第47話 深淵の魔女
森の暗い影から、何者かがこちらに向って歩いて来た。
足音へ耳を澄ませば、おそらく一人ではない。
やがてそれは、星花の明かりが届く場所まで来ると、いよいよその変貌が映し出される事になった。
膝まで長く伸びる黒衣は、医者や研究者などが着ているような形状ではあったが真っ黒、その下にあるのは艶めかしいメリハリのある体付きと、さらに長い紫髪を後ろで一つに纏める姿は、知的な雰囲気を彷彿とさせた。
だが、その表情はとても冷たく、何処か不気味さを感じる美女だった。
一つだけはっきりしている事と言えば、頭から生える二本の角で、初めて目にしたが、話に聞いた魔族という種族なのだろう。
後にいたもう一人は、ツカツカあるく魔族の後を、置いて行かれないよう慌てて付き従う少女だった。
身長的には俺より少し小さい程度で、年齢もそう違わないような気がする。
同じく頭には魔族であろう角が生えていたけれど、見ただけで酷い扱いを受けているのは容易に想像出来た。
少女のワンピースっぽい簡素な服は黒ずんでズタボロ、汚れた髪もボサボサに伸びて、顔もよく見えない程だったからだ。
嫌な記憶が蘇りそうで不愉快だ。
その時だった。
突如辺り一面の空気が変わり、後方から猛烈な殺気が押し寄せた。
(こ、これはじぃちゃんか!?)
《深淵の魔女よ、何用じゃ……》
普段のひょうきんで明るい声とは違い、とても冷たい声でじぃちゃんが問い掛けた。
「久しぶりに会ったと言うのに、随分な挨拶だな魔王樹よ」
俺やファミリアのほとんど、この重い殺気に触れまるで動けないというのに、深淵の魔女と呼ばれる女は平然と真っ直ぐ歩く。
ただ、付いてきた少女は息をするのも苦しそうで、置き去りにされたまま、うずくまってしまった。
深淵の魔女もそれに気付き、ピタリと足を止め振り返る。
「……この実験体も使えない。興味本位に作ってはみたが、危うく大事なチャンスを見逃すところだった」
魔女は突っ込んでいたポケットから手を出すと、いつの間にか少女の首元から半透明な鎖が魔女の手元へと継っていた。
ひとたび魔女が手首をひねると、吸い込まれるように少女は引っ張られ、目の前にさらけ出されると、無表情だった魔女の顔が醜く歪んだ。
「ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミーー」
地面にうつ伏せのまま蹴られ始める少女。
「あぅ!! ゲホ!! あぅぅ!!」
「な!? やめろ!!」
俺は思わず声を出していた。
魔女の首がぐるりと奇妙に周り、その双眼が俺を見詰めた瞬間。
「ぐ!?」
赤く光り濁った目が合うと、息が止まった。
(ま、不味い不味い不味い不味い!!)
蛇に睨まれたカエルの如き絶対的な格の違い。
全身の毛穴が泡立ち、死の恐怖を直接脳にぶち込まれたような感覚に、今にも気を失いそうになった。
ドォオオオン!! バキバキバキッ!!
しかし、目の前の地面からじぃちゃんの木の根が壁のように現れ、金縛りのような絶望的恐怖から、なんとか解放された。
「はぁ!! はぁ!! はぁ!!」
今の一瞬だけで、身体の水分が全て出てしまったかと錯覚するほど汗が吹き出す。
《聞こえんかったかの?? 何をしに来たと聞いておる。遊びに来た訳ではあるまいて??》
じぃちゃんの大きく紅い目が徐々に開くと魔女を見詰めた。
「そうだったな。魔王樹よ、その花は禁術であろう??」
醜く歪んだ顔はスッと元の無表情に戻り、何事も無かったように淡々と会話が再開される。
「ここ一ヶ月程、妙な気配を感じてな。使い魔を放ち、その原因と観察を続けていたが、途中で私なりに推察した結果、それはソーマだと結論付けた。違うか??」
《……なんの事じゃろうの??》
「くっくっく。冗談は好きじゃないが、今のは面白かったぞ。まさかこの世界に、私の知る方法以外でソーマを作れるなんて、さすがエンシェントを冠するものと言ったところだ」
《花を見に来たのなら、もう用は無いじゃろう?? 帰られよ》
「随分冷たいじゃないか。淑女に対してそれは余りにも失礼じゃないか?? それに貴様も分かっているだろう?? 私がどういう存在か……」
《ほっほっほ、お主こそ酷い冗談じゃのぉ。何処が淑女じゃ。むしろ淑女なところを探す方が大変じゃ。それにこれは、我が息子への贈り物じゃ。誰にも渡さぬよ。誰にものぉ……》
「言ってくれるじゃないか。私は『強欲』の所有者ではあるが、馬鹿な先代達のような愚か者ではないつもりだ。今日来たのはそこにあるソーマを、研究の為に譲って欲しいと頼みに来ただけだ。無論、対価として、こちらの用意出来る物は提供しようと言うのだ」
《ほっほっほ、嫌じゃと言うたら??》
「交渉が駄目なら、私は私の目的の為に力で……ウバウトシヨウ」
魔女の足元からは、沼のような蠢く闇が広がって行く。
あれはただの闇じゃ無い、そう思った。
なぜなら、あれに触れるな近寄るなと、本能が悲鳴を上げるほど禍々しい何かだからだ。
《仕方無いのぉ。年寄りに骨をおらせるとは、とんだ迷惑な客じゃわい。むぅ!? 骨は無かったの!? ふははは!!》
いつもの調子でそう言うと、じぃちゃんの根本からは深緑の光が広がって行った。
深緑の領域と闇の領域が打つかり、俺には到底理解出来ない戦いが始まった。
《はぁ、爺……減点ですね。ファミリアの中で動ける者は下がりなさい!! 巻き込まれる前に迅速にね。動けない者は私が回収するから下手に動かないでその場にいなさい!!》
ヒスイ姉さんはどこか手慣れた感じで、テキパキと周りを避難させていき、俺も急いで避難しようとしたけれど、一緒に来ていた少女が目に入った。
「あ゛ぁぁぁぁぁ!!」
魔女が作り出した禍々しい闇の内に入り込んでしまった少女は、頭を掻き毟るように抱え、悲鳴を上げて悶えていた。
あの日、あの時、あの瞬間、助けられなかった少女の記憶、何も出来なかった無力な自分がフラッシュバックする。
もう……
もう、あの時と同じ思いは、したくないんだよ!!
『グロウ』
少女付近にある植物の根を木属性魔法で操り、助けようと試みたが何故か上手く行ってくれない。
まるで魔女の闇に邪魔されているかのように、魔法が上手く発動しないのだ。
(クソッ!!)
「木の魔法を使う人間か……いや、ちょっと違うのか?? 珍しいモノを飼っている。面白い、この小僧も持って帰ってバラすとしよう。どうだ?? 自分で付いて来くると言うのなら、褒美に麻酔を使ってやっても良いぞ??」
「ふざけるな!!」
《エントよ!! 離れておれ!!》
「くっくっく、イキが良い。それにーー」
突然、視界から魔女が消えた次の瞬間に、耳元から囁くような声ーー
「この小僧と交換なら、交渉出来るのかなぁ??」
ガシッ!!
後ろから千切れそうな力で首を鷲掴みにされてしまう。
「ぐぁあああああ!!」
《エント!!》
苦痛で歪む視野には、追い打ちを掛けるかのような恐怖がそこにあった。
さっき、あそこにあったものが、徐々にこちらへとやって来ている。
(駄目だ、あれは良くないものだ)
「さて魔王樹よどうする?? こんな幼い小僧に、深淵を味あわせたなら、どうなるかな??」
《お主……本気で消えたいらしいのぉ》
もはや足元近くまで、蠢く闇が迫って来ている。
「い、嫌だ……嫌だぁあああ!!」
キィイイイイイイイイイン!!
激しい金属音と供に、目の前が眩しい光に包まれた。
「そぅ、なら助けるわ」




