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星と月と戻れない夜

「今日は、本当にありがとうございました――」


 店先のライトが落とされ、薄暗くなった星月亭のドアの前。蜘蛛の巣に向かって走り出した送迎バスに深々と下げた頭を上げた僕は、ゆっくりと肺に溜めた息を吐き出した。


「……で、どうすんの、セイ? ほんとに歩いて帰るつもり?」

 隣で呆れた目をして来る藤崎に、軽く筋肉を伸ばしながら頷いて。


「ああ。そうするつもり。巣までどれくらいかかるのかな?」

 気楽に聞いた僕に、ちょっとお洒落な格好の銀髪は溜息交じりに頭を振った。


「二時間もあれば着くんじゃない? わかんないけど」


 腕時計を見ると、針は九時半。思っていたよりも遠いんだなと思いつつ、巣の方向の夜を仰ぎ見た。


「ちなみに商業区では二十二時以降の営業は禁止になってて、二十三時には消灯になるから。街燈なんかも消えて真っ暗になるわよ」

 軽く首を傾げて斜めに僕を見つめる灰色の瞳。僕はそれに苦笑して。

「じゃあ、急がなくちゃ」

 と言って歩き出した。


 オレンジと黄色の街灯り。カラオケから出て来る同年代の少年少女。閉じた店から漏れる、透明な光。正面の向こうには、青白い雲と煌めく星々。耳を澄ませば、どこかでかすかな波の音。


「……乗ればいいのに、バス」


 隣をてくてく歩く小柄な銀髪が、不満そうに呟く声。僕は少し笑った。君こそ飛んで行けばいいのにと思って。


「疲れたんだよ。今日は、人と会いすぎてさ」

「うっわ。なにそれカッコイー」

 半眼で口の端を持ち上げた彼女の口調。僕はムッとした顔で笑いながら。


「大変なんだって。C型は。特に、僕みたいな受信装置はね」

「ふ~ん。そうなんだ」

 適当な返事をくれた藤崎は、やがて目をぱちくりさせながら。

「あ、ね、じゃあさ、セイってもしかして今私が何考えてるか分かるわけ?」

 いたずらっぽく煌めいた灰色の瞳に、僕は笑って首を振る。

「どうだろ。相当頑張れば出来るかもだけど、やる気は無いよ。疲れるし」

 藤崎はふ~んと楽しげに唇を尖らせて。

「そうなんだ、せっかくセイの悪口を一杯考えてたのに」

「やっぱりね。何となく感じてたよ」

 藤崎はくすくす笑う。

「ね、じゃあクイズね、クイズ。私の事、当てて見て」

 くしゃっと笑った藤崎が右手を腰に、左手はバスガイドさんみたいに曲げながら。


「ジャジャン♪ 第一問。私は犬が好きでしょうか、それとも猫が好きでしょうか?」


 笑う。『だからそういうのじゃないんだって』と言いながら。

「ほらほら、当てて見なさいよ」

 カモンカモンと両手で煽る西側最高戦力保有者に頭を掻いて。

「犬」

「わっ、正解! え? 何でわかったの? 言ったっけ?」

 目を丸くした藤崎に、ニヤリと笑って。

「まあね。次期元帥と噂される位になると、なんとなくわかっちゃうんだよね」

 本当に、ただなんとなく思っただけ。予想が当たってよかったし嬉しいけれど、外れたら外れたで楽しくなるのは間違いないし。

「うっわ。生意気。セイの癖に調子乗ってる。じゃあ次はもっと難しいのね、ジャジャン、第二問。私は――」


 夜間でも稼働を止めない工業区の中まで続いた藤崎クイズをきっかけに、僕達はたくさんの話をした。好きな物、嫌いな物、フロンティアやあるいは本土で流行っていたあれやこれや。思い出のアニメとか。

 それから、今日見た『このみ』と言う歌手と藤崎が友達だと言い出したので、『友達? いたの?』と大げさに驚いて見せて、肩にパンチを入れられたり。このみさんが歌手を目指してアンチバイラスをやめた時の感動のお別れシーンの再現とか。


 今日はあの子と久しぶりに話せて楽しかったとか。だから本当はセイのパーティーなんか行く気なかったけど、行って良かったとか。


 初めて会った時もこの道を歩いたわねとか、『あの時は疲れたし挙動不審でキモかったし最悪だった』とか。『そっちこそ偉そうで我儘で最悪だった』とか。


 真っ白な道の上、星と月の灯りの下でくるくる変わる表情と素直な言葉を眺めながら、楽しい事だけ楽しく笑い合い、僕らが暮らす蜘蛛の巣へと歩いて帰って。


 別れ際。『ああ疲れた』と笑った藤崎がどこか遠くを見ながら呟いた『よかった。やっぱりセイはセイね』という言葉。『変わったのは周りの人の方だよ』と出てきた自分の台詞に、我ながらカッコイイなと笑いつつ。


「まあ、明日から見てろよ。僕は飛行訓練をするからね。もう二度と歩いて帰るような真似はしないさ」


 短すぎた旅の終りに、第三小隊隊員としての決意表明を行って。


「はいはい。せいぜい頑張りなさいよ、ださおくん」


 笑って手を振る藤崎マドカを乗せたエレベーターを黙ってしばらく見送って、僕は。

 彼女が向けてくれる信頼や、喋る度に溢れ出る楽しさや――好意に似た感情を。彼女が気に入る答えを返す度に自分の胸に湧いて来た嬉しさを、意識の奥ですり潰しながら。

 僕と僕以外の間に流れ始めた透明な風を。彼女と繋いだはずの掌を。一人じっと見つめていた。



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