7-当たり前
「……わしには孫娘がいるんだ」
店主は、二人を椅子に座らせて話し始めた。
そのときにはもう繕ったあの表情は伺えず、ただひたすら暗い表情であった。
「もうすぐで十歳になるんだ、うちの宿にも度々遊びに来てくれている。妻は少し前に亡くなってしまったからなぁ、わしにとって、孫はわしにとっての支えだった」
「お孫さんに何かあったんですか?」
店主はこくりとも頷かず、
「一昨日から、孫が行方不明なんだ……。息子が何度か探しに行ったが、それでも一向に見つからなくてね。息子夫婦も心配でならないと言っていた……」
「そんな……」
「そんな時に仕事なんてやるべきじゃないんだろうが……、わしに出来ることなどないからな」
話を終えて、彼は顔を俯き頭を抱えた。よく見るとその目からは雫が溢れている。
「それでも本当は……わしは、わしは怖いんだ。孫が、もう帰ってこないかと思うと……」
落ち込んだ様子でそう語る。
肩を震わせ声を揺らし、俯くその目にはよく見ると涙が溜まっていた。
その様子を見て、彼女はどう思ったのか。
「手伝います」
「……?」
落ち込む店主に対して、彼女は明るく声をかけた。
「助けます……手伝います! お孫さんと息子さんの捜索を!」
男の手を握り、ミルは鼓舞するようにそう言う。
彼は一瞬驚いたがミルは構わず言葉を続け、
「私にできることは少ないかもしれないけど……。でも、できることがあるのなら手伝います! だって困っている人を見捨てるなんてできませんから!」
「……あんたは」
彼はミルの手をほどいた。
「あんたは強いのかい? 名のある冒険者であれば、あんたに借りを作ってでも頼み込むよ。……だけれど、違うのだろう?」
「……それは」
店主は諦めきったような目でミルを覗く。
もう何も残っていないのだと、そう訴えるようなその目線に、ミルは慄いた。
「ならあんたには頼めない。ーーそれであんたに何かありでもしたら、わしには責任が取れない」
「でも、私にまで被害が及ぶほど大変なことになっていると決まったわけじゃ……」
「いつまでも帰ってこないんだぞ。何かあるに決まっているだろう!」
「っ……」
もっともな言葉にミルは何も言い返せず、沈黙してしまった。
ミルが落ち込んだのに気づき、「……すまない」と言って椅子に座り直した。
「……そっちのお兄さんの方なら、ぜひとも頼みたいが」
「ユウさん、なら?」
彼は夕の方に顔を向けながら、ミルの言葉にこくりとうなずいた。
「旅人の来る村で宿屋を長年しているんだ。腕利きか新人かくらい、見抜けるくらいには経験を積んでるさ。……御主は経験こそないにせよ、それを補って余りあるほどの力を持っている。違うかい?」
「そうなんですか、ユウさん? ユウさんなら、店主さんのお孫さんを助けられるんですか?」
「経験が少ないことは否定しないけどな」
つまらなそうに夕は答える。
しかし夕は「だが」とつづけて、
「悪いが、助けてやろうとは思わない」
「……!?」
立ち上がったのはミルだった。
「なんでですか? もし助けられる力があるのならーー」
「あのな」
低い声で唸り、鋭い目でミルを睨む。
その形相は獣のようーーというにはあまりにも冷たすぎる。それは獣などではなく、間違いなく人間的な仕草だった。
「お前ができないことを人がやってくれると思うなよ、ミル。そりゃできないことを他人に委託するのは間違っちゃいないが、それなら交渉をしなければならないことを忘れるな」
「…………」
「子供にそんなことを言うのは酷かもしれないがな」
夕はただ正論だけを唱える。
ミルや店主には助けられる力などない。夕には力はあっても理由がない。だから、助けることなどできない。
それは確かに捻じ曲げようのない事実だろう。
「ーーだとしても!」
しかしミルは、夕の言葉を遮るようにして主張した。
「だとしても、無力だとしても、私は探しに行きます! 困っている人がいるのなら、見逃すことなんてできません!」
「馬鹿なのか。何故そこまでして他人を理由なく助けようとする」
「その子は」
被せるようにミルが言った。
「その子は、きっと一昨日まで、平和な世界にいた。なのに急にその『当たり前』を壊されて……もう絶望しているかもしれない」
「…………」
「私は、それを見逃すことなんてできないんです」
そう言ってミルは、何かに取り憑かれたかのように宿の外へと駆け出した。
「ま、待つんだお嬢さん! あんたじゃ……」
店主の制止も虚しく、彼女はもうすでに建物の外へ出てしまったようだった。
二人は呆然と、彼女が駆け出していった扉の方を向いて硬直している。
「……なんなんだ、あいつは」
「あ、あんた、ユウって言ったか? あの子を止めてやらんのかい? 旅仲間じゃ無いのか?」
「じゃ無い。……どの道この村までの付き合いだったんだ。あいつがそうしたいなら、俺が止めるべきじゃ無いだろう」
「……ずいぶんと、辛いことを言うんだね……」
そう言われた夕は不思議そうな顏をする」
「辛いも何も、当たり前の考え方だろう。家族でもない他人を、対価もなく助ける意味はない」
夕のセリフを受けた店主は、なんともいえない難しい表情で夕のほうを見る。
そして店主はおずおずと口を開いた。
「……なあ、ユウさんと言ったかい。ーー君にとって、当たり前ってのはなんだい?」
「……誰もにとって共通な、わかりきっていること」
「そうか、そういう考え方か……。けれどね、ユウさん。わしはそうじゃないと思うんだ」
首を傾げる夕をゆったりと諭すように店主は続ける。
「誰かに優しくあることが、きっとあの子にとっての当たり前なんだろう。そしてわしにとっての当たり前は、孫や息子夫婦がこの村にいることだ」
「…………」
「誰にとっても共通と言ったが、『当たり前』なんてのは、おそらく共通なものではないんだよ。歩けない人も、空を飛べる者だっている。千人いれば千の世界があるんだ。そうは思わないかい」
「つまり何が言いたい」
「その、つまり……。……相手を理解できないことは、相手を拒絶する理由にはならないということさ」
店主がそう断言する。夕は無機質な無表情で、黙って店主の顔を見た。
「…………」
「……もう少し、彼女の方に踏み寄ってもいいんじゃないのかい。君は彼女のことが嫌いなわけではないのだろう?」
「……そりゃあな。俺にとって、あいつはどうでもいい別人だ」
そう、別人だ。別人なのだ。
別人のはずなのだ。
「……別人だよ」
誰にも聞こえない声で呟くと、面倒そうなため息を吐いて、静かに立ち上がった。
「俺は部屋に行く。本当に俺の手が借りたいなら、労働分の対価くらい用意しておけ」
「……なあ、ユウくん。もしもーー」
去ろうとする夕に、そこで店主が何か言いかけた。その時だった。
「アガルタさん! 大変だ、あんた宛に大変な手紙が来たよ!」
宿の外から女の声が聞こえてきた。
バタバタと店主の自室に上がり込み、くしゃくしゃになった封筒を差し出した。
「手紙? わしと文を交わすような人なんていないと思うが……、一体誰からなんだい?」
「それがーー」
そう言って彼女はその紙を乱雑に広げ、そこに書かれているであろう文章を読み上げた。
その内容に、二人は別々の反応を見せたのだった。