13.雪希の復讐劇
「陽は勘違いしてる! 陽だけが恨みを持ってるんじゃないっ!」
それは広場の隅々まで届く程の絶叫だった。
「私だって陽を恨んでる! だから――だから! 今日ここで、陽に復讐をする!」
そして、雪希の復讐劇が始まった――
◆ ◆ ◆
陽は私を親友と言ってくれた!
幼馴染として大事にしてくれた!
でも、私はそれがすごく嫌だった!!
好きな人の親友だけじゃ嫌!
愛する人の幼馴染で終わりたくない!
私は恋人になりたい!
異性として見られたい!
でも――
でも、陽は告白すらさせてくれなかった!!
なんで!?
なんで黙らせる!?
なんで告白させてくれない!?
告白させて!!
私では陽と釣り合わない――
それは自分でもわかってる!
想いを受け入れてくれるとも思ってない!
でも!!
私が告白して、
陽に断られて、
悲しくて凹んで傷付いて、
それをバネに新しい恋に……
行ける気は全くしないけど……
それでも――
それでも、こんなにモヤモヤすることはなかった!
私が「好きです」と言って、
陽に「ごめんなさい」と言われて、
泣いて泣いて落ち込んで、
陽のことが好きだったんだって改めて自覚して、
駄目だったんだって、やっぱりたくさん泣いて……
それでも――
それでもまた頑張れる!
駄目でもまた頑張れる!
もっと好きになってもらおうと頑張れる!
真っ直ぐな気持ちで頑張れる!
陽は、
私の親友なんでしょう?
私の幼馴染なんでしょう?
私の気持ち、わかるんでしょう?
だったら――
だったら、私の気持ち、受け止めて!
私の気持ち、ちゃんと弔って!
無理に私に惚れてくれなくていい
無理に私の恋を受け取ってくれなくても、
私は陽のこと、恨んだりなんかしない
私の恋心を守ってくれなくていい
私の恋心が傷付くことにまで、
責任を取ってほしいなんて思ってない
なのに、陽は……
私って、そんなに信用ない?
私って、そんなに頼りない?
陽から見たら、
私の心は幼いんだね
弱いんだね
綺麗過ぎたんだね
でも、私だって大人の女――
この恋心の為ならば、いくらでも強くなれる
陽に想いを伝える為ならば、意地汚くなれる
今から陽に証明する
今から陽に復讐する
覚悟して――――
◆ ◆ ◆
「今から陽に愛の告白をする」
高らかに宣言をする雪希は仁王立ちでスカートをたくし上げた。
激情に任せてぶちまける陽への不満も、自ら肌着を見せつける奇っ怪な行為も、雪希の一挙手一投足が衆目を集めて止まなかった。
そして――
雪希の口からお互いの関係を変える決定的な言葉が発せられた。
「陽が好き」
「陽だけを愛してる」
「ずっとずっと、一生、陽の傍にいたい」
「陽と付き合いたい。陽、私の彼氏になって」
「聞こえなかった」と難聴系主人公ぶることもできない、一言一言がハッキリとした彼女の気持ちを言い切った告白だった。
彼女の想いが乗ったその告白はここにいる皆の耳に確かに届き、感動と彼女への応援を呼んだ。
しかし――
「気が済んだかい?」
純情な恋心が相手の胸に届くとは限らない。
そもそも、こんな殺伐とした告白など有り得ない。
こんな怒りに任せた告白など真面目に応える必要がない。
その真っ直ぐに見据える視線は、雪希が本心で告白した証だろう。
それでも、今の陽には復讐と称して行ったこの告白をブラフとしてしか捉えることができなかった。もしくは、雪希自身が己を理解していないのか。人は自分の気持ちに平気で嘘をつけるのだから。
全てが手遅れなのだ。
雪希の告白に返答することが彼女の言う恋心の弔いならば、幼稚で支離滅裂な恋心などやはり野晒しで十分だった。
陽はにこやかな表情を浮かべた。
「告白出来て良かったね。で、君の復讐もこれで終わりでいいかな?」
「告白への返事は?」
「告白できたと言う事実が尊いんだと思うよ。敢えて返事はいらないんじゃないかな?」
「そんなことない。返事を受け取るまでが告白イベント。返事を貰うまで終われない。そして――」
雪希は陽を睨みつけたまま――
「陽に私の愛を受け入れさせるまで終わらない」
彼女はポーチに手を忍ばせた。
「陽に私の愛を受け入れさせてこそ、私の復讐は完遂される。自分を貶めた女を恋人にしなくちゃならない。これこそ陽に対する最高のざまぁ」
「はぁ? 何を言ってるんだい?」
陽は思わず素っ頓狂な声を上げる。
「その自信はどこから出てくるんだよ」
「陽は優しいから大丈夫。応えてくれる」
「……はぁ。この話はもう終わりにしよう」
陽は雪希を胡乱げに見て嘆息し、打ち切りを宣言した。
陽はベンチから立ち上がり彼女に近づく。
「来ないで!」
雪希の叫びが陽の足を止めた。
「これ以上近付くなら、私の告白を受け入れてくれたと見做す。陽がどう思おうと関係ない。時間も場所も関係ない。ずっとずっと陽に付き纏う」
「受け入れてくれないなら、そのまま見捨てて。陽なら見捨てられるでしょう?」
確かに、陽は既に幾度も雪希を見捨てきた。雪希の言う通り、再び見捨てるくらい陽にとって造作もないはずだ。
「……参った、降参だよ。だから、終わりにしよう」
諸手を挙げてギブアップを申し出る陽。
しかし、それでも雪希は止まらない。
彼女は奇しく小首を傾げて――
「私の次の行動を読んだ? でも、降参じゃ駄目。許さない。許しちゃいけない」
雪希はポーチから取り出したモノをスカートのウェストに忍ばせて――
「陽の復讐もこのタイミングでのバッドエンドは考えてなかった? でも、残念。私の告白にOKと言ってくれるまで、私は私への復讐をやめない。だから――」
「やめろっ!」
「嫌っ!!」
――ビリィぃぃィィッッ!!!
次の瞬間、雪希は手に持つナイフで彼女のスカートを縦に切り裂いた。
「何をしているんだ」
「私は陽を脅した。彼女にしてくれなければ自分を傷付けると言った。そんな私って、酷い女だと思わない?」
裾まで裂かれたスカートははらりと地面に落ち、彼女の薄桃色の下着が公衆の面前で露わになった。
「なぜ、こんな馬鹿なことをするんだ――そう思った? でも、これは償い。陽だって言った。償うなら全てを曝け出せって。だから、今曝け出す」
雪希は狂気の笑顔を浮かべ、今度はニットの中にナイフを忍ばせた。
「そして、これは復讐。陽の代わりに私が私に復讐をする。陽を裏切る酷い女には復讐が必要。立ち直れないくらい徹底的に痛めつけることが必須。だから――」
――ぶッッ!!
ブラジャーが中央から切り離されたその瞬間、支えるものがなくなり雪希の胸が重力に従いたゆんと弾む。
「陽も私に復讐する。私の告白と陽の復讐は別物――私を恋人にしても関係ない」
「むしろ、こんな二股女には積極的に復讐すべき。こんな可愛い格好して陽を唆すなんて舐めてる」
――ビビビぃぃッッッ!!!
彼女の振るうナイフによって、今度はニットが襟からお腹の辺りまで裂かれる。雪希の形が良くて深い谷間が露わになった。
「陽、私は――」
自分を傷付けてぽろぽろと涙を零す雪希。
正直、見ていられない。しかし陽が顔を背けても、彼女の言葉は彼の耳朶に纏わり続けた。
「陽を裏切って、陽から大切な親友を奪ってしまった。ごめんなさい。あんなに大事にしてくれたのに、本当にごめんなさい。でも――」
――でも、思ってしまった。親友でないのなら、陽の彼女になってもいい?
「私は陽の彼女になりたい。陽の親友以上の存在に私はなりたい」
――形だけの恋人になっても意味がない?
「私は違う。どういう形であれ陽と恋人になりたい」
――打算まみれの時点でその恋は終わってる?
「そんなことはない。駆け引きでもいいから陽と恋をしたい。意地汚くても愛してるって陽の傍で言い続けたい」
――優しくするなら、最後まで優しくして。
「それで陽の気が紛れるのなら、裏切り者と罵っても、暴力だって振るってくれたっていい。そんな我が儘で独善的な優しさでも構わない。だから――」
――だから、優しくして。お願いだから、終わりだなんて言わないで。
「じゃないと――」
――ビビッ、ブッッッッ!!!!
雪希の自虐は遂に自傷に及ぶ。
雪希は己の髪を――彼女が恋心に気付いてから伸ばし続けた髪を編み込んだリボンごと断ち切った。
「…………」
「陽が『終わり』だなんて言うから……ふふふ」
押し黙る陽に、雪希は不敵に泣き嗤いしてみせた。
「私の恋心を受け取ってくれなきゃ、私はいくらでも私に復讐する、よ?」
元より情緒不安定だった雪希の心理は陽の想像を遥かに超えて常軌を逸し、彼女の想いは更に暴走し続けた。
「終わりだなんて言わせない。終わらせなんかしない。絶対に――絶対に、終わらせてやるもんか」
「諦めない。絶対に――絶対に、諦めてたまるもんか」
「次の恋なんていらない。次の恋なんて見たくない。次の恋を見させられるくらいなら、私は自分の人生を終わらせる」
「私はこの恋が好きなんだ」
「私はこの恋が大事なんだ」
「私は――」
「私は――」
「私はこの恋に必死なんだ!!」
「雪希!!」
そして、雪希の想いが乗ったナイフは遂に雪希の胸へと振り下ろされて――
……。
…………。
………………。
雪希が持つナイフは彼女に刺さることなく途中で止まった。
時が止まった訳では無い。
陽がナイフの刃を握り締めていた。
そして、彼の血が刃から柄へと伝った。
「陽、手……」
「あぁ、切れてるな」
「私、また……また、陽を傷付けちゃった……」
雪希は声を震わせる。
だから、陽はもう片方の手でポンポンと頭を叩き、彼女に温もりを伝えた。
「これくらいの怪我は大したことない。慣れたもんさ」
「……痛い?」
「痛い。でも、雪希を止められたから俺は満足だ」
「止められて満足? でも、陽、近付いちゃった?」
「近付かないと止められないだろう?」
「それに『雪希』って名前呼びした」
「言っちゃったな」
「『俺』って口調も昔に戻った。ぶっきらぼうな感じが嬉しい」
「ぶっきらぼうが嬉しいなんて可笑しくない?」
「ふふふ」
雪希は堪らず涙を零して笑ってしまった。
「陽はそれでよかった?」
「さっきも言ったけど、降参です」
「ふふふ。じゃあ、告白はOK?」
「取り敢えずOKでいいよ。その代わりに言うことを聞いてくれるんだよな」
「聞く。陽の――彼氏の言うことは絶対。命令、かもん」
「じゃあ、手を下ろして――これからは自分で自分の身体を傷付けるのはやめろ。俺を含めて、誰に何を言われても、絶対だ。これだけは忘れるな」
「わかった」
雪希が脱力するのを見て、陽は彼女からナイフを取り上げた。
「これで私達、恋人?」
「『東雲 陽』はお勧めしないぞ。雪希も承知の通り、俺には成し遂げなければならない復讐がたくさんある。その過程で奴等も誑し貶めることもするだろう。そんなことを公言する男の彼氏になりたいのか?」
「絶対になりたい」
雪希は陽の心配に即座に応えた。
彼女は決して陽から目を離さない。
「私は裏切り女、二股女、酷い女。だから、陽は一途でなくていい。浮気OK、何股でもするといい。こんな女と浮気男は丁度いい」
「そうかい……」
陽はそっぽを向く。
「陽――」
「なに?」
「大好き。私は陽のことを愛している。これから何があっても、それだけは忘れないで」
「そうかい……」
周囲はざわついていた。
陽はこれらの喧騒を無視して裸の雪希にシャツをかけた。
雪希もまた平静と陽の傷にハンカチを巻いて止血した。
「1日中ここにいるつもりだったけど、今日は無理そうだな」
「邪魔してごめんなさい」
「まぁ、仕方ない。帰ろう」
「陽……」
「なに? まだ、何かあるのか?」
「腰が抜けた。あっ……」
雪希はその場にへたり込む。
「仕方ないなぁ」
陽は近くのランナーから借りたバスタオルで彼女の下半身を包んで、それから彼女をおぶった。
「落ちないようにしっかり捕まってろよ」
「わかった。陽が私の胸の柔らかさを感じ取れる様にしっかり抱きついてる」
「……それはどうでもいいんだよ」
「ふふふ」
彼女達のやり取りは恋人というよりも友人のそれだった。
しかし、おんぶされている雪希は顔を真っ赤にして彼の背中に埋めていた。
「陽、本当に優しい」
「そうかい?」
「うん」
「陽、いい匂い」
「汗臭いだけだよ」
「うん。それがいい」
「雪希って、匂いフェチだよな?」
「すぅぅぅ……」
「ついていけませんわ」
「ふふふ♡」
雪希は甘酸っぱい時の流れが嬉しくて堪らなかった。
* * * * *
帰路――
それは幸せの時だった。
しかし、正面から何処か見覚えのある女性が近づいてきて――
《――@$#%……》
彼女がすれ違いざまに小さな声で陽の耳元で囁いた。
「よぉ?」
瞬間、陽は立ち止まった。それから、彼は急に早足になる。
雪希が声をかけるも、陽は返事することなく近くの公園のベンチに彼女を下ろした。
「よ、よぉ?」
「おんぶなんてするんじゃなかった……」
ただならぬ言葉、ただならぬ雰囲気を漂わす陽。
彼に先程までの温和な笑顔はなかった。
「早いかもしれないが別れの挨拶だ」
「意味が分からない。別れの挨拶って何? それは恋人になったばかりの私達に相応しくない言葉」
豹変する彼の態度にも唐突な彼の告白にも、雪希は戸惑うばかりだった。
「今更告白されても、やっぱり今更だったんだ。信用できる訳がないだろう? だって、俺は雪希の全てを疑っているんだから」
その言葉を聞いた雪希はベンチからずり落ちる程、全身の力が抜けていった。
「もっと早く別れるべきだったと後悔してる」
――後悔してる……
――後悔してる……
――後悔してる……
陽は真っすぐに雪希を見据えて言葉を続けた。
「雪希、彼氏としての命令だ。想いごと捨ててくれ」
「陽は、そのために……そのために、私の彼氏になってくれたの?」
「そうだな。実際に言葉にして、俺のこの感情を雪希に伝えたかった」
「そのために……そのために私を止めたの?」
「そうだな。雪希に勝手に自己完結してほしくなかった」
「そのために……そのために私にチャンスをくれたの?」
「そうだな。全てが――俺の気持ちを弔うためだ」
雪希は陽の気持ちを全く分かっていなかった。
そして、陽の憎悪は雪希の想像を遥かに超える深いものだった。
「陽は……陽は酷い人、だね」
――そして、狂っている。
雪希の中でも怨む気持ちが沸き起こる。
それでも、雪希は陽に縋ることをやめなかった。
「自分が傷ついても、陽を傷つけても二度と離れたくない。だから、先程の命令も聞けない」
「陽から離れるなんて絶対に嫌」
「私は復讐を受け入れる。とっくに受け入れている。だから、お願い――」
しかし、次の瞬間、ざわりとピリつく感情が陽が触れるその先から雪希の身体に流れ込んできた。
それは先日も苛まれた凝縮された陽の憎悪だった。
「うぅ……うぅぅぅぅぅッ!! ああぁぁッッ!!」
雪希は堪らず悲鳴をあげた。
濁流のような憎悪――先日のそれよりも更にどす黒いそれは遠慮なく雪希の中に押し寄せ、そして、雪希に延々とした苦しみを齎した。
幾ばくの時が流れ、雪希の心が隈なく憎悪に飲み込まれた時、雪希は口を開いた。
「恋人関係、もう終わり?」
「あぁ、終わりだ」
「本当に?」
「本当だ」
その言葉には強い意思が込められていた。
であれば、雪希が何を言っても陽が耳を貸すことはないだろう。
「じゃあ、帰ろうか。僕から絶対に離れないでね」
それが陽の最後の慈悲だったのかもしれない。陽は雪希を再びおんぶした。
「分かった」
雪希は素直に彼の背中に乗った。
そして、彼女は彼の背中に顔を埋めた。
どこまでも一方通行の雪希の恋は――
その日のうちに、彼女の復讐劇と共に終止符を打った。
拙作を読んでいただき、ありがとうございます。
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作者の今後の執筆の励みになります。