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常世の君に懸けて  作者: じゅるり
3/11

湾曲の苦悩

 人の心のつくりを知れば、容易く組み替えられるものである。多少なりの手際と伴う素質があるなら(なお)宜しい。が、大概は難色を示す。

 加えて所謂一般の理解の範疇(はんちゅう)に含まれるためには、"真面(まとも)"が思う真面(まとも)の時を過ごさなければ不可能だろう。


 (ゆえ)に彼女の心境を知りたくとも、歪んだ胸の内は直ちに開けない事は一目瞭然である。暗帯(あんたい)のこれまでを塵と共に過ごした彼女に、一般論や普通を押し付けたところで、当てはまる事が無いのだから。

 強いていうならまだその時ではない。彼女をもしも真面なものにしたいのなら、できるだけ早急な手当てが必要だろう。


 しかし。


 人はどこへでも生きていけるように仕上がっているからこそ、彼女は苦難した。その煩わしさは果たして何故だろう。おおよそには学びつつある僅かばかしの知恵が原因である。


 彼女が言う通りにヤナはその日から行動を常に共にした。その最中(さなか)で、知り得るものをできる限り彼女へ伝えようとヤナは努めていた。


 随分と以前に足掻きの胎動をやめていた彼女にはそれらは少し刺激が強すぎたのかもしれない。外界の見知らぬ空気に触れ、(ほう)けた身内が痛みだしたのだ。文字、言葉などという知識と引き換えに、理解してしまった魂が徐々に痛み始める。


 晴れゆく真意に彼女が首を(もた)れるようになるのは、靉靆(あいたい)と棚引いていた浅薄(せんぱく)の代償である。


 その痛みは時がどうにかしてくれるかといえば、おそらく無理だろう。小さな手で覆い隠している彼女の核心には、渓谷の如く深く鋭い傷がある。もしもそれを無いものにしたいのであれば地殻変動よろしく、根本的なものから彼女を突き飛ばさなければ不可能である。


 それでもあの胎内のような狭地から曝け出した四肢は、曲形(まがりなり)にも触れるもの全てを掴もうとした。その識の扱い方はヤナが教えてくれた。


 例えば太陽。遠い線から姿を見せれば今日の初めを告げ、陽気は辺りを暖める。ただ何時迄も天上に居座る訳ではなく、やがては落ちるその代わりに月が昇り、今日の終わりを告げる。


 スズは見た目は十かそこらだが、実際の歳は分からない。老いない身に積もるは星霜(せいそう)かもしれないが、少なくとも一度も陽射しを見たことのない彼女は、ここでようやく一日を知る。


 知った事覚えた事を綴って欲しく思い、ヤナはスズにノートを与える。しかし一枚めくれば文字などそこになく。子供の落書きのが真面(まとも)に見えるほどの大量の線が敷き詰められている。それは次もその次も続いている。


 数ページを捲ってようやく文字らしきものが見えてくるが、まるで読めたものではない。ペンの持ち方も力任せに握るようであり、まるで様になっていないのだ。どうも字を書くことは苦手らしい。

 幾度(いくど)も線を引いては重ねを繰り返しているが、ペン先と共に多少の自尊心は磨り減り。代わりに物覚えはなかなかどうして良いようで、本は直ぐ読めるほどになった。


 ところで複雑怪奇で雁字搦(がんじがら)めに息が詰まりそうな彼女には、未だ空の下へ出る自由はシャルマより与えられていない。仕方が無い、未知数かつ不秩序な少女を世に放つ事で、自分たちが住まう世界にどのような影響が生じるのか計り知れない。


 シャルマは一点の慈悲よりもそれ以外の安寧(あんねい)を護るもの。水面下の不自由の理由には、多少賢くなったスズもなんとなく気づいていた。


 ............できれば振り返りたくも無いが、それは全て事実であるのだから仕方がない。

 確かに一度も陽射しを見たことの無い身体は、数年ほど前から何一つ変わる事が無くなった。

 例えば日々その細い腕に針を刺されようが切られようが、もしくは泣いても止まない暴力の雨に打ちのめされようが、一点の傷も(あざ)も残らない。


 彼女は時々、身を守るために白衣の大人に噛み付く事があった。力の限り、できるだけ強く。だから覆い纏うこの皮膚を破れば、"普通"は破れたままである事は経験した以上知っている。


 そうやって自身の異常性には薄々気づいていた。今、解るようになった本もそれには賛同し肯定する。永らく血液を流し続けて生きた者はいない。心臓を奪われて生きた者はいないと。


 何を以って生が途絶え、冷たい眠りに着くのか。


 …………嗚呼なるほど、確かにわたしというものは瑕疵(かし)である。


 スズがそう自覚したのは最近のことだった。

 きっかけは眺めた窓、それから指した扉だった。賢くなるにつれて表れる好奇心が、縄張りとしていた一室の外を見たがった。

 それは内向きだったスズを思えば際事(きわこと)ではあったが、まだ叶わぬ願いである。


「少しだけ外を見たいの。」

「それはちょっと出来ないね。窓からじゃダメかな。」


 スズが難しそうな顔をする。ヤナはその頭を撫で、なだめようとした。


「何かあるといけないし。もしスズを狙ってる人に見つかったら、ここにスズがいるってバレたら大変だから。」


「…………そう。そっか。」


 恐らくヤナの目からスズは納得したように見えたのだろう。しかしスズは自分の存在が何かしら不穏の火種になりうる事を悟る。

 延いてはまだ告げていない事実を、おおよそ誰も知らない事実を打ち明けようか悩み、そっと心底に隠した。

出来るだけルビ振りと改行を意識しましたが、読みにくい場合ご一報くださいませ



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