19-そしてラグバへ
"水の都"を出て、数日。
山と森に挟まれた一本道を進み続けるのは、黒髪の少年と黒髪の少女。
渡日 夕と、ミル・レメット。ミルの兄であるガイ・レメットを探すため、二人は彼が向かったという街──『ラグバ』へと足を運んでいる最中だ。
ラグバの街は、別名"奴隷の街"とも呼ばれている。
この世界……ラフルトという名で呼ばれるこの世界には、ある種当然と言うべきか、奴隷というモノが存在する。
同種族である人間を、人間以下の存在、すなわち道具や家畜として使い捨てる悪しき概念。
異世界人である夕が元いた世界にもその歴史は根強く存在していたとされる。現代においてでさえ名前や形を変えて存在しうるのだとか。
それが当たり前のように蔓延る街が、安全であるとは期待できないだろう。
特にミルにとっては尚更だといえる。
今二人がいるのは『人領』……"人種"と呼ばれる種族の者たちが生きる界域だ。
しかし、ミルは"人種"ではない。彼女は本来『獣領』で暮らすべきはずの"獣種"であり、加えて彼女はその中でも希少種のひとつとされる『八咫烏族』だ。
異種族かつ希少種の少女と、奴隷の街。その相性は最悪と言って差し支えなかろう。
それでも二人はラグバへ向かわなければならない。
すべてはミルとその兄の再会のためだ。そのための覚悟ならすでに、前の街でガイの居場所を聞いたときで固まっているのだから。
もっとも、危険なのは街の中のみとは限らず。
「おい、てめえら! 金と持ってるもん全部置いてけ!」
「って、こいつら黒髪じゃねえか? ははっ、こいつぁ珍しい! また高く売れんぜ!」
ぞろぞろと。前方に3人、後方に2人、小汚い男たちが夕たちを挟み込むように現れた。
手元に鋭い凶器を持ち、いやらしい声でこちらに罵声を浴びせてくる。
「盗賊か」
飄々とした様子で夕が言う。
「ゆ、ユウさん、すごく落ち着いてますね……?」
敬語でそう話すのは、八咫烏のミルだ。
八咫烏族、獣種ではあるものの、その証である黒い翼は身分を隠すために上着で押し畳まれている。
ミルは妙に落ち着いた夕を見て、心配そうな表情をした。
「まあ、盗賊とかは間違いなく居るだろうと思っていたからな。人を捕まえればラグバが買ってくれるというわけだ」
「おいテメェら! 無視してんじゃねーぞ!」
「こりゃ一回痛い目見ねぇとわかんねェやつだなァ」
「おいお前ら! 勢い余って傷つけたりするなよ。また前みたいな上玉かもしれねぇからな!」
「ってことは俺たち、もう盗賊なんかやらずに街で暮らせるってことか!?」
「バカ言え、それどころか億万長者ってんだ!」
「ってことでテメェら。悪ィがちょいと俺らについてきてもらおうか。あんまり痛い間に合いたくなきゃなあ……?」
そう言って、ナイフを取り出す盗賊に、夕はため息をつき、
「歓談は終わりか? なら……」
そう言って夕はそこにしゃがみ込む。
その様子に盗賊たちは怪訝な表情を見せるが、
「まあいい! 何かされる前にやっちまえ!」
すぐさま切り替え、刃物を構えたまま夕たちの方へ向かっていった。
夕を囲うようにまっすぐ走っていく盗賊たち。まっすぐではあるものの、彼らは夕たちを取り囲みながら、逃げ場を作らないように上手く立ち回っている。
「なら、さっさと終わらせよう」
だが、そうしたところで意味はなかったろう。
距離がおよそ5メートルまで近づいたところで──突如、意識外からの異様な攻撃が盗賊たちを襲った。
足元から、まっすぐ突き上げるように伸びた岩柱。夕の前後に発生したそれは、まるでカタパルトのように盗賊たちを空中へ飛ばしてしまう。
「が────ッ!?」
魔法。
物理法則を無視し、あらゆる事象を引き起こす神秘の力。夕はそれを使い、岩柱を生み出すことで盗賊たちを上に飛ばし上げたのだ。
「ッ!? 俺ら、いつの間に空を飛んで……」
「っ、やば、落ちる────ッ!!」
飛ばし上げれば、もちろん真下へ落ちていく。
高さはおよそ6メートルほどか。受け身を取らなければ十分痛かろう。
そしてこの盗賊たちは残念ながら、受け身の技術などは有していなかった。
盗賊たちの全身がびたびたと大地に打ちつけられた。
骨は折れただろうか。盗賊たちはみな苦悶の表情を浮かべていた。
当たりどころが悪ければ死ぬかもしれないが、夕としてはミルの手前、死なれるとすこし困る。
「がっ……く、そ……!」
「生きていたか」
「つっ……! ふざ、けんなっ……!」
夕がつぶやいたセリフは、どうやら挑発に聞こえたらしい。
まあいいか、と、夕は首を振った。
「あの、この人たちは大丈夫なんですか?」
「死にはしていない。動けないだろうけどな。……さて、すこしお前らに聞きたいことがあるんだ」
そう言って、夕は盗賊たちの一人のもとへ寄ってくる。
「なんだっ! 俺たちが知ってることなんてねえよ!」
「そんなことはないだろう。さっき、誰かが『また高く売れる』だの、『前みたいな上玉』だのって言っていたな?」
「っ……! ってことはてめえら、あいつのお仲間かよ!?」
「それを今から確認するんだ。そいつの名前は?」
盗賊は黙りこくる。
仕方がないので、腰に下げていた剣を首筋に突き立て、
「ぎゃああっ! やめてくれ! 名前なんて俺たちが知るかよ!!」
「じゃあ特徴は? 黒髪以外だ。瞳とか、耳とか、背中とか……」
「っ、ああ、そうだ、そうだよ! お前らみたいな黒い瞳で、脱がしたら黒い羽を生やしてた! 獣種だ、黒い羽の獣種!!」
「やはりか……。そいつは今どこにいる?」
「もうラグバの奴らに売っちまったよ! だからそこじゃねえのか!?」
「いつ売り払った?」
「9日前だ!」
「……これはまた、厄介なことになってるな」
夕はこれ以上なくめんどくさそうな様子で、ふたたびため息をついた。
「まあいい、知りたいことは知れた」
夕は男を、乱暴にどさりと捨て置く。男は痛がって悲鳴をあげた。
「ミル、状況はかなり面倒なことになっているらしい。もう手遅れかもわからんが、とりあえず急ぐぞ」
「あっ、えっと、はい!」
さっさとそこを去っていく夕に追いつくよう、ミルがかけていく。
……と思いきや、少し進んだところで盗賊たちのところにUターン。困惑する盗賊たちの前に、ミルはしゃがみ込んだ。
「っ、なんだガキ! まだ俺らに用でも……?」
「あの……。これ、傷薬と湿布です」
そう言ってミルは、懐からそれらを出し、盗賊たちのそばに置いた。
「…………は?」
「すぐに治るわけではないですけど、痛みは和らぐと思います。それじゃあ! ……あ、えっと、できればもうこういう事はしないでくださいね!」
それだけ言って、今度こそミルは去っていった。
「……なんだぁ、あの子供……?」
思いがけない施しに盗賊たちは首をかしげる。
まさか、襲った相手に傷薬をもらうなんて予想だにしなかった。
あの少女は誰にでもこういうことをするのだろうか。他人事だが、損な性格だと思った。
だが、それはそれとして。
「……あの薬、だれか手ェ届くか?」
「動けるわけねえだろ……」
それらが微妙に手の届かない場所に置かれていたのが、至らなかっただけなのか意図的なのかはわからなかった。
@@@
「お前は本当に見境がないんだな」
夕が言う。
「俺が攻撃した時にも止めればよかったろう」
「流石に、襲われた時に戦っちゃいけないなんて思ってはいません」
ミルが夕の方を向いてそう言った。
「ただ、これは兄の受け売りなんですけど」
「ガイの?」
「はい。悪い人には二種類あるんだそうです。それしか生き方を選べなかった人と、それを生き方に選んだ人」
「………………」
「選んだ人にはどうしていいかはわかりません。ただ、選べなかった人なら、どうにか助けてあげたいと思うんです」
「それはお前の夢のためか」
「はい、私の目的のためです。もちろん、助けたいって気持ちに嘘なんかありませんけど」
14ほどの少女はそう言った。夕はそれを聞いて、ただ「ふうん」と相槌をうつだけだった。
ミル・レメットの目的。
それは、悲しみ苦しむ者が誰もいない世界の実現だ。果たすべきことを、誰もが果たすことのできる世界、それを彼女は本気で願っている。
無理だと笑われようと、馬鹿だと罵られようと、少女は本当の意志で『世界平和』を求めているのだ。
夕がミルに同行するのは、ガイを探すためだけではない。
もっとも、最初はその目的のためだけの同行だった。夕はただガイに対して用があるだけだったのだ。
しかし夕はそのミルの願いを聞き、その結末に興味を持ち、そして手助けすることに決めた。
どのような結果に終わるかは未知数だが、ミルの奮闘の末路を見届けようと。
世界平和を本気で願うミルに、現実主義の夕は興味を持ったというわけである。
そして、二人盗賊に遭ってからしばらくたったころ。
道を歩いていたミルが、ふと足を止めてつぶやいた。
「あれが……」
夕もまた彼女の見ている方向を見つめる。
彼らの眼前には高くそびえたつ市壁が見えた。
王の居る国のものほどではないが、十分すぎるほど立派な壁だ。『水の都』と呼ばれたエナヴィゼの街でもこれほどではなかったろう。
当然、そこから中の様子を伺うことはできない。ただ、そこがこの人領でも一、二を争うほど大きな街なのだろうと察せられた。
「ラグバの街……奴隷の街か」
「とにかく、まず入りましょう」
「ああ。あまり前に出るなよ、お前は特殊なんだ」
「はい」
そう言って、二人は門へと近づいていく。
門には二人の騎士が立っていた。夕は警戒しながら、騎士たちに近づいていった。
「──お前たちは何者だ」
開口一番、騎士がそう言う。
「旅人だ。物資調達と、休憩のためにこの街に来た」
「旅人だと……?」
一瞬、空気がぴりつくような沈黙があった。
門番たちは目を送り合い、ミルは少しだけ身構える。
……そして少しの静寂ののち、門番たちは口を開いた。
「──ラグバへようこそ、旅人方! どうかゆっくりしていってください!」
「この街には良いものがたくさんありますから、ぜひ沢山見て帰ってください!」
その声にミルと夕は呆気に取られる。
片方の門番が、はははと笑って語りかける。
「ごめんなさい、旅人さんが来てくれたのが嬉しくて……」
「嬉しい? なぜだ」
「お二人ともこの街の異名は知っているでしょうか。『奴隷の街』と」
「そうだな。それは誤りとでも?」
「少しだけ齟齬があるんです。その単語が一人歩きしたせいで、『あの街ではたくさんの奴隷が苦しんでいる』なんて悪評が染み付いてしまったようで……」
「そうなんです。だから、この街にいらっしゃる旅人さんはごく僅かなんですよ。でも街に入れば、それが嘘だったってすぐわかりますから!」
そんなふうに言う門番たち。
なんとも言えない表情の夕にミルが耳打ちする。
「……聞いてきた話と違うのでしょうか?」
「さあな。ただ少なくとも、こいつらは奴隷の存在を否定していない」
「それって……」
「なんにしても、街に入らなきゃ何もわからないだろう」
そう言って、夕は門番に向き直る。
「改めて、街に入る許可を貰いたい」
「もちろん、喜んで!」
彼らはそう言って、その厳重な門を軽々しく開いたのだった。
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街に入り、夕とミルはその認識の差に大きく驚く。
街は多くの人たちで賑わい、栄えていた。
黄土色のレンガの道、そして赤い屋根の民家や建物に囲まれた街だ。その傍に、野菜や雑貨を売り出す露店がいくつも立ち並んでいる。
川が街の血管のように行き交う『水の都』や、街の中央に巨大な王宮が鎮座する『王国』とは違い、この街には大きな特徴があるわけではない。
ただ、日本人が『ファンタジーの街』と言われて最初に思い浮かべるのはこうした街ではないだろうか。
人が活発に交差する赤と黄色の街並みは、もうそろ異世界に慣れてきた夕が見ても幻想的で、テーマパークにでも来たかのような感覚に陥ってしまった。
そしてそれ以上に、何より驚かされたことが一つ。、
それはずばり──
「……ここは本当に『奴隷の街』なのか?」
──奴隷の街・ラグバに、奴隷などいなかったことだった。