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黄昏の魔法陣  作者: しまけん
第一部 "人領編" 第一章「夢を見る八咫鴉」
16/21

16-梨の花

 結局、青年二人が訪ねて来てから数時間が経ってしまった。

 現在時刻は午後6時ごろ。空は昏くなり始めており、部屋の中は薄暗く見える。


 この数時間、何もしなかったわけではない。とはいっても夕は何もしていなかったが、ミルが動き回っていたのだ。

 街の中のあちこちを回り、街人の話を聞いたり、説得して回ったりしたらしい。結果は案の定といった感じだったそうだが。

 むしろ夕は、そのせいでミルや自分に対して街人が不信感を感じてしまっているのではないか、と案じていた。


「明日の朝、この街を出るぞ」


 ミルに向かって夕がはっきりと言った。


「…………」


 ミルは別に、反論したり困惑したりはしなかった。むしろ納得しているような様子だ。

 目線を下げながらミルが口を開く。


「……どうしても、無理なんでしょうか」


「時間をかければ可能かも分からんが、かけられる時間なんて無いだろう?」


「それは……はい、分かっているんです」


 そう、こんな街にかけられる時間などない。なんなら、エシトから手がかりを得た時点で次の街に行った方が良かったのだ。


「ラグバ……奴隷の街か。お前の兄も『八咫烏』なんだよな?」


「……はい」


 ミルが頷いて答える。

 奴隷の街という異名がそのままの意味であるなら、希少種族であるミルの兄も危険な状態にいる可能性が高い。


「できない事なんて、この先いくらでもある。それら一つ一つに世話を焼いていたら、お前はこの先、何もできないままに終わってしまうぞ」


「…………」


 夕の言葉は辛辣だが、正論だ。しかしミルも、そのことが分かっていないわけではない。

 それでも、そのように割り切ることはできない。ここで『無理』と割り切ってしまっては、自身を突き動かす根底の意思が朽ち落ちてしまう気がするからだ。


 ーーちょうど、その時だった。


「……なんだ?」


 ふと、夕が反応を見せる。同時にミルも顔を上げ、二人同じく奇妙なものを見る顔をした。

 何か聞こえたり、見えたりしたわけではなかった。二人が感じたのは、普段あまり嗅ぐことのない、しかし覚えのある『匂い』だった。


 それは、そう、例えるならば、木が焼けているかのような……


「ーー火事だ、火事だよ、お客さん方!」


 すると突然、扉の外から叫び声が聞こえてくる。扉に振り返るとすぐにその扉が開き、宿の店主がその顔を見せた。


「火事だと?」


「ああ。この街じゃ珍しいんだが……。この宿は木造じゃないし、火の元も近くないが、念のため避難しておいたほうがいいぞ!」


 店でお客さんを怪我させるわけにゃいかないからね、と店主が付け足して言う。

 それを聞いて、ミルは飛び上がったように立ち上がり、店主の方に詰め寄った。


「どこから火が出ているんですか!?」


「待ちなさいお嬢ちゃん。心配しなくても、青年団が消化活動をしに……」


「ーーどこから火が出てるか、聞いているんですっ!」


 切迫した顔でミルが問い詰める。

 あまり見ないような彼女の表情に店主は息を呑み、諦めたように応答した。


「……うちの街は水の都だからね、腐りやすい木造の建造物は少ない。あるとしたら、あの男が最近建てた、あの小屋くらいだ」


「っ……! まさか、エシトさんが……!」


 ミルは店主を退け、宿を飛び出そうとする。


「お前一人でなにができる」


 しかし、それを呼び止めたのは夕だった。


「…………」


「川の水は干上がってる。魔法が使えるなら別だが、そうじゃないんだろう。お前一人じゃ、あいつは助けられないぞ」


「そんなこと分かってます!」


 夕の冷ややかな言葉を、ミルは振り返らずに押し返す。


「私だけの力じゃ、きっとなにもできない。……けれど、それでも譲れないものはあるんです」


 だから、とミルは言う。そしてそのあと、身体ごと夕の方に振り返り、


「お願いします。……どうか、手を貸してください」


 ぐっと、その頭を夕に下げた。


「お願いにお願いを重ねて、他力本願ばかりで……それなのにまだ助けを乞うなんて、おかしいと思います。だけど、時間がないんです」


「…………」


「きっと、ユウさんなら、何かできるはずだと思うんです。ーー『黄昏の魔法』を使えるユウさんなら、きっと」


「……覚えてたか」


 思い出されるのは、エシトの家に訪問した時のことだ。

 あのときに使った魔法……それが特殊なものであると気付いていたらしい。


「お願いします。エシトさんを助けるのを、手伝ってください。ーー私を、助けてください……!」


 振り絞ったような声で、ミルはそう懇願した。

 それは身勝手で、図々しく、自己中心的な他力本願かもしれなかった。少なくとも夕はそう感じたし、断る理由だっていくつでも思い浮かんだ。


 しかし。


「ーーわかった」


 ミルははっと顔をあげる。しかしその頃には夕はそこを通り過ぎており、後ろから「早くしろ」などと声をかけてきたのだった。


「ユウさん……!」


「時間がないんだろう」


「っ! はっ、はい!」


 そそくさとそこを離れようとする夕に、ミルは追いつくようにしてついていった。

 そうして二人は、エシトのいた建物へと向かっていった。



 @@@



 その建物は、隙間から炎を噴き出しながらそこに建っていた。

 暗くなり始めている空の下、ギラギラと紅い光を放つそれは、遠目に見ても目立って見えた。

 建物の前には数人の男が呆然と立ち尽くしている。燃え盛る建物を唖然と見つめ、そこを動かずにただ炎を眺めていた。


「火が……」


「思ったよりも燃えてるな、これじゃあまだ生きているかもわからないが……」


 そう言って夕はミルの方を一瞥すると、


「まずはエシトの安否を確認しに行く。息がありそうなら連れて戻るぞ」


 そう言い、夕は何も着ないまま、その小屋の中へと突っ込んでいった。


「ユウさんっ!?」


 そこにいた人々は夕の突然の行動に驚愕した様子を見せた。彼らは夕を案じるような様子を見せるが、誰一人として、彼を助けに行くことはできなかった。


 ミルも、同じように驚き、夕の身を案じる。

 しかしミルは、なにか考えがあるのだろうと考え、ミルは夕を信じることにした。


 二、三分だけ経って、建物の中に人影が見えた。誰かが、誰かを背負っているような人影だった。

 目を凝らしてそれを見る。誰かを背負っているのは先ほど小屋に飛び込んだ夕、そして背負られているのがエシト・タルデアであった。


「……! ユウさん!」


 エシトを背負った夕は、火災の熱がある程度届かないような位置に彼を下ろした。

 火傷の跡が一切見られない夕に対し、エシトは全身が火傷、ひいてはコゲだらけになっており、そのまま意識を失っていた。

 肉の焼けるような臭いがあたりに漂う。それがあまりにも生々しかった。


「気を失ってる。おそらく中毒だか窒息だかが原因だろう。だが生きてはいる」


「ほ、ほんとうですか!」


「まだ生きてるだけの話だ」


 エシトを下ろした夕は、ふうっと息を吐いて疲れを吐き出し、その後で語る。


「治す手段がない。連れてはきたが、このままじゃ死ぬ」


「そんなっ……なにか方法はないんですか!? それこそ、あの魔法で……!」


「俺じゃ無理だ。前に試したんだが、あれで傷を治すのには、何故か莫大なEPが必要らしい。軽傷ならともかく、ここまでの傷は治せない。EPが足りないまま魔法を使うと暴発が起こるみたいだしな」


「暴発……!?」


 現状を伝えられ、ミルは苦しそうな表情を浮かべる。

 目を覚さないエシトに、二人はどうすることもできない状態だった。


「…………っ!」


 おもむろに、ミルは倒れたエシトの身体を抱き抱えた。

 服や手が血や灰で汚れる。しかしミルはそれを気にも留めず、ただその両の手でエシトを抱えたまま、そこでじっとしていた、


「何をする気だ」


「わかりません……。わからない、けれど」


 そう言って、エシトの体を抱き続けるミル。そしてーー変化が起きた。


 それは花……否、花弁だった。

 白い、指先ほどの花弁の群れ。それが、エシトの傷を覆うように出現する。

 桜の花にも似たその花弁は、しかしそれよりも一回り大きい。少し反りのある、白い色をした花弁だ。


「これは……」


 その現象に流石の夕も目を見開き、ミルの方を見た。だが、術者であるミルもまた、同じように驚いているらしい。

 再び、エシトの体に目を落とす。

 気づけばその花弁は、いつのまにか音もなく消失していた。その、全身にあった火傷の跡ともに。


「え……? 何が起こって……いえ、私は今、何をしたんですか!?」


 静かなままのエシトを抱えたまま、ミルが声を荒げた。

 その傍ら、夕はさっきの現象について思考を巡らす。……いや、現状というより、その花弁に心当たりがあっただけだが。

 そう、それは、おおよそ4月に花を咲かせ、9月には果実を実らせる植物。

 あの花は、梨の花だ。


「……ミル」


「え……、ゆ、夕さん?」


「お前の名前は、本当に『ミル・レメット』なのか?」


 え、とミルが声を漏らした。

 夕の表情は相変わらず無表情だったのにも関わらず、その声だけは、どこか懇願しているかのように聞こえた。

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