11-幼いながらの交渉
「断る」
ミルの懇願を、夕はあっけなくばっさりと断った。
「本当に厚かましいことを言うな。兄を助けたいという感情に理解を示せないことはないが、しかしそれとこれとは話が別だろう」
「……やっぱり、だめですか?」
「だめだな。というか、そもそもその依頼を受注する理由が俺にない。受ける理由のない依頼は、誰も受けることのない依頼だ。当然のことだろう?」
夕はミルに対しそう返答する。
しかしミルは引き下がらず、夕の至極もっともな正論に言葉を返した。
「……理由があれば、報酬があれば良いんですよね?」
「そうだが、お前に払えるものなんかあるのか? 旅人で、しかも子供だろう。支払えるほどの金や貴重品など持っているとは思えない。いや、お前自体が稀少種族だったか?」
八咫烏族。黒髪黒眼で黒い翼を有する彼女は、その種族に属されるのだという。
売れば数百万……日本円にして数千万円の価値がある稀少種族であるーーそう、パリスという盗賊の男は言っていた。
確かに、自分の身を差し出すなどと言えば報酬としては何倍も過剰なほどだろう。もっともそれは本末転倒な話には違いない。
「私の体で払えと言うなら払います。けれど、それとは別に、です」
そうミルは答えた。
自分の体など支払ってもいい、などという大袈裟な発言に気を取られそうになったが、しかしミルの言う「報酬」はそれとは別のものだという。
「なんだ? その報酬っていうのは」
夕はその先を尋ねた。
「それは、ユウさんがあの村でもらっていた、その剣ーーライゴールさんの『無銘』が関わるものです」
「この扱いようが難しい剣が、か?」
「いいえ……。さっき見せてもらった時に思ったんですけど、その剣は多分、そのままで使うようには作られてないと思うんです」
「……つまり、加工を前提とした作りになってるんだと、そう言いたいのか?
ミルが頷く。なるほど、と夕は剣の方に視線を落とした。
芸術的なまでになめらかなフォルム、柔い鋼の剣身。それが加工を前提としたものだというのなら、たしかに納得はできる。
「だが、それが報酬とどう関係してくるんだ?」
「その……、実は、兄の仕事が鍛治師なんです」
へえ、と夕は意外な事実にすこし驚いた。
「父も鍛治師だったんです。私はあまり、鍛造とかには興味を示していなかったので、私には鍛治はできないんですけど……」
「要するに、お前の兄の技術を報酬として、護衛やらなんやらに付き合ってほしいと言ってるわけか」
はい、とミルが答える。
「お前の兄の技術はどのくらいなんだ」
「私から見る分には……凄くいい、と思います。兄も、並以上のものは作れると言っていました」
「ふうん」
夕は俯いて少し思案した。そうしてしばらくした後顔を上げ、
「いいだろう。少し不安はあるが、請け負ってやる」
そう、前向きな言葉で返答した。
「本当ですか!」
「ああ。こいつをお前の兄に加工してもらうために、俺は兄探しを手伝う。それでいいな」
はい、とミルは笑顔で頷いた。
随分と嬉しそうなそぶりをするミルを見て、夕はすこし複雑な顔をした。
「それで、お前の兄がどの方向に向かったのかはわかるのか?」
「それは……えっと」
「分からないか。まあ、そうだろうな」
ミルは申し訳なさそうに縮こまる。
しかし実際、伝言だけ残して消えたのだから、行き先が分からないのは当たり前のことだろう。そう考え、夕はそのことを特に厳しくは指摘しなかった。
そのかわりいつものようにため息をついたが。
「でも、全く手掛かりがないわけじゃないです」
「ほう?」
しかし予想に反して、ミルにはあてがあるようだった。
ミルは目線を夕からずらし、かがんで足元の地面を覗き込んだ。
「……何をしてる?」
「この道」
ミルが口を開く。
「この道、木の枝とか小石とかがまばらにあって不安定な道なんですけど、よく見ると誰か歩いた跡があると思いませんか?」
「そうなのか?」
夕はミルにそう言われ、いま歩いている道路をすこし注意深くして観察して見た。
しかしミルが言うようなものは見つからない。
「……あるか、そんな形跡?」
「小石が、他と比べて少し退けられてる所がいくつか。ちょうど人の足跡みたいな間隔で……その位置に落ちてる枝もほとんど折れてます。ほら、こうして屈んでよくみてみると、この場所だけほんのちょっと凹んでるように見えませんか?」
ミルがそんなことを言うので、ミルが指差す点を夕も屈んで観察してみる。
言われてみれば確かにそうかもしれない、くらいにはミルの言うことは合っていた。小石が避けられ、枝が折れ、ほんの少し凹んでいるようにも見える。
「ふうむ、確かに言われてみればそのようにも見えるか?」
夕は立ち上がって、ミルの方に振り返る。
「こんなものによく気付いたな。そんな些細なこと、いくら俺でもよく観察しないと分からないぞ」
ミルの言った違和感は、どれもこれも誤差レベルの些細な差異にしか見えなかった。普通にしていればまず気付かないし、普通にしていても気づきづらいかもしれないほどに。
ミルはそう指摘されると、コートに着いた砂を払って立ち上がって言う。
「その、得意なんです、こういうのは。兄が言うには、『八咫烏族の特徴をその技術に振っている』らしいんですけど……」
「八咫烏族の特徴? というか、お前のその『八咫烏』っていう種族は一体何なんだ?」
ミルは一瞬口ごもる。
「ええっと、たしかにもうユウさんには私のことを知られてしまったので、説明したくない理由はないんですけど……」
けれど、もうちょっと後で説明させてください、とミルは言う。
誰もいないといえど、たまに人の通ることのある道路で話すのは抵抗があるとのことだ。
「もし私のことを誰かに聞かれてて、その人が悪い人だったのなら、兄を探すことも難しくなってしまいそうですし」
「ふむ、まあ一理ある」
まあ分かった、と夕が返事する。
「とりあえず、誰かがこの道を走って抜けていったらしいのは確かなようだ。この先には何がある?」
「この道から向かうことのできる所だと……。最初に目に入るのは、エナヴィゼの街ですね」
「エナヴィゼ?」
夕が聞き返す。ミルは「はい」と返事をし、
「エナヴ川の川沿いにある街で、"水の都"という別称で有名だそうです。エナヴ川から引いてきた用水路が町全体に通っていて、とても美しい景観の街だと聞きました」
「水の都か」
夕はミルの話を聞き嘆息する。
水の都と言われ思い出されるのは、前の世界のイタリアに属するという、アドリア海に面する都市"ヴェネチア"だ。
夕は、数少ない、というか唯一の娯楽として、美しい景色を鑑賞することを好む。当然ヴェネチアのことも知っているし写真も何度も見た。いつかいってみようと画策していた土地の一つである。
そのため。夕がエナヴィゼという街に最初に抱いたイメージはまずそれだった。
写真越しでも伝わる、川と建造物が織りなす美しさ。それを地球ではないこの世界でも見れるのかもしれない。そう思うと、夕の中に少しばかり期待の念が湧き上がってきた。
「なるほど、兄探しとは別に行ってみたい場所ではあるな。まあ、どちらにせよ、その街は調べてみるべきではあるか」
「はい。そこに兄が居れば一番なんですけど……」
「ならとりあえず向かうぞ。もう昼も過ぎた、さっさと向かわなきゃすぐに日が暮れる」
そう言って夕はすたすたと歩き出した。
「あ、待ってください、ユウさん!」
ミルもそれに遅れないようについていく。
空には青い太陽と黄色い月が浮かび、彼らの旅路を照らしながら見下げていた。
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「観光目的の旅人さんかい? 申し訳ないが、今のこの街は君たちの望む風景は見られないと思うぞ」
エナヴィゼの街についた途端、門番からそのようなことを言われた。
門番は申し訳なさそうな、あるいは不服そうな顔をして「すまないね」と続ける。
「あ、いえ、私たちは観光目的で来たわけではないので……もちろん、噂の景色は見てみたくは思っていましたが」
「そうなのかい? 別の理由でこの街に来るというのは珍しいね」
そうして門番と会話した後、彼らはお互いに手続きを行い、夕とミルの二人は街に入る許可を得た。
その後で夕が門番に尋ねる。
「だが、その風景が見られないというのはどういうことなんだ?」
「入って見てわかると思うよ。……僕たちもだいぶ迷惑してるんだ」
そうして二人は門番に見送られ、門を超えて"水の都"の中に這入っていく。
そうして目に飛び込んできたのは、美しい川……正確には用水路が、そこかしこに通うヴェネチアのような美しい景観ーーなどではなく。
「……なんですか、これ」
「なるほど、そういう話か」
街に通っているのはただの大きな堀のみ。ーー用水路全体が、からからに干上がっていた。