肥満とする流木
現状は臈たる様では無い。時間ばかりを喰い進歩のしない体たらくによもや噯気も出るまいよ。
終得ない生の円について今更何を思おう。やはり生半可に賢くなるものでは無いのだ。未熟に研いだ爪で真摯に壁を穿とうと、向こうには辿り着けはしない。
その心よ、もう降参しろ。朽ちない事が祟って、永遠の責苦に運命は落ちたのだ。そして反響に身を置く、惨めだ、惨めだと嘆く声の。
***
前日にそう言ったように今日、スズの部屋にはヤナの他にもう一人の影がある。柔くコーヒーの香りに身を包み、愛想良く微笑む女性。所長だ。
対してスズといえば、ベッドの上で慌てる様子を隠す様子も無く。ヤナを呼ぼうとする手はただ空を掻く。ヤナはスズの頭を撫で、動揺を治めようとした。
「突然でごめんね。この人は私の大事な人。スズのことをよく話すんだ。今日はスズに会ってみたかったんだって。」
むぅ、と唸るような声を漏らすスズに今一度「ごめんね」と謝り、ヤナはまた頭を撫でる。
スズは少し乱れた髪を直しながら、正気だが混乱しつつある眼差しで一度この部屋の全てを見た。何か危害を及ぼすものが、この目の前の他人以外にないか確認したかったのだ。
まったく、用心深いその性格には感心してしまう。所長は笑うようにため息を漏らし、スズの前でしゃがんだ。
「はじめまして、スズ。君の話は予々ヤナから聞いている。私はサヤ、ヤナの友達だ。友達の意味は分かるね?」
無論、今更友達の意味が分からないわけでは無い、スズは頷く。それからいそいそとスズはヤナの陰に隠れ、放っておいてほしいと所長を睨めた。
「いいね、なかなか気が強そうじゃないか。
大丈夫、いくつか質問したらすぐに出て行くよ。」
「…答えるまでずっといるって事?」
「賢いじゃないか、そういう事だ。」
げんなりと身体中に広がる鬱滞した倦怠に脱力し、スズはヤナにもたれ掛かる。
この得体の知れない人をどこかに追いやって欲しいし、それが出来ないのなら怯む自分に変わって対峙して欲しいと、ヤナに期待を抱くが。思いは届くはずもなく。ただヤナはスズを穏やかにさせようと背中を摩るだけだった。
そのなんたる擬かしさよ、居心地の悪い擬かしさ。
最早腹を括って、頷くしか答えがない。
「決心したようだね。質問はそう多くないよ。まず君はエリクサーを知ってるね?」
またか。と思い、スズは飽きる事なく呆れる。どこに行こうと、周りの興味といえばその事ばかりなのである。
「...散散聞いたから。でもよく分からない。」
「では君なりの意見を聞こう。不老不死の元凶、エリクサーはどうして出来たと思う?」
「分からない。誰もそれは教えてくれないから。」
「ヒガでさえも?」
スズは時が止まったように固まる。
刹那にして緊張した空気に、何かマズいなとでも思ったのだろう。ヤナは所長を諌めようとして手を伸ばすが、その手は虚しく空を掴む。
「ヤナには昨晩ああ言ったが、実はヒガと少し縁があってね。君が知り得るヒガの事を教えて欲しい。」
「いやだ。」
「何か不都合でもあるのかい。」
「それは...」
「君が"人をやめた"原因だから、話すのも嫌なのかい。」
スズは目を見開き、所長に鋭く冷たい眼光を放つ。いよいよ何かよくない事が起こるのでは無いかと、側で二人を見ていたヤナは不穏に駆られる。
「所長、今日はもう...」
その言葉も届かず、所長はスズに切り出す。
「ところで君は、不老不死である以前に何者だ。」
「わたしは...」
「少なくとも人間では無いのだろう?」
「...わたしの。わたしの何を知ってるの。」
「何も。君が不老不死で、"人外"である事以外は。」
今まで覚えた言葉が思い出せなくなったかのように思わずスズは絶句する。
"わたし"に他者が求めたのは、人間でない部分。認めたく無い事実だが、外堀に築き上げられた柵に自己概念は犯され、叫び疲れ枯れた喉ではもう乾いた笑いしか出るまい。
これまで体を傷つけられたところで、それはやがては日常へと昇り馴染んでしまう。しかし脆い心の核心を傷つけるには、それは十分な言葉である。
そうか、そういう事かと心の中で頷き、スズはヤナの手を退かしベッドから降りる。そして、ひどい顔で笑った。