ハチミツと赤ちゃん
「こーいうのは、あいつが得意なのよ」
黒宮さんはそう言って、大学のサークル棟に向って歩き始めた。
私は予想外に積極的な彼女の態度に多少驚きながらもそれに付いて行く。一体、誰に会いに行くつもりでいるのかは分からないけど、彼女は“呪い”関連の話題をとても嫌がると聞いていたから、私の相談も煙たがられるものだとばかり思っていたのだ。
もっとも、私の相談は、別に呪ってくれとかそういったものではないのだけど。そもそも、わたしは呪いなんて信じていないし、誰かを呪いたい程憎んでもいない。
黒宮さんは“呪いが使える”と噂になっている大学の女生徒で、本人は否定しているにもかかわらず、呪いの相談をよく受けるのだそうだ。
私が彼女の許を訪ねたのは、その呪いの相談をしたうちの一人に私の知り合いがいたという話を聞いて、心配になったからだった。
もっとも、その知り合い…… 仮に名前をC子さんとしておくけど、そのC子さんと私はそれほど親しくはない。私が親しいのは、そのC子さんから矢鱈と敵視されていた別の女性で、彼女は仮にA美としておくけども、そのA美がC子さんから呪われているのじゃないかと私は不安になったのだ。
もっとも、呪い自体を心配していた訳じゃない。前述したけど、私は呪いなんて信じてはいない。
私はそのC子さんが未だにA美を敵視し続けているのじゃないかと、心配していたのだ。
実は、そのC子さんは最近になって、それまでの態度を突然豹変させて、A美にやたらと親し気に接して来るらしいのだ。
A美は根がお人好しで、あまり人を疑ったりはしない。だから直ぐに気を許してしまったようなのだけど、私は疑っていた。C子さんは何か罠に嵌めるつもりで、A実に近付いているのではないだろうか?
実はA美は結婚している。しかも、つい先日赤ちゃんが生まれた。どうにも、嫌な予感がする。C子さんが出産祝いに高級ハチミツを贈ってくれたとA美は喜んでいたけど、少々無邪気過ぎるのじゃないかと思う。
そして、そんな時に「C子さんが呪いで有名な黒宮さんを訪ねた」という話を聞いたのだ。もしや、と思うのは当然だろうと思う。
ところが、
「その人なら来たけど、私が“呪いなんか使えない”って言ったら、さっさと出て行ったわよ」
と、そう黒宮さんは言うのだった。
大学の図書館の中のある一角が彼女の定位置になっている。訪ねた私がその理由を言うと、何故か彼女は「そーいう相談なら、この場所はまずいわね」と言って、そこよりももっと人の多い所に場所を移して話を続けた。
「その人は“呪って欲しい”とは言ったけど、名前は言わなかったわ。だから、あなたの言う人を呪うつもりだったかどうかは分からないわね」
と、黒宮さんは言った。その後にこう訊いて来た。
「それで、どうしてあなたは、その人が呪われているかもしれないって思ったの?」
私は事の経緯を説明する。すると、黒宮さんは「ふーん。陰湿で慎重な人なのね」と言い、こう続けた。
「私が呪いが使えるって話もそんなに信じていなかったし、それなりに頭の良い人なのかもしれないわ。
でも詰めが甘いわ。誰かを敵視している人が、私の所を訪ねた時点で既に遅い。呪詛返しを喰らうって分かっていなかったみたいね」
呪詛返し?
私はそれを聞いて首を傾げた。
彼女は“呪いなんか使えない”と公言しているのだ。その彼女が呪詛返しとは、一体、どういう事なのだろう?
尋ねてみると、彼女は、
「私は呪いなんか使えないわよ。でも、何て言うか、私自身が呪いのアイテムみたいになってしまっているのよ。酷い風聞」
なんて言って来た。
私には意味が分からない。すると彼女は更に続けて説明して来た。
「実際、“私に相談した”って噂を聞いて、あなたは私の所に来たでしょう? それが呪詛返しなのよ。その噂が。分かる?」
よく分からなかったが、どうにも私が想像するようなオカルトな話ではないようだ。
「とにかく、確かに心配よね。その人はあなたの知り合いに敵意を持っているのかもしれないのだし」
それから、彼女は少し考え込み始めた。そして、「どうせなら、あいつに押し付けてやるか」とそう言って面白そうな表情を浮かべると「こーいうのは、あいつが得意なのよ」と言って、大学のサークル棟に向って歩き出したのだった。
大学のサークル棟に着くと黒宮さんは“民俗文化研究会”という所を訪ねた。そこにいる鈴谷とかいう女生徒にこの件を相談すると彼女は言うのだ。
「彼女には利用されてばっかりだからね。偶には利用してやりたいのよ」
なんて言っている。
一体、どんな関係なのやら……
「――何が“利用されている”よ。あなたのは半分は自業自得みたいなもんでしょう? それで“呪い”を作用させる社会的な装置になってしまっただけよ」
話をし終えると、その鈴谷さんという女生徒は呆れた口調でそう言った。目つきがやや鋭くて地味だけど綺麗な子だ。
「あなたが私を利用しているって事実には変わりがないじゃない」と、それに黒宮さん。呆れたように鈴谷さんは軽くため息をついた。
「それで、どう思う? なんか、怪しいって気がするのだけど」
そう黒宮さんが尋ねるのを受けると、鈴谷さんは私に顔を向けながらこう言った。
「その人は“出産祝い”に、高級ハチミツを贈ったのですよね?
多分、狙いはそれです。その人はそれを赤ちゃんに食べさせようとして近付いたのだと思いますよ。あなたの友達は、その人との縁を切るべきです」
私はそれを聞いて「つまり、そのハチミツが毒だって言いたいのですか?」とそう尋ねた。それに鈴谷さんは「ええ」と返す。
「ちょっと待って」と、それに私。
「そんな事をしたら、犯人がバレバレじゃないですか。それに、彼女はそのハチミツを食べたって言っていましたよ。とても美味しかった、とも。
毒なんか入っていませんよ」
ところがそれに彼女は「はい。大人にとっては毒ではありません」とそう返すのだった。
そして、こう続ける。
「“乳児ボツリヌス症”って、知っていますか? 一歳未満の赤ちゃんが罹る病気ですが、その原因としてハチミツがあるんです。
大人の場合は、腸内細菌が護ってくれているのでこの病気にはなりませんが、まだ腸内細菌が充分に整っていない乳児では、ボツリヌス菌が繁殖し、この病気になってしまう恐れがあるのだそうです。
便秘や筋力低下など、様々な症状がありますが、場合によっては死ぬ事もあります」
私はそれを聞いて青くなった。
「あの人は、親し気に接して安心させてハチミツを食べさせ、彼女の赤ちゃんを殺そうとしたって事ですか?!」
「そうだと思います」と、鈴谷さんは頷く。
しかも、もし、赤ちゃんが死んでしまっても、「ハチミツが赤ちゃんにとって毒だとは知らなかった」とでも言えば、罪から逃れられる可能性が高い。
「なーるほど、狡猾ねぇ」
黒宮さんがそう言う。それから私は慌ててA美に電話をかけた。早く教えてあげなくては。赤ちゃんがハチミツを口にする前に。
「しかし、その狡猾な女の本性を見抜けたって意味じゃ、私の呪いの噂も少しは役に立ったって事かしらね? 複雑な気分だわ」
私が電話をかけている横で、黒宮さんはそんな事を言った。
まったく、その通り。
呪いなんかよりも、人間の方がよっぽど怖い。そう私は思った。
こんな感じで、腸内細菌…… と言うか、それに限らず、人間の身体にすまう微生物達はとっても重要みたいです。
因みに、黒にんにくという発酵食品を食べるようになって、僕はアレルギー性鼻炎が随分と改善しました。
免疫力も上がるというので、昨今話題の新型コロナウィルス対策にもなるかもしれません。
もう、あちこちで宣伝しているので知っている人も多いかも、ですが。