12-水の都、それと宿での会話
"水の都"エナヴィゼ。
エナヴ川と呼ばれる大河、そのそばに堤防を挟んで栄えるこの街では、川から引かれている用水路が血管のように町中に行き交っている。
それはほかでは見られない特徴的で芸術的な景観だ。だからこそ、この街にやってくる人々はかならず『美しい』と口にする。
それは純粋なミルはもちろん、そうした『美しい景観』を好む夕でさえ息を呑む素晴らしさ……であるはずだった。
「水路が、全部干上がってる……」
だが、そんなものはもはや見受けられない。
血管のような水路はからからに干され、ただの無意味な堀と化していた。
もっとも、この町で目を向けるべきものが水路だけとは限らなかろう。こんな状態であっても、石橋や建物などが特徴的で興味深い造形であることに違いはない。
しかしそれを加味したところで、夕の期待を大きく下回るその衝撃は覆せなかった。
"水の都"エナヴィゼはいま、その世界から『水』の色を欠いていた。
「噂の景観は、どうやら観られそうにもないらしい」
すこしがっかりした様子で、夕はため息をつく。
「なんでこんなことになってしまっているのでしょうか……。多少の異常気象があったとしても、エナヴ川が干上がるなんてそんなことあるないはずですし」
「なら誰かがせき止めてるんだろう。なんの理由があってのことかはわからないがな」
「せき止めて……」
「まあ、とはいえそれは今回の目的じゃない。話に聞く景色を見られないことは残念だろうが、そこまで気にする必要は無いだろう。とにかく宿を取るぞ、そろそろ日が暮れるようだからな。明日探して、それでも兄の居場所の手がかりがなければ、街を出発しよう」
「あ、待ってください!」
夕は登りつつある白い月を視界に入れながらそう言って、すたすたと歩き出す。
ミルはカラカラに干上がった用水路をちらりと横目で見たあと、てくてくと夕を追いかけていった。
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「ふう……」
ベッドに腰かけ、ミルは脱力して息を吐く。普段服の中に押し込めている黒い翼も、今だけは開放し、文字通り羽を伸ばしている。
なお、あくまで脱いだのはコートのみだ。その下に来ている上着を裁断し、翼が通るだけの穴を開けることで、翼を自由に動かせるようになっている。
「人の前で下着姿なんてなれませんからね……」
「別に気にしないが」
「私が気にするんです! そんなの、兄が何て言うか」
パタパタと羽を動かしながらミルが夕に言う。
ここは宿の二人部屋だ。個室にするべきかとも思ったが、二人部屋の方が格別に安く、ミルも気にしないとのことだったのでこちらにしたのだ。
夕は部屋にもう一つあるベッドに腰掛け、肘を膝に置いて頬杖をついていた。
夕はミルの羽を改めて見てみる。
彼女の羽が動いているのを見たのは例の盗賊の時以外になかったはずだが、それでも何というか、印象としてしっくりくるものが感じられた。
黒い髪、黒い目、白い肌に黒い翼。そう言った色の組み合わせなので、ある種の統一感があるのだろう。
「……どうしました? こちらを見つめて……」
「いや。その黒い翼、随分と似合うものなんだなと思っていた。まあ、体の一部なんだから当たり前か」
「っ?」
ミルの白い頬が軽く紅潮する。稀少種族で旅人であろうと、このころに多感な時期を迎える事は変わらないようだ。
もっとも、夕も思春期を迎えているはずの年齢なのだが、彼の方は無表情のまま。嘘をつく必要もないから率直な感想を述べた、というだけのつもりらしい。
「……そういや、お前何歳なんだ?」
ふと、気に留めていなかった疑問を口にしてみる。
「最初に会った時は十四か十五くらいかと思っていたが」
「あ。は、はい。そうです。今は十四で……二月後が誕生日なので、その日に十五歳になります。……あの、それがどうかされましたか?」
「そうか。いや別に、そういえば知らなかったなと思っただけだ。特に意味はない」
「そうですか。……じゃあ、そういう夕さんは、今いくつなんでしょう?」
夕が投げかけたのと同じ質問を夕に投げ返す。
「俺か。十七だ」
「へえ、十七歳なんですね。……十七!?」
夕の年齢を聞いたミルは、その意外な年齢に驚いて声を上げる。
もちろん宿の中なのでそこまで大声は出せないが、しかしそれほどまでにミルは驚いたそぶりを見せた。
「そう驚くこともないだろう。別に老け顔なわけでもないだろうに」
「あ、えっと……。失礼かもしれないんですけど、ずっと二十いくつくらいだと思ってました。とても達観していますし、頭もいいし。……でも、そっか。兄と同い年なんですね」
ミルはどこか納得したような笑顔を浮かべてみせる。
「ふうん、お前の兄も十七だったか。……ああそうだ、訊くのを忘れていた」
そこでずっと頬杖をついていた夕は、思い出したように顔を上げそう言った。
ミルは首を傾げて夕の台詞に反応する。
「なんですか?」
「お前の兄のことだ。お前の兄はどういうやつなんだ?」
ミルの兄を探すという仕事であるにもかかわらず、肝心の探し人の特徴を聞きそびれていたのだった。
重要なことを忘れているなどらしくないな、と夕は嘆息する。
尋ねられたミルは、目を細めすこし俯き、彼女の家族について語り始めた。
「兄の名前は、ガイ……ガイ・レメットと言います。私と同じ黒髪で、仕事の邪魔になるからーって言って、短く切ってます。耳が隠れるくらいには伸ばしてますけど」
「つまり、そいつも八咫烏族ってことか」
「はい。私の、唯一の家族です」
唯一? と夕が反応する。
それに対しミルは「はい」とうなずき、
「二年前……私が十二歳で、兄が十五歳のころまでは、私たちは獣領の集落で暮らしていました」
「だが、集落を出て行かなきゃならないことがあったと」
「集落を出て行くというか、そもそも集落に居られなくなってしまったんですけど……」
ミルは間を置かず続ける。
「私たちの村は、人種の人たちに滅ぼされたんです。抵抗した人は殺されて、それ以外は身ぐるみを剥がれ、奴隷として人領に連れて行かれて。……私たちもそのうちの二人でしたが、ある人に助けられて、そのまま旅をすることになりました」
夕は黙ったまま、ミルの話を聞き続けていた。
ミルはそう言ったあと、「あ、ごめんなさい!」と言って、
「別に、人種の人たちを恨んでたりはしません。もちろん、その時何も感じなかった、なんで言ったら嘘ですけど……。でも、みんながそうなんてことありませんから」
「…………」
夕はミルの方を見つめる。ミルの柔らかな笑顔を訝しみながら、夕は彼女にひとつ尋ねた。
「……お前は、家族や親戚、友人を殺されたわけだろう。それでもそいつらを恨まないなんて、本気で言っているのか?」
「悪い人のいる国は悪い国だなんてことないじゃありませんか。それにその悪い人だって、もしかしたら、別にやりたくてやったわけじゃないかもしれない」
夕は深くため息を吐く。
ミルの話に対して、馬鹿馬鹿しいと心の中で呟きつつも、どうでもいいことだと切り捨て話を戻す。
「……まあいいか。お前が何をどう考えてようとお前の勝手だからな。話を戻すぞ。ほかにお前の兄……ガイ、だったか。ほかにわかりやすい特徴はないのか」
「そうですね……強いて言うなら、ユウさんよりもちょっと背が高いです。それと……ちょっと私に対して過保護なので、私を見かけたらすぐ声をあげると思います」
照れ臭く笑ってそう言うミル。夕はそうかと返し、
「まあ、だいたい分かった。それをあてにして、明日そいつを探すことにしよう」
そう言って、自分のベッドに寝転んで灯りのついた魔法器のスイッチを切った。
「それじゃあ、俺はもう寝る。夜更かししても構わないが、明日起きれないようにはするなよ。その時は起こすが、寝ぼけられては困る」
「そうですね……。それなら、私も寝ます」
そう言ってミルも灯りを消した。
その部屋は暗く静まり返り、唯一、空を通う二つの月の淡い月明かりが部屋に一筋差し込んでいた。
「……あの」
隣のベッドから声が聞こえる。
「なんだ」
「この街についてなんですけど……、ちょっと変な感じがしませんか?」
ミルは、街に来てから感じていた違和感、というか懸念を、ミルへ背を向けて寝ている夕に語った。
「まあ、水が干上がっていたというのはあったがな。べつに、それ以外にどうと言ったことはないだろう」
「そうですか……」
ミルは、毛布に挟まれたまますこし黙った。
「……寝る前に喋りかけてすみません。おやすみなさい」
明日も希神の導きあれーーそんなことをぼそりと呟いたあと、ミルは何も言わなくなる。
そしてしばらくしたあと、二人は眠りについた。