7 鉄格子の向こうから
走る、走る。日が落ち、辺りが暗くなっても。それでもピィは、全速力でひた走った。
ぐんぐんノマンの城が近づいてくる。ああ、いよいよだ。ピィは、拳を握って深呼吸をした。
門が見える。一足先に報告があったのか、兵士らが跳ね橋が上げようとしていた。――小癪な。そんなもので、吾輩を足止めできるものか。
「りゃっ!」
思い切り地面を蹴る。兵士らの視線を集めながら、ピィの体は難無く堀の上を飛んだ。
「はぁ!?」
「もひとつ、よいしょーっ!」
「あああああああっ!? 最高強度を誇る扉が!!」
ピィの掛け声と共に、哀れ扉の一部は砕け散った。兵士らの悲鳴も上がったが、まあ魔王の力の前では無力である。
こうして無事に正面扉を突破したピィは、ノマン城の中へと侵入を果たしたのだ。
「みょ、みょ!」
彼女の服の中から顔を出したケダマが、鳴き声を上げる。ピィは頷くと、ケダマの示した方向に体を向けた。
「分かってる。クレイスはあっちだな」
「死ねぇ、魔物め!」
「んもうっ、邪魔!」
「がふっ!」
兵士を蹴飛ばしておいて扉を開ける。そこは、地下へと続く階段だった。ケダマの反応した通り、静かで青色っぽい匂いが濃くなる。
「……この場所で間違ってないようだ。急ごう」
「みょみょっ」
魔力の匂いは、人や魔物によって異なる。かつ、その匂いが殊更強くなる状況はいくつかあった。魔法を使って、魔力を放出している時はもちろんのこと――。
(……酷い怪我をしている時も、そうだ)
ピィの鼻は、血の匂いを嗅ぎつけた。無意識に駆ける速度が上がり、ケダマは振り落とされないよう必死でしがみつく。
血の匂いが濃くなる。魔力はどんどん弱くなる。よく分からない焦りが、ずっと胸の内で渦巻いていた。
「クレイス!」
バンと最後の扉を開け放つ。――空気の通わない、血の匂いが立ち込める薄暗い部屋。息苦しくて、ピィは一つ咳払いをした。
次第に闇に目が慣れてくる。そして彼女の緋色の目は、鉄格子越しに転がるボロ切れのようになった男を捉えた。
「……!」
鉄檻に駆け寄る。中にいるその血みどろの物体に向かって、ピィは声を張り上げた。
「クレイス、クレイスだろ! しっかりしろ! 吾輩が分かるか!?」
「……ぐ」
呻き声が上がり、物体が小さく揺れる。その姿に、ピィは自分の表情が緩むのが分かった。
……ああ、生きている。間に合った。間に合ったのだ。
けれど、まだ安心はできない。クレイスはそれ以上動かなかったからだ。
「クレイス……」
自分と彼を隔てる鉄格子を握る。無情な冷たさが、手のひらを通して伝わってきた。
「むんっ!」
が、魔王たるピィの前では鉄格子など無いも同然である。彼女は腕力で鉄をひん曲げると、隙間から牢に入り込んだ。
「動くな。じっとしてろ」
「……ッ」
「……なんて酷い怪我だ。ケダマ、例の薬を」
「みょー!」
「ありがとう。……さぁクレイス、これを飲め。アホみたいによく効くぞ」
「……げほっ、がはっ」
「あ、飲めない? 知るか、がんばれ。飲まなきゃ死ぬんだ。吾輩も吾輩で軟膏を塗ってやるから……」
「いたぞ! こっちだ!」
「逃がすな!」
「む、追手が来たか。……仕方ない、クレイス、少し動かすぞ」
複数の足音が近づいてくる中、ピィは自分の服が汚れるのも厭わずにクレイスを背負った。怪我が痛むのか、クレイスの顔が歪む。傷口から流れる血が、ぽたりと床に落ちた。
「逃げるぞ。お前は、絶対に吾輩が助けてやる」
そしてピィは、来たる追手達に向け走り出した。
「……そうかぁ。女の魔物が、クレイス君に会いに来たとはねぇ」
絢爛豪華な玉座の間にて。その中で最たる輝きを放つ美をたたえた男は、跪く兵に冷たい笑みを浮かべた。
「僕としてはもうあんなのどうでもいいけどぉ、でも魔物の方は王国でも暴れてたんでしょ? やだなぁ、僕の美しい国に野蛮な魔物が存在するのはさ」
「……」
「じゃあさ、アレ。アレをぶつけてみればいいんじゃない? ちょうど実戦投入してみたかった所だし」
部下は黙ったまま頷く。ノマンが指先一つ動かしただけで、彼は何も言わずにその場からいなくなった。
「……無駄な足掻きだねぇ」
そして、ノマンは一人皮肉めいた笑い声を立てる。
「どうせ、みんな滅びる運命なのに」
クレイスを背負って両手が使えないとはいえ、ピィの戦闘能力は未だ人間より圧倒的に上であった。何なら時折ピンクのふわふわも加勢するのである。向かう所敵無しであった。
「よしっ、いいぞケダマ! この調子で一度城の外に出よう!」
「みょみょっ!」
「ああ、帰ったらハパパフードいっぱいあげるからな!」
「みょーっ!」
いい感じに、兵士らの数も少なくなってきた。このまま、正面扉を突っ切ることができれば……。
しかしそう思っていたその時、突如鼻が曲がるような腐臭が立ち込めた。
「こ、この匂いは……!?」
「みょっ!!」
「ケダマ!?」
それが何か判断する前に、ケダマがピィの元から離れた。そして、何かから守るように一気に膨れ上がっる。
――腐臭とどす黒い魔力。それが、ケダマの向こうから放たれていた。嫌な予感がしたピィは、クレイスを背負い直して叫ぶ。
「どけ、ケダマ! コイツは吾輩が相手をする! いや、いい! 逃げ……!」
けれど、その瞬間視界が開けた。腐臭が濃くなり、巨大で真っ黒な影が姿を見せる。
まるで剣のように変化した右腕。そこには、魔物特有の黒い血を滴らせたケダマが串刺しになっていた。
「……お前、は」
このバケモノの姿を、ピィは見たことがあった。このバケモノの名前を、ピィは知っていた。
震えそうになる足を踏みしめ、精一杯の虚勢で口角を上げた彼女は言う。
「――ヴェイジル=プラチナバーグだな?」
泥の塊から雄叫びが上がった。ピィはその圧を跳ね除けんと、ギリと奥歯を噛み締めたのである。




