第7話 旅人
「そぅ、珍しいものが見れると想って来たのだけれど。お取込み中だったかしら……」
いつの間にそこに居たのか分からないが、何者かは固まった司祭の影から現れたように見えた。
ゆっくり近付いてくるその姿は、艶のある翡翠色の髪で、なにより俺を釘付けにしたのはその長い耳だった。
「あなだは??」
「そぅ、貴方がそうなのね」
髪と同じ色の瞳は、俺を興味深く見据えた。
彼女は目の前の男を押しのけ、間近に俺を覗き込む。
(エルフ?? というやつか??)
鼻が触れ合う程に近付いた顔は、まるで造り物のように整いすぎて逆に怖いほど美人だ。
「そぅ、そういう事……じゃあ私は……だけど……」
彼女は少し俺をじっと見つめた後、考え事を始めて長い深緑のローブを揺らして俺の前を行ったり来たりと繰り返す。
「あ゛の……」
「そぅ、ごめんなさいね。ちょっと予想外だったから、ね」
彼女が指をピンと立てると、俺を束縛していた魔法は解かれた。
ドサ
俺にはもう立つ力すら残されておらず、膝から倒れ込んだ。
「ぁり…とうご…ゲホゲホ!!」
「そぅ、お互い様だから良いのよ。君に聞きたい事があって来たのだけれど、君……今にも死にそうね」
そう言うと、ローブの中から筒状の物を取り出し、蓋を開けて口に添えて来た。
躊躇いもなく多分薬だろうと勝手に信じてそれを飲み込んだ。
苦いと思い込んでいたが、飲んでみればとても良い香りのする甘いシロップのような味がした。
次第に体の中が、ぽぅっと暖かくなるのがわかる。
「これは私が旅の途中で、必要な時に路銀を得る為に持っている物でね。自己再生能力を助ける効果があるの。だけど、やはり君には少ししか効果がないのね。命が助かる程ではなくてごめんなさい」
あいつらが言っていた、魔素欠乏症って病気が原因だろう。
やはり、この世界の致命的な病気なんだなと改めて理解した。
そして、もう直死ぬのだろう。
「ゲホゲホ!! 少し……楽になりました。有り難う……」
「そぅ、良かった。じゃあ御礼に君の事を教えてくれる?? それと私の事は、みんな『旅人』と呼んでいるから同じ様に呼んでくれて良いわ」
「旅人……さん??」
「えぇ、私は名が無くても気にならないと言ったんだけど、名前が無いのは色々不憫だからと、知り合いが私の事を『旅人』と呼び出したのが始まり。ただそれをそのまま使っているだけよ」
(自分の名前が気にならないなんて、そんな事あるのか??)
「私は私の目的の為に、この世界の珍しいものや場所、事象を探して旅をしているの。だから旅人なんだとか言ってたわね」
「珍しいもの……ですか」
「そぅ、赤ん坊ではないのに魔素欠乏症を持ち、生き残っている者がいると耳にしてね。興味があって来てみたと言う訳よ」
「やはり、僕のようなケースは珍しいんですかね?? ゲホゲホ!! わかりました……と言っても、物凄く短くて面白くもないお話ですけど、それでも良いなら」
「そぅ、是非聞かせて」
俺はゆっくりと確かめるように思い出しながら、自分が別の世界から死神と時神の依頼で転生した事、森を抜けて街に辿り着き、教会に騙されてここに来た事を話した。
そして、そこにいる少女の事も、その子を助けたかったと言う事も、その子に救われた事もだ……あれ?? 何故こんな事も必死になって話しているんだろうか??
「そぅ、君は頑張ったんだね」
一通り話し終え、声をかけられた時にはいつの間にか俺はまた涙を流していた。
気付いたら無性に恥ずかしくなって、慌てて拭った。
その後、旅人と呼ばれる女性は目を閉じて、少し考える素振りをとるとこちらを見てこう言った。
「幸か不幸か、君は私と繋がりが出来た。いや、出来てしまったと言ったほうが良いかもしれないわね。宿命か運命かを考えてみたけれど、よく分からない。だから、今から君に一つの選択をして貰うから、良く聞き良く考えて決めなさい」
旅人はそう言うと、二つの選択肢を説明した。
一つ目は、旅人の知識で知っている手術を試す事。しかし、実際に試した事もなく、激痛が伴う上成功する確率も低いと言う。さらに、その手術には必要な物があって、まだ揃うかも分からない。ただし、生き残れる可能性があるとすればこれしか無いとの事だった。
二つ目は、少女の亡骸と伴に、静かな場所で最後を迎えさせてくれると言う。
「どうし……て」
「そぅ、話を聞かせてくれた御礼とさっき話した縁が出来たから。貴方は気にしないで選べば良い。ちなみにここにいる人族を殺して欲しい、と言う選択は受け付けない。私自身に関わりが無い者を、私は殺さない。そう自分で決めているから」
頭に浮かんでいた三つ目の選択肢は、先に無理だと言われた。
正直言うとまだ転生して二、三日しか経っていないが、この世界が既に嫌いになりつつある。
だがせめて、このクソ野郎達を殺しさえすれば少しはこの世界も良くなるだろうとさえ思っていたのに……
俺は迷った。
もうこれ以上、痛い想いも辛い想いもしたくない。
だけどーー
「人は自由の刑に処されている」
旅人さんは唐突にそう話し出した。
「そぅ、机や椅子は物を置く為、座る為に生みだされているでしょう?? ちゃんと生まれた目的が決まっている。だけど人は決められていないわ。それは自由と言えるかも知れないけれど、生きる目的が決まっていないからこそ人は迷い、そして迷いは人を苦しめる」
「自由なのに……刑……」
「そぅ、私は長い間、世界中を旅しているけれど、獣人族であろうと魔人族であろうと人族も含めて皆、同じ刑に処され続けているわ。そして迷いと言う苦しみから逃れる為に、権力を持つ者や信仰といったものに縋り、自由を自ら手放す人々を沢山見て来た」
「自由を……手放す……か……そうかも、しれませんね」
「貴方に一つ教えてあげる。私もまた刑に処された一人であり、あれに縋った結果、大切な者を失ってしまったのだから……」
彼女の目は、少し悲しそうな気がした。
旅人さんも俺と同じ様な辛い事があったんだろうか??
彼女の話は哲学的で難しいけれど、俺には何故か今知る必要があるような気がする。
「君は今まで、君自身の人生を生きてきたかい?? もしそうでなかったなら、誰か君の人生を生きてくれた?? 自分で自分の生き方に覚悟を持ち、選択し続け来たのならここで終えるのも良いだろう。だけど、自分の人生をまだ生きたことが無いのなら、今から生きなさい」
全身鳥肌が立った。
自分の人生を振り返る。
俺は俺の人生を生きていたか……いや、家族や友人や社会が言っている生き方が正しい事だと思って生きて来た。
よく考えもせず、他人の人生を生きていたんだ。
そして、誰も俺の人生なんて生きてはくれなかった。
当たり前だ。
出来るはずなど無い。
俺は何も考えていなかった。
いや見えない普通に浸かっていただけだ。
あぁ、そうか……
神様に、馬鹿認定される訳だよ。
それ程までに俺は……大馬鹿者だったんだーー
「そぅ、決まったようね。なら、答えを聞こう」
この日、この時、この瞬間、俺は自分の人生を自分で生きると決めたんだ。