18.一往復のメッセージ
雪希が陽によって断罪された翌日――
「んんぅ…………」
いつの間にか眠っていたらしい。
雪希が薄目を開けて窓の先を見ると、とっぷりと日が暮れていた。
(この薫りが悪いんだ)
羽織られた毛布から薫る自分以外の薫りが彼女の心を癒して――
雪希は毛布に顔を押し付け染み付く薫りを嗅いで、幸せを堪能した。
暫くして、雪希は名残惜しくも身体を起こした。
毛布が開けて彼女の白い素肌が露わになる。彼女は今、一糸まとわぬ姿だった。
ベッドに残るは赤い染み――
それは陽を貶め築き上げてきた物全てを捧げて得た得た『幸福』の証であって――
(ふふふ♡)
雪希は笑みを零すのを止められなかった。
そして――
(いてくれた。ふふふ♡)
雪希は愛しい人の背中を見つけて胸を温かくする。
見つめる雪希の瞳にはハートの形をした仄暗いハイライトだけが灯っていて――
雪希は彼に近寄り愛情を込めて抱きしめた。
* * * * *
雪希はトイレにカメラを設置すると言う悪戯を犯した。
幸い被害者はいなかったが悪戯としては悪質、監査官がいる前で冤罪行為が明るみになったこともあり、流石の学校も揉み消すことが出来なかったのだ。初犯扱いということで期間は短いが、雪希には停学と言う重たい処罰が迅速に下された。
なお、陽への暴行も事実認定され、それを学校ぐるみで隠蔽していたと学校は監査官から糾弾された。
事件の翌日には、学園の事務局本部から再発防止の提出を命令された。そして、今回の事件は県の専門機関にも報告されることとなったらしい。
誤って被害生徒を停学にしてしまったのではないか?
他にも誤って被害生徒のせいにしていないか?
この学校は無事、公に目をつけられることとなった。今、校長は顔を青くしているらしい。
なお、担任の塚田も未遂ながら独断での私刑を致そうとしたところ、顛末書の提出と減俸処分を受けた。
雪希達は事件後直ぐに自宅謹慎を言い渡され、午後の授業を受けることなく帰宅する羽目にあった。
夕方、雪希は由香と沙織からテレビ電話を受けた。
彼女達はどちらかの部屋に一緒にいるらしい。雪希は二人から同時に激しく罵られた。
『どうしてくれるの!?』
『ママに怒られちゃう! なんてことをしてくれたの!?』
長く続く二人のヒス声――雪希は耐えに耐えて彼女達の言い分を要約してみた。
(私の為に陽を貶めそれが失敗したのだから、その責任も私が一人で取るべきと言うこと?)
彼女達は雪希の単独犯にしろと言う。学校には雪希が犯行に及ぶのを自分達が止めていたと供述しろと言うのだ。
(等しくカメラに映っていたのだから、そんな事が出来るわけが無い)
雪希は友人達の馬鹿さ加減に怒りを通り越して呆れの境地に至った。
『『だって、友達でしょう?』』
彼女達は声を揃えて言った。
(友達って何なのだろうか?)
「いや、無理」
雪希は率直に事実を告げた。
「前回も今回も、貴女達が行った事の抹消は私には出来ない」
しかし、事実を告げるその言葉は中学から続いたハリボテの友人関係をあっさり破壊した。
10分後、雪希は二人から着信拒否を受けた。それから、学校のSNSグループは雪希の罵詈雑言に溢れ返った。
元より彼女の美貌は同性からの嫉妬を買いやすい。雪希はあっさりと学校中からの誹謗中傷の的となった。SNS上ではトイレ盗撮は全て雪希のせいにされていた。
「都合の良い友人関係だから、都合が悪くなると切れる……」
――あるいは、初めから友達じゃなかったのだろうか。
分かっていたことだ。彼女達の態度に今さらショックを受けることは何もない。
それでも声に出して呟いてみると、長年の努力がいかに無為なものであったかを悟らされた。
夜、雪希にとって更に苦痛の時間となった。
いつもは日付が変わる頃に父親と疲れて帰ってくる母親の『春奈』が、今日だけは人様と同じくらいの時間にいつも以上に疲れて帰ってきたのだ。
春奈は雪希を早々にリビングに呼び出す。
「あなたがしたことは犯罪よ!!」
そして、彼女は雪希の顔を見るや否やヒステリックに怒りをぶちまけ雪希の頬を叩く。
雪希が主導してクラスメイトをイジメたこと、
イジメの相手が陽であること、
明日から停学一週間であること――
一連の事件について、春奈は学校から嘘を織り交ぜその様に伝えられた。
これらの真実は春奈を大いに動揺させた。
彼女は優秀な陽との関係は良縁だと思っていた。だから、春奈は将来を見据えて彼と己の娘との仲を積極的に応援していた。
最近こそ、陽の醜聞は春奈も聞いていたため、己の娘の交友関係に口を挟むことが少なくなっていたが、娘が陽以外の男と付き合っていると聞いた時、春奈は反対し娘を窘めたくらいだ。
しかし、ここに来て醜聞の一つが娘の謀りだったと知ってしまった。その事実は己も娘に騙されたと春奈に思わせたのだ。
それは雪希が停学になったこと以上に春奈を怒らせた。
(でも、怒る理由はそれだけじゃない)
春奈は再び雪希の頬を張ろうとするが、雪希はその手を受け止めた。
「また私をダシにして、陽からの援助を請おうとしている? それとも返済を求められるのが怖い?」
「なっ!?」
春菜は瞬時に顔を真っ赤にした。
「私だって知っている。私達が小学生の頃、心音おばさん(陽の母親)から度々金銭援助を受けていたこと――その条件に、私と陽の仲が続く事が条件になっていること――」
「なぜそのことを……」
「お金の為に本人の意思を無視して友達付き合いを強制する――子供を人質にして恥ずかしくない?」
「それには理由が……」
「子供の将来を勝手に明け渡すことに許される理由があると思ってる?」
「子供の将来って……そんな大それたものじゃなく、お金もいつかは返そうと……」
「返す宛なんて無い癖に。それこそ、私が陽と家族にでもならない限り帳消し出来ない程なのに」
「それは……」
「聞き返す。どっちの方が悪質?」
母親を責め立てる雪希。
先ほどまでの春奈の気炎はすっかり消沈し、罪を指摘された彼女は雪希から目を逸らした。
雪希は溜息を一つ吐いた。
「私は貴女の人形じゃない。私の人生は私が決める」
「待ちな――」
雪希は春菜の言葉を最後まで待たず、足早に自分の部屋に戻るのだった。
ドアに鍵は無いが、春奈が後を追ってくることはなかった。
(何でこうなったのだろう?)
しかし、その理由を誰かが教えてくれることはない。
そして、教えてもらわなくても答えは分かっていた。
(苦しい……)
しかし、雪希は思い立ったその感情に違和を感じた。
「私が苦しいと感じるなんて……」
信頼していた人達に裏切られ続け、既に心は壊れたものと思っていた。そして、既に壊れた心では痛みなど感じることは出来ないと思っていた。
それでも今は痛みを訴えるところ、壊れてもやはり雪希の心はやはり雪希の物ということだろう。
(苦しいくるしいくるしい…………)
雪希はベッドに腰掛け耐えるように俯く。
涙がぽたぽたとスカートの裾に落ちて染みとなった。
――ぽんっ。
友人と思っていた者達からのメッセージが無くなり、母も後から帰ってきた父も静かになった頃、雪希のスマホに一通のメッセージが入った。
『夕部屋で』
どこまでも簡潔なメッセージ。
『報告有』
彼女は同じくスタンプも絵文字もない簡素なメッセージを素早く返信した。
雪希からのメッセージを待っていたのだろうか。
メッセージはすぐに既読となった。
(嬉しい嬉しいうれしいうれしい♡♡)
雪希はスマホを抱き締め、その一往復のメッセージを漆黒で濁った瞳で何度も見返した。
限界まで短縮した言葉のやり取りはスパイごっこの様で楽しい。先日の出来事が夢ではなかったと実感する。雪希が抱えていた不安や憂鬱、憎悪等のストレスは多幸感へと昇華していった。
時はいつの間にか、明け方を迎えていた。
日が昇る中、雪希はスマホを握りしめて久しぶりに深い眠りに落ちた。
* * * * *
夕方、眠りから覚めた雪希は学校からの自宅謹慎の命に背き、とある場所に向かった。
その姿はいつもの優等生然とした制服姿ではなく、先日の公園事件の時の様なガーリーな――媚びと可愛らしさを前面に出した彼女なりの勝負服を身に纏っていた。
肩に触れる程の長さの垢抜けたヘアスタイルは今の甘い装いによくマッチしていた。よく眠れたお陰か、肌艶も潤いを取り戻し化粧のノリも良かった。
今の雪希は綺麗なだけでなく女性としての魅力に溢れていた。そして、全てを用いてこれから会う男性を狙い撃ちにしようとしていた。
彼女は目的の場所に到着する。
屋上からはこの街を一望出来るだろう――そこは周囲の建物よりも一際高い高層マンションだった。
2001――雪希がエントランスで目当ての部屋番号を押すとすぐに入り口ドアが開く。雪希は律儀に「お邪魔します」と小声で述べてドアを通り抜けた。
エレベーターに乗る間も胸がドキドキする。スパイにでもなって秘密の場所に潜入している気分だった。雪希は何度も深呼吸をしながら目的の一角に赴いた。
事前に聞かされていた通りインターホンを鳴らさず玄関ドアを開け、奥の一室まで突き進む。
――こんこん……
ノックへの返事は無い。それも事前の約束通り。
雪希は少し間を置いて扉を開けた。
雪希の目に飛び込んでくるのは、本、本、本、そして本棚――そこはたくさんの本達に囲まれた空間だった。
そして、部屋の主は部屋の唯一の椅子に脚を組んで座り物憂げに本に視線を落としていた。主がこちらに気をやる素振りはなかった。
雪希は忍び足で近寄り――
――むにっ♡
後ろから抱きつくと、豊満な胸が彼の背中の形に変形した。
「……何?」
「……ううん、何でもない。お邪魔してる」
「そう」
予想通り淡白な反応が返ってくる。今までも彼は色々な美女に言い寄られてきたのだ。この程度の事に慣れているのだろう。
示す愛情表現に反応が薄いのは寂しいところだが、それでも肌触れ合う事を許してくれた事実に雪希は素直に喜ぶことにした。
「部屋に入れてくれてありがとう」
「別に……暇つぶしみたいなもんさ」
雪希は熱っぽい視線を彼に向けるが、彼は一切雪希に目を合わせなかった。それは照れ隠しというよりも、言葉通り彼には暇つぶし程度の興味しか無いのだろう。
それでも――
「付き合ってくれてありがとう。相変わらず優しい」
「相変わらず何を言っているか分からないなぁ」
「そう? ふふふ。よく分からないことを言ってごめん。許してくれる?」
「今更だから、別に気にしてないさ」
「ありがとう――」
――ありがとう。
「ありがとう。陽――」
雪希の顔に自然と笑みが溢れた。
彼女は己の愛情が彼に伝わる様に抱きしめる手に力を込めた。
――大好き、大好き……
そして、雪希は陽に頬擦りをした。
彼女は思う存分、その愛を愛し人に伝えるのだった。
拙作を読んでいただき、ありがとうございます。
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