第159話 使命
風も吹かぬこの不思議な空間で、何故か凛と鳴り続ける身の丈程の白い鎌は、端から端までが一点の曇りもなく白い。
時の瞳を生け贄に捧げ、俺に残された召喚時間は僅か十秒。
一瞬でも気を抜けば意識をもって行かれそうなのを必死に耐え、白鎌を握り締めると魔女へと足を進めた。
【そ、そんな……馬鹿な……やめろ……やめろぉおおお!!】
起こり得ない事態に身の危険性を感じたのか、慌てて逃げ出そうとする魔女を、地に附した旅人さんがその足を掴んだ。
【このぉおおお!! 離せ、離せぇえええええ!!】
這いつくばる彼女を狂ったように蹴り始めたけれど、もう遅い。
「俺は貴方に感謝しています。それは、ナナを生んでくれたから……」
【だったら私をーー】
「ーーだけど、今のこの世界には……これからのアデナには、貴方が持つその膨大な魂が必要だ……だから、返して貰います」
【おのれぇええええええええええ!!】
ザシュ!!
俺は全身全霊を込めて白鎌を振り抜いた。
それで斬った傷跡は、不思議な力によって魔女の存在全てを対象に、徐々に吸い込み始めた。
【あ゛……あぁ……ぁあああああぁああああああああぁああああああああぁああああああああぁああああああああぁああああああああぁああああああああぁああああああああぁああああああああぁああああああああぁああああああああぁああああああああぁああああああああぁああああああああぁあああああぁああああああああぁああああああああぁああああああああぁあああああああああああ………ぁあ……ぁ……】
断末魔の声はやがて消え去り、この世界から深淵の魔女はいなくなった。
魔女の消滅と同時に、旅人さんが創り出した『天地無法』や召喚した『死神の白鎌』は本来在るべき場所へと戻っていく。
「そう、終わったのね……」
暫くその場で倒れ込んでいた俺に、いつの間にか側に来た彼女の手を取り、立ち上がって辺りを見渡した。
あの真っ黒だった世界はまるで嘘だったかのように、今生まれたばかりの世界に想えて、とても美しい世界に感じる。
やがて彼女はヘルメスの方角へと疲れきった足を引き摺り始めたが、その背に向かって俺は言葉を掛けた。
「まだ終わってはいないんですよ」
その足をピタリと止め旅人さんは振り返ると、疑うように目を細め俺を見詰めた。
上手く笑えているだろうか。
《うひょ……頼む》
小霊でそう囁くと、うひょは躊躇うように頷いた。
「…………うひょ」
俺が俺自身が選んだ最後の使命を果たす時だ。
「ふ……ふふふ……あはははははははは!! 深淵の魔女を倒した今、この世界はもう俺のもの……そうでしょう??」
「……何を……言っているの??」
「俺は正気ですよ?? そして貴方が邪魔だ旅人さん……いや、ヘルメスの巫女アリア」
その名を口にした瞬間、彼女の目は驚きに変わる。
「遠い昔、貴方は三商人を引き合わせ、様々な手助けをしてヘルメスという居場所を創った。やがて集まって来た人々は姿を見せない貴方の事を、あろう事かヘルメスの巫女と崇め称え出した。それはこの世界で初めて神ではなく、人々が自ら生み出した巫女だった。そう、貴方の存在はこれから支配するヘルメスでは邪魔でしかない」
予定外の事態に、未だ動揺するアリア。
きっと俺にヘルメスを任せ、陰で同じようする予定だったんしょう??
でも、させない。
「貴方の優し過ぎるが故に決断し切れないその顔が嫌いだ。重すぎる運命を背負い、全部抱え込もうとするその姿勢が嫌いだ。この世界を誰よりも想い、人族、獣人族、魔族の全てを愛し……そして、何も守れない。そんな貴方が大嫌いだ」
「……貴方は分かっていない」
分かりはしない。
だけど、俺は過去を知っている。
アリアの妹が不幸にも人族の巫女に選ばれたのが悲劇の始まりだった。
他の種族を滅ぼさなければならなくなった妹、それを必死に止めようと力を求めた末、ロンギヌスの槍を手に入れた。
だが、求めた力を手にしてアリアは気付く。
何かを助ければ、何かを捨てる事になるという事を……
それは彼女にとって、更なる絶望を与えたに違いない。
アデナを救おうとすれば、必然的に種族を選択しなければならない。
一つの種族を選べば、他の種族は救えない。
まるで自分の尻尾を喰らい続けるメビウスのように、答えの出口は無かった。
そして、決める事を決めない選択をしたアリアは、何十年、何百年と必死に世界を調律して周り、その足掻く様はとても愚かで、情けなくて、切なくてーー
そんな貴方が報われない世界なんて……可怪しいじゃないか。
ガルルルルル!!
突如、背後から聞き覚えのある唸り声。
「エント、ヘルメスをどうするつもり??」
彼女はロンギヌスの槍を呼び出し、ビュンと一振りすると臨戦態勢を取った。
「そんなの決まってるじゃないですか。俺が気に入った者だけを生かし、後は全員殺します」
(ここまで言えば、もう良いだろう……)
これからのヘルメスに必要なのは俺じゃない。
「そう……なら、貴方にヘルメスは託せない。私は私自身が決めた約束の為に、ヘルメスを守る!!」
貴方なんですよ……アリア。
アリアの動きに反応し、先に背後から麒麟が俺に喰らい付く。
「ぐぁあああああああああああ!!」
首元から胸の辺りまでも巨大な牙が深々と身体に刺さり、鈍い音と共に激痛が走る。
そして、身動きが取れなくなったところを、ロンギヌスの槍先が俺の心臓へと迫った。
ドシュ!!
「……げほっ……アリアさん……」
彼女が握り締める光の槍にゆっくりと俺の血が滴っていく。
うひょに終わりの合図を送ると、彼女の瞳を見る。
「いつから……気付いて……」
「そう、君が嘘を付く時は決まって悲しい目をするから……」
「……アリアさん……ヘルメスを……みんなを頼みますね……」
初めて見せる困った子を見るような微笑みは、とても優しく、とても綺麗だとそう想った。