11.(回想)親友
子供の頃、私はもっと快活で奔放だった。
言葉遣いも今のように辿辿しくなく、寧ろ饒舌で荒っぽい言葉使いだった。
でも、私はあの日を境に今までと異なる人間形成の道を歩んだんだ。
小学5年生のあの日――
「また……また、ない……」
私は靴を隠された。
それは放課後だった。
皆が笑顔の中(少なくとも私にはその様に見えた)、私は自分の下駄箱を見て呆然と立ち尽くした。
昨日は体育館シューズを隠された。
それまでも物が無くなることが多くあったけれど、自分で無くしてしまったのだと言い聞かせていた。
だけど、流石に体育館シューズを無くすことはないだろう。
(クラスに泥棒がいるんだ!)
私はいきり立って騒いだ。
「誰が犯人だ!」
「誰が盗ったんだ!」
「とっとと名乗り出ろっ!!」
でも――
「雪希君のことだから、またどこかで忘れてきたんじゃないの、あはは――」
「如月君の靴なんか知らな〜い――」
返ってくるのは男子のからかう笑い声と女子の素っ気ない声ばかりだった。
私は誰にも相手にされなかった。
事態は翌日になっても変わらず――
「また……ない……」
靴隠しは更に続いた。
今朝は上履きが、放課後の今は運動靴が無くなった。
日中は学校から借りたスリッパを履いていたけれど、こうなっては靴下姿で帰るしかなかった。
「うぅ……」
陰湿な敵意に晒された私は白の靴下を汚してとぼとぼと下校の途についた。
『お人形さんの様に可愛いね』
誰に言われたかはもう覚えていない。
だけど、当時の私には『人形』と言われる程に整ったこの容姿がコンプレックスとなっていた。
――『人形』じゃない。私にだって心があるんだ。
――見た目じゃない。私の心を見て! 本当の私を!
自我を主張する為に、私は手ずから髪を短く切ってがさつな態度を取る様になった。それから、その身なりに合わせて交流関係も男子中心になった。
スキンシップは多め――肩を組んだり、一緒に馬鹿やって大笑いしたり――気付けば、私は男子グループの中でガキ大将の様な存在になっていた。
でも、その仕草は媚びていると見られたのかもしれない。
勿論、女子との友達付き合いも大切にしていた。
他の男子の真似をして――時にはイジってツッコミを入れられて――彼女達が孤立しない様に話題の中に入れてあげた。
けれど、その行動は偉そうだと思われたのかもしれない。
友達付き合いに細心の注意を払う今なら分かる。
私は女子達から疎まれていた。
靴隠しは彼女達の鬱憤の現れだったんだ。
(何で……?)
疑問符と不安な気持ちが頭の中で巡り巡る。
(何で……?)
証拠はない。
でも、誰がやったのかはすぐに分かった。
(何で……?)
クスクスと嗤う友人達――いや、友人と思っていた同級生達。
(何で……?)
そんなに恨まれる様な事をした?
(何で……?)
隣のクラスの遠藤君と仲良さげに肩を組んだりしたのがよくなかったのかな?
遠藤君、スポーツ万能で格好いいって、女子に人気だもんな。
仁科さんも彼の事が好きだって、言ってたっけ。
(何で……?)
でも、その遠藤君だって仁科さんに紹介してあげたよ。
あっさり振られちゃったみたいだけど。
(何で……?)
仁科さんが告白した時、「如月のことが好きだから」って遠藤君に断られたのは知らない。
私が言わせたんじゃない。彼女に魅力が足りなかっただけだ。
(何で……? 何で……?)
私のせいじゃない。
私は私でありたかっただけなのに――
「なんでぇ……?」
足と胸が痛くて痛くて堪らなくて――
今にも折れてしまいそうで――
私はぽろぽろと涙を零した。
「雪希!」
その時、男の子の声に呼び止められた。
その声は私が最も信頼する――
苦難を幾度も乗り越えてきた心強さが滲み出た――
私が――
私が最も聞きたい声だった。
「雪希! 大丈夫か!?」
「よぉ……よぉ……うぅぅぅ……うわぁぁぁ!!」
陽が追いかけてきてくれたことに安心した私は我慢できずに大声で泣いた。
「雪希……」
泣いている私を見て顔を歪める陽。
彼はチラリと私の足下を見やって――
陽はそれだけで事情を察して私をおぶってくれた。
私と同じ位の身長なのに、
女の子の様な可愛い顔をしているのに、
私を軽々とおぶる陽はやはり男らしくて、
同年代の男子よりも遥かに格好よくて――
それから、私達は学校へと引き返した。
陽は校舎内に戻っても私を降ろさず、私も彼の背中に抱きついて離れなかった。
おんぶ姿のまま私達が教室に入ると、居残っていた女子生徒――私の友人だった女の子達が一様に振り向いた。
陽はそんな彼女達を睨みつけ、私は目を逸らした。
教室に入る時、私への嫌がらせを嗤いながら語る彼女達の声が聞こえてしまった。
「どうしたの? 如月君、おんぶなんてしてもらってどうかしたのぉ? ぷくく(笑)」
「『どうかした?』だと? お前達みたいなのがいるから雪希は……」
いつになく険を強く発する陽が彼女達を睥睨すると、先程まで嗤っていた彼女達も「ひっ……」と余裕なく悲鳴を上げた。
「し、東雲君は何を怒ってるの? もしかしてその男女が私達に虐められているとでも言った? その子の言う事を信じるの?」
「信じる? そりゃ、お前達みたいな性根が腐った匂いのする奴等よりは信用できるだろうさ」
「なんですって!?」
「どうしましたか!?」
私達の口論を聞きつけて、担任の美也子先生が慌てて教室に入ってきた。
でも、陽は彼女の登場を待って騒ぎを大きくしていたらしい。彼は美也子先生を含めた関係者全員に聞かせる様に矢継ぎ早に語り出した。
「中庭の池に雪希のスニーカーが沈められています。その犯人は仁科さんです。そして、彼女が中庭にいたのを菅原先生が見ています」
「なっ!? 東雲くん、私のせいに……」
「仁科さんが盗んだ証拠として、彼女のロッカーに雪希のスニーカーに付いていたチャームが入っています。絶対に証拠隠滅させないで下さい」
陽が指摘したチャームは陽が私の誕生日にプレゼントしてくれた物だった。キラキラと輝いていて陽の手作りなそれは私のお気に入りだった。
仁科さんが「濡れ衣よ」と言い訳をしながらロッカーに走り出すけれど、陽は彼女に足をかけて阻んだ。仁科さんが躓いている隙に、美也子先生は証拠品を発見した。
「あなた――!」
「まだ説教は早い。次に雪希の上履きは――」
陽は教師の説教を黙らせ、次々と彼女達の犯行を明らかにしていった。
それはあたかも陽が過去にタイムスリップして見てきたかの様で――
「最後は――」
陽は普段は私にも仁科グループにも関わらない一人の女の子の鞄を持ち出し、周りの制止を聞かずに火が入ってない焼却炉に――
「そこに入れたら、自動的に火が! ――あっ……」
自動で焼却が開始するその設備について、普通の子供は知らない。
でも、彼女が知っているのは――
「……如月さんの文房具を焼却炉の中に投げ捨てました」
彼女は耐えきれず罪を認めた。
全てを見透かす陽の眼は仁科グループを隠れ蓑にしていた彼女の犯行も明かしたのだった。
彼女達の悪事を全て明かした後、陽は――
「いつも雪希の世話になってるくせに、肝心の時に助けないなんて情けないっ!」
クラスの男子達を激しく叱咤した。
「あなた達の教師人生がかかっています。絶対にこいつ等を許さないでください」
教師達には日和ることを許さなかった。
「な、なによっ! イジメられる奴が悪いんじゃない!!」
「そうだね。イジメられる奴が悪い――」
逆ギレする仁科さんには底冷えする様な言葉を投げて――
それはいじめっ子がいじめられっ子に転身した瞬間だった。
その後、仁科さんは小学生生活を殆ど不登校で過ごすことになった。
他の子も似たようなもので、結局、私に害意を向けた彼女達は多くの代償を払うこととなった。
* * * * *
事件後――
私達は公園のベンチに並び座っていた。
この公園は普段は悪友達と屯い馬鹿をし合う隠れ家的な場所だったけれど、今は陽と二人きりだった。
最近の陽は元気がなかった。
だから、私はそんな彼を慰めようと思った。
「陽、最近元気がない。どうした?」
「母さんに怒られて『頭を坊主にしろ』って言われた……」
項垂れる陽はいつもの様に可愛い。
私は思わず笑ってしまった。
「確かに、陽はやりすぎた。反省して丸坊主にすべき、くすくす」
「うぅ……雪希まで言わないでくれぇ〜」
陽の言葉を聞いた私の笑い声は止まらなかった。
陽には申し訳ないけれど、私は喜びを噛み締めていたんだ。
彼が私を想ってやり返してくれたから嬉しいんじゃない。
自身の持てる力をふんだんに使って私を救ってくれたからでもない。
私が嬉しかったのは、陽がおんぶしてくれた時――
「裏切られたのは辛いよな」
掛けられたその言葉――
嬉しかったのは、陽が私の気持ちを正しく理解してくれたからだった。
盗みよりも裏切られた事に悲しむ私に陽は気づいてくれていたんだ。
「大丈夫だ……大丈夫……大丈夫……」
触れた足に伝わる温もりが安堵となって伝わってくる。
「俺達は親友だからな。俺は雪希を絶対に裏切らない。雪希だってそんな奴が傍にいると分かれば、少しは安心出来ないか?」
私の『幸福』を願う気持ちも伝わってきて――
陽は「俺を信じろ」と言ってニカッと笑った。
母親に怒られて年相応にしょんぼりする陽への愛おしさが溢れる。
なんとか励ましてあげたくて、癒してあげたくて堪らなくなる。
だから、私は――
次の自分の行動を想像して、私は思わずボッと顔を紅潮させた。
でも、この想いは抑えが利かない――
「だ、大丈夫っ! 陽は大丈夫!」
すごい声がうわずる。
我ながら何とも根拠のないお墨付き。
それでも――
「陽が困ったときは、今度は私が助ける! 陽が傷付いた時は、今度は私が癒す! こ……こ、これは約束だから!!」
私は驚く陽を無視して唇を陽の頬に押し付けた。
冒頭に戻る――
私が今までと異なる道を辿る原因となったのは陽への恋心だった。
陽というよき理解者がいることに気付いた私は強がる事をやめた。
そしてこの時から、私は陽に常に寄り添い歩くようになった。
「男同士なのに、あんなにくっついて……」
「「……」」
(私は女の子……)
今までだったら気にしない言葉だった。
陽も気にした素振りはなかった。
だけど、私は翌日から服装を短パンからスカートへと変え周囲を驚かせた。
あと、陽はあの事件を境に女子の間で株を急上昇させた。靴箱にもラブレターが頻繁に入るようになった。
いつの時代も、女子は強い男に惹かれるから仕方ないけど――
私はその子達に負けない様に身形を磨いた。
自分で言うのもなんだけれど綺麗になったと思う。もう絶対に男の子には見られない。街を歩けばモデルにスカウトされるし、女子の間でも一目置かれる存在になった。
シルバーブルーの髪は手入れを欠かしたことがないので艷やかで、撫でると気持ちいいと思う。
化粧だって上手くなったし唇だって瑞々しいから、思わずキスしたくなるかと思う。
胸も同年代の女の子より大きい。感度も十分なので、是非手を伸ばして堪能してほしい。
仕草も女の子らしくなった。言葉遣いも思慮深く丁寧な物言いになった。思わず守ってあげたくなるかと思う。一緒にいて殿方の自尊心を満たすこと間違いない。
全部全部、陽への恋心がそうさせたんだ。
幼馴染だけでなく、親友だけでなく、
陽に異性として見られたくて――
* * * * *
その晩、陽の心に触れた私は久しぶりにぐっすり眠れた。
それから、過去の夢を見て――
私は思い出した。
彼は親友のために、代わりに怒って代わりに悲しめる人だった。親友のためならば何でも出来る人だった。
――それに比べて自分はどうだろうか?
(償いたいと綺麗事を言うけれど、陽の代わりにしたことはあっただろうか?)
陽に異性として見られたいあまり己の弱さだけを見せて、彼の親友としての立場をおざなりにしていた。
(陽の心は負の感情で溢れている。自分自身を傷つけるくらい)
彼の心を癒してあげたい。
彼の怒りと憎しみを発散させてあげたい。
でも言葉とは裏腹に、陽が裏切った私達にその激情をぶつけることはなかった。
――その激情はどこに行ったんだろう?
(行き場を無くしてるんだ)
――そして、彼の心の中に無理に閉じ込められてるんだ。
(それならば――だとしたら……)
その考察が正しいかを確認するためにも、是非とも彼の憎しみをぶつけて欲しかった。
(そのためにも陽の復讐を代行しよう。私は私自身に復讐を果たすんだ)
陽はやる時は徹底的にやる人間だ。
(なら、私も徹底的に貶めよう。私自身を……陽の代わりに、陽の親友として――)
そのためにも――
私は早速一通のメッセージを送った。
拙作を読んでいただき、ありがとうございます。
よろしければ、下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして『ポイント評価』をお願いします。
作者の今後の執筆の励みになります。