肉球戦隊・にゃんにゃんニャー!
今日は、映画「肉球戦隊・にゃんにゃんニャー!」、クランクインの日だ。
ここは、猫たちが暮らす、にゃんにゃん王国。
お隣は、犬たちが暮らす、わんわん帝国。
二つの国は、仲が悪い。
われわれ、肉球戦隊・にゃんにゃんニャーは、しょっちゅう喧嘩を売ってくる、わんわん帝国のパトロール隊・ばうわうワンから、我が国の平和を守るため、日夜戦っているのである──。
どうも。川井実彦っていいます。スーツアクターやってます。
スーツアクターってのは、一種のスタントマンのことで、特撮もののヒーローや怪獣の、いわゆる「中の人」をやる仕事をしている人間のことをいいます。どうぞよしなにご贔屓に。
今日から映画の撮影で、今は現場入りしてから二時間。
俺はウォームアップを済ませ、台本を繰り返し読みながら、撮影が始まるのを大人しく待っていた。
──つもりだったが、つい、ぼやいてしまった。
「俺のセリフ難しいって……」
「はぁ~、その程度で? お前マジふざけんなよ、ハーレムのくせに!」
近くから、すぐさま野次が飛んでくる。スーツアクター仲間の田中だ。
「そんなんじゃねぇし、俺の背が低いからってだけだろ! ったく、他人が気にしてることを何度も何度も……てか、お前らこそ贅沢なんだってわかってんのか!?」
「ハッ、どっちが!」
なんて言い合っていたら、急に回りがざわざわし出した。
「諏訪部陸央さん、入りまーす!」
「はざーっす!!」
スタッフの声に、誰かが叫ぶ。
おっと、主役スタントのご登場だ。
俺らも慌てて立ち上がる。
「おはようございますッ!」
「あ、どうも。おはようございます」
低い声と爽やかな笑顔で、アクター陣とスタッフの間を通りすぎていった背の高いイケメンは、パトロール隊・ばうわうワンの真ん中、わんわんブラック──いや、そのスタントの、諏訪部陸央。メジャーな役をいくつもこなしている、スーツアクター界の今をときめく実力派若手スタントマンだ。てか、俺の敵役兼相手役。
いいなぁ。俺なんか、やっと大役を貰えたと思ったら、まさかの女役だったってのに。いまいち素直に喜べない。
この差はなんだ。神様は不公平か。俺も、ばうわうワンがよかったよ。
で、なんで、にゃんにゃん王国が舞台なのに、犬が主役なのかっていうと、なんてことはない、この映画はダブル主演なのだ。
もう一人の主役は、セクシーでガールクラッシュな期待の新人女優、小々松綾音。肉球戦隊・にゃんにゃんニャーの真ん中、にゃんにゃんピンクレッド役だ。
俺は、彼女が猫に変身したときのスーツアクターを担当する。
……なんで俺が女役なのかっていうと、俺の背が女子並みに低くて(まことに遺憾である)、俺のアクションがスーツアクトレスより俊敏だから(こっちは、男だしね)。
主役は特にハードな演技を要求されるから、俺がちょうどよかったらしい。
悲しい配役だ。俺もみんなみたいに犬役がよかったよ……。
にゃんにゃんニャーの構成は五人。小々松綾音ちゃんのピンクレッドのほかに、スカイブルー、エメラルドグリーン、オレンジイエロー、パールホワイトがいる。
小々松綾音ちゃん以外もみんな若い女優で、そのスタントはもちろんスーツアクトレス。……だから俺がハーレムだってからかわれてるんだ。
ちなみに、ばうわうワンの隊員も五名。あとの残りは、シルバー、ブラウン、ダークブルー、バイオレット。
ああ、本当格好よくて羨ましい。俺もせめて男役がよかったよ……。
ま、愚痴っても仕方ない。今日から撮影だ。頑張らないと。
ストーリーは、彼女たち──違った、仔猫ちゃんたちがアフタヌーンティーを楽しんでいるところから始まる。
猫たちの特殊メイクの、可愛いこと可愛いこと。
今まで猫耳に興味とかなかったけど、本当正義だと思う。
しかもこの猫耳、なんと、彼女たちの感情に合わせてぴくぴく動くのだ。これがまた反則級の可愛さで。
どういう仕組みか知らないけど、可愛い。とても可愛い。
それから、ちょこんとした鼻に、ふよんふよん揺れる猫ヒゲ。こちらも猫っぽくてすごく可愛い。
しっぽも五人──じゃなくて五匹でそれぞれ違う。
小々松綾音ちゃんのしっぽは、くるっとS字にもたげたお洒落しっぽ。
ほかの子のは、ピンと立ったおすましテイル、愛嬌たっぷりのふさふさしっぽ、ラッキーテイルの鍵しっぽ、ポンと弾むボブテイル。
みんな可愛い。
そして、肉球戦隊の名に相応しい、可愛さ爆発の肉球。
色は、もも色、みかん色、黒みつ色、つぶあん色、アポロ柄。
彼女たちがマカロンを摘まんだり、ティースプーンで紅茶を混ぜたりすると、つやつやぷにぷにの肉球が見え隠れして、心がずっきゅーんと射貫かれる。
可愛い。とても可愛い。
……さっきから可愛いしか言ってないけど、ほかに言わなきゃならないこともない。
この映画は、小々松綾音ちゃんのデビュープロモーションの最後を飾る一作。反則級の可愛さを、反則技で押し売ることが大事なのだ。
俺も少しでも名前を売りたい。頑張ろう。
アフタヌーンティーが終わった。
くつろいでいたにゃんにゃんニャーたちは、王国の異変に気づく。
わんわん帝国より、ばうわうワンが襲撃してきたのだ。
「わんわんブラック役、大貫諒一さん、入ります!」
わんわんブラックの主演俳優は、演技派で有名な大貫諒一さん。
俺たちと比べて少し年上だから、役作りに苦労されたと聞いている。
俺はアクションシーンで大貫さんのスタントと対戦する。何か参考になるものがあるかもしれないから、見学しておこう。
俺らスタントは、俳優たちの演技や癖を見て覚えなきゃならない。だから彼らの見学は大切だ。
自分がスタントをやるとき、本人に似ていないと、というか、あたかも本人がスーツに入っているように見えないといけない。姿勢とか、走り方とか、俺の場合なら髪を耳にかける仕草とか、猫になったとき同じようにやる必要がある。
シーンは猫と犬の喧嘩。
「──卑怯者ぉっ!」
ばうわうワンが放った、またたびボムにやられていく、にゃんにゃんニャーたち。
ついつい手に汗握って応援したくなってしまう。頑張れ、負けるな、可愛い!
そして「もうだめにゃあぁぁ」の台詞回しが、さすが小々松綾音ちゃん、セクシーだ。
「こ、これでもくらいにゃさい……えいっ」
「お前ら、釣られるな! ……釣られるなって言ってるだろ!」
フラフラしながら、にゃんにゃんピンクレッドがフリスビーを投げた。
フリスビーを追いかける、ばうわうワンたち。さっきまでの格好いい犬が台無しだ。面白いけど。
一人だけ、なんとか踏みとどまったわんわんブラック。とても怒っていて、鼻筋にシワを寄せている。
「そっちがそうくるなら、これで勝負だ!」
「望むところよ!」
おっ。もう少ししたら、変身シーンが始まるかな?
そういえばだけど、小々松綾音ちゃんたちは、半分は人間で半分が猫、両者混ざったビジュアルをしている。動物の魅力を取り入れた人間といった感じで、無邪気にも小悪魔的にも見える。ファッショナブルで、ミステリアスだ(つまり可愛い)。
一方、俺たちが演じるときは、完全にアニマルスーツの中に入ってしまう。人間の英知と動物の身体能力のいいとこ取りのハイブリッド型っていうのかな。神通力をまとった獣状態が、神話的で、ファンタジカルなのだ(格好いい)。
このへん、映画だからめちゃくちゃ力が入っている。
さて。
さっきから同じ場面の繰り返し。待機は慣れっこのスーツアクターだけど、さすがに待ちくたびれてきた。
このシーンでは、仔猫ちゃんたちが「フシャーッ!」と怒る。
監督が猫の表情を忠実に再現したいらしく、瞳孔の具合を変化させるためにカラーコンタクトレンズを何度も付け替えるのだ。
なのでとても時間がかかっている。
小々松綾音ちゃんのもともとの猫顔効果もあるだろうけど、それにしても見事だ。CGが要らないんじゃないかってくらい、今で十分猫っぽい。これがスクリーンではどう化けるのか、楽しみにしておこう。
それにしても監督、元気だ。一人、役者班とCG班とスタント班を飛び回っている。
この映画は、アウトレットモールを貸し切っての撮影だから、かなりの日数制限がある。特に俺たちスーツアクターは、基本的に影武者扱いなので、失敗して時間を使うのはご法度だ。
気合いを入れて頑張ろう。
……と意気込んでいたら。
「あの、少しいいですか?」
イケメンボイスに話しかけられた。
「集中してましたか」
「あ、いえ……。合わせておかなきゃと思っていたので、こちらこそ、どうも」
「よかった」
俺は今、諏訪部陸央と話している。諏訪部は、大貫諒一さんのスタントだ。
……正直、俺みたいな下っ端、スルーされると思ってた。
いくら今回の主役スタントっていったって、無名だし、女役だし、相手の諏訪部は超忙しいし。
でも一応お互いプロだから、やる前に少し殺陣とか確認するくらいかなとか思ってた。
なんでこんなことに? てか、背ぇ高っ。顔、整ってら。羨ましいな、ああもう。
「おま……諏訪部さんは、」
やべ。考え事してたら敬語どっかいっちゃった。
「あ、陸央でいいですよ。ていうか、同い年じゃ……?」
「……陸央は忙しそうだな」
「実は……今朝は寝坊した。もっと早く来て、川井と合わせたかったんだけど。僕、朝弱くて……」
……なんだよ。飾らないんだな。おもしろくない。
「あのさ、川井は──」
「実彦でいいよ」
きっと俺は少しむくれているだろう。
「実彦は、どうしてスーツアクターになろうと思ったの?」
「……ごく平凡な理由だよ。昔見てたヒーローに憧れたんだ。だけど背も伸びなかったし、ムキムキにもならなかった。ま、それで今回は役を貰えたんだけどね……。陸央は?」
「……父がスーツアクターだったんだ」
なんだ、エリートだと思ってたら、サラブレッドだったのか。
「へぇ……。そら、お血筋がよろしいことで」
おい、性格悪いぞ、俺。
でも、抜けているのか温厚なのか、そんな俺に気がつかないのか、諏訪部は話し続ける。
「家族中に反対された。父親と同じ道を辿るなって」
「……押し切った?」
「ああ。だって、遠ざけたら怖がってるってことと変わらないだろ? 僕は父さんの道を最後まで繋ぎたいんだ」
……あれ。なんか、切実?
「なんでそんなに?」
「西野秋臣って、知ってるかな」
西野秋臣。
スタントマンとかその卵で、彼の名前を知らない奴はいない。彼自身もスタントマンだったけど、何より、スーツアクターの銀幕における地位を確立した、偉人だ。彼について語りたいことなんて、いくらでもある。
「もちろん、俺が憧れた人だよ……! でも、彼は確か……」
「死んだ、撮影中の事故で。……僕の父親」
絶句してしまった。
「……あっ、そーなんだ」
取って付けたように言葉を返す。
ファンだったとか、残念だったとか、羨ましいとか、気の毒だったなとか、色々あるけど、俺たちはそんなに親しいわけじゃないから、黙ってよう。てか、初対面だし。
「父親が仕事に殺されたって言わせたくない。父さんは僕にもヒーローなんだ。僕がちゃんと働いて、身を守る技術もあるし、安全なんだって、家族に伝えたい。いつか信じてもらいたいんだ。……それが僕の夢」
……なんだよ。ちょっと感動しちゃったじゃないか。
「ああ、そうなのか」
「……あ、みんなには内緒にしてくれる? 隠してるんだ。七光りって言われそうで……」
「わかった。言わない」
「ありがとう」
諏訪部は頭をくしゃくしゃと掻いて、笑った。
俺たちはそこまでしか喋らなかった。
「肉球戦隊、にゃんにゃんニャー!」
「お疲れ様でしたー!」
仔猫ちゃんたちの出番が、やっと終わった。
撮影が後半戦に入った頃の飲み会で、田中がふざけた口調で言ってきた。
「そういや川井、最近、諏訪部さんと仲良いよな。出世か?」
なんだよ、出世って。人間関係にまでそんなもんあってたまるか。
「違うし。陸……諏訪部さんとは、別に仲良くねぇ」
「そうかぁ? お前、オレたちといるより、諏訪部さんといるほうが長くね?」
「敵役なんだから、仕方ないだろ。仕事だ、仕事」
「役得の間違いだろー? いいコネじゃん。ついでにオレたちのことも売り込んどいてくれよ! ははは」
おい、どういう意味だ。背の低い俺に降って湧いた幸運に、背の高いお前らまで便乗するってか。冗談が過ぎる。
「ただの配役に、そこまで期待すんな。てか、諏訪部さんとは、それ以上でも以下でもないし、むしろ以下! お前らこそ、他力本願してっと、諏訪部さんに仕事全部持っていかれるぞ──」
「オレさぁ、小々松ちゃんの相手役、諏訪部さんがそのまんまやっちゃってもよかったんじゃないかと思うわ。お似合いじゃない、二人?」
「あ、それオレも思った。美少女とイケメンでぴったり」
「美男美女だよな」
「あの顔でスーツ着ちゃうのは勿体ないよなぁ──」
いつの間にか、会話に置いていかれていた。
無視かよ。そんで顔かよ。
このとき俺は、みんなが俺の話を聞いてくれないもんだから、少し声が大きくなってしまった。諏訪部の思いを知っているだけに、熱くなってしまった。そして、間違った方に熱くなったと気づくのが遅かった。
「おい、だいたいイケメンイケメンって……なんだよ、スーツアクターに顔なんて必要ねーだろ! 顔で売るのか? だったら手っ取り早く俳優で勝負しろってんだ──」
「あ、諏訪部さん、お疲れ様でーす」
みんなの目線が俺の背後に集まっている。俺も後ろを振り返った。諏訪部がいた。
しまった。
翌日の撮影。
アルコールは残るほうじゃないのに、朝からなんとなく調子が出ない。昨晩の罪悪感が効いている。
どこから聞かれていたのかわからないけど、デリカシー0の発言をしてしまった。
諏訪部がスタントの仕事を選んだ理由を知ってるのは、たぶん俺だけ。その俺が言っていいことじゃなかった。
俺と諏訪部にしか意味が通じないだけに、余計に失言だ。心がズンと重い。
それにしても今日は暑い。
小々松綾音ちゃん専属のメイクさんが、ティッシュと小型扇風機を手に鬼のような形相で走り回っている。
何もこんな日に外撮りしなくてもと思うけど、スケジュールが詰まっているのだから仕方ない。
そして、今日は一番の見せ場。にゃんにゃんニャーとばうわうワンが手を組み、猫と犬、共通の天敵、オニオンモンスターとチョコレートデビルをやっつけるアクションシーンの撮影だ。
このへんもリアリティーがあるよなぁと思う。俺は猫を飼ったことがないのでよく知らないけど、玉ねぎもチョコレートも、猫にとっては毒らしい。
──仲間たちが、ばうわうワンが、次々とオニオンモンスターの刺激臭にやられていく。
にゃんにゃんピンクレッド(俺)が、軽々とした身のこなしで宙を舞う。そして、しなりをつけた猫キック。しかし、チョコレートデビルの魔光線に打ち落とされてしまった。
「にゃああああっ!」
……この俺の悲鳴は、あとでちゃんと小々松綾音ちゃんの声に吹き替えされる。ご心配なく。
なす術なく落ちていくにゃんにゃんピンクレッド(俺)。そのまま地面に叩きつけられるかと思いきや、なんと、わんわんブラック(諏訪部)がキャッチ。いがみ合っていた二匹に信頼が生まれる。
そして、見ているだけでわくわくするような協力プレーを連発し、クライマックスでは力を合わせて天敵どもをやっつける──。
「シーン71、始めまーす!」
俺は今から飛ぶ。
正直、一番危険と心配されていたさっきまでの落下シーンのほうが気が楽だった。慣れてるし、俺高いところ好きだし、一人だし。
今から飛ぶコース、そんなに距離はない。てか、諏訪部のすぐ上。少し遠くに飛び、ポーズをつけて落ちていれば諏訪部がキャッチしてくれる。なんの問題もない。
ただ、気まずい。
昨日の飲み会では全然諏訪部に近寄れなかったし、弁明する時間がなかった。諏訪部は俺をどう思っただろう? 今も、どう思っているだろう? 今日の午前中だって撮影がバラバラで、まだ挨拶すらできていない……。
「ピンクレッド、もっとブラックを意識しないで落ちてくださーい!」
監督がメガホンで叫んだ。俺は返事代わりに手を上げる。
何テイク目だろう。諏訪部を気にしてしまって、体に変に力が入る。
くっそー。何度も何度も、更に気まずい!
ここで余計な時間を使うわけにはいかない……ちょっと焦ってきた。
今まで敵で、戦ってばかりだった諏訪部と、このシーンでは一転、心が通じあわなきゃいけないのに、俺たち(というか少なくとも俺)のほうは最悪だ。
落ち着け、俺も諏訪部もプロなんだ。仕事は仕事、失言は失言! ……いや、切り替えになってねぇよ、俺……。
とにかく次で決めてやる。
助走をつけて、踏み切り台でジャンプ──前方宙返りから、小々松綾音ちゃんになりきって落下──。
──ぼふっ。……あ、うまくいった。
「……カットォォ! はい、オッケーでーす!」
少し遅れて監督の声が聞こえる。
腕の中に収まって、落下も止まって、俺はつい、諏訪部の顔を見上げてしまった。
カチッと目が合う。いや、諏訪部もスーツを着ているから生身の顔なんて見えないんだけれど、犬の顔越しに、なんとなく目が合ったのがわかった。
って、おいおいおいおい! 何ボケッとしてんだ俺? 成功したからって気まずさチャラかよ。俺はそんないい加減な人間じゃないし、諏訪部にそんな風に思われたくねぇ。たたでさえ俺に非があるってのに!
焦りというか、緊張というか、「やべぇ」という思い一色。ぶわっと、汗が吹き出てくる感じがした。今、絶対顔も赤い。マスクを被っていて本当によかった。早く立ち上がらないと──。
「あ、待って──」
「へ?」
そのとき、視界がくらりと歪んで──俺は何もわからなくなってしまった。
「──気がついた?」
人間の諏訪部がいる。
さっき、諏訪部(犬)の腕から逃げ出したはずだったのに、俺はまだ諏訪部のところにいる?
「あ、ストップ。ゆっくり、ほら、掴まって」
動こうとしたら、制止された。
なんだ? 何事だ?
諏訪部に肩を貸してもらい起き上がる。
「川井さん、意識戻りました?」
「あ、はい、大丈夫です」
「川井さん無事でーす!」
スタッフが小走りでやってきて、小走りで去っていく。何がなんだか状態の俺に代わって、諏訪部が返事をしてくれた。
「僕ら、今日の撮影はあれで終わりだって。お疲れ様。大丈夫……?」
心配そうに言う。
ずいぶん前のあれしか喋ってないけど、諏訪部が誠実な奴だってことはわかってる。で、たぶん他人に気も遣える。俺のことをどう思っていても、うまく隠して接してくれるんだろう。
「ごめん」
真っ先に口をついて出た。諏訪部の目が優しかったのをいいことに、まっすぐ見たまま言ってしまった。いや、口走った。こっ恥ずかしい。
「そんな、無理させたのは僕だ。何回も飛ばせて、落ちさせて──」
「違うって。飲み会、昨日、お前、俺!」
察しの悪い諏訪部のせいでもっと恥ずかしい。
「昨日……の飲み会が、どうかした?」
ええいままよ!
「俺! お前のこと! 顔で売るくらいなら俳優になれって言った! お前、後ろにいた! あの近さで聞こえてねぇとか、言わせないぞ!」
「聞こえたけど……みんなもいたし、実彦は本気で言ったわけじゃないだろ? 僕のことを考えてああ言ってくれたんだって、思ってるよ」
いや、俺のことよく知らないだろお前。心が広いのか? お人好しなのか?
「……決めつけんなよな……」
「……もしかして気にしてくれてた? あ、ごめん──」
「もういい」
謝れたし、相手はわかってくれてたし、もういい。
それより。
「俺、何してんの?」
まだ状況が飲み込めていないのだ。今は休憩中なのか? なんで諏訪部は、俺とここにいるんだ?
「ああ、オーケーが出たあと、実彦は気を失ったんだ。心配したよ。大丈夫?」
諏訪部が向こうのほうにあるさっきのアクションシーンのセットを指差した。
「あんまり覚えてねぇな……」
確か、うまく決まったようなことはかろうじて覚えてるんだけど。
諏訪部がもっと心配そうな顔になる。
「病院行こう」
「いい」
「でも──」
「いいって言った。……たぶんただの酸欠だ。暑かったし」
今日は気温も高かったし、俺のアクションは消耗するやつだったし、気持ちもちょっと滅入ってたし。てか、撮影に穴開けたわけじゃなくてよかったよ。
「陸央は? なんともねぇの?」
「ああ。犬のマスク、猫と比べて鼻先が長いだろ? 口も開いてるし、メッシュ部分も多いんだ。たぶん猫より呼吸しやすい」
「そうなのか」
猫スーツの口元は、「ω」形の肉の分、分厚い。口もちっちゃいから、気をつけて息を吸わないといけない。
諏訪部とのことで頭が一杯で、そのあたりへの注意が疎かになっていた。
しっかりしないとなぁ……。ま、今日はもう終わったし、明日からまた頑張るか。
「よかったら食事に行かないか。旨いもの食って、明日も頑張ろう」
ぽけーっとしていたら、諏訪部に誘われた。
「あ、おう。行く」
諏訪部が手を差し伸べてくれている。俺はありがたく掴んだ。
諏訪部に連れて来られたのは、よくわからないが、たぶんスペイン料理の店だった。スパイスの香りが、空腹を刺激する。
疲れていたけど、優しい出汁の染みた和食って気分じゃない。米は食いたかったけど、辛いカレーが食えるほどには元気がない。
ここは、ほどよくざわざわしていて、それが今は落ち着く。二人の距離感を、諏訪部も俺と同じように捉えてくれている気がして、嬉しかった。
「実彦、仮面ダイバー7に出てたよね。ゴンズイ役で」
パエリアを頬張っていたら、諏訪部が急に言ってきた。
俺の動きが止まる。
びっくりした。それは、俺が仕事を始めて初期の頃の出演作。だけど、ものすっごい端役。
噛むのもそこそこに口の中のものを飲み込む。
「……なんでお前が知ってんだよ」
「勉強のためと、あと普通に好きだから……。もともと見てたのはヒーローのほうだったんだけど、潜水キックで吹っ飛んでいった敵、ゴンズイの一人がすごく上手いなぁって思って、聞いて回ったら実彦だった」
「聞いて回るなよ……」
恥ずかしいだろ。あんな、誰かもわかんねぇようなその他大勢を探し回ったのかよ。すごい根性だな。
諏訪部が、スープ煮の肉団子を一つ寄越した。ありがたく頂く。
「僕はその頃、銀河大三角ヒーローのアルタイル役をしてた。攻撃はまだなんとかなってたんだけど、とにかくやられるのが下手で……。実彦は、あんなに格好よく酷い目に遭ってるのに、僕はてんで駄目なんだ」
……褒められてるんだけど、華麗に片付けられたって、別に嬉しくねぇからな。俺だって、片付ける側になりたいからな。
「ずっと、実彦に会いたかった。アクションがすごく上手いから……。今回一緒に仕事が出来るって知って、嬉しかった」
なんだそれ。お前みたいなエリートが言うか? てか、俺のこと見てる奴がいた? それが諏訪部だって? あの西野秋臣の息子?
「実彦」
「ん?」
諏訪部は真剣な、でも優しい表情で言う。
「この撮影が終わったら、同じ体育館に通わないか? もっと一緒に練習したい。お互いに刺激し合おう」
「……いいよ」
俺もお前のこと、もう少し知りたいし。
それから、撮影は無事に進んでいった。
天敵どもを空の彼方にやっつけて、猫と犬は、なんでいがみ合っていたのか、なんで仲が悪かったのか、忘れた。
わんわんブラック(大貫諒一さん)が言う。
「君たちの種族柄について、長いこと誤解があったようだ。すまなかった」
「あら、こっちこそ、ごめんあそばせ?」
にゃんにゃんピンクレッド(小々松綾音ちゃん)が、カールした髪をくるんと跳ねさせる。可愛い。
「またいつ、奴らが現れるかわからない。君たちがいれば、万獣力だ。協力しないか」
「ええ、よくってよ?」
にゃんにゃんニャーとばうわうワン、彼らの活躍により、にゃんにゃん王国とわんわん帝国の平和は、これからも共に守られていくのである──。
ナレーション分の時間をおいて、最後、小々松綾音ちゃんを真ん中に、仔猫ちゃんたちがポーズをとる。
そして、決め台詞。
「可愛いだけじゃ、いられにゃい! 肉球戦隊、にゃんにゃんニャー!」
「お疲れ様でしたー! 以上を持ちまして、全ての撮影を終わります!」
ああ、終わってしまった。楽しかったから、名残惜しい。
大きな花束が出てきたり、小々松綾音ちゃんがちょっぴり泣いたり。全員でクランクアップを祝う。
隣では、諏訪部も拍手をしている。──諏訪部がいたから、この役をやってよかったって思えた。諏訪部の存在が、俺が、本当は実力でこの役を勝ち取ったんだって、思わせてくれた。だから本当に楽しかった。
これで、小々松綾音ちゃんともお別れかぁ。可愛くて、見ているだけで幸せになったのになぁ。
この映画、半年後まで観られないとか、生殺しだろ……。編集班、なるべく早めで頑張ってくれ。
──半年後。
「実彦、始まる!」
「はぁ? 味噌汁どうすんだよ!? 少しくらい待てよ!」
「僕じゃないんだから無理だよ……」
「なぁ、音もう少し上げろって」
体育館の椅子で、昼飯を食べながら、俺と諏訪部は一緒に試写会の中継を見ている。
狭いスマホの画面の中、壇上には、小々松綾音ちゃん、大貫諒一さん、にゃんにゃんニャーの四人、ばうわうワンの四人、映画監督──などなどの面子が勢揃い。
スタント役は誰もいない。俺たちスーツアクターは、試写会前の挨拶なんて表舞台には立たないからね。
「こんにちは、監督の紅葉庭三木助です。この作品は、小々松綾音さんをはじめとする若い女の子たちに、『にゃんにゃん』と『にゃあ』を言ってほしくて作りました。僕は四つ足の動物が大好きなのですが、猫好きの皆様にも、犬好きの皆様にも、他の動物が好きな皆様にも、楽しんでいただけましたら嬉しく思います」
なんつー挨拶だ。
「なんてこった……」
隣で諏訪部が同じようなことを呟いた。
今日の昼食は、出前の弁当。諏訪部は、撮影であちこちの現場に顔を出してきたから、旨いものを沢山知っている。今日の店は、味噌汁も熱い。
クランクアップから、半年が経った。
諏訪部は特に変わりなく、色んな特撮に引っ張りだこだ。
俺は、少しだけ有名になった。でもやっぱり身長がネックで、変な役の仕事が来る。やるけどさ。
諏訪部と同じ体育館へ通うようになって、よかったと思っている。勉強になるし、諏訪部といるのも楽しい。
諏訪部は、あんまり主張が激しくないけど、実は、甘めの味付けが好きだ。だから例えば、出汁巻き玉子だったら、俺が諏訪部の分を貰って食べるし、砂糖醤油味の玉子焼きだったら、俺のは諏訪部にあげる。
横で、画面に釘づけの諏訪部に、邪魔をして申し訳ないと思ったけど、話しかける。
「陸央、次の仕事、何?」
「来々期の戦隊もののレッド」
「いいなぁ」
すぐに、羨ましい答えが返ってきて、心の声がそのまま漏れる。
「実彦は?」
「俺、明日から、子猫用のキャットフードのCM。着ぐるみ野郎も食べたくなっちゃう美味しさ、って、俺は追い出される」
我ながら、どうなるのか予想がつかない。明日、現場へ行ってからだな。
猫の種類はなんだろう。っていうか、気のせいか、猫が俺の十八番になりつつある気しかしない。
「いいじゃん。きっと可愛いよ」
「よくねぇ」
「見学行っていい?」
「それはいいけど」
諏訪部には負けたくないけど、隠したって、一人じゃ上達しない。ただ──。
「俺も、陸央みたいに格好いい役が欲しい」
これは、どうしても思ってしまう。
そんな俺を、諏訪部が慰める。いや、塩を振る。
「背が伸びなかったんだね」
「他人が気にしてることをさらっと言うなよ」
俺のほうこそさらっと言ったら、諏訪部がちょっと沈んだ。
「僕だって、今がギリギリなんだ。これ以上伸びたら、ヒーロー役はこなくなる」
「えっ、まだ伸びてんの?」
「そこ?」
羨ましいとか、もう簡単に思ったりできないな。
弁当も食べ終わり、俺は椅子に横に伸びる。いくつ分を占領できているかは、あえて数えない。
「あーあ、また共演してーなー。俺も男役で」
体育館の天井に並ぶライトに、手を伸ばす。疲れて床に寝転がったりしたとき、いつもこうやって数えている。
諏訪部が真上に顔を出した。
「今度は味方でね。……でも、そしたら実彦、やっぱりピンクかも」
「でっけー悪役候補に言われたくねぇよ」
「…………」
「…………」
腹ごしらえは済んだ。さあ、トレーニングの再開だ。
<終>