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黄昏の魔法陣  作者: しまけん
第一部 "人領編" 第一章「夢を見る八咫鴉」
10/21

10-小さな村を出て

「さて、と」


 夕は腕の傷を魔法陣で癒したあと、そう言って少女二人の方へ振り返った。


「戻るぞ」


「え? あ、えっと……」


 ミルはそう、困惑した声で反応した。娘の方はただ茫然と硬直している。


「ああ、そのままじゃ目立つか。ならこいつを着ておけ」


 そう言って夕は、自分の灰色のパーカーを脱いでミルに投げつける。


「あ、いえ、そうじゃなくて……、いや、それもあるかもしれませんけど……」


 ミルは投げつけられた服を受け取り、戸惑いつつ夕に尋ねた。


「……その、パリスさんは大丈夫でしょうか?」


「パリス? ああ、そいつか。殺すまではしていない。殺人犯になるのも嫌な話だ」


「一緒にいた方たちは?」


「あいつらも気絶してるだけだ。個人差はあれど、何時間も昏睡しているわけじゃないだろう。さっさと出ていくのが良い」


 青いEPポーションを飲みながら、夕はそう返答する。

 ミルは昏睡するパリスの方をじっと見て、


「……もしも」


 と口ずさんだ。


「ん?」


「もしも、この人を取り巻く環境がもっと幸せで、優しいものだったのなら……こうなることも、なかったのでしょうか」


 ミルは、哀しいものを見るような顔で倒れ伏している男を見る。


「もしこの人が、もっと当たり前の生き方をできていれば……」


「なにが当たり前だ、そんな幸せで優しい環境なんかそうそうねえよ」


 EPポーションを飲み切って、夕は言う。


「無表情で笑い、無表情で怒る。そんな気持ち悪い人間は批難されるのが普通だ。奴隷なんてものがまかり通ってて、種族で領地を三分するような世界じゃ特にな」


「……そんなの、あまりにも」


「ああ、憐れだな」


「……」


 ポーションを飲み切った夕は「行くぞ」と声をかけて、いそいそと足を動かした。

 助けられた少女の方も、気を取り戻したかのようにはっとして、とてとてと夕の方へ寄って行く。


「……」


 しかしミルはいまだパリスの顔を覗いていた。


「おい、ミル。何してる」


「……なんでもありません。大丈夫です」


「ならさっさと行くぞ。こんなところで油を売るな」


 突き放すように夕は言う。

 それを受けて、ミルは口惜しげに立ち上がり、夕の方へ向かおうとした。




「ーースルメグ」


「え?」


 遅れてミルが唖然とつぶやく。

 足元を見ると、そこには目を開いたパリスが相変わらず無表情でミルの方を覗いていた。

 いや、無表情という端的な言葉ではその表情を表すのには適さないだろう。

 その男は、口角を上げず、目尻を垂らさずーー嫌味たらしく嗤っていたのだ。


「この洞窟の周囲の岩石を極限まで脆くした。今更走っても出口にはたどり着けねえなァ」


 そう語った直後、岩石が落ちるような音が響き、洞窟全体がその衝撃で振動した。

 すると土埃が入り口の方からこちらに押し寄せ、店主の孫娘はごほごほと咳き込んだ。


「これはまた、随分な悪足掻きだな」


「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい! ヒーロー様よ! こいつは読めたかよ、おい!」


 鳴り響く轟音の中、パリスは高らかに嗤った。

 無表情で、気味悪く、気持ち悪く、嗤った。


「どうして……?」


 口を開いたのはミルだ。

 胸の前で右手を握り、理解できないと言ったような顔でパリスを見下げて尋ねた。


「どうして、こんなことを! これじゃあなたまで犠牲になってしまうじゃ無いですか!」


「おいおいおいおいおいおい! ここまで来て悪人の心配すんのかァ? アホくせェ!! それなら、そんなアホな優しさを抱いたまま、絶望に顔を染めて死に晒せばいい!!」


 ドロドロの笑い声は崩壊音を貫通し、三人の鼓膜を突き刺さるように刺激する。

 土埃の匂いに鉄の匂いが混じった。誰かがついに押し潰されてしまったのかも知れない。

 死を待つのみの現状に、狂気の喚声と血の香りが地獄のような舞台を引き立てていた。


 ミルは立ち尽くし、宿屋の娘は夕の足にしがみ付いて怯え震えている。

 そして、それらを傍観していた当の夕はと言えば。


「はぁ……」


 ひたすらに揺れる洞窟の中で、ただつまらなさそうにため息を吐いただけだった。


「ミル、こっちに来い。出来るだけ急げ。遅れたら死ぬぞ」


「ゆ、ユウさん!? なんでそんなに悠長な……」


「──だから、こっちに来いと言ってるんだ」


 え? と疑問符を浮かべたのはミルだけではなかった。


「何をするつもりだ。こんな状況、予想できるわけ……」


「洞窟を崩して道連れなんて、そんなの使い古された罠だろう。そんな分かりやすいものを警戒しないわけがない」


「……なに?」


 まさか本当にやるとは思わなかったが。そんな感想は口には出さず頭に浮かべておく。

 腰のポーチから取り出したのは、白い魔石から棒が二本伸びた形をした魔法器だ。


「こういう、逃げの奥の手は常に持っておくべきだな。もっとも、こんなことに使うとは思わなかったが……」


「白い魔石? 白は天属性の魔力……まさか!」


「たしか天属性ってのは空間魔法だったか。まあ、そういうことだ」


 夕は、魔法器に取り付けられた棒を片方折り曲げ、その魔法器を起動させた。


「早くしろ、ミル。さもなきゃお前もアレの巻き添えだぞ」


「で、でも、それじゃパリスさんがーー」


「こんな時にまで阿呆をぬかすな。そいつは敵で、犯罪者だ。慈悲をかけても得はないし、あいつが自分でやった事故なんだから気にする必要もない」


「っ……!」


 ミルは悲痛な表情になりながら、その場を離れ夕の元へと走って行った。


「おい、おい、おいおいおいおいおい! ふざけるな! そんなこと、そんなものを俺が許すと思うかァ!!」


「っ、ユウさん!」


 パリスは慌てた様子でミルを追いかけようとする。

 しかし、夕の指先の黄色い魔法陣から放たれた弾丸がパリスの腓腹筋を打ち抜いた。


「ヅッ……! クソが、テメェ!!」


「ーーもうお前に未来はない、そのことをしっかり受け入れろ」


 魔法器の放つ光は次第に強さを増していく。そのうちそれは、三人を覆い隠すほどの光量に達していった。


「しかし面白いもんだな」


 砂埃と白光によりお互いの姿形が一切視認できなくなったあたりで、おもむろに夕は、吐き捨てるように言う。


「無表情でも、絶望してるってのは見て取れるんだから」


「…………」


 ただ洞窟が崩壊する音のみが鼓膜を響かせる。

 その音も次第に遠のいていき、数秒経ったころ、三人は村の入り口あたりで立ち往生する形で帰還していた。



@@@



「本当に、本当に、ありがとう……!」


 宿屋の店主は深々と頭を下げながらそう言った。

 後ろの方では、連れ出してきた少女が両親と思わしき人たちと抱き合いながら涙を流しているのが見える。


「あなたには、感謝以外に出る言葉はない。ありがとう、本当に……」


 店主に頭を下げられた夕は、めんどくさそうに手を振って、


「感謝の言葉はいい。そんなもののために依頼を請けた訳じゃないんだ」


「……そうか。すまない、持ってこよう」


 夕に一蹴され、店主は宿の中へと入っていった。


「…………」


「うかない顔だな」


 夕はをちらりと見てそう声をかけた。今は夕のパーカーではなく、村の商店で買い直したコートなどの衣服類を着用している。

 ミルからの反応はなく、依然俯いたままだ。


「一人で突っ込んで、突っ走って、失敗して。結局お前の手では誰も救えず、俺が来なければお前も一緒に売り飛ばされて終わりだった。だから落胆してるのか?」


「……ユウさんは、凄いです。全部言い当てました」


 心中を読まれ指摘され、ミルは小さな声でやっと反応した。


「それに……パリスさんや、その部下の人たちを死なせてしまったから……」


「まだ言ってるのか。そんなこと、聖人君子でしか言わないだろう。別に運命とか神とか信じているわけじゃないが、あいつらは多分、蓄積してきた罪に相応しい罰を受けただけだ」


「……けれど、ユウさんだってあの人たちを殺すまではしていなかったじゃないですか。ただ気絶させるだけで、命までは」


「慈悲で殺さなかったわけじゃない。そっちの方が面倒だろう。人殺しで捕まるなど、洒落にもなってない」


「そう、なんですね」


「ああ、そうだ」


 そこで一瞬、二人の間での会話が途切れた。


「そ、そうだ、ユウさん。助けに来てくれた時も言っていましたけど、依頼ってなんだったんですか?」


「お前とあの子供を連れ戻す代わりに、良いものをくれるっていう話になったからな」


「良いもの、ですか?」


「たしか、ライゴールなんて言う鍛治師が直々に『至高』の烙印を押した九振りの剣……その三本目、だったか?」


「ーーら、ライゴールの至高の剣!?」


 ミルが声を荒げたところで、店主が宿から出てきた。彼は一振りの長剣を抱えてこちらに向かってくる。


「鍛治師ライゴール……世界最高峰と謳われる伝説の鍛治師の名だ。鍛造に携わる者、あるいは剣を一度でも振った者たちの間では、知らない者はいないと言われる」


「その鍛治師が自ら"至高"と称した九本の剣、その三本目……これが、ですか?」


「ああ。を『無銘』と言う」


 そう説明すると、店主は夕にそれを差し出した。


「これをあなたに託そう」


 剣身に布の巻かれた長剣が革の鞘に収まっている。

 夕は鞘から剣を抜き、そこからさらに剣身に巻かれた白い布をはらはらと解くと、あらわになったその刃をまじまじと眺めた。


 ひたすらに真っ直ぐな剣だ。歪曲なく、凹凸なく、鋼は濁りのない銀色。つばはついておらず、滑り止めの布に覆われた木製のつかに薄い鋼の板が滑らかに繋がっているだけのシンプルな見た目だ。


 唯一装飾があるとすれば、柄の下部に付けられた焼印の紋章と、その上にこの世界における「無銘」を意味する文字のみだろう。


「なるほど、確かに精巧な作りだ。だが……」


 刃に布を巻きなおしながら夕は嘆息した。

 この剣、確かに精巧で美しいが、逆に言えばそれだけだ。


 長めの剣な割にはさほど重さも無くて、切れ味が良いかと言われればそうでもない。この軽さだと、おそらく金属も脆いものでできていそうだ。

 伝説の鍛治師が作ったと言うが、これ至っては素人目でも、実用性がないとしか思えなかった。


「売れば大金にはなるか?」


 そんなことを思いながら、ロープで剣を縛り、右腰に提げるような形で固定した。


「それじゃ、報酬は確かに貰った。依頼はこれで完了だな」


「ああ。……ありがとう、本当に」


 店主は繰り返して、深々と頭を下げたのだった。


「私達の、当たり前を守ってくれて」


「…………」


 夕はゆるりと首を振る。

 呆れるようなため息は、そこでは吐かなかったが。

 ただ、嫌なものを見るような目で、夕は店主を見つめていた。



 @@@



「……」


 村を出て十数分。草原はいつしか緩やかな森になり、黄緑色の広場だった空間は既に緑色に覆い尽くされていた。

 そんな森の中に一筋だけ通っている石ころだらけの道を、夕は歩いていた。ーー背中に幼い視線を感じながら。


「……ミル。なんで俺を追いかけてくるんだ」


 ふりかえると、ぶかぶかの灰色のコートを羽織った黒髪の少女が後ろをついていた。


「あ、す、すみません! 声をかけるタイミングを探って、気分を害さないよう出来るだけ足音を立てずにいたんですが……」


「その道のプロでもない限り、足音を立てないよう歩く方が難しいだろう。……で、何の用だ」


 夕は一旦足を止め、ミルの方へ向き直る。


「お前はあの村で兄と待ち合わせしてるんじゃなかったのか?」


「はい、そのはずだったんですが……」


 ミルは表情をわかりやすく暗くして、説明した。


にいは、私より先にあの町に来たそうなんです。でも、酒場で村の人と話してた途端何故か急に街の外に出て行ったらしくて……」


「伝言とかなかったのか?」


「酒場の店主さんが伝えてくれました。……『村にいろ、すぐに帰る』って」


「それなら待ってればいいだろう」


 ミルは首を振って答える。


「そんなわけにはいきません……、にいの『すぐに帰る』は、絶対にすぐなんかじゃないんです。いつも私が探しにいって、それでいて見つかったときはいつもぼろぼろで……」


 焦りを隠さず、早口でミルは語る。


「そういう時のにいはいつも私にこう言うんです。『気にするな』って……」


「ふうん」


 次第に声を暗くしながら喋るミル。夕はそんなミルの話に、いつも通りの平坦な口調で相槌を打った。


「それで、俺についてくる理由はなんなんだよ? また『太陽神様のお導き』とでも言うのか?」


「……きっと、にいはまた大変なことに巻き込まれてます。だけど、私じゃにいを助けられない、手伝うことさえできない。……今日、それが改めて分かりましたから」


 ミルはあのとき、ただ危機に晒されている小さな子供を助けたくて、あの時宿屋を飛び出した。

 けれど何もできなかった。この青年がやってこなければ、二人いっぺんに奴隷にされていただろう。


 そうやって、自分の弱さを痛感させられた。改めて、自分が弱いということを覚えさせられた。

 ーーそれでも、人助けは諦められないけれど。


「だから夕さん。すごく厚かましくて、とても自己中心的なことを言っている自覚はあります。でも、頼ませてください。ーー兄を、助けたいんです」

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