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LOA

 その夜。青紫の空を想わせるピアノに次いで歌手の温かな雨声が降り注いだ途端、フロアの真ん中付近のテーブルに頬杖を付いていた環太平洋安全保障機構職員ノーラン・ベルトランの口から、小さな喝采の口笛が漏れた。


「ヒュゥ。まるでセイレーンだな、彼女は」


 すると、その男の斜め横で『星月亭』自慢の魚料理に夢中になっていた女がひょっこりと顔を上げた。


「え? ああ、あの子。お上手よね。この間のパーティーで聞いて以来、すっかり彼女のファンになっちゃったわ」


「へえ。意外だな。てっきりあんたは耳にまでカロリーが詰まってるのかと思ったよ」


 それまで一切ステージの音楽等に興味を示さなかった眼鏡に赤毛の科学者は、口元のチーズソースを拭いながらニヤニヤ笑い。


「失礼しちゃうわね。私が愛してるのはカロリーじゃなくて、糖分よ、糖分。それと美味しい食事とコーヒーね。ああ、勿論貴方も大好きよ。ちょっと名前は覚えていないけど」


 ベルトランは鼻を鳴らす。


「問題無いね。俺とアンナ・モアランドの間に必要なのは情報とデータだけだ。特にここ最近のLOAに関する、な」


 互いの目の光が見える程薄暗い店内に流れる歌声に合わせて、男の指がとんとんとテーブルを叩く。ニヤリと笑みを浮かべたアンナは、赤毛を軽く揺らしながら、踊る指の前に小さな握り拳をさしだして。


 コツン、と。


「? ……これは?」


 リズムの調和を乱した犯人を、ベルトランがテーブルから摘まみ上げた。


「それがケーキに見える? 勿論、お望みの物よ。ここ最近のLOAのデータが入った昔ながらのメモリーチップ」


 ベルトランは僅かに目を見開いた。


「……マジか? こっちが頼んどいて何だが、よく盗み出せたな」


 アンナはニヤニヤ笑いながら。


「とんでもない事言わないで。私は医者よ、泥棒じゃないわ。それは勿論、患者の好意的協力の元に私個人が得た研究データよ」


「協力? あんたの研究に? 意味不明だな。どんな嘘を吐いたんだ?」


「あら、野暮なこと言うのね。色仕掛けに決まってるじゃない。彼と私はベッドでダーリンハニーの関係なの」


 ニヤニヤ笑いながらマヨネーズたっぷりのポテトサラダにドレッシングをかけ始めた少女の姿に、ベルトランは絶句して。


「……そいつはすげえや」


 うんざりとした顔の男にお構いなく、ライブハウスの薄明かりにキラキラ光るカロリーの塊を頬張ったモアランド副局長が喋り出した。


「じゃ、私の質問ね。そのデータ、シレンシオに使うんでしょう?」

「だろうな。俺が使うわけじゃねえけどよ」


 頷いた環太平洋安全保障機構(OSPR)職員の斜め横、キラリと少女の眼鏡が光る。


「で、実際どのくらい進んでるのかしら? そちらの『空飛ぶ棺桶』の開発は?」


 ベルトランは肩をすくめて。


「専門家じゃないんでね。詳しい事は分からんが、精神同期コード(IM認証)はクリアしたらしい」


「ワオ。すごいわね。つまり、誰でも乗れるようになるってことよね?」


「誰でもじゃ無い。相変わらず、選ばれし者(・・・・・)だけさ。ただ、パイロットを選ぶのがシレンシオ自身じゃなくて、俺達(・・)になったって話だよ」


 アンナはそばかすの頬を歪めてニヤニヤ笑った。


「じゃあ、貴方達はもう『シズカ』を必要としていないって事なのね」


 ベルトランの視線が一瞬周囲の客を確認する。


「……『L・O・A』な。ある程度似たパターンの波形なら、奴の波形に変換できるっつう魔導装置マギアの組み込みに成功したんだと。俺はそれ以上の事は言われてないし、知らねえよ。ただ、今夜ここでレディに会ってお話をして来いっていうお仕事だ」


「わーお。夢のようなお仕事ね」


「悪夢だけどな」


 マヨとドレッシングで油まみれにされた挙句半分程残された残飯の海に、ベルトランは頭を振った。


「あ、そうそう、それと。もう一つ」


 クリームパスタをすすりながら顔を上げたアンナの声に、『なんだよ?』とベルトランが眉を持ち上げると。


「気を付けた方が良いわよ。この島のほとんどが彼の知覚範囲だから。きっとこの会話も、それからあなた達の船についても。いくら警戒したところで、全部ばれてるわよ」


 ベルトランは肩をすくめて。


「昔はどうだったかしらねえけどよ。今となっちゃ、幽霊ゴーストと同じだ。最近の元帥様と来たら、あるのは不確かないくつかの証言と、ペテンが成立するレベルの魔法だけだ。能力だけじゃなく、元帥の存在自体が怪しいって話だぜ。その怪談話を高く見積もって、島中に超高性能監視カメラがついてるって位の警戒レベルで行って来いってさ」


 笑いながらあちこちを見回す素振りをしたベルトランの横、くすくす笑ったアンナはデザートのゼリーを口に運びながら。


「そうね。そうかもね」

OSPR(うちら)の見解じゃ、そう――」


 男が言いかけた言葉の途中、女は突然にケタケタと笑い声を上げ始め。


「笑えるわ! ねえみなさん、この人、有沢元帥を暗殺するつもりなんだって!」

「なっ!?」


 突然の奇行とその内容にざわつき始めた店の視線という視線を浴びた男が慌てる様を、アンナはニヤニヤ笑いながら。


「あはー。慌てない慌てない。あんまり慌てると、そんな噂が嘘か本当かばれちゃうかもよ? あはは!」


 あはーあはーと奇声の様な笑い声を上げて腹をよじる少女に、ベルトランは頭を抱えて深いため息。


「本当も嘘もねえ。俺が知ってるのは、俺がゴーストバスターじゃ無いって事だけだ。それに、あの亡霊を消したがってるのは東側そっちの方だって噂だぜ?」


「うふふ。私もそんな任務は聞いた事が無いわ。ただ――」


 ぴっと指をさされたベルトランは、彼女が示した胸ポケットにそっと触れて。


「……なんだ?」


「LOAよ。知っているでしょう? あの日、墜落する飛行機から出てきた血塗れの蟲・蟲・蟲の塊を。その塊の中から無傷で出てきた、『異界の王ロード・オブ・エイリアン』の姿を。あのおぞましさを越えた恐怖映像が、その中に入ってるわ。下等なファージの代わりに操り人形を引き連れて古戦場から空へと飛び立つ、新しい王の姿がね」


 ニヤつくアンナの眼差しを、ベルトランはじっと見つめ返したまま。


「加工も合成もペテンも無いわ。LOAは、間違いなく今この世に存在するゴーストよ。そして、人間離れしたコミュニケーション能力でこの島を呑み込み始めているわ。言葉、感情、名誉、金――彼は、当たり前の様に相手が望むものを与え、恐れる物を振りかざす事が出来る。しかも、その気になれば問答無用で敵の意識を奪う事も可能ってわけ。そして何より恐ろしいのは、LOAはまだ十代の少年だって事。たくさんの素敵な大人に囲まれて、成長と暴走の真っただ中のね」


 ぺろり、と。油まみれの唇を更に濡らした彼女の舌は、薄暗いライトに赤く赤く。


「ふふ。次に会う時のあなたの任務が楽しみだわ」


 胸ポケットの中のチップケースに触れたベルトランは、大げさに溜息を吐くと、ゆっくりと席を立った。


「俺にゃ、あんたの体型の方が楽しみだけどね」


 手に取った伝票の長さに目を眇め懐具合を気にしながら去って行った職員に手を振ったアンナは、何事も無かったかのようにお気に入りの歌声に耳を澄ませ、取っておいた食べ物を左端から順に平らげ始めた。まるで、これ以上の幸せは存在しないと言いたげな笑顔で。


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