6
「テレーシア! テレーシア!」
亮が流した電流のせいで、いまだテレーシアの意識は戻らない。当然、ディアナが治癒魔法をかけており、火傷や身体の損傷は治ってはいるのだが、それでも心配なのだろう。シーフルはテレーシアを抱き上げ揺すっている。
「まあ、しばらくすると目を覚ますから待ってなって。あんまり揺すると、今度は首が痛んでしまうよ?」
亮の言葉にシーフルは顔をしかめつつも従った。そして、ゆっくりベッドに寝かせると、亮を睨みつけながら近づいてくる。
「どういうことよ! 治療するっていったじゃない! テレーシアに魔法つかってどうするの? この子を殺す気?」
「これが治療なんだよね。説明してないからびっくりしたのはわかるけど、即効性の高い、治癒効果も高い、副作用も少ない、そんないいことづくめの治療だよ?」
「ただ、この子を痛めつけただけじゃ――」
シーフルがさらに詰め寄ろうとしたその最中、弾かれたように振り向いた。寝ていたテレーシアが、ゆっくり起き上がっていたのだ。
「テレーシア……」
今まで動こうとしなかったテレーシア。そんなテレーシアが自らベッドの上で起き上がっている。その事実に、シーフルは驚きをかくせない。
「だ、大丈夫なの? でも、どうして……」
口に手を当てているシーフルの目線には確かにテレーシアが座っている。しかし、その目にはどこか光が宿り、さっきまでのテレーシアとは違って見えた。
相変わらず頬はこけているし、髪に輝きはないが、ゆっくりとシーフルへと顔をむけ確かに目を合わせていた。
「大丈夫よ、シーフル。いつもありがと」
そういって微笑んだ。
その微笑みを見た瞬間、シーフルの瞳からは涙があふれた。極度の不安から解放された安心感に緊張が緩んでいく。
思わずテレーシアに抱き着いたシーフルは大声を上げて泣き、そんなシーフルをテレーシアは優しく抱きしめていた。
治療は成功したのだ。
今回どのような治療を行ったかと言うと、それは電気痙攣療法とよばれるものだった。
精神科領域では昔から行われている治療であり、頭に通電させることで薬が効かない人でも、症状の軽快が期待できるものだ。
くわしい機序はわかっていないのだが、有用だから行われているというなんとも不思議な治療であり、うつ病や難治性の統合失調症などに効果がある。今回は、テレーシアのうつ症状に対して行っていた。
「で、その電気なんちゃら療法っていうのはわかったんだけど、なんで亮の手から電流がでるの? もしかして、それって私が授けた力?」
「そうそう。『どこでも精神科』って力はね。精神科で行う治療を、この手で再現できるって力みたい。この電気痙攣療法をはじめ、一般的な精神科病院で行われる治療は僕の手を介してできるんだ。もちろん薬物治療もね」
「さすが私が授けた力ね! よくわからないけど、よくやったじゃない! でも、亮の病院だと、みんなこんなことするわけ?」
「いや、そういうわけじゃないよ。本当なら、手術室にいって麻酔をかけてって面倒な手順を踏むから普通は薬を飲んでもらったりするかな。ただ、僕の能力で薬と同じ効果を与えることもできたんだけども、やったことがないじゃない? ちょっと量を間違っちゃうと精神が壊れる恐れもあるし、悪性症候群も怖いし、死んじゃうかもしれないし、練習もできないし。電気のほうは、石とかそんなものに試すことができたから幾分安心だったんだよ。でも、うまくいってそうだよ。まあ、続けてみないとわからないけど、なんとかなるでしょ。これで無理なら薬物療法に切り替えればいい。まあ、普通、順序は逆だけどさ」
「ふーん。治るならいいと思うけどね。それで、朝ごはんはいつ食べに行けるの?」
「うん。ディアナの言葉で、ここで生まれた感動的なシーンが台無しだよ」
そういって亮は苦笑いを浮かべていた。
治療に関してだが、治療は一回では終わらない。電気の通電を数回行うことで効果を得るのが電気痙攣療法だ。今後も続けることを提案すると、シーフルからは二つ返事で了承を得ることができた。
「あの子が笑ったのよ? これから元のテレーシアが戻ってくるなら喜んでお願いするわ」
そう言ってシーフルは笑った。こんな笑顔が浮かべられるのか、と亮はひそかに安堵する。
そうして、テレーシアの電気痙攣療法は始まったのだ。
二日後。
「ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「ディアナ。今回はちょっと痙攣が弱いみたいだから次から強くしようかな。見たところ、大きな合併症もないみたいだから、過緊張と痙攣による筋肉痛くらいしか治すところはないけれど頼めるかな?」
「当たり前じゃない! 簡単よ、こんなの」
九日後。
「あああああああああああああぁぁぁぁぁぁ、んっ、あんっ!」
「ねぇ、亮。なんか、この子、やたらと顔が赤くない?」
「ほんとだね。ちょっと強くしすぎたのかな? けど、ちょうどいいはずなんだけど。身体に影響がないなら、このままやってみようか」
十四日後。
「ああああああんっ! ああんっ! ん、あ、ん、んああぁぁぁぁ!」
「電気痙攣療法で現れる痙攣ってこんなのだっけ?」
「私が知るわけないでしょ!? ただ、最初から比べると違うのはわかるわね。終わったあと、なんでこんなに恍惚な表情なの?」
「こんな症例、みたことないけど……まあ、うつの治療としては成功しているしいいのか……な?」
二十二日後。
「ああっ! いいっ! すごくいいのぉ! あああああぁぁぁん! いっ――っちゃ――」
「あぁ、これなんかダメなやつだよね。なんかおかしいよね。電気痙攣療法ってこんなんじゃないよね!? ふつうは意識失うんだけど、失ってないよね、これ!?」
「私は知らないけどきっと違うのよね!? むしろ、電気流したあとに痙攣するってどういうこと!? どういうこと!?」
二十八日後。
「ありがとうございました!」
そういって頭を下げるのは、テレーシアだ。
以前とは違い、艶やかな桃色の髪の毛は彼女が持つ可愛らしさを存分に奮い立たせ、がりがりだった体つきは幾分細いものの、年相応の色っぽさを醸し出している。やせていても豊満な胸元は男性ならつい目がいってしまうくらいの破壊力を持っており、そこに満面の笑みを浮かべられると普通の男ならころっと落ちてしまいそうだ。普通の男なら、であるが。
「そうやって笑えるようになったのはこっちとしても嬉しいからね。よかったよ、本当に」
亮は笑みを浮かべながらテレーシアを見つめている。その視線の先には貴族に嫌がらせを受けていたかつてのテレーシアはいなかった。
「全然信じてなかったけど、リョウってすごいのね。あんなに悲観的だったテレーシアが、こんなにっ――」
シーフルはすこし前のことを思い出してしまったのか、思わず涙ぐむ。その様子をみていたクリスとゴルドは苦笑いを浮かべていた。
「全く。治療しているときの声を聴いていたらとても心配になったんだけど、結果的によかったよ。ありがとね、リョウ」
「本当にな。感謝してもしきれねぇ」
「そんなことないわよ! まあ、感謝されるだけのことはしてきたから、受け止めてあげるけどね」
「そこ、ディアナがそんなに威張るところ? まあ、確かにディアナが居なかったら継続して電気痙攣療法ができなかったと思うけどね。そう考えると、今回の殊勲賞はディアナかな? 僕からもありがとう、と伝えるべきなのかな、これは」
亮のそんな言葉を聞いて、ディアナはない胸をはりながら鼻息を荒くする。
「ふふん! ようやく亮も私の素晴らしさに気づいたのかしら? いいのよ? お昼ごはんに、それなり亭のスペシャル日替わりランチを食べさせてくれても!」
「また、安い素晴らしさだね。もっといいものをねだればいいのに」
「いいじゃない! あそこはコスパがいいんだから!」
そういって皆で笑いあう。
普通だったことが、こんなにも素晴らしいのだろうか。亮も、他の皆も同じような気持ちに包まれていた。
ふとゴルドに視線をやると、なにやら落ち着かない様子だった。亮が視線で言葉を促すと、あきらめたように口を開く。
「で、だ。リョウ。ここらで治療はひと段落って話なんだが。報酬の話をしてなかったよな? いくらだ? これだけのことをしてくれたんだ。今の俺達に払える額じゃねぇのはわかってるが、少しずつでも返していくから――」
「ああ、報酬? といっても、治療している間はごはんとかもよくご馳走してくれたし、それで十分な気もするけど……そうはいかないよね。さてさて、どうしようか」
亮はすこしばかり考え込むと、妙案が浮かんだとばかりに、手をポンとたたいた。
「ならこうしよう。もしかしたら失われていたテレーシアさんの未来。それを取り戻したことに対する金額を、ゴルドさんが考えてよ。言い値でいい。こっちの相場も僕はわからないしね」
その言葉を受けて、ゴルドは顔をしかめた。
「そんな言い方されたら、生半可な額をいえねぇじゃねぇかよ」
「まあ、それもそうか。だったら――」
「あの!」
ゴルドと亮が報酬について話している最中、横から口を挟む声があった。テレーシアだ。テレーシアは、どこか恥ずかしそうに顔を赤らめながら上目使いで亮を見つめている。
「なんだ、テレーシア」
ゴルドが問うと、テレーシアは一歩前に踏み出して亮へと相対した。
「私はリョウさんに会わなければ、今みたいに笑うことができなかったと思います。もしかしたら自ら死を選んでしまうくらいには心が病んでいましたから」
周囲の面々は何を言いだすのかと困惑の表情を浮かべている。
「私の心を救ってくれたことで、私はこれからの生きる道を見つけることができました。これからの未来はリョウさんが生み出してくれたものです。そんなすごいことをしてくれたリョウさんに感謝は尽きません」
「君の未来は元から君のものだよ。僕はそれを取り戻す手助けをしたに過ぎないんだ」
「それでも! それでも、私はリョウさんに感謝を返したい……けど、ずっと仕事をしてこなかった私には渡せるお金はありません。ですから、ですから、どうか――」
胸の前で組んでいる手には力が込められていた。黙り込んでしまったテレーシアの唇は硬く結ばれ、何かに耐えているかのようだった。
何事かと、亮たちが訝しげにみしていると、突然テレーシアはリョウに飛びついて抱き着いた。
「なっ――!?」
「どうか、私をもらってください! この心も、体も、リョウさんに捧げます!」
瞬間、部屋の中の空気が止まる。
そして、一瞬の間とともに、驚きの咆哮が部屋の中に木霊した。
「な、何言ってるのよ、テレーシア! 自分の言っている意味がわかってる!?」
目を見開きながらよたよたとテレーシアに近づいてくるシーフル。そんなシーフルを優しく抱きしめテレーシアが囁いた。
「うん。わかってるよ。ずっとこのパーティーでやっていきたいって思ったけど、私がいたい場所が見つかったんだ」
「テレーシア……いきなりじゃない。いきなりすぎよっ」
二人は見つめ合い抱きしめあう。そんな二人の後ろからクリスが近づいてきた。
「それは、このパーティーを抜けるっていうことか?」
「うん……。私にはこの恩をどう返していいかわからなくて。せっかくまた皆で冒険できると思ってたのに、ごめんね、クリス」
「まあ、テレーシアに抜けられるのは痛いけどな。もう変わらないんだろ?」
「うん」
「頑固さは折り紙つきだからな」
「ごめんね」
目を潤ませながら、ぎこちなく笑みを浮かべるテレーシアはとても可愛らしく、思わず見惚れたクリスは二の句が継げない。
「それは……恩を返すためにしなきゃいけないことなのか? それとも、自分がしたいことなのか?」
すこし遠くからゴルドが顔を顰めながらつぶやいた。テレーシアは小さく俯くとすぐに顔をあげた。
「たくさん考えたけど……したいことなんだ。反対されても曲げたくない気持ち。わかってくれるかな、ゴルド」
一人一人とまっすぐ見つめ合い、自分の気持ちを述べていくテレーシア。そんな彼女達を亮とディアナはじっと見つめていた。
「何よ。ずっと私がいなきゃだめって言ってたくせに。治療する前よりも元気になってるじゃない」
「そうだね……リョウさんの、おかげ」
「馬鹿……そんな顔で言われたら引き留められないじゃないか」
「うん、ごめんね」
唐突に始まったテレーシアのパーティー脱退劇。その様子を遠巻きに見ながら、亮とディアナは言葉を交わす。
「ねぇ、ディアナ」
「何? 亮」
「僕の勘違いかもしれないけど、これって僕の了承はいらないものなのかな?」
「普通はいるんじゃない? 亮が何も言わないから別にいいのかと思ってたけど」
「そんなことあるわけないじゃないか! なんでいきなり、身も心をささげられなきゃいけないの!? 唐突すぎて怖いよ!」
「男なんだからうれしいでしょ? よかったじゃない。かわいい子がもらえて」
「ちょっと待つんだ、ディアナ。よく考えてごらん? あってひと月程度の男に身も心も捧げちゃうんだよ? もし受け入れたりしたら、それこそその重みで僕は潰れる未来しか予想できない」
「確かに」
押し黙る亮を見ながら、ディアナは口に手を当て小さくつぶやく。
「メンタル直したはずなのに、プチヤンデレ製造するとかまじ草」
「小さく罵倒するのやめてくれない!? 微妙に傷つく言い回しなんですけど!」
二人がそんなやり取りをしていると、テレーシアはゴルド達から解放されたようだ。おずおずと亮に近づいてくる。
「リョウさん……ちょっと先走っちゃってすみませんでした。そういえば、リョウさんに許可もらってなかったですよね?」
薄く充血した瞳、紅潮した頬。どことなく色っぽさを醸し出しているテレーシアの背後では、なぜだかゴルドがとてつもない威圧感で睨みつけていた。他でもない、亮のことを、だ。
その視線は語る。
無言ながらも、『これだけの空気で断るんじゃねぇぞ』と、明らかに語っていた。
――ゴルドさんはテレーシアさんの父親かっ!
そんなつっこみをいれつつ、亮は髪の毛をがしがしとかいている。しばらく考え込んだ亮は、大きくため息を吐くとうらめしげにゴルドを見上げながら返答した。
「もう断れる雰囲気じゃないですよね、これ」
「テレーシアがわがまま言うのなんて初めてだからな。当然、かなえてやりたいと思うじゃねぇかよ」
「まあ、僕は冒険者の仲間を探していたからいいんですけどね。でも、一つ貸しですよ?」
「まあ、それくらいお安い御用よ」
ようやくにかっと笑ったゴルドは、剣呑な雰囲気をようやくおさめた。そして、あとは新メンバー同士で友好を深めてくれと言わんばかりに、三人ともその場から消え去る。
それを見て、亮は再び息を吐いた。
「あの、リョウさん……ご迷惑でしたか?」
「いや。いいよ。僕もパーティーメンバーを探していたしね」
「じゃあ、なら――!」
「ああ。これからよろしく。テレーシアさん。ってことで、ディアナもいいよね?」
「別にいいわよ。迷惑かけなきゃ」
どこかめんどくさそうに言い捨てるディアナの様子を気にもせず、テレーシアは満面の笑みを浮かべた。そして――、
「ありがとうございます!」
そう言って、深く頭を下げたのだった。
だが、話はここで終わらなかった。しばらく三人で話をした後、テレーシアが唐突に切り出したのだ。
「それで、パーティーメンバーになるにあたって、もう一つだけわがまま、いいですか?」
「もうなんでもいいよ。で、何がご希望なのかな? これ以上驚くことはなさそうだから遠慮なく言ってみて」
「はい、では――」
そういって、テレーシアは両手を組んで天井を見上げる。
「また、リョウさんに苛めてほしいんです」
「は?」
亮とディアナの疑問符が重なる。
「あの治療が忘れられなくて……。リョウさんが私を額に手を優しく添えてくれて、あったかい温もりを感じていたんです。そして、あの電撃。もう、お腹の底に感じる温もりは初めてのものでしたから、また、あれ……やってほしいなって」
「えと、その、あれは治療であって、理由もなくやるのは――」
「もう、あんな気持ちになれるものがこの世に存在するなんて思ってもみませんでした。電撃を感じるたびに、私の中の細胞が開いていく感じがして。細胞全てがリョウさんの温もりを求めてて。それで、お腹の奥の、もっと……その、恥ずかしいんですけど、おなかの奥のあたりがムズムズってして、いてもたってもいられないのに、リョウさん、やめてくれないから、いじわるって思いながらも、もっとって思う自分もいて、だんだん気持ちよくなってきちゃって、こんな世界があるだなんて私、知らなくて、リョウさんが来るたび来るたび、私を苛めてくれるから、どんどん私開発されちゃって、リョウさん抜きの生活なんて考えられなくて、何度も何度も……この先は言わなくてもわかると思うんですけど、あぁ、思い出しただけで濡れ――あ、私、こんな場所でなんてやらしいこと、でも、リョウさんがそんな私を見つめててくれるだけで、また、あっ、だめです、そんな目でみないでっんんっ! いけません、みんながいる場所で、そんな視姦プレイだなんて、ああっ、だめぇ、だ、らめぇですよぉ、ご主人様ぁ……」
手を組みながら、くねくねもじもじと悶えるテレーシア。すでに地面にしゃがみ込みながら、一人でびくびくと体を震わせている。
そんなテレーシアを見ながら、亮の顔色は真っ白になっていた。
「ご主人様って何?」
「知らないわよ、そんなの」
「クーリングオフはまだきくよね?」
「異世界にそんなのないわよ」
「ねぇ」
「何?」
「ディアナって僕が困るの好きだよね」
「それでもこの状況には少しだけ同情するわ」
「そっか……ありがと」
淡々としたやり取りをしながら、亮は覚悟する。運命を享受する覚悟を。
それと同時に、電気痙攣療法の本当の恐ろしさを胸に刻むのであった。