第101話 覚者
仰向けになっている私の上に跨がり、窓から差し込む僅かな月光が、黒い箱から除く二つの瞳がギラリと光る。
この声、瞳はナナちゃんに間違いない。
(な、何故こんな事を!? それに、どうして振りほどけないの!?)
渾身の力を込めてもビクともしない。
「あはは!! 驚いてる!! パンドラさんは力自慢だもんね」
『いいから手を離して!!』と叫びたいが、きつく締められていて声も出ない。
ギリギリ息が出来る程度で、加減されている気がする。
「至った私にはまるで及ばないよ」
まるで、悪戯している子供のようにニコニコと笑う為、私は怒りに任せて彼女を睨み付けた。
だけど、彼女は気にも止めず話を進める。
「ナナは迷ってるの。貴方をどうするか。エント兄さんもか弱いけど、そこは私が守るから問題ないんだけどね……」
ナナちゃんはそう呟くと、ゆっくり被り物を脱ぎ捨て、急に顔を近付けて瞳が飛び出るかのように大きく見開きながら激しく罵ってきたのだ。
「あんたみたいな弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱いグズを、兄さんが庇って死んでもしたら……ユルサナイ……許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない!!」
まるで違う様子になった彼女は、話し方だけではなくその瞳は酷く濁って血走り、あまりの異様さに恐怖した私は、危険本能なのか全身から汗が吹き出した。
あの可愛らしく、元気いっぱいのナナちゃんとはまるっきり別人で、理解が追いつかない。
そして、やはり『何故』という言葉が頭をぐるぐる回遊しだす。
「はぁ……この人またパニックになってる……」
バシッ!!
(痛い!!)
残っていた方の手で私の頬を叩き、耳元で『良く聞いてね』と笑顔で囁くのだ。
「……私は深淵の魔女に作られた実験動物だったの。血を抜かれたり、刃物や魔法での痛い実験は日常茶飯事だった。普段はまともな食事を与えられず、空腹が当たり前。でもたまに、どれだけの量が胃に入るかって実験は、口や鼻から溢れるまで入れられて嫌だったなぁ。その時の私にはそれが普通だった。今思えば地獄と絶望に満ち満ちているって感じだったかな??」
ちょっと昨日、嫌な事があった的な軽い雰囲気で話す彼女はやはり異様に思えた。
「そんなある日、運命が変わったの。魔女に実験がてら連れられて、あの森でエント兄さんに命を助けて貰った。それだけじゃないよ?? 兄さんは私を引き取り、生きる喜びも、生きる目的も、生きる方法も教えてくれた。私に名前まで与えてくれた……」
彼女は何処か遠くを見詰め、頬を赤く染め上げて過去の記憶に浸っている様子。
私は細かくは知らないけど、彼の胸の辺りにある紋様について聞いた事がある。
彼はナナちゃんを救った時の勲章みたいなものだと、恥ずかしそうに笑っていたけど、あれは魔女契約と呼ばれる一種の呪いだと私は知っている。
それも深淵の魔女との契約なんてーー
「だから、私にとって兄さんは全て。兄さんが世界を救いたいならそれで良い。兄さんが世界を壊すならそれで良い。私にとってこの世界や神、ましてや種族同士の争いなんてどうでもいいのよ。こんな世界より、何かを救う事も出来ない神なんかより、兄さんこそが私の絶対。そう、私は兄さんが少しでも幸せになれる為の存在であればいい。だけど、兄さんはか弱く、優しい。考え過ぎな所が玉に瑕だけど、不器用なりに努力して藻掻く兄さんがとても愛おしい。でもーー」
「グッ!?」
ギチギチと更に締め付けが強くなった。
「その優しさに甘えて、蛆虫の様に集る者は決して許さない……」
「や゛……や゛め゛……」
「エント兄さんは、貴方を大切な仲間として……嫌……それ以上の気持ちに変わりつつある。私にはわかる。でもね?? それに甘えて何もしない!! 何も気付かない!! 何も変わらない!! いや、変わろうともしていないクズ女なら、ここで消して置かないとね!?」
いよいよ意識が遠くなる中、私は気付いた。
ああ……そういう事なのね……
エント君は優しいから、私が出来なかった事ではなくて、これから出来る事に目を向けるよう説得してくれた。
ナナちゃんはそれとは真逆で、私の駄目駄目な部分をストレートど真ん中に駄目なのだと、逃げ道などまるで無いのだと、強烈に責めてくれているのだ。
勿論、彼女自身の目的に沿った本音なのだろう。
でも、彼女からは僅かに別の意図も感じた。
『貴方はそんな程度なの!?』とーー
私は肺に残っていた最後の空気を使い感謝した。
「あ゛……ぁ……り……が……と……」
もう駄目だと思った瞬間、首が千切れそうな力から突然解放された。
「ゲホッ!! ゲホゲホ!!」
「……パンドラさん」
新鮮な空気を欲するまま、ゼェゼェと音を立てて呼吸する中、彼女の声が聞こえる。
「次はない……からね??」
そう言うと、ベッドから降りて部屋のドアに向かったが、ピタリと足を止め、振り向きざまにこう言った。
「今日の事は女同士の秘密ね? あと、私が手にしたこの力の事も内緒よ?? この力は兄さんにはまだもう少しかかると思うけど、兄さん自身で到達して欲しいから。貴方も早く『覚者』に至らないと、只のお荷物だから処分しちゃうよ??」
もう、いつものナナちゃんの笑顔がそこにあった。
「ま、ゲホゲホ!! 待って!! か、覚者ってなんですか!?」
私はもう進むしかない。縋る思いでそう聞いた。
「ん〜〜パンドラさんには兄さんの為に強くなって貰わないとだし……うん!! ヒントだけあげるね!! 簡単に言うと、こう生きるんだって覚悟を決める事……かな??」
「え?? そ、それだけなんですか!?」
そんな事で、人は突然強くなれるのだろうか??
疑問が飛び交う中、ナナちゃんは扉の取っ手を掴むとこう言ったのだ。
「魂に刻むんだよ」




