14-対談
「ミルさんに、ユウくんだったね。お茶でも飲むかい?」
エシトは、椅子に腰掛けた二人にそう語りかける。
「いい。別に茶を飲みにここに来たわけではないからな」
「そうか、ならいいけれどね。……しかし、君は実にまっすぐな人だ。ガイくんの知り合いとは思えないよ」
「事実、赤の他人だ。俺はそいつの顔も知らないし、そいつも俺のことを知らないはずだ」
自分の分の茶が入ったカップを置き、エシトは椅子に腰掛ける。
「赤の他人?」
「ああ。ミルの探し人らしいから探してるだけで、俺自身との関係は一切ない」
そう言って、隣に座るミルの方に目配せする。
エシトの目線がミルに向かうと、ミルは「はい」と応えた。エシトは「なるほど」とつぶやく。
「もしやミルさんは、ガイくんの妹かい?」
「はい。少し前にはぐれてしまって……。あの、兄は」
「残念ながらもう街には居ないよ。幾日か前に出て行ってしまった」
「そう、ですか……」
ガイがもうこの街にいないことを伝えられ、ミルは落胆した。すると、落ち込んだ声に続くようにして夕が喋る。
「どこに向かったか、くらいは分かるだろう。言いぶりからして、一応顔見知りと言えるくらいには言葉を交わしたんじゃないのか?」
「ガイくんに禁じられているんだ。もしも自分を探している黒髪の少女が現れたら、彼の行先を伝えないようにとね」
「兄が……」
「だがそのガイは今いない。教えてくれても構わないんじゃないのか?」
「そもそも約束は守るものだろう。それにね……」
夕の言葉を否定して、エシトは首を振って言う。
「それとは別にだ。僕個人としても、ミルさんをあの街には案内したくないと思う」
「何故だ」
「危険だからだ」
はっきりと、断じるようにエシトは言う。
彼は目を瞑り、自分の分だけ注いできた茶に口をつけた。
「……それでも、教えてください」
少し間を置いて、ミルが口を開く。
「…………」
「どれだけ危険なことがあっても、私は大丈夫です。それに私は、私が危険な思いをするよりも、兄がいなくなってしまうほうが恐ろしい」
「……それは、ガイくんも同じだよ」
「だからこそです。お互いを失わないために、私たちはちゃんと、二人で居なきゃいけないんです」
頑固に、そう語るミル。そんな強情なミルに根負けしたのか、エシトはため息をついて脱力した。
「彼が向かったのは、ラグバと呼ばれる街だ」
「ーーーー」
「ラグバ?」
放たれたその単語に二人は別々の反応を見せた。ミルは息を詰め、夕は疑問符を浮かべる。
エシトはそれに続けて話す。
「通称 "奴隷の街" 。人領では王国の次に裕福な街と言われているが、反面、奴隷を有する人間が最も多い街でもある。奴隷の数も、奴隷商人の数も、奴隷を売りにくる人間もね。
「奴隷の街……? そんな場所に、なぜ?」
「…………」
その問いかけにエシトは答えない。代わりに再び茶をすすってごまかすだけだった。
それに対して夕は怪訝そうな、ミルはよくわからないと言った表情を見せたが、どちらもそれ以上を追求することはなかった。
「なんにせよ、そのラグバという街にガイは向かったんだな?」
「ああ。けれど本当に向かうのかい? 行ったことはないが、奴隷が蔓延るような街だ。無法地帯と呼べるほどには荒れているかもしれないよ」
「だとのことだ。行くのか、ミル」
夕は、エシトの問い掛けを隣にいる少女に流す。問われたミルは「もちろん」と返し、
「行きます! でなきゃ、ユリカ町からここまで来た意味がありません」
「そうか」
夕は一言だけそう言うと、エシトのほうに向き直った。
「道は分かるかい? 街から見て西の道を真っ直ぐ向かうとラグバに辿り着けるよ」
「わかった」
夕はこくりと頷き、ミルの方に目線を向け「行くぞ」とミルに出発を促した。
「……ミル?」
だが、その少女はそこから立ち上がろうとはしなかった。
「どうした」
「ひとつ、はっきりしておきたくて……」
そう言ってミルはエシトに振り返る。
真っ直ぐな黒眼で見つめられ、エシトは少したじろぐが、
「……まあ、何なりと訊いてくれ」
一度息を吐いて、そう受け答えした。
ミルはこくりと頷き、そして訊く。
「貴方はなぜ、水路を封鎖しているんですか?」
エシトと顔を合わせてからずっと胸に抱えていた疑問を、直球に尋ねた。
「ミル。そんなことが兄探しに必要なのか?」
「必要は……ないかもしれません。だけど、どうしても気になってしまったんです。だって、貴方がそんなひどいことをするなんて思えませんから」
そう言ってミルはエシトの方を見る。
「……ただの、川の水質の研究のためさ。用水路に水が流れ込むと、研究に支障が出るのさ」
「嘘、ですよね」
「………………」
「教えてください。私の目には、あなたが悪人であるようには見えないんです」
根拠はないとミルは言う。だが、ミルの観察眼が目を見張るものであることを夕は知っていた。
おそらく、ミルの言うことは正しいのだろう。
「聞かせてください、あなたの目的が……理由がなんなのか」
エシトがすうっと息を吸い、ふうっと息を吐く。
両目の瞼をゆっくり閉じて、また開く。開いた目で、目の前の少女をまた真っ直ぐに見据えた。
「……それを聞いてどうするんだい?」
「……できれば私は、エシトさんを助けたいんです」
「助ける?」
しかし、そこで声を挟んだのは夕だった。
「自分の兄を後回しにしてもか?」
「それは……、だけど、ダメなんです。助けられるはずの人が助けないのは……」
「………………」
だから、と、もう一度、同じ言葉を投げかける。
「教えて下さい。ーーなぜ、水路を封鎖しているんですか?」
「……参ったなぁ」
エシトは右手でわしゃわしゃと頭を掻いた。
「それこそ、君たちに話すようなものじゃない。これは僕一人で完結しなきゃいけない話だ。だが……」
観念したようにエシトは喋り出した。
「……鉱毒、っていうものは分かるかい?」
ミルへの返事代わりに、ひとつ質問を投げられる。
「鉱毒、ですか?」
「ああ。とはいえ天然の鉱石によるものだから、鉱毒と呼んでいいのかわからないけどね。……『露白鉛』という鉱石が川上のほうにあるんだ」
エシトの話に二人は耳を傾ける。
「川の側面を囲うように露出した金属なんだけど、そこから『ルル晶液』と呼ばれる鉱毒が溢れ出ている」
「ルル晶液……?」
「ああ。少量なら問題はないが、年単位で摂取し続けると、体のあちこちに細かな傷が蓄積する。その結果、内臓などの機能が弱り、文字通り寿命が縮んでしまうんだ」
「じゅ、寿命が縮むんですか?」
驚いたようにミルがつぶやく。
エシトは「それだけじゃない」と続け、
「何よりこのルル晶液によって生まれた傷は、遺伝する。つまり世代を越えるごとに、その一族の寿命は縮んでいくということだよ」
「……この街の人たち寿命は、どのくらいなんですか?」
エシトは少し間を置いて、そのあとに一言、ただしゆっくりと応えた。
「……37歳」
「え?」
「37歳だ。王国の人々は65歳まで生きるのだから、その半分になるね」
ミルは絶句した。その非常識なまでに短い生の時間に。
普通生きるべき時間のおよそ半分。しかも、このままではそれもさらに短くなっていくと言う。
「そうか。街に入った時のあの違和感は」
横で聞いていた夕がそうつぶやく。
ミルが街に足を踏み入れてから感じていた違和感。それは、若者や子供しか街にいないことが理由なのだと理解する。
「その事には街の誰も気づいていないのか」
「症状がないんだ、寿命が縮むということ以外に。そのせいで街人たちでも早期に異常に気付く者が少なかった。……いや、今更異常に気づいても、川の水が原因であると気づいた人間がいない」
「それじゃ、町の人間たちは鉱毒についてなにも知らないんですか?」
エシトは落ち込んだように息を吐いた。
「話したけれど、信じてくれなかったよ。何十年も街と共に生きてきた川が、毒で犯されているわけがない、と。いくら言っても、証拠を見せても……。だからせめて、僕は用水を堰き止めた。強制的にね……。それが僕の失態だ」
「………………」
「……これは、僕の責任だ。君たちが関わるべきじゃない」
夕はなるほどなと嘆息し、ミルの方に振り返った。
「で、どうするんだ、ミル」
「とにかく、街の人達を説得しましょう。このままじゃ皆さんが……」
「……ミルさん。君には関係のないことのはずだ」
やれやれと呆れた素振りを見せる夕の横で、エシトはそう指摘した。
「君にとって関係のあることは、君の家族ーーガイくんのことだけ、そうだろう?」
「それは……でも」
諭すようにエシトは言う。
「なのに何故、彼のことさえ後回しにして、この街に手を差し伸べようとするんだい。そんなことに意味は……」
「…………」
ミルは一度黙った。しかし、その直後に目を見開いて、臆せず自分の言葉を放った。
「ーー私には、果たさなきゃ行けない願いがあるんです」
「……願い?」
「その願いは、きっととても難しい。だから私は、私にできることならなんでもやらなきゃいけないんです」
そう言ってミルは椅子から立ち上がる。そうしてエシトに一礼し、
「色々と、ありがとうございました。私は大丈夫です。兄のことも、忘れてなんていませんから」
「……そうか」
エシトはそれだけつぶやいた。ミルは振り返り、夕に頷く。
二人は建て付けの悪い扉を閉め、そうしてエシトに別れを告げた。