4-黄昏の魔法陣
「よう、新人。オレの方を見ろ」
男は夕を見据え、そう言う。夕が振り返ると、そこには無精髭を生やした大男が立っていた。
「おい、若えのがヴェルに捕まっちまったぞ」
「あいつも運が悪いな……、見たところGランクだろ?」
周囲からヒソヒソと声が聞こえる。
どうやらこの男はヴェルというらしい。囁き声に耳を傾けると、どうやらかなりの悪評がある男らしく、新人が現れてはこうしてかまいにくるよう人間とのことだった。
「……急いでるんだが」
「おいおい。せっかくベテラン冒険者が新人のお前にここでの礼儀を教えてやろうとしてるんだ。まさかそれを棒に振るようなことはしねえよなぁ?」
ヴェルという男はそんなことを宣う。夕は深くため息をつき、面倒そうにヴェルを見る。
「悪いが、お前のヤンキーごっこに付き合ってやる気はない。別の相手を探してくれ」
そう言って夕は回れ右をして、そそくさと男のもとを離れようとした。
その仕草にヴェルは腹を立てたらしく、ズカズカと早歩きして夕の前に回り込み、夕を見下すようにして夕を睨む。眉間に皺が寄っていた。
「おい、ガキ。このオレがBランカーなのを知っててのその態度かァ?」
「知らないし、聞いてもないし、興味もない」
「舐めてんのか、テメェ……?」
会話を交わすたび男の顔に青筋が増えていく。舐めたことを言われて相当腹が立っているらしい。
「ここまでコケにされたのは初めてだ。……まあ、立場ってのがわからねぇなら仕方ねェ」
「あ?」
その瞬間、ヴェルの方から何かが振り下ろされた。
夕はこれを半身になって避け、そのまま後ろにステップして距離を取る。
「てめェのその生意気な根性、俺が叩き直してやるよ」
振り下ろされたのは棍棒だった。戦闘態勢に入ったヴェルが、戦闘開始を一方的に宣言する。
夕は気だるそうに首を傾け、
「戦う理由がないだろう。俺は騒ぎを起こしたくないし、お前にだってメリットはないはずだ。なのに……」
「言ったろ、教育だよ教育。そうだなぁ、まずはその減らず口から強制してやるか。顔面ごとなァッ!!」
ヴェルはそう吠えながら、どしどしと地を踏み距離を詰めようとしてくる。夕は後ろに下がり、一定の距離をとりながら、まっすぐにその全体を見据え観察していった。
たくましく鍛え上げられた身体だ。筋骨隆々なその体つきは、服装の上からでも見て取れるほどである。
両手に握りしめている棍棒が彼の武器なのだろう。先程振り下ろされたのもこの武器のようだ。彼の豪快な筋肉を最大限活かすのにもってこいの武器である。あれが直撃でもしたりすればひとたまりもないだろう。
気づけば距離を詰められていた。
走った勢いのまま顔面に向かって振りかぶる。それを伏せて避けると、体を捻ってすれ違うように男の背後に移動し、そして距離を取る。
「はっ、ガキの割にはよく動くじゃねぇか」
「それはどうも。……どうするか」
男の猛攻は止まらない。しかし半分笑ったような表情で、手を抜かれているのは火を見るよりも明らかだった。
そのおかげかなんとか動きは見えるため、避ける分には問題ない。しかし、逃げたところで執着的に付き纏ってくる以上、いつまでも避けているわけにもいかないのも事実だった。
クラスでは完璧などと呼ばれた夕だが、しかし所詮はあの小さな空間においての評価。筋力はそれほど鍛えていないし、喧嘩などもってのほかである。
武器があればともかく、その道を歩んだ相手と徒手で格闘戦闘するのはほぼ無理と言っていいだろう。
今、夕は一切の武器を持ち合わせていない。つまり攻撃手段がないということ。
「だが……」
しかしそのとき、夕は自分の持つ武器を一つ思い出した。先程の男の説明で知った"黄昏の魔法陣"という魔法だ。
内容は不明、扱い方も不明。後でテストしてみよう、などと考えていたのだが。
「今ここで試してみるか。あの魔法が一体どんな力を持っているのか、それを知るにはいい機会だ」
「なにをぶつぶつ言ってんのか分かんねェが、どっちにせよ──」
ヴェルは棍棒を握り、大きく振りかぶった。夕は避けようとしたが、その直前に右足を強く踏みつけられる。鈍い痛みが爪先から走り、その場所だけが地面にピン留めされる。これでは逃げられない。
「──これで終わりだ!!」
そうして振りかぶられた打撃は、夕から見て左上から頭部狙い。今までの攻撃とはちがい、彼の凄まじい筋力が全てスピードとパワーに反映されている。間違いなく強力な攻撃だ。
だが。
「……あ?」
「──っ。外れたら病院送りだったが、上手くいってくれたか」
「なに?」
夕の目の前。突き出された手のひらが、その棍棒の衝撃を完全に受け止める。勢いを一瞬にして殺された、その様はまさに魔法のようで──
「──いや、魔法かっ!?」
「さあな」
ヴェルが困惑している隙に右足を取り返し、左足で踏み込んでヴェルの懐に忍び込む。
そして、その勢いのまま相手の横腹に左手を触れさせた。
触れさせた、ただそれだけ。
「だが、こいつさえうまく発動したなら、この勝負は俺の勝ちだ」
「こいつ……?」
イメージする。
全身を循環する、血液とは別のエネルギーが、左手の末端に集い、そしてヴェルの横腹に注入されるようなイメージ。ただイメージするのではなく、直感的な感覚として出力せよ。
すると全身がそれに応えるように熱くなる。イメージは確かな実感として実体化し、全身をぐるぐると巡りまわる。
かくしてそのエネルギーは実体をもち、やがて体内を指向性を持って流動し始めた。
しだいにそれは目に見える形となって発現する。
それは紋章のようなものだった。赤く光り、まるで刺青のように体に描かれていく──魔法陣。
赤い線が、直線が、曲線が描かれていく。夕の触れた部分を中心に、中心から外側に向かって描かれていく。赤い光が服をつたい肌をなぞり広がっていく。
二秒ほどで、その紋様は動きを止めた。
輪郭は丸く、その内側には星型の印や数重の円が規則的に描かれている。それは誰が見たって魔法陣と呼べるものだった。
「……これでいいのか?」
最後まで描き終えたと確信が取れたところで、夕はその場を駆け抜け、ヴェルの懐から離脱する。少し遅れて、呆気にとられていたヴェルが夕の方に向き直った。
「ッ!? なんだ、何をしたっ!? なんなんだ、この赤い紋様は!」
「さあな、俺もよくわかっていない。だが」
「何言って……」
そう言いかけたあたりから、ヴェルの目がぼんやりとしてくる。
「てめ……まさか……」
「その様子だと、どうやら成功したらしい。……少し寝て頭を冷やしておけ」
「……く……そ……」
かすれた声のセリフを最後に、ヴェルの意識は途絶え、地面にばたりと崩れ落ちた。
先程彼に付与したのは、眠気を催すようになる効果だ。
描かれたものは強い眠気に苛まれる、というぼんやりとしたイメージで作り出した魔法陣だが、効果ははっきりと現れてくれたらしい。
というか、かなり早い段階で魔法を使うことができたのはよかった。正直発現するまでいろんな方法を試してみるつもりだったのだが、わりとあっけなく発現したのだった。
イメージ。どうやらそれが魔法を扱うトリガーのようだ。
使い古された設定、などと思ってしまうのが夕の悪い癖だが、使う身になってみると手順がごてごてしていなくて扱いやすい。EPの消費の仕方次第ではこれからもお世話になることだろう。
「──え」
「…………?」
「すげぇぇぇぇぇ!!」
それから少し間をおいて、やっと誰かが歓声をあげた。
同時にそれが他のギャラリーにも広がっていき、大きな歓声となって夕に降りかかる。
「あぁ……、少し目立ちすぎたか……」
困惑半分、迷惑半分の微妙な表情を浮かべる夕。そんなこともお構いなしに、一人の男が駆け寄ってきた、
「おいお前、なんで言うんだ? 本当のランクは幾つだ? どうやってあいつを倒したんだ?」
「いや、別に」
「別にってなんだよ、つれねえなあ!」
「おい、ちょっとうちの店寄ってかないかい! 話聞かせてくれよ!」
大勢に揉まれ、夕は鬱陶しそうに腕を振る。
結局「うるさい、離れてくれ」と彼らを一蹴し、背を向けそこから逃げることにした。
「おい、待ってくれよ!」
「やめろ、忙しいんだ。これ以上足止めさせるな」
「なら、なら名前だけでも教えてくれ!」
「断る」
まったく、と嫌そうな表情を浮かべる夕。
それを見て察したのか、あるいは名前が知れて満足したのか、観衆は一言挨拶をしながらそこを離れていった。
「……悪目立ちしてしまった。予定より早めに国を出ないとな」
夕はそう呟き、目立たぬようにしながらそそくさとそこを離れた。