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君は福神漬を食べない


「ほわぁぅぃ~……ねっむ」

 カレーのソースがついた皿の向こう側、トレーニングウェアの左手であくびを隠した藤崎がカエルみたいな顔で呟いた。

「……確かに、眠そうな顔だね」

 それぞれの個人プログラムに沿って肉体と精神の鍛練をこなした後で、どちらともなくやってきた巣食堂。どうやら今夜のアンチバイラスはカレーの夜だそうで、藤崎はチキンカレーにサラダとスープとフルーツ入りのヨーグルト、僕は野菜の大盛を平らげた。

 テーブルを挟んでその表情の雄弁さを笑っていた僕を、頬杖をついた藤崎がちらりと睨みつけて。

「……で、対抗戦の件はどうしたの? 無事に実行委員になれたわけ?」

「もちろん。集まっていた人たちと話し合った結果、無事に本年度の対抗戦実行委員長に任命されたよ」

 藤崎はちょっと呆れた目をして、それからわざとらしく溜息を吐きながら。

「……あ、そ。じゃ本当にセイが色々と決めるんだ」

 首肯。

「うん。だから藤崎も出場してほしい」

「……別にいいけど、活性期次第ね。結局出られないかもしれないし」

「大丈夫。開催日は夏休み明けの最初の活性期が過ぎた次の週に決まったから」

 すると藤崎マドカはピクリと片方の眉毛を持ち上げて、目の前の実行委員長の有能スマイルをにらみつけてきた。

 僕は続けて。

「もちろん、僕が参加してるのに君がいなければ、藤崎マドカはおサボりあそばれてるんだって皆が気づくようにね」

 行事サボりの常習犯は、むぅと唇をとんがらせた。

「ふん。でもそんなのわかんないじゃない。みんなきっと第ゼロラインは大変お強いからゲームバランスを壊さないようにあえて不参加をなさっているのだって思うかも――」

「それはない。そうならないゲームにするし、当然、そのルールは事前に公表する。学校外の力で実行委員長になった人間の責任として、どのクラスでもチャンスがあるような競技を提供するよ」

「うわ、胡散くさ。しかも面倒くさいし……」

 そうは言いつつ満更でもない様子で福神漬けを残した魔法使いは、シロップ多めのアイスティーを咥えながら席を立って。

「ね。そういえば、今日さ、カナ何か言ってた?」

「え?」

 聞いている方としては急に、彼女としてはタイミングを計って切り出された話題に、僕は一瞬きょとんとした。

「いや。特に。朝はいつも通りに見えたけど」

 いつもの様にバスに乗って、藤崎とふざけて遊んでいた。だけど放課後、カナは僕達を待っていなかった。トレーニングルームにも顔を出さなかった。

「そうなんだ。さっき電話してみたけど、出ないから」

 そういうこともあるんだろうと思った。彼女の事だから何かあったんだろうなって。

 それに。

「藤崎が知らないことを、僕が知ってるわけないよ」

「……ホントに?」

 疑いの混じった目。でもそれは決して僕を責めているわけではなくて、純粋にカナを心配する気持ちに思えた。

「カナが君を待っていないのは、そんなに珍しい?」

 聞きながら思う。そういえばルーガで襲ってきた奴らを蹴り散らかした次の日も、彼女は当たり前にバスに乗ってきた。

「うん。多分初めて。昔ちょっと喧嘩して一人で帰ろうって思ってた時も、毎日教室に来たくらいだし。もしも何か予定があるなら、お互い朝のうちに喋っとくし。それに――ううん」

 軽く頭を振って悪いイメージに抗った藤崎は、ちらりと僕の顔を見て。

「もしかして、セイなら何か知ってるかもなって思ったの」

「残念ながら。僕はなにも知らないよ」

 知っているのは、ただ、有沢カナが突然姿を見せなくなってもおかしくは無いという事くらい。それで何があったにせよ、対処する必要があるのなら僕にも召集が掛かるだろう。

 ……ああ、そうか。

「カナに何かあったら、君にも言うよ」

 そうだね。確かに。本当に、僕を疑っているんだ。嘘や隠し事があるって。

「もしも言えないことがあるのなら、正直に『言えない』っていう」

 間違いなく小田島セイはそういう人間だけど、藤崎にそう思われるのはちょっと辛い。せめて彼女には、そうじゃないと思われたかった。そうじゃない僕を見せたいと努力してきた。

 そんな風に思っている自分と、実際にそうふるまってしまった自分に気が付くたびに吐き気がするけれど。

 藤崎は、ほんの少し中空に言葉を探して。

「うん。知ってる。だから聞いたのよ」

 頬っぺたの髪を後ろに流しながら、いたずらっぽく微笑んだ。

「あ~、そうか」

 つられたように僕も笑った。いつだって聡明で優しい彼女に、安心して、ほっとして、笑っていた。嫌われても仕方のない奴だけど、実際嫌われるのは辛い。もしもそうなってしまうなら、こちらの準備が整って覚悟が決まった時に面と向かって嫌われたい。

 多分、有沢カナもそうだろう。だから、カナがどうしようとどうなろうと、同類の決断に口を挟むつもりはないし、心配する方が馬鹿げてる。

 だけど問題は、藤崎が君を心配しているということ。

 心配そうな表情で、あれやこれやと考えたり落ち込んだりしているという事。

 ただそれだけを腹立たしく思いながら『また明日』と言って手を振って、エレベーターのボタンを押した。


 活性期を外れた夜の独身男性棟はとても静かで、緩やかにカーブする廊下はフロンティアの青さに包まれていた。

 かすかに聞こえる波の音の中を支給品のスニーカーが行き、慣れた歩数で自室の前にたどり着いた僕は、何の気なしに認証装置へと伸ばした手をピタリと止めた。


 違和感。


 それはきっと、毎日無意識で開け閉めをしている扉のほんの少しのずれだとか。廊下に敷かれた薄いカーペットに微かに残る、自分と体格が違う人間がここに立った痕跡だとか。

 それに気付いた瞬間に全身が感じ取った他人の気配だとか。


 ――キィ


 慎重にドアを押す。

 部屋の中は暗く、窓から差し込む月の光だけが、ソファの横に立っている人物の姿を映し出していた。


「こんばんは、小田島伍長。まずは失礼な振る舞いを謝罪させてくれ。そして扉を閉めてほしい」


 細身で筋肉質な身体を防護服で包んだ男。聞き覚えのある声と、凛とした立ち姿。


「……鴻上……さん、ですね」


 思い当たる人間の名を口にした僕に、夜闇に紛れた男性は微笑みかけた。


「ああ。上田隊副隊長を務める鴻上だよ」


 月明かりに白い歯を煌めかせた彼は、小さく両手を上げながら。


「警戒するなと言っても無理だろうけど、扉を閉めてくれないか。君に見せなくてはいけないものがある」


 真っすぐな姿勢のまま、真っすぐに告げた彼は。


「元帥からの物だ。この場で証明もできるが、見てもらった方が早いだろう」


 僕の目を見つめたままゆっくりとポケットに手を伸ばした彼は、取り出した小さな筒状の物を僕に見せると、またゆっくりとそれを壁に向けた。


「――再生した」


 彼の声を聞いた僕は、わずかに体勢を変えて壁に映し出された映像を視界に入れる。


『やあ、セイ。久しぶりだね』


 聞こえたのは、しわがれた声。壁の映像は暗く、相変わらず音声だけのようだ。


『君に頼みがある。内容は、次の市民代表に立候補した有沢ヨウヘイを当選させてほしいということだ。方法は問わないが、内密に。誰にもそうと知られることなく、君が、この有沢ヨウヘイ――私の息子であり、カナの父親である男が代表に選ばれるようにするんだ。出来なければ、鴻上軍曹が死ぬ。万が一この秘密がばれたと僕が感じた場合は、鴻上軍曹の家族が死ぬ。では鴻上軍曹、セイの質問には全て君が答えてくれ。以上』


 一方的な通達の途中で映し出された優しそうなおじさんの顔が消えると同時に、空っぽの部屋の壁を照らしていた光もすうっと消えた。



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