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黄昏の魔法陣  作者: しまけん
第一部 "人領編" 第一章「夢を見る八咫鴉」
18/21

18-川と生きる街を出て

 街の診療所の病室らしき部屋。そこにいるのは、ベッドに寝そべったまま顔だけ傾けて客人を見るエシトと、傍らの椅子に腰掛けた黒髪の男女二人。三人きりだった。


 あの後、目を覚ましたエシトはここに運ばれた。その際にミルと、それについて行くようにして夕が付き添い、ここまでやってきた。

 エシトが寝具に寝そべり一息ついたところで、彼はその2人と話したいと要求し、そうしてベッドの前に二人だけが残ったのだ。


「まずは、ありがとう」


 エシトが口を開く。


「君達は命の恩人だ。君たちがいなきゃ、僕は死んでいた」


「ひとつだけ質問させて欲しい」


 椅子に座った夕がそう話す。


「何故そこまでして、この街を助けてやろうとしたんだ? あれだけ嫌われて、放火までされていながら。恨みはないのか」


「……まあ、実はあるよ」


 はっきりとエシトはそう言った。


「どうしてこんなことをしなきゃいけないんだ、なんで求められてもいないのに人を救わなきゃいけないんだ。何度も思ったし、その思いを彼らにぶつけてやりたいとも考えた。そうでなくても、逃げてやろうとも」


「どうしてそうしなかった」


「……それは、僕の望む生き方じゃないからだ」


 少しの間を置いて、エシトはそう断言した。


「僕の職業について、まだ教えていなかったよね」


「そうだな」


 エシトは夕の方を向いたまま、「僕は」と続けて言った。


「僕は……『派遣生命支援士』という職に就いている。そうだね……健康的な問題を抱える場所に直接派遣される、医師のようなものだよ。王国の内政院(ないせいいん)──つまり、(まつりごと)を担う機関の下っ端さ」


「は……、派遣、生命……?」


 よく分からなさそうな様子のミルを見やると、夕はエシトの言葉を噛み砕いて要約した。


「その場所じゃどうしようもない病気を治すために、国から派遣される医師、で合ってるか」


「うん、大まかなところはその通りだよ」


 エシトは頷くように首を傾げた。すこし痛そうな表情を浮かべた。


「それがどう関係するんだ?」


「……僕がこの職に就いたのはね、人を助けるためなんだ。抗えない絶望にいる人を救いたい。死ぬべきでない人を生きていられるようにしてやりたい。……それが僕の目的であり、目標であり、夢であり……僕の選んだ生き方なんだ」


「生き方、か」


「そこから目を逸らすというのは、生き方を見失うと言うことだ。生き方を見失えば、生きる理由が揺らぎ、生きる意味が分からなくなる。その方が、僕にはとても恐ろしかった」


 だから諦められなかった。そう、エシトは言う。


「……君には、分からないかもしれないけれど」


「俺か?」


「君はとても理性的で、合理的で、感情を表に出さないように見える。まるで、ただ生きるために生きているようだ。それが悪いという話ではないよ。ただそんな君には多分、伝わらないことかもしれない」


 夕は「別に」と言い返して、


「理解はできなくても納得はできる。そういう考え方があるのだ、程度はな」


「そうか。……それなら、それでいいかな」


「話は終わりか? もうそろ時間がない、俺たちは街を出て行くことにする」


 そう言って夕は立ち上がった。


「そうか、くれぐれも気をつけて。それと……」


 そう言うと、エシトはミルの方に顔を向けた。


「私、ですか?」


「……ありがとう、ミルさん。繰り返しになるようだけれど、あなたには何度もお礼を言いたい」


 敬愛の視線……敬うような表情でミルを見つめた。

 向けられた感情に彼女は少々戸惑う。


「……困らせてしまったかな」


「あっ、いえ! 大丈夫です、ちょっとびっくりしただけで。……街の人たちや、川のこと、これからどうなるのでしょう?」


 別れ際にミルがそう問いかけた。


「ああ……。大丈夫、だと思ってる。街に来る前から手筈は整っていたんだ。しばらくは用水路を堰き止めて、こちらから物資を支援しながら、上流の露白鉛(ろはくえん)を少しづつ取り除く。彼らに蓄積したルル晶液の排出にも取り組みながらね。……まあ、理解を得られず頓挫してしまっていたわけだが」


 とはいえ、とエシトは言う。


「意識は朦朧としていたが、一応、あの青年の言葉は聞こえていたよ。彼を信じて、街の人たちともう一度話してみる。そこから先は僕の努力次第だ」


「この街は助かりますか?」


「僕の仕事を忘れたかい。そのために僕はここにいるんだよ」


「……エシトさんは、大丈夫なんですか?」


 その台詞に、一度エシトは言葉を詰まらせかけた。

 しかしそれは一瞬のことで、すぐに和らいだ声で応答する。


「大丈夫。なんせ、あなたが助けてくれたのだから」


 エシトはそう言って微笑んだ。

 その表情と答えをミルはどう捉えたのか、そんな彼に応えるようにして、彼女もまたまた微笑みを浮かべて言った。


「短い間、ありがとうございました。無理をせず、どうかお身体をお大事になさって下さい」


「……やはり、あなたは」


「………? どうかされましたか?」


「……いや、なんでもない。あなたもどうか、気をつけて。"奴隷の街" までの道のりは、あなたにとってとても危険なはずだから」


 最後の忠告を締めとして、二人はその部屋を出て行った。



@@@



「……ミル・レメット」


 自分以外、誰もいなくなった病室で、エシトは呟いた。

 恩人の名を……自分を救い上げた、未だ15にも満たないであろう少女の名を、そうやって反芻する。


 あの時……火事で意識を失っていた時、エシトは失望の海に沈んでいた。

 街の人間は自分を信じてくれやしない。それどころか誰も助けを求めていない。その果てには自分を殺そうとしてきた。

 そんな人間を何故救わなきゃいけない。これが仕事だとしても、彼らを救うことに意味を見出せない。

 死に向かう絶望の淵。暗い海の奥底へ、ずんずんと沈んでいき……。


 そこで、光を見た。


 その光は淡く、吹けば消えてしまいそうな気さえした。迷いがあり、か細く、か弱い光に見えた。

 だが、その光の腕は、たしかにエシトを掬い上げたのだ。


『ーーその生き方を、これから生まれる子供達にさえ押し付けるのは、間違ってます』


 そうして答えを得たのだ。

 自分が救うべきものを、彼女は意図せずとも指し示してくれた。


「……ありがとう、ミルさん」


 届かないと知って、もう一度感謝の意を口にした。

 あの迷いある温もりを思い出した。それを手繰り寄せるために、一度瞳を閉じる。


 そこに、……妙なとっかかりがあった。

 迷いはきっと彼女のもので、あの言葉もきっと彼女のもののはずだ。だがあの光、あの温もり、あの癒しは、あくまで彼女の精神とは別のところにある何かのように思えた。


 死の淵から自らを掬い上げたあの聖女のような光が、あの少女の優しさだけとは納得できない。


「ミルさん、あなたは」


 誰にも聞こえない部屋で、彼は一人呟いた。


「あなたは、いったい何者なのですか」



@@@



 水の都エナヴィゼ──川と生きる街を抜け、二人は東へと足を進める。


「結局、綺麗な景観は見れませんでしたね。川が綺麗になったらまた来たいです」


「俺は二度と来たくはないな。あの街は全体的に気味が悪すぎる」


「そこまで言わなくても……」


 夕の感想にミルは苦笑い。だが夕は至って真面目な顔をする。


「景色が綺麗でも、人の醜さを知ったら、もうその街が美しいとは思えなくなる」


「………………」


「少なくとも俺はそうだ。だから俺は極力、人間と関わるようなことがしたくない。景観の良い街なら尚更だ」


 夕の数少ない娯楽。それは、美しい景色を見ることだ。

 エナヴィゼは以前から見てみたいと思う街ではあった。だが同時に、長くは滞在したくないとも思っていた。


 人間の営みが美しくても、人間はいつだって醜い。

 善人は何かしらの問題を抱えているし、悪人はそれ自体が醜悪だ。まっさらな心を持った人間なんて今までに一人二人しか見たことはない。

 そのことこそ、夕が一人で生きる理由のひとつでもあった。


「……ユウさんは」


「ん?」


「言いましたよね。人の悪性を信じろ、って」


「そうだな」


「だけど私は、それでも悪い人ばかりだと思えないんです。……街の人も、エシトさんも、みんないい人だったから」


「良い人?」


 立ち止まり、夕は振り返った。

 ミルも一瞬驚いて立ち止まり、夕と目を合わせる。


「それは違うだろう。エシトはともかく、あの街の人間たちは」


 夕は一つため息を吐いてから、セリフを続ける。


「火を放った奴がいい奴なわけがないし、それを認めてやろうとする奴らもまたおかしい。誇りのために人殺しが許されるのが正しいはずがない。はっきり言って民度の低い街だ」


「……そう、なのでしょうか」


「そうだ。そして、そんな奴らこそが争いを生むんだよ。つまり、平和と真逆のことを起こすわけだ」


「…………」


 過激な言葉遣い、しかしその声質は淡々としていて、ただ事実を列挙しているだけと言った様子だった。

 言い終わって、夕はもう一度深いため息を吐く。


 彼女の掲げる世界平和の夢は本気だろう。しかし、何かが決定的に欠けているのを感じた。

 それが何か、夕にはまだ分からない。それでも目の前にいるこの少女が、何か大きなものを抱えているような気がしてならなかった。


「お前はそれでも、平和を志すのか?」


「………………」


「人間は誰しもが問題を抱えている。それらの摩擦や行き違いで軋轢が生まれ、必ず争いに発展する。それが人間というものの法則だと認めた上で、それでも平和を目指せるのか?」


 見下ろす夕の目をはっきりと見返す。

 その目がミルの何を見ているのかは分からない。ただ、少なくともそのセリフは、ミルを試しているようなものだった。

 ──けれど、たとえどんなことを言われたとしても、結局ミルが返す言葉は変わらない。


「はい」


「…………」


「この願いは果たさなきゃいけないんです。これを諦めたら、きっと私は私でなくなるから」


 はっきりと、確かにミルはそう答えた。

 その答えを聞き届けた夕は、ひとこと「そうか」とだけ言ったあと、それに続けるように話した。


「最初俺は、お前の兄に剣を作らせるまで一緒にいると言っていたな」


「あ……は、はい」


「あの約束を変える。ーーお前の願いの果てが見たくなった。だからそれまで、俺はお前を手伝おう」


「え………?」


 突然のその宣言に、ミルは訳がわからないとたじろぐ。


「訳が分からなくていい。あくまでこれは、俺のつまらない感情でしかない」


「ユウさんの、感情?」


「お前が何をして、何を考え、どこに行き着くかを見てみたくなった。元々当てのない旅だったからな、お前の旅に付き添うのも悪くはないと思った」


「………………」


「必要なら、俺は俺の出来る全てをもってお前を手伝ってやる。拒否するならそれでいい、約束は今まで通りだ」


 夕は真っ直ぐミルを見下げた。

 見下げられたミルは、夕のその顔を見返すように顔を上げる。

 夕刻の空の下。一辺倒に東向きだった風が、南へとその風向きを変えた。


「……どうして、そうしたいと思ってくれたのかは、わかりません」


「そうか」


「けれど……。私が分からないことを分かっている夕さんには、その力を貸して欲しいです」


 そう言ったミルは恭しく、ゆっくり頭を下げた。



「どうか、力を貸してください」


 ああ、とだけ、夕はそれに言葉を返した。



「改めて……私の名前はミル・レメットです。どうかよろしくお願いします」


「ああ。俺はユウ・ワタリビ……いや」


 夕は少しだけ間を開け、


渡日わたりび ゆう、異世界人だ」


 その本名を明かしたのだった。

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