6-小さな村
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それは、どこでもないどこかだった。
そこは、なにもないと表現するのもおこがましいどこかだった。
そう。なにもない。
「無い」さえ「無い」、「有る」さえ「無い」、あまりにも原始的な場所。
粒子も、エネルギーも、魔力も、魂も、空間も、時空も、なにもかも削除された空間。
しかしそこには、ふたつの「なにか」が確かに"居た"。
片方の「なにか」が思考する。ここはどこだ、などと考える。
けれど結局、その「なにか」には、ここが「どこか」ではない、ということしか分からない。
むしろそれさえも、分かりはしても解らない。判るのは自分のことだけで、それ以外が解らなかった。
不可解、不条理、不合理が周りを覆っている。あるいはそれらは、あくまで彼の中にしかない、ただの主観なのかもしれなかった。
ーーー予報、あるいは予告、あるいは予言をしよう
そこで、もう片方のなにかが何かを伝えていた。
ーーー君はこれから幾人もの子と邂逅する
ーーー君はこれから幾人もの子と交流する
ーーー君はその中で
ーーー君の使命を成育させることになる
ーーー君の使命に意味が生じることになる
ーーー君に期待しよう
ーーー君は太陽の子
ーーー君は、奴を破壊する一枚の██に成るのだ
それでもなにかは、そんなことを伝えていた。
それは、あまりにも特徴が無く、それ故に異質ななにかだった。
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「……夕さん」
「……」
「夕さん!」
「……ああ」
「どうしたんですか? 今朝から何か様子がおかしいですよ?」
「いや、奇妙な夢を見た気がするんだが、内容を思い出せないのが気味悪くてな」
「それって大丈夫なんでしょうか?」
「まあ、大丈夫だろう。ほら歩け、そろそろ林を抜けるぞ」
林道をまっすぐ進み、そして林の外へ向かって足を踏み出す。
ミルと出会った翌日。その日だけでは林を抜けることができず、二人は一度野宿をしたのだった。
現在は朝の8時ほど。この世界の暦がどうかはまだわかっていないが、もともとの世界の暦に合わせればそのくらいだった。
「そういえば、ユウさんはどうして旅人に?」
「……言わなきゃダメか?」
「あ、いえ! そんなことはありませんよ、全然! 言いづらかったら言わなくても大丈夫です、ちょっと気になっただけなので」
「そうか。なら言わないでおく」
「……なんだか、すみません」
「気にするな」
そんな会話を交わしながら、夕とミルは林を歩く。
ミルは少女でありながら意外とタフで、林を数時間歩く程度では音を上げない。
夕はそんなミルのタフさに素直に舌を巻きながら、朝のオウルス林を進んでいた。
「あ、見えてきましたよ!」
はしゃぐようなミルの声が夕の耳に届く。どうやら林を抜けてきたようだ。
林を抜けて目に飛び込んできたのは、黄緑色の草原。ずっと向こうに視線をやると、山が青緑色にそびえ立っているのが見える。
そして視界の右側には、目的の村がひっそりと佇んでいた。
「あれがユリカ村か」
「はい。"小さな村" と呼ばれる村です」
"小さな村" ユリカ。
これは他称ではなく、ユリカ村が自称している肩書である。
肩書きの通り村の規模は小さいが、その実態は意外に豊かだという。王国への通路であるナウスカ林のそばにあるため、行商や旅人と交易できるからだ。
派手さはなく、しかしどこか落ち着いた雰囲気のあるユリカ村。
外から来た人には故郷に来たかのような感傷を、国から来た人には多忙な生活にはない独特な癒しを与えてくれる。
故に小さな村。それ以上でもなくそれ以下でもない、のどかな村なのだ。
「ただの田舎だろう」
「そんなことはないですよ。豊かなのに多忙でない、こんなにも落ち着いた村はあまりありませんから」
「そんなものか」
そう会話しながら、二人は村の入り口に赴く。
そのまま門で簡単な手続きを終わらせ、ユリカ村の中に入っていった。
「俺は今日は宿を取るが、お前はどうする」
「私も宿を取って、そうしたらこの街にいるはずの兄を探します。多分、村の人に聞けばすぐ見つかると思うので」
「お前の兄がまだこの村に来ていなかったら?」
「その時は待ちます。兄が来てくれるってわかっているなら、私はいくらでも待てますから」
そうミルは語る。
夕は「そうか」と返事をし、到着した宿の中に入っていった。ミルも慌ててついていく。
「……ああ、お客さんか。いらっしゃい、旅人さんだね」
受付の男性は、やってきた二人に挨拶した。そのあと、余裕のある表情を繕って二人の方を向く。
「今夜、この宿を取りたい。俺は一泊でいい」
「私も今はとりあえず一泊にします。部屋は別々でお願いできますか?」
「……ああ、わかったよ。二人とも一泊二日だね」
そう言って、男性は手元の紙にメモをとった。
そのあと「降日暦の第八刻には鍵を閉めているからね、それまでに宿に来てくれ」と忠告した。
「降日暦の第八刻?」
夕が首を傾げると、ミルがそれを教えてくれた。
どうやらこの言い方は、この世界特有の暦の数え方だそうだ。
一日を降月暦十刻・降日暦十刻の二十時間に分けて数えるものであり、降月が午前、降日が午後という捉え方になる。
半日を十刻に分けるため、一刻はおよそ1時間12分となる。
「つまり午後の9時半くらいか。わかりづらいが、文化が違うなら仕方ない」
「夕さんの故郷では暦の数え方は違ったんですか?」
「まあな。とりあえず、そのときに来ればいいんだな」
「うん、それ以外には特に注意はない。それじゃあ、うちの街を満喫していってくれ」
そう明るく振る舞う店主。その声を受けながら、夕は宿を去ろうと背を向けた。
しかしそこでミルが声を上げる。
「あの、店主さん」
「なんだい、黒髪のお嬢ちゃん」
「あの、もし勘違いだったら失礼かもしれないんですけど……」
ミルは一瞬口ごもるが、少し間を開けてふっと顔を上げて、言った。
「店主さん、なにかあったんですか?」
「ーーーー」
店主は一度黙った。
「どうした、ミル」
「なんだか、店主さんが落ち着きのないように見えたので。焦っているというか、なにかが心配でたまらないといったような……」
「何かが心配でたまらない?」
夕はミルにそう訊き返す。
だがそれにミルが答える前に、店主が口を開いた。
「はは……判ってしまうものなのだね。巧く覆い隠せていたものだと思っていたが……」
「まさか、本当なのか」
ミルの鋭い観察眼に、夕は素直に驚嘆する。
店主はこくりと小さくうなずき、
「聞きたいなら私の自室に来ると良い。……あまり、あなたたちのような旅人さんに話すようなことでもないが」
そう言って、奥の部屋へと二人を促したのだった。