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常世の君に懸けて  作者: じゅるり
7/11

剥奪と誉

 按腹(あんぷく)するほどの余裕は無くとも、不可逆の喪失感には何処と無く快感が伴うものである。

 一つまた一つと堕ちるところまで堕ちてしまえば、旋回する無限の域へとたどり着く。


 石臼を回すような音、ひどく不安になるような音がスズの内側から響いた。何も比喩などでは無い、現にスズの体は、姿は、性質が変貌を遂げようとして歪み、軋むのだ。

 墨染の目は獲物や害を為す者を見つめる森林に潜む獣眼(じゅうがん)へと変わる。堰堤(えんてい)が決壊し、澱んだ雨水が溢れ出すように、ヘイトに満ちた歯牙をむき出しにして仕舞えば立派に"ヒト"を辞められる。

 スズの容姿が草原のような豊かな毛並みを持つ猛獣へと変わるには、あまり時間はかからなかった。


「キメラか。」


 所長は呟く。

 合成獣とも呼ばれるキメラは、不老不死同様夢を見ても叶えてはいけないものの一つである。そもそもなぜ叶えてはいけないのか。

 既知できぬ超自然的現象、神秘とは両価的なのである。全容が見えず、故に覗き見たいという憧れと同時に掴み所の無さに抱く畏怖の念。故に喰らいたいと、もしくは嬲りたいと、そう思うのは仕方の無い事である。

 しかし奢りなのである、神秘に潜むものを暴きみようなどいう事は。

 何れにせよ生も死も与えられるものである。我々が操作してもいい代物ではないのだ。ただただ、知性を持ってしまった私たちというものはオブサーバーとして立ち尽くしているべきだった。


 どれほどに対にあたる二点を結ぼうと、それは円になり得ない。夢は、現実になり得ない。否、なってはいけなかった。神秘を、生き物を、人間を冒涜してはいけなかった。

 カルマはそれらを実に実直にこなしてくれた。不老不死や合成獣などというものは随分と神秘と人間を侮辱してくれたものである。

 だからいわゆる秩序を重んじるシャルマこと所長は爪を噛んだ。

 喰われ、嬲られて全て暴かれた彼女は、安寧(あんねい)が脅かされた象徴であるようにさえ見えるのだ。そして生まれてしまった脅威は波となり、徐々に世を侵食していく。


 小さくも清廉としていたスズは、今や狼や豹のような風貌で爪や牙を持つ。そして何よりも特徴的なのは、汚れきった人生を歩んで来た彼女の恐ろしいほど穢れのない白さだろう。

 ヤナは気づく。

 彼女が、2年前にサクラを食った。彼女が、サクラを殺したのだ。


 スズの姿を見て、今まで疑問だったサクラの場違いじみた死に様の合点がつく。彼女の死因は、銃弾に貫かれたものでも薬による中毒死などでは無かった。首元や腑を抉られるように咬み裂かれていた。

 辺りに散った血痕は、さながら彼岸花のようだった事をヤナは鮮明に覚えている。そして自分の体を、肩を噛み砕いたのも彼女で間違い無いだろう。


「サクラを殺したのは...君なんだね?」


 ヤナは立ち尽くす。しかしスズはウルルと唸り、何も言わない。ヤナは謝罪ないし弁解、せめて一言でもいいから何かをスズに求めたかった。


「何か、何か言ってよ。」

「…ヤナ?」

「君が、君が...」

「落ち着くんだ、ヤナ。」


 所長が動揺を隠せないヤナの肩に手を置く。が、ヤナはそれを払い、後に身を引く。その顔は青ざめ、悪い汗が首筋を伝っていた。

 今まで可哀想な子だと、助けてあげたいと彼女は思っていたが。


「私、君と…………」


 震えた声では最後まで思いは言えず、耐えられずにヤナは部屋を飛び出す。今はもう、スズについて責任や想いを感じたく無かった。


 所長が後を追いかけ廊下を出るが、すでに彼女の姿はどこにもない。怪我をしていたとはいえつい数ヶ月前までヤナは一隊員として前線を駆け抜けていたのだからやはり足が速い。思わずそう感心してしまう。

「まったく。」と呟きながら所長は振り返る。そして息を飲む。目前にいるスズの形容しがたい有様に、純粋に驚いたのだ。

 鼓動が響いても部屋に消えるだけ、呼吸をしても虚空へ溶けるだけ。これほどまでにひとりぼっちな生き物を見た事がなかったのだ。


「やっぱり、こんな姿だから。こんな姿だから、やっぱり。」


 スズは毛むくじゃらに人を逸脱した手を眺め、ニヒルに笑う。

 所長は、居たたまれず今にも消えてしまいそうなスズの下に寄り、頭を撫でた。魔女は無垢な子供の姿を借りて顕在すると言われるが、惑う惑わされる以前に所長の中の人間が、まだ子供の彼女を憐れんでいた。


***


「サクラの話は聞いてるか。」

 しばらくの沈黙の後、仕切り直して椅子に座る所長がベッドに横たわるスズに尋ねる。未だスズは獣のような姿をしているが、どうも今はそちらの方がいいらしい。

 さしずめ相変わらず用心深く、いつでも身を守れるようにそうしているのだろうと所長は踏む。


「前に。ヤナの友達で、死んじゃったって。」

「そう。サクラは2年前に君が最初にいた施設に向かった私の部下だ。けどそこには居ないはずの猛獣に噛み殺され死んだよ。まあおおよそ、サクラを殺したのは…………」

「…………わたしは知らない。知らない。」


 スズが身の潔白を主張しようと何度も首を振る。


「まあそれは後で話そう。ひとまず、ヤナが部屋を飛び出した理由は、君がサクラを殺したと知ってしまったからだ。」

 不服そうにスズは一度尾を揺らす。

「…………でも、そのサクラって人もヒガを殺したんでしょう?」


 所長は頷く。

「私が、そう命令したからね。」


 スズは上体を起こし、1、2秒の間の後に鼻をヒクつかせる。

 なぜ。そう尋ねたかったが、言うより先に所長が話す。


「この世には見ていい夢と悪い夢があるんだ。不老不死、キメラ…それらを完成させる彼女もまた、同等に叶ってはいけない夢だったからだよ。」


 …………なぜこの人はここまで、不秩序を許してはくれないのだろうか。

 異形なものを切り離そうと努める彼女に困り果て、悩み、スズは幾度か咀嚼した。


「…………叶ってはダメなら。ヒガは、わたしはあってはダメなの?

 つまり産まれてきてはいけなかったの?」


 先ほどのひどく可哀想な姿に気を囚われてはいけない。一時の気の揺らぎが大波となり今後に影響するやもしれないと、今一度所長は深く息をする。そしてスズを見定めるべく心を静かにする。

 所長は頷いた。

「残念ながら。思わしくは無い。」

 スズは愕然として所長の顔を見上げた。

「どうして。」

「秩序を、君に分かりやすくいうのなら私達の安らぎを果たして奪われたく無いからだ。カルマが、ヒガが何をしたか君が一番わかっているだろう?」


 スズは何か言おうとしたが口を噤む。所長は続けた。


「子供の集団なんだカルマは。我儘で欲張りで、手に入らなければ手に入れるまでよとなんだってする。ネズミだけじゃ飽き足らず自分たちによく似たモルモットを求めて、君のようなものを無作為に探して連れ去っては、」

 抑揚の富んだ所長はスズを睨む。そして

「殺すんだ。夢で犯して。」

 そう泡が消えるような声で呟いた。


 永遠にも似た僅かな時間の中、氷の張ったような静けさが広がる。

 部屋の空気が沈むその中で、健気に所長の言葉を拾い集め繋ぎ、スズは所長の言葉を理解した。

「こわいの?」

 腕を組み、目を閉ざしたまま所長は頷く。


 結局そうなのだ。怖いのだ。明日は我が身かもしれない事やヤナのように友を失う事が。シャルマはその不安を拭い去るために所長が、サヤが一代にして築き上げた。


 スズは同情して少し耳を下す。

 無表情という隔たりや見栄が無く、心境が分かりやすい点では人よりも獣の方がよっぽど素直で良いだろう。が、所長は同情などはされたく無い。だから手のひらを一度打ち、乾いた音を部屋に響かせた。


「もう十分だろう。さて、今度は君の話を聞こうか。まずはヒガと君との関係を教えてくれないか。」


 二度目の仕切り直しである。スズにとってもどうしようもない空気をどうにかしてくれた方が、逃げ場のない静寂に身を置かれているよりもずっと心がマシだった。

 スズが話す。


「…………ヒガだけだったの。話しかけてくれたのが。」

「例えば何を言ってたんだい。」

「…よく言ってたのは、『君は僕の夢だ』って事。あとは調子はどうとか。もし不老不死とかエリクサーの事を聞きたいなら、残念だけどそれは本当に何も知らないの。」

「なら仕方がない。他は?」


 一度スズは深呼吸をする。それから奥歯にものが挟まったように、何か言いにくそうに数回咀嚼した。


「…………その前に約束して。」

「なんだ?」

「血でも細胞でも臓器でも、望むなら取ってもいいけれど。これだけは、絶対にわたしから取り上げないで。」


 所長は薄く笑う。

「何もここはカルマでは無いのだから、気軽にあれこれ奪う事は無いが。いいだろう。」


 常に何かをするたびにひどく勇気を必要とする彼女ではあるが、スズは…………彼女は最後の意を決する。

 一度目は真面に息ができるかを、二度目は真面な声が出るかを確かめて小さく口を開き、そして三度目で告げる。

「色々教えてくれたりするから言うの。

 わたしは、わたしのほんとの名前は、マシロ。」

「なるほど、君に名前があったんだね。誰から貰ったんだい。」

「ヒガ。初めて貰ったものなの。だから取らないで。」


 ああなるほど、所長は彼女が名前を告げるために躊躇った理由がわかった。

 血肉や希望を奪われ続ける中で、数少ない貰ったもの。名前というものは。実態のあるものから無いものにまで存在し、概念を提示する。彼女が彼女であるために必要なものなのだった。


「なるほどね。」


 とっくの昔に発狂して、精神に異常をきたして人間をやめてしまいそうな境遇にあっても、崖っ淵に耐え抜いてきたのは如何なる姿であっても"マシロ"であろうとして守り続けていたからなのかもしれない。


「ではマシロ。キメラと君が知っているカルマについて教えてくれないか。」


 数年ぶりに名を呼ばれたマシロは、尾を僅かに揺らした。

「カルマも…………不老不死と一緒。いつもこの部屋より狭い場所にいて、それにヒガもあまりそれについては話してくれなかったから分からない。」

「そうか。」

「でもキメラなら、少し分かる。この姿にはなろうと思えばなれるけど、でもびっくりしてもなるの。あちこち痛いからやだったけど、不老不死になってから慣れたのかな。あまり痛く無い。」

「という事はキメラになった後不老不死になった、て事でいいんだね?」

「うん。」

「なるほど。分かった。」


 スッと立ち上がり、所長は椅子を戻す。多少なりとも得るものはあったが、渦中の中心部にいるはずの彼女からこれ以上核心に迫るような話は得られないと察したのだ。

 マシロは一度身構えたが、最後には唸る事も睨む事もやめた。全てを曝け出した後の開放感にあったのだろう、少しばかり穏やかな顔をしていた。


「ありがとう、話をしてくれて。私は部屋を出るよ。」

「ヤナは...」

「彼女はしばらくはこないだろう。その間は時々私が来よう。いいね?」


 獣の姿から人の姿に戻り、軽く伸びをしてから頷く。

 それを見た所長は、小さく手を振り部屋を後にした。


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