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亮とディアナはシーフルに連れられて、家の二階へと登って行った。それほど長くはない廊下をいけば、突き当りに部屋がある。
がっちりとした扉に閉ざされたその部屋は何やら異様な雰囲気を漂わせていた。
「ゴルドさんとクリスさんは?」
「あの二人はいいのよ。テレーシアが一人で寝てるところに、男をいれたくないからね。あんただって、本当は嫌なんだから」
「まあ、そう思う気持ちもわかるけどね」
そんなことを話しながら、シーフルは扉をゆっくりあけていく。
「ねぇ、テレーシア? 入るよ?」
シーフルの問いかけに返答はない。その代りに、中から淀んだ空気が流れ出てくる。ディアナは思わず顔をしかめるが、亮はひょうひょうとした様子でシーフルの後に続いた。
「今日はね、テレーシアを治してくれる人をつれてきたんだ。男の人と女の人。初めての人だけど、悪い人じゃなさそうだから。だから、入るね」
「……嫌」
蚊が泣くような声が部屋に響く。辛うじて聞き取れたそれを、亮は無表情で聞いていた。
「だって、テレーシア。このままじゃだめなのはわかってるでしょ? このままずっと部屋の中にいたらだめになっちゃうのよ? ちゃんと治して、また一緒に冒険しようよ。また、あんたの笑顔がみたいのよ」
「……こっちにこないで」
シーフルはそんなテレーシアの言葉に顔を歪めた。今にも泣き出しそうな表情を浮かべて、思わず亮に振り返る。
その視線を受けた亮は小さく微笑むと、シーフルと肩をそっと叩いた。
「変わるよ」
そういって亮は一歩を踏み出した。
なんの遠慮もせず、亮はテレーシアへと近づいた。
テレーシアだと思われる人は布団にくるまっており、その人となりはわからない。だが、強く布団を握りしめている様子だけは見ていてわかっていた。亮は、ベッドの横にしゃがみ込む。
「はじめまして。亮っていうんだけど、ちょっと話がしたくてね。いいかな?」
「……帰って」
「まあ、そう言わずに。ただ、僕もこのまま帰ってしまうと寝覚めが悪いんだ。だって、君の名前も聞いてないんだから。だから、せめて名前だけでも教えてくれないかい? ほら、僕は名乗ったんだから」
亮が問いかけても返答はない。すかさず、シーフルが口を開こうとしたが、亮は手のひらをむけてそれを制止した。
そうして数分たっただろうか、ようやくテレーシアは身をよじる様子があり、小さな声が聞こえた。
「……テレーシア」
「うん。テレーシアさんだね、ようやく名前が聞けてうれしいよ。ありがとう」
「いえ……」
「さて。今日僕がきたのは、どうしてここに閉じこもってるかってことなんだけど、少し教えてもらえるかな? 君に何があったんだい?」
返答はない。しばらく待っても同じだったため、亮は質問を変える。
「そういえば、聞いたんだけど、自分のことを死んでもいいって言ってるみたいだね。あれは何か理由があるの?」
「……だって、私、生きてても迷惑かけてるだけだし」
「迷惑?」
「私のせいでお金を稼げない。全部私がわるいんです」
「そっか。そうやって思ってしまうんだね。それだけ思いつめて……がんばってきたんだね」
「……がんばってないです。死んだ方がいい……。死にたい」
その言葉の後に続くのは、すすり泣く声。シーフルもディアナも、亮の後ろで顔をゆがめている。
亮は、その泣き声をききながら考え込んでいた。
問いかけに対して返答に時間がかかっている。応答潜時と呼ばれるが、これはうつ病の人の多くにみられる症状の一つである。また、気分の落ち込み、食欲の減退、不眠、無価値観、希死念慮など、いわゆるうつ病の診断基準を見たしている。かなり重い症状を呈しており、亮は早急に治療が必要だと判断した。
その治療なのだが、うつ病に対する治療の一般的なものは薬物療法だ。
抗うつ薬や、抗不安薬を使いながら治療を始めていくのが一般的だが、当然、亮がいた世界の薬はここにはない。似たような薬を探すのも手だが、時間がかかる。もし見つかったとしても、それが本当に効くのか、どのような効果を生むのかなどは亮にはわからなかった。
まずは、テレーシアの診察を終わらせてしまおうと亮はテレーシアの布団をゆっくりと剥ぐ。
すると、そこには痩せこけた少女がまるまって寝転んでいた。自分を守るかのように膝を抱えながら。
薄い桃色の髪の毛はぼさぼさであり艶も何もない。身体も顔をやせ細り、まるで骸骨のようだ。本当はもっと年相応の可愛らしさがあるだろうに、とそんなことを思いながら亮はじっとテレーシアを見つめる。
「ずいぶん長い間、放っておいたんだね」
「いろんなお医者さんに見せたのよ。でも、誰にもどうにもできなかった」
シーフルが思いつめたような表情で声を絞り出す。その声が聞こえたのか、テレーシアの目からは再び涙があふれていた。
「……ごめんね。シーフル。私のせいで」
「そんなことっ――」
テレーシアの言葉に、シーフルも涙をこらえきれず泣いてしまう。そんな重苦しい空気の中、亮はぶつぶつとつぶやいていた。
「薬物療法ねぇ……。やってみてもいいんだけど、自信ないしなぁ。なら、手っ取り早く失敗もなさそうなこっちをやったほうがいいのかな……。あ、そうだディアナ――」
亮がディアナに話しかけようと振り向くと、そこには、床にしゃがみ込み一点を見つめているディアナがいた。目に光は感じることなく、口元は弛緩している。
「何やってるの?」
「だって。その子の話聞いてたら、むしろ私なんか、元女神なのに、一人で生きていけないし、何のためにここにいるのかなって。さっきからずっと蚊帳の外で、こんな私には価値がないのかなって――」
ディアナの様子をみて亮は頭を抱えた。
なぜ、病気を治しに来た側の人間が、病んでしまっているのか。こんなに簡単に周囲の影響を受ける人がいるのかと、驚きよりも呆れを感じていた。
「こら。これからディアナの真骨頂を見せてもらうんだからすねないでよ。とりあえず、これが終わったらちょっと遅い朝ごはんにしよう? それで元気がでるかな?」
「え? 朝ごはん!? それが食べられるなら、死んでる場合じゃないね! で? 何すればいいの!?」
あまりの変わりように、別の意味で心配になる亮だったが、今はテレーシアのことに集中しようと気を取り直す。
「ディアナには、もしテレーシアが怪我をしてしまったときに治してくれればそれでいいよ。死ぬことはないけど、骨折くらいならありうるからね」
「まあ、骨折くらいなら大丈夫だけど――」
「え? 骨折?」
泣いていたシーフルが、亮の不穏な言葉を聞いて顔を上げる。
「あ、シーフルさん。前にも言ったけど、一切手を出さないでね? 途中でやめちゃうと治療効果が半減するからさ」
「ちょ、あんた、何する気!?」
慌てた様子のシーフルをスルーしつつ、亮は再びテレーシアに向き直った。
「さあ。とりあえず、インフォームドコンセントも何もないこの世界だから適当にやるけど。今からあなたを治療します。ちょっとびっくりすると思うけど、少しだけ我慢してね?」
「え?」
にこりを微笑んだ亮の表情は笑顔だった。
だが、すぐさまテレーシアの視界は塞がれる。顔をわしづかみにしている亮の手に。
「あっ――」
「さぁ、行くよ! 痛かったらごめんね!」
亮の笑い声とともに、なぜだか亮の手から生まれた電気がテレーシアの頭に流れた。途端にテレーシアの身体はびくんびくんと痙攣を初めて、少しばかり焦げ臭い匂いがあたりを立ち込める。
「ちょっと! なにやって――」
何やらうめき声を挙げているテレーシアをみて、シーフルが咄嗟に止めに入ろうとする。だが、向けられた視線に思わず身を縮めた。
「邪魔するなっていったよね?」
感情を感じない視線。先ほどまで温和な笑みを浮かべていた亮とはまるで同一人物に思えない。ひどく冷たい視線に射抜かれたシーフルは、がくがくと痙攣するパーティーメンバーを見ながら動けない。
「別に命に別状はないさ。時間にして数十秒。それくらいで十分なんだよ、この治療は」
そういって、しばらくすると亮は頭から手を離した。
「さてディアナ。治癒魔法でもなんでもかけてあげてくれるかな? こめかみのあたりは火傷してると思うからさ」
振り返った亮は、いつもの様子に戻っていた。




