合気道の歴史
この文は"植芝吉祥丸著・植芝守央監修 『合気道開祖 植芝盛平伝』 出版芸術社、1999年、ISBN 4882931680"を主に参考に記述しました。
私個人の考察を始める前に合気道の歴史についてお話したいと思います。
合気道は大正から昭和初期にかけ、開祖植芝盛平先生が「植芝塾」にて「合気武術」を指導されたのが始まりです。
詳しい遍歴は「植芝盛平伝」をお読みください。
盛平先生は正直な話いろいろとはっちゃけたことをやっておられます(宗教国家創設を夢見たり)。
150cm台と小柄な体で大柄な人間をバタバタと投げる(抑え込む)姿に皇族や華族、軍人などの子弟が指示を受けに来たといわれています。
第二次大戦後、GHQの武術禁止令を受けながらも盛平先生の愛弟子である塩田剛三の活躍にて今の合気会のもととなる道場、「合気道養神館道場」を創設し普及に名乗りを上げていきます。
盛平先生の三男である植芝吉祥丸先生(のちの二代目道主)の方針転換により演武会の開催や技術書の出版に乗り出します。
一説にはこの吉祥丸先生の転換に対し、盛平先生はえらく反対をされていたらしいです。
これは吉祥丸先生が復興のためには一般に広く知れ渡るためにパフォーマンスの面を押していく必要があると考えた一歩で、盛平先生自身は門下を叩いたもののみに合気道を継承させればよいと考えいたためです。
しかし、道場の運営は吉祥丸先生が仕切っていたため、演武会などが開催される運びになり、現代では一般的な武術の一つと数えられることになりました。
盛平先生没後は吉祥丸先生が、吉祥丸先生没後は吉祥丸先生の二男である植芝守央先生が三代目を継がれている。
簡単な歴史の紹介になりましたが、興味があればWikipediaや書籍を一読してくだされば幸いです。