17-悪性
「お前の名前は、本当に『ミル・レメット』なのか?」
夕の突然の問いかけに、ミルはたじろぐ。
「ゆ、夕さん? 突然何を……」
真面目な表情をする夕。困惑しっぱなしのミルは、ただ問い返すしかできなかった。
その反応に夕は「……いや」と返し、
「なんでもない、忘れてくれ。……それよりも、今のはなんだったんだ?」
魔法、と言われれば納得できる。しかし、夕が今まで見てきた魔法は、このような派手なものではなかった。もちろん、無知なだけと言われれば言い返しようがないが。
であれば、これはおそらく、夕と同じ『黄昏の魔法』なのだろう。『魔法陣』以外の『黄昏』に出会したのはこれが初めてだが、可能性があるとしたらそれしかなかった。
しかしミルは、「いえ」と首を振って、
「分かりません……。何かした、と言うことだけしか」
「それだ。どういうことだ、お前がやったことだろう」
「でも、私は魔法なんて使えないんです」
訝しむように夕の眉が寄る。
「黄昏の魔法、ってやつじゃないのか。例えばそう、『黄昏の花』あたりの」
「いえ、使えないんです。昔から、魔法も戦いもできなくて……あれ?」
「なんだ?」
そのあたりで、どたどたという足音が聞こえてきた。
「あれは……お昼に訪ねてきた!」
足音を立てて駆けてきているのは、金髪の青年を先頭にした集団だった。
その金髪はちょうど、春に訪ねてきた青年だ。つまりあれが街の青年団というやつなのだろう。
やってくるや否や、金髪の青年が声を上げる。
「怪我人は!」
「ここに一人だけだ。いま治したから、お前らは火災の消火に向かえ」
「いま治した? どうやって……いや、そんなことよりも! 皆、訓練通りに作業するんだ!」
そう言って、テキパキと行動し始める青年団。
それを横目に夕は嘆息し、ミルのことについてはこれ以上考えるのをよした。
必要のないことに時間を割いてもろくなことがないと思ったからだ。
今必要なのはミルの正体を暴くことではなく。
「……で、誰なんだ?」
夕は立ったまま、集まった野次の方に振り向き言い放った。
「こいつの家に放火したのは」
数秒の静寂を挟み、ざわめきが波紋のように広まった。
この中にいるのか。いやいるわけがない。いるとしたらどうなるのか。そういった言葉がちらほらと聞こえてくる。
「な、なぜ、私たちだと決めつけるんだ!?」
一人の男が声を荒げた。
「火をつけて、逃げていったのかもしれないだろう!」
「決めつけてはいない。だからこうやって聞いている」
声を荒げた男を夕が睨み、
「動機なら街人全員にあるんだ。どうやらこいつは、この街じゃかなりの恨みを買っていたらしいからな」
「か……仮にそうだとして、犯人探しになんの意味がある!?」
「あるだろう」
機械のような冷ややかな瞳で男を見つめ返す。男はたじろぎ、一歩だけ後退した。
「犯罪を野放しにすれば、犯罪を起こしても良いということになる。また似たようなことが起こるぞ」
「それは……」
「それに、街を出た後俺たちの所為にされるのが困る」
「ゆ、ユウさん! それは流石に……」
「疑いすぎと思うか、ミル?」
ふっと、声を上げたミル。しかしそれを遮るようにして、
「お前だって、幼いとはいえ旅人なんだろう。それなら特に、他人はまず疑ってかかるべきだとは思わないのか」
「そんな………」
「性格なんだろうが、踏ん切りをつけろ。そうしなきゃいつか破滅することになる」
ミルの方に向き直って夕は言う。
「お前の目的を果たしたいなら、他人の善性と同じくらい、他人の悪性を信じろ」
そうして夕は、再び街人の方へ振り向く。
「特に身内意識の強いお前らなら、やりそうな奴くらい分かるんじゃないのか?」
「っ………」
男は険しい表情で夕を睨み返した。夕は涼しい表情のまま、見定めるように街人たちを見つめ返す。
一方がもう一方を憎み、もう一方が一方を責める。攻撃的な静寂がその空間に広がっていた。
「ーーわたしだよ」
静寂を断ち切るかのように、声が届く。
声の主は初対面の中年男性だった。しかしおそらくはもっと若いのだろう。
「わたしが火をつけたんだ」
「そうか」
「だが……だが、仕方なかったんだよ」
男は一歩、夕の方に歩み寄り、そして語る。
「川は私達の誇りだ。私達の象徴なんだ。これを堰き止められるなんてのは……私達自身を穢されるのと同じことなんだ。……それをいくら言っても、こいつは聞かなかった」
「鉱毒は?」
間髪入れず夕が言う。
「寿命が縮むんだろう。確かなデータもあった。なのに、それでも受け入れなかったのか」
「早死にしてもいいと、そう言った」
確固たる決意で、男は夕の目をまっすぐ見て言った。
冷たい目で沈黙する夕は、他の街人の目をぐるりと見回した。皆、同じような目で夕を見ていた。
この街で生きる人間は皆こうらしい。夕には理解し難い信念だったが、それ程までにこの川は大切なのだということが、流石の夕でも納得できてしまった。
「ーー納得、できません」
しかし、それでも。
「解りません。皆さんの……その想いが」
ここにいる黒髪の少女だけは、納得なんてできるはずがなかった。
「大切なものがあることは、分かります。私にも沢山あるから……だけど」
「………………」
「川と共に生きることは、川と共に死ぬという意味じゃ、ないじゃないですか」
エシトを膝で寝かせたまま、顔だけをそちらに向けてミルは言う。
「……それは」
「これからもずっと、みなさんはこの川と一緒に生きていくんじゃないんですか? 共に生きて、大切にしてきたから、この街は美しいはずなのに」
ーー水の都、エナヴィゼ。
街を行き交う用水路、それに映る石造りの建造物。観光名所として親しまれてきた美しき街。
その美しさは、川を利用し、川を愛護し、川と共存してきたが故に生まれた美しさのはずだと。
「死んでもいいなんて、そんなのはおかしいです。それに、万が一本当にそれで良いのだとしても」
一呼吸置いて、言った。
「その生き方を、これから生まれる子供達にさえ押し付けるのは、間違ってます」
それは、だれにも覆し得ない、鋭すぎる一言だった。
「………………」
誰もがいたたまれない気持ちでミルの言葉を聞いていた。
正しいと思っていたはずのことを、一人の少女の手で全て覆されてしまった。その事実もまた、彼らの心に羞恥を感じさせた。
誰かがそれに言い返そうともしたが……
「皆さん! 大丈夫でしょうか!」
はきはきとした青年の声が差し込まれ、それは不発に終わった。
青年団のあの男の声だった。
「消火は終わりました、燃え広がることもありません。……彼の所持品は、幾らか焼けてしまいましたが」
少し俯いて彼はそう言った。
「……それと、彼女の言葉も聞こえていました」
そして付け足すようにそう言う。
一呼吸の間だけ置いた後、彼は決心したように一歩前に出た。
「これは、ただの提案だけど」
青年がぐっと前を向く。
「もう一度、彼の話を聞きませんか。今更、手のひら返しをするようだし、許してもらえないかもしれないけど……。それでも精一杯謝って、お詫びをして、改めて話を聞くんです」
真っ直ぐな目をした青年の提案を拒否し、首を横に振れる者など居なかった。
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「……ミル、さん………?」
街人たちが語り合うその傍ら。ミルの膝の上で、エシトがゆっくり瞼を開いた。
「っ……!! エシトさん!」
エシトは、やはりゆったりとした動きで顔の向きを変え、街人の方を見た。
かすかに聞こえる声を聞いていた。その内容が何であるかを理解して、
「……そうか……」
蚊の鳴くような声でエシトが呟く。
「ありがとう……彼らを助けてくれて……」
笑みを浮かべ、彼はそう言った。