14 下手な口説き文句より
「ここまで来ればいいだろう」
ノマン城からクレイスを連れて逃げ出したピィは、近くの森の中で足を止めた。辺りはすっかり暗くなり、遠くの方では魔法灯の灯りがチカチカとしている。
「しかし魔法も難儀なものだな。灯りを作って、夜でも戦えるようにしてしまうなんて」
「そうですね……。かつて魔法が無かった時代は、夜になると戦争は中断されていたそうですから」
「え、魔法が無かった時代とかあるのか?」
「……」
「すまん、後にしよう。まずはケダマを治してやらないと」
ピィは魔草を口に含むと、咀嚼しながらケダマをクレイスの懐から引っ張り出した。そして、口から取り出した魔草を傷に塗り込む。
「ピィさん、それ……」
「ああ、驚いたろ? ケダマの体はちょっと特殊でな、普通の薬草だと傷に効かないんだ。だから、吾輩の口の中で魔力と混ぜてやらなきゃいけなくて」
「ぜひ俺もその方法でお願いします」
「嫌だよ。つーかお前人間じゃないか」
「……今は、そうでもないですよ」
クレイスの言葉に違和感を覚え、ピィは顔を上げる。彼女の目の前にいるクレイスは、何故か自分の服をはだけようとしていた。
「ほぇっ!? 何してんの!?」
「いいから。見てください」
薄闇にクレイスの肌が曝け出されている。……牢で使った薬が効いているのだろう。思いの外、傷は癒えていた。
しかし、その胸に刻まれた紋様に驚く。彼の心臓付近からは、放射線状に不気味な黒い痣が広がっていたのである。
「お前、それ……!」
「……実は俺も、ヴェイジル同様ノマンにフーボの無限の泥を飲まされたのです。今も、その進行は進んでいます」
「ヴェイジル同様って……! じゃあ、お前もあの泥のバケモノになるのか!?」
「はい。いずれ心臓もコアに置き換わり、彼のような魔物となるでしょう」
「……!」
「……まあ俺としては、魔物の身である方がピィさんと結婚しやすいなら、別にアリかなとも思うのですが」
「思うな。抵抗してくれ」
一瞬本気で心配したというのに、相変わらずの思考である。ピィはため息をつくと、ケダマの手当てを再開した。
「……なぁ」
「はい」
「その泥も、ノマンを殺せばどうにかなるのか」
「恐らくは」
「……吾輩らはな、お前がノマンを殺す手立てを知っていると思って、ここまで体を張って助けたんだ」
「ええ」
「どうだ。実際お前は、ノマンを殺せるのか」
この核心をついたピィは問いに、クレイスは真正面から彼女を見つめる。そして、頷いた。
「――はい。殺せます」
「……!」
「ですがその為には、ピィさんの身を再びノマンの前に晒さなければいけません」
クレイスが、ピィの左手を取る。その眉間には皺が寄っていた。
「……俺は、それが嫌です」
「嫌て」
「嫌ですよ。何故よりにもよって、ピィさんが犠牲にならねばならないんですか。他にたくさんの人間も魔物もいるのに、なんでピィさんだけが……」
「……そうか。やはりお前の策に則れば、吾輩は死ぬんだな」
「……はい」
クレイスは、ピィの手を握ったまま力無く項垂れる。その間にケダマの治療を終えたので、ピィは空いた手でクレイスの傷に薬を塗ってやった。
「俺の策をそのまま遂行した場合、宝珠の力を一度一つに集約せねばなりません。そしてその過程で、宝珠と同化しているピィさんの命は失われます。そしてノマンが倒された後も、泥に侵されただけの俺とは違い、貴女の体に宝珠の力は戻ることはないでしょう」
「そうか」
「はい。……実は俺も、ピィさんが宝珠である可能性を考えないではなかったのです。ですがあの時、ミツミル国でベロウさんが宝珠を抱えていたのを見て、『これで宝珠の数が合った』と早合点してしまった。……愚かでした。俺は、ピィさんを失いたくが無いために己が目を眩ましたのです。城に行くべきでなかった。貴女に会いに行かなければ、ノマンに貴女のことがバレることは無かったのに」
「うんうん」
「聞いてます?」
一通りクレイスの傷の治療を終えて、自分の傷に取り掛かる。彼と手を繋いだ状態で、ピィは器用に自分の腹部に薬を塗り込んでいた。
「聞いてるよ。いつクレイスが策の続きを話してくれるのかなーと思いながら、聞いてる」
「……え? 続き?」
「ああ。ノマンをどうやって打ち倒すのかという策の続きだ」
事も無げに返したその一言に、クレイスはあんぐりと口を開けた。
「な、何言ってるんですか!? だから、俺の策は宝珠の力を一つに集めなきゃいけなくて……!」
「うん、それで吾輩が犠牲になるんだろ? 吾輩が聞きたいのはその先だ。クレイスと吾輩がいれば事足りるのか、もしくはもっと人手がいるのか。チャンスが一度しか無いのなら、失敗の無いよう事を運ばないといけない」
「で、でも、ピィさんが死んでしまうのに……!」
「それはもう、この際いい」
傷の手当てを終えたピィは、クレイスに向き直った。
「深い事情は知らないが、クレイスだってずっとノマンを倒す為に準備してきたんだろう。そこまでノマンに対して周到に用意してきた奴を、吾輩は他に知らない。ならば、今更ここで足踏みすることはできない」
「……!」
「クレイス、吾輩の命を使え。吾輩とて、何の覚悟も無くここまで来たんじゃないんだ」
クレイスは、黙ってピィを見つめていた。そのグレーの目に向かって、ピィは微笑む。
「……本当にいいんだよ。そもそもの話、宝珠が無ければ吾輩はとうに幼児の頃に死んでたんだ。えっと、言ってなかったっけ。実は吾輩、元人間でな。この目と髪の色のせいで、村からは迫害を受け奴隷として売られたんだよ」
「……え」
「そこで死にかけていた所を、父さんが宝珠を使って助けてくれた。……それに、クレイスがあの時魔王城を訪ねてこなければ、吾輩はノマンの元へ行き力を奪われていただろう」
そうだ、自分はまだまともに礼の一つも言えていなかったではないか。思い出したピィは、照れてしまう前に急いで口を開いた。
「その、あれだ。だからクレイスがいなかったら、吾輩はマリリンと友達になれなかったし、ヨロ国と同盟を結ぶこともできなかったんだ。……人の国と国交を結ぶのは、父の代からの悲願だった。それを叶えてくれたのは、間違いなくお前なんだよ」
「……そんな」
「えっと、だから……ありがとう、クレイス。吾輩は、もう十分手に入れた。何も持っていなかったのに、命を得、父を得、家族を得、友を得た。……吾輩には勿体無いぐらい、本当に幸せだったんだ」
「……」
「だから、もういい」
そう言って笑ってやったが、クレイスは黙ったままである。けれど、ぎゅっとピィの手を握ると、首を横に振った。
「……それでも、俺は嫌です」
はっきりと、クレイスは言った。
「ピィさん、そんなことを言わないでください。幸せだったから、もう死んでもいいなんて。……足りませんよ。俺からすると、全然足りない。ピィさんは生きて、もっとずっと長く幸せでいないと」
「それは……でも、吾輩が死なないとノマンを倒せないんだろ?」
「倒します」
クレイスは、断言した。
「倒せるように、俺が考えます。ピィさんを死なせず、ノマンを殺す方法。この二つが両立する策を、俺は泥のバケモノになる前に思いついてみせます」
「……クレイス」
「貴女は死なせません。絶対に。……俺はもう、あの時のような子供じゃない。知恵をつけ、魔法も使えるようになりました。……二度と、あの日のように貴女を死へと向かわせない」
「? 何の話だ?」
「ピィさん、俺は……!」
何か言いかけたクレイスだったが、ある気配を察知したピィに咄嗟に抱えられる。するとさきほどまでクレイスが座っていた場所に、雨のように魔法の槍が突き刺さる。
「……ノマン王国軍に見つかったようだな。一旦逃げるぞ、クレイス」
「……わかりました。お願いします」
クレイスの返事を待たず、ピィは彼を抱え直すと走り出した。ケダマは疲れ果てているのか、ピィの服の中でみょうみょうと寝息を立てている。
追いかけてきた魔法弾を軽やかに避けて、ピィはクレイスに言った。
「……さっきはありがとうな、クレイス」
「え、何がですか?」
「吾輩を死なせないと言ってくれて嬉しかった。次なる案を探すと言ってくれて嬉しかった。……吾輩のような中途半端な魔物が生きてもいいと、そう当たり前に認めてくれて、本当に嬉しかったんだ」
「……」
「この魔王は、お前の指示に従おう。お前の声の下、手にも足にもなる。……共に戦おう。最後の時まで」
「……ピィさん」
「信じている。吾輩は、クレイスと二人で新たなる世界を見たい」
「……っ!」
抱えたクレイスの体が、なんだか熱くなった気がした。けれどそれよりも、部下達から預かった物を思い出して慌てて懐を探る。
「すまん、今思い出したんだがな。吾輩、ミツミル国の宝珠を持ってるんだ。ほらこれ、説明書もある」
「え!? なんでそんなものがあるんですか!?」
「それは元はと言えばクレイスが見逃してくれたからだが……」
「えええー!?」
飛んできた追撃を、クレイスが魔法で跳ね返す。そうして彼はピィから紙切れを受け取ると、「ああもう」とため息をついた。
「……ほんと、下手な口説き文句より効きましたよ……」
「ん? 何か言ったか?」
「いえ」
そして二人は、ノマン城へと向かっていく。その間、クレイスはじっと頭の中で策を組み立て直していた。




