが出来ず、ベンチからずり落ちた。


(自分はなんて馬鹿なんだ)


「そうだ。雪希は馬鹿だ。俺のことも……自分のことすら分かっていない雪希は……大馬鹿者だ」


 相手の気持ちを想って想われて――

 しかし、それらの想いが全てが裏目とは、これほど皮肉な話はなかった。


 自然と涙が溢れ雪希の頬を伝い――


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 雪希は(うずくま)り、嗚咽と共に謝罪の言葉を繰り返し漏らした。


「謝らなくていい。泣かなくていい」


 陽は雪希を持ち上げ、ベンチに座り直させる。

 そして、優しく彼女の頭を撫でた。


「雪希だけじゃない。俺だって大馬鹿だったんだ。俺だって選べなかったんだから」

「陽……」


 雪希も詳しくは知らない。

 しかし、陽は愛だけを優先することが出来ない並々ならぬ多くのモノを抱えていた。

 そして、彼の立ち場は雪が雪希の様な見た目だけの欠陥人間を慈しむことを躊躇わせた。


「でも、そんなのは言い訳にならない」


 自分に厳しい陽は自分を許せなかった。

 他人に優しい陽は他人のせいにすることができなかった。


「どっちつかずで愛する人を奪われた癖に、一丁前に恨む自分が憎い。自分の実力不足のせいで愛する人を救えなかった癖に、逆恨みする自分に腹が立つ。それでも、雪希達を復讐で傷つければ……俺はもっと自分を許せなくなる」


 陽は苦しげに顔を歪めて俯けた。


「雪希に……復讐なんかしたくない。雪希を……傷つけたくないんだ」


 それは心を苦しめて吐露した彼の本心だった。


 彼は身体を震わせる。


「だから俺は――」


――だから俺は……

――だから俺は……

――だから……



――だからだからだからだからだからダカラダカラダカラ……


「よ、陽?」


 その時、陽の纏う空気が変わった。


「だから、()は最初に『俺』に復讐したんだよ〜!!」


 陽はニヤァと醜悪に嗤った。


「『俺』は本当に馬鹿だよねぇ。自我を捨てて建前ばかりの僕なんかに復讐を委ねちゃってさぁ! 後がどうなるか考えなかったのかねぇ!?」


「『俺』は本当にあまちゃんだよねぇ。わざわざ僕を押し退けて雪希を助けてさぁ! 苦しむのを分かってて、見捨てた人間をわざわざ助けちゃってさぁ!!」


「雪希も鬼畜だよねぇ! 残酷だよねぇ! 今さら『好きだ、恋人にしてほしい』と強請(ねだ)ってさぁ! 眠っていた『俺』を叩き起こして追い詰めてさぁ!」

「よ……陽……?」


 陽の口調と突然の変貌に、雪希は絶句した。


「君達はいつもそうだ! 思わせぶりなことをしておいて僕を平気で酷使する!」


「君達はいつもそうだ! 『償わせてくれ』とおためごかしに言って僕の復讐の邪魔をする!」


「君達のせいなんだろう? だったら、僕に復讐させろ」


「贖罪を望むんだろう? だったら、僕に復讐をさせろ」


「僕に復讐させろ」


「今すぐ復讐させろ」


「復讐させろ」


「復讐させろ復讐させろ」


「復讐させろさせろさせろさせろさせろ――」


――復讐させろ!!


「よ……陽……」


 雪希の知る陽とは別人格の陽が朱に染まった涙を流してケタケタと高笑いする。


 そして、雪希は呆然として声を失うのだった。


拙作を読んでいただき、ありがとうございます。

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作者の今後の執筆の励みになります。

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どっちかというと俺氏のほうがまともで僕氏のほうがおかしいとは思う。 1話からこっち見る限り味方ゼロ、全員敵、被害者ヅラした加害者だらけしかいない。 ヒロイン格の雪希にしても裏切ったあげく償い(笑)とつ…
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