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今、僕に

 あちこちでおしゃべりをしていた女性達は、食器をそのままにして走り出す。上田隊のグラブを置いて食事をしていた男性は、すでにその場にいなかった。


 席を立とうとした僕に、ロビ霧島が声をかける。


「おやおや、真面目だねぇ。行った所でどうせ見学なんだろう?」

「そういう仕事です」

「だはは、違いねえな。んじゃ、せめてコーヒーくらい飲んでけよ。さんざん砂糖入れやがって、台無しじゃねえか」


 言われて僕は、カップの中身を思いっきり喉の奥へ流し込む。

 ぬるい。吐き出しそうになるくらいに、くそ甘い。

 これでいいか? これで、お前は満足なのか?

 だけど。それでもまだ。僕は。


「まだ、足りないくらいですよ」

 口元を拳で拭いながら、僕はぼんやりと呟いた。

「はっ、何だそりゃ? ……ははーん、コーヒーと砂糖の例えか? 懐かしいじゃねえか、今宮所長が実験中によく言ってたぜ。いまだに言ってたのか、あの人は」

「……あいつ……」

 苦笑する。オリジナルじゃねえのかよ。僕が親父の真似をしたみたいに思われてるぞ。

「……ああ、んじゃもしかしてそのくそ甘いのは藤崎か? ったく、お前は藤崎藤崎って、わかりやすい奴だな。そんなにあのじゃじゃ馬がいいのかね? 俺なら断然カナちゃん派だぜ?」


「黙れ、ロリコンシリンダー」

 有沢カナは、ちょっと怖いんだよ。


 本土仕込みの突込みにロビ霧島は歯を見せて笑いながら、それでも目の奥は僕の反応を窺うようにぎらついている。


「はは、丁度いいじゃねえか。出せよ、セイ。そいつの出番だ」

 言いながら、彼はまっすぐに僕の左胸を指差した。

 僕は黙って、薬の入った黄色いケースから一粒を掌に転がした。

 異様な匂いに、ごくりと唾を飲み込む。

「くいっといっとけ、ははっ! 今更ビビってんじゃねえって。ちっちゃいころのお前さんはそいつが大好きだったんだぜ? まあ、おかげで始終呆けてたんだけどよ」


 彼の言葉に従って、これを飲んだなら。僕は、一体どうなるというのだろう。


「どうしたよ? ほら、マドカちゃんがピンチだぜ? 王子様みたいに格好よく助けて来いや。奴は案外弱虫だからな、助けてやったら惚れてくれんじゃねえか? ピンチはチャンスつってな、だはは」


 ロビ霧島がしゃくった備え付けのモニターには、戦いの様子が映っていた。自宅のパソコンで見ていた『赤眼の魔女』の動画と同じ、かなり粗い映像だ。だけどそこにいるのは、赤眼の魔女でもましてや最強の魔術師でもない。


 僕はもう知っている。

 きまぐれで我儘で意地っ張りの藤崎マドカを。

 普段はむかつくくらいに自信たっぷりのその表情に、余裕がないのが一目でわかる。


 心が読める? 他人に指図が出来る? ふざけるな。

『他人の気持ちを理解する』なんて、人間ならば誰でも出来る事だろう?

 それこそ小学校で教わるようなことだ、『人』が『人間』であるための根本じゃないか。


 ――なのに。


 顔を上げる。

 第零ライン? 彼女の前に味方はいない? 優秀な戦士? 一人で大丈夫? あいつが、それを望んでる? どいつもこいつも。


「……ふざけるな」


 これを飲めば、僕は。

 藤崎の傍に。

 彼女の力になれるのなら。

 誰にも恥じる事の無い、ずっと思い描いてきた強いかれに成れるなら。

 薬の粒を、かみ砕く。

 嫌な味、突き抜ける様な眩暈。心臓が一つ大きく脈を打って、頭の中の『僕』がすこしずつぼやけ、透明になる感覚。


「……これで、どうすれば」

 局長は微かに笑ってこめかみに指を当てた。


「はっ、そんなもんは自分で考えろ。自分で出来なきゃ、他人を使え。分かってんだろ? お前にゃ、俺みたいに汚え嘘を並べ立てる必要はねえ。ダハッ! オラ、いつまでもつまんねえ事言ってねえで、さっさとアレを何とかしてこい、王子様よ。王子は王子らしく思うまま、自由にやりゃあいいのさ。なあに――」


 ――お前なら、上手くやれるはずさ。


 そう言って、彼は顎でモニターを示した。

 そこに映る、ぎゅっと唇を結んだ彼女の顔に巣の中は嫌な具合にざわめき立つ。

 まるで彼女は勝つことが当たり前であるかのような口ぶりで。

 自分以外の誰かが、何とかしてくれるのが当然だとでも言う様に。

 何をやっているんだと、赤眼の魔女の苦戦を責める。

 果たしてこの映像を見てる奴らの内で、一体どれくらいの人間があの女の子の心配をしているのだろうか。


 殺し方も知らない、餌の癖に。


 あの子がどれだけのモノを抱えて、どんな気持ちで生きているかも知らずに。理解しようとすらせずに。自分で戦おうと、あがきもせずに。理解の出来ない化物に、道を譲るようにして。


 藤崎マドカを、見殺しにするのか。


 何があっても、どんな手段を使っても果たすべき僕の役割。

 僕が、彼であるために。彼女が望む僕であるために。


「……あれって、どこが配信してるんですか」

「さあな、確か通信室だと思ったが」

「そうですか」と呟いて部屋を出る背中に「じゃあな」という声がぶつかった。


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