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常世の君に懸けて  作者: じゅるり
2/11

冴え冴えと白

 白色とは。それ以外のものに混ざりやすい反面、白であり続けるという事はそれ以外を受け入れないという色でもある。まさに少女を象徴する色だろう。

 少女が人間であろうとするならその本質上、他を受け入れなければならない。即ちは、白色でなくならなければいけない。


「おはようスズ。気分はどう?」

「............。」


 何も言わずヤナを横目に見るだけだが、それでも以前よりは幾分か良くはなったものだ。

 ヤナはベッドの脇の椅子に座る。


 スズとは少女につけられた名前だ。白く小さくか細い容姿がスズランのように見えたからと、ヤナがそう名付けた。


 名前というものは。例えば空を飛ぶものには鳥と、身にまとうものには空気と、浮き足立って跳ねまわりたくなる気持ちには喜びと............

 実態のあるものから無いものにまで存在し、概念を提示する。


 スズが数日の間呼ばれていた"アレ"や"コレ"とは不明なもの、もしくは不快なものを指し示すには実に便利な呼び名である。反面、長い間力を持つ事は無い。一点を指し示し続けるにはまるで不便なものである。


 こうしてスズという名は忽ちに少女を表した。


 スズが小さく唸る。

 シャルマがスズを保護してから数週間。ヤナといえば日々少女に強く関心を向けつづけ、癖や素振り、行動の一つ一つを観察し続けていた。


 ............あの日。ヤナがスズを見つけた日。ヤナの右肩は猛獣に噛み裂かれたような(えぐ)られた傷があった。

 痛覚とは最も強くその鋭さを意識に訴えかける。

 だがそれは、俄然(がぜん)を前にして困惑の迷路に痛みが彷徨う事がある。彼女はその異常に気付く事なく、今にも生き絶えてしまいそうな少女を抱えて走っていた。


 大方(おおかた)それが原因である。血液とは本来外に漏れ出ることは無く、よって体内を巡り続ける魂である。痛覚に気づかず帰還した後に、血を多く失ったヤナは満たされない魂のためにひどい熱にうなされた。


 現在は怪我の具合は良くなりはしたが、彼女の腕はもう胸より上には上がらない。特殊部隊などという役職柄、体は重要な財産だが、少女の救いを代償に彼女はそれを失ってしまった。


 それでも健気に役目を探し求め、ようやくシャルマが憐れみながら憎悪を向ける少女の世話兼監視を任される。

 財を費やしたと納得し、やり場の無い怒りを昇華するためにもその役目は彼女に適任だった。


 今日、ヤナは最も少女の全てに近い。睨みが語るもの、拒絶が望むもの、無言が伝えるものが何かを理解しえる者は今、彼女しかいない。


「ごめんね、少し離れるからそんな怖い顔しないで。」


 敵意は元より無いが、その意図を伝え少し身を引き、わざと大げさにスズと距離を取る素振りをする。

 そうしなければスズは不安として、血が滲むまで指を噛むのだ。ペチャペチャと音を立て、唾液と血液が混ざったようなものを舐めて。


 その自傷と自愛とが混ざり合った姿がスズを一層惨めにさせる。同時にヤナの無力さを著名に示す。その度に思うことがある。


 私には。この子に一体何ができるのだろう。


 ヤナは使い古された手帳を胸から取り出し、不信の情に睨むスズを横に、いっぱいに青いインクで記された紙を数枚めくる。


 思うに。あの陰湿に閉ざされた部屋よりかは窓のあるここの方が、少なくとも心が楽であろう。しかし目を覚ませば見知らぬ部屋。気を失っているのか眠っているのか、何れにせよその間に見える世界が変わっていただなんてよくある話ではない。


 理解、認識、了知が間に合わないかもしくは出来なかったのだろう。彼女がようやく覚ました目は全てを睨めていたが、同時にこの世の終わりという風でもあった。

 他人の足音、手の動き、視線の先に怯えては唇を噛み............


 他人の過去を定かに知り得る術は無く、全ては自身の経験論と価値観による憶測でしか他所を理解する事はできないが。


 "おそらく彼女は人嫌いである"


 この導入から手帳は始まる。


「............。」

「気になる?これ。」


 目は口ほどに物を言うとはよくいう。スズの虚ろげに眠たげな瞳は、ぼんやりとヤナの手を写していた。


「ちょっと君のことを書いてるんだ。ああ、別に変な事は書いてないよ、多分。スズと仲良くなりたいなって思って、君の嫌いそうなものとかメモしてるだけ。」


 開いたままの手帳を静かにベッドの上に置く。

 スズは三度ほどヤナと手帳を交互に見た後でようやく、傷一つ無い指先を手帳に伸ばした。

 しかし手帳を拾い上げても、スズの視線は漠然として目前を眺めるだけである。左から右へ、もしくは上から下へ動くことはない。一枚紙をめくるか触るか、それだけをして手帳に触れることをやめてしまった。

 ヤナは彼女は字が読めない事に気付く。


「............。」


 幾度かの瞬きの末、スズは乾いた唇を一度噛みしめる。


「わかんない。」

「そっか。...そうだ、じゃあ字を教えてあげるよ。」


 ヤナは手帳を手に取り、新しいページにペン先を押し当て線を引く。


 しかしスズが分からないのはそれだけでは無い。

 それ以前のもっと根本的なもの。いつも横にいて、自分を観察あるいは監視し続けている彼女の事が分からない。


 心象の焦燥に、スズは脅えて肩をすくめる。


「ううん。...ヤナが分からない。」

「私?」

「............。」


 静かに頷く。俯き加減になり始めたスズはチラチラとヤナの様子を伺うが、滲み出る臆病さと自信の無さはネズミのような日陰の小動物のようでもある。


「私の何が分からないかな。」

「...ぶたない?」

「うん。叩いたりとか、少なくともスズが思う怖い事はしないよ。って前にも約束した思うんだけどな。」


 ヤナは苦笑いをする。目を覚ましたその日から今日まで、彼女はこの約束さえも信じてはいなかったのだ。

 約束とは堅苦しく言えば契約。千切られない安寧と安全がヤナにとってあたりまえでありそれが日常ではあるが、しかしスズにとっては非日常なのである。


 是非(ぜひ)も無いとはいえ、また理解はできているとはいえ、目の当たりにするズレにヤナは戸惑う。


 一度深く息を吸い、気を取り直し話を続ける。


「ずっと不安がらせてたならごめんね。

 でもスズが思う事とか知りたい事とか、分かんない事とか言っても、絶対怒鳴ったりとかヤな事とかしないから。ね?」

「............。」


 その無言は疑いを含む。

 下を向いたまま膝を抱え込む。穢れのない白髪の影からは、時折深森に潜む獣ような鋭い眼光が見える。

 その睨みは疑いを含む。


「...そうやってヤナが...なんでいやなこととかしないとか。わたしに"ごめんね"って言うのとか。」

「そりゃあ...スズが嫌がる事したって誰も得しないし。それに私はスズと仲良くなりたいから、スズがヤダって思うなら謝るのは当然かなって思うんだ。」


「とーぜん...」


 スズは頭を悩ませる。

 確かにヤナが推測するようにスズは極度に人が怖い。それにはそれ相応の理由はあって、彼女の生い立ちを陳腐に例えるなら裏切られ続けた日々だろう。

 しかし現在までにヤナに失望することは一度もなく。その器量には邪さが感じられない。

 生まれて初めて出会ったそれがスズを混乱させる。


「............。」


 再三横目に見ていたが、顔を上げて今一度、スズは眠たげなようにも見える覇気の無い眼にヤナを納めた。


 削られた砂山に立たされた棒が一律にそこに立ち続けるのが難しいように。そのような心境にとって不信由来のこれ以上の孤立は、もはや自我を破滅させるような気さえする。


 もう、疲れた。


 スズが知りうる言葉の中で、以上の心証を表すならその一言に限るだろう。


「...やくそく、いい?」

「うん。いいよ。」


 望みに(はや)るスズのその身は、心以上に素直であり鼓動は焦る。ただ、しつこく付きまとう蕭々(しょうしょう)は未だ振り切れない。

 (つい)でに全ての時間を他者に食い潰されて来た彼女の言葉の領域は高が知れている。


「...そばにいて。」


 結局紡いだ願いは稚拙(ちせつ)であり、しかし冴え冴えとして平易であった。

 その一転期にヤナは応えて、口角をわずかに上げる。

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