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砦島

 ――そういうわけで、僕は今、船に揺られている。


 波にバンバン跳ねる小型高速船の甲板で、少し錆びた感じのする手すりにもたれかかり、海の魚たちへの餌付けを終えた体を休めているところだ。


 せっかく食べやすくしてあげたのだ、海を汚さないように残さず食べてくれよ。


 力の抜けた手の甲で口元を拭い、だだっぴろい空を見上げた。

 太陽の眩しさに目を細め、血液検査で異常値を示した三月のあの日から全てがひっくり返ったこの数週間を思い出す。


 ――いや。それを言うなら、あの夏の日からか。


 ぼんやりと乗っかっていた生活が真っ逆さまに叩きつけられ、ぐちゃぐちゃに壊れたあの日。

 おぞましい記憶と共に胃の奥からこみ上げて来た恐怖を、再び海へと吐き捨てる。

 子供の頃から身体が弱く教室で吐くことすらあった僕とはいえ、さすがにきつい。

 床についた両手ごと身体を上下させ、必死で呼吸を整えて。ゆっくりと顔を上げた視線の先、青黒く伸びる水平線を乱す白い光の山が見えた。


 あれが、魔法使いの島『フロンティア』だ。


 春休みの間検査と言う名目であちこちの機関をたらい回しにされた僕は、政府の指示に従って父と二人で暮らした家を引き払い、あの太平洋に浮かぶ人工島で暮らすことになったのだ。


 あの、魔法使いが暮らすことを許された唯一の場所で。


 手探りでポケットから取り出した写真を島の隣にかざしてみる。

 修了式の前に、一年過ごしたクラスで撮った集合写真。

 黒板の前で仲良く笑うクラスメイトの輪から少し外れて、申し訳なさそうに笑う男子の顔に目が行った。

 この時の彼は、こういう顔をしていたのだ。

 こういう顔をしていることを求められていたのだ。

 望み通りにこの顔を浮かべていれば、同情と言う名の憐みが只静かに通り過ぎて行ってくれたのだ。夏休みにファージの群れに襲われて墜落した飛行機で、たった一人生き残った『奇跡の生還者』さんの頭の上を。

 この頃は、マスコミも宗教団体もクラスメイトも、誰もが僕の向こう側に見ていた想像上の『僕』と話したがった。

 ――誰も僕が『魔法使い』だなんて思いもせずに。

 わずかにグンと揺れた船が広大な船着き場に吸い込まれ始めると、身体を起こした僕はいそいそと船室の荷物をまとめ始めた。




 誰もいない工事現場みたいな港に足を踏み出して、強烈な日差しとそれを反射する真っ白な人工の大地に目を細める。数日ぶりに揺れることのない大地に立ったゆえの錯覚なのだろうけど、何だかまだ地面が揺れている気がした。


 ふと、どこからか視線を感じて振り向いた僕は、窓越しに見えた船の運転手さんに頭を下げてボストンバッグを一揺すり。


 確か迎えが来るといわれたはずなのだけど……


 すると、防風林らしき木立と青い海に囲まれた真っ白な波止場を見回す僕の頭上で、声が聞こえた。


「もしかしてぇ、小田島セイさんですかぁ?」


 少々間の抜けたその声に名前を呼ばれた僕は、何もないはずの上空を見上げ、声を飲み込む。

 二人、いた。

 空に、二人、飛んでいる。


 種類の違う制服を着た女子が、二人。驚きに目を開いたままの僕の前に、スカートを抑えてふわりと着地した彼女達は対照的な表情で僕を見つめていた。

 右側の黒髪で背の高い子の方は、蕩けそうな笑顔でにっこり微笑んで小首を傾げる。

「あれ? 小田島さんですよねぇ?」

「あ、はい」

 慌てて返事をしながら、僕は目の端でもう一人の小柄な少女を意識していた。銀色に輝く緩いウェーブのかかった長髪と色白の肌、灰色掛かった大粒の瞳で鋭い視線をぶつけてくる少女……その瞳の色こそ違っているが、間違いなく『赤眼の魔女』こと藤崎マドカだ。


「……何?」


 不機嫌を塊にしてぶつけてくる様なその視線に僕はたじろぐ。

 学校の制服姿とはいえ、彼女は『西側最高戦力』とまで言われる実力の持ち主なのだ。その気になれば僕なんかあっというまに消し飛ばしてくれるに違いない。

 動画の中のファージみたいに。

「いや、何でも無い……です」

 目を泳がせて冷や汗をかく僕を値踏みする様に眺めまわし、最強の魔女は溜息を一つ。

「だめね、カナ。私は要らないわよ、こんな奴」

 そう言って、両手を広げて小さな銀髪頭を横に振る。


 面と向かって悪口を言われてもなお固まっている僕に、カナと呼ばれた黒髪の子は苦笑い。


「いじめちゃだめですよぉ。小田島さんはまだ正式に配属されたわけじゃないんですからぁ」

「とにかく――」

 どうやら僕の味方をしてくれるらしいカナさんの言葉を遮って、不機嫌極まりない銀髪魔女様が睥睨する。


「三十分の遅刻よ、小田島セイ。まずは謝罪するのが筋ってもんじゃないのかしら? それとも何? 平和ボケしてる本土の人間は時間の概念もボケてるのかしら? もしそうならぶっ飛ばすけど?」


 そう言って左の拳を固めた彼女には、『船が遅れたのは僕のせいじゃない』という言い分は言い訳にもならないようだ。


「うふふ、気にしなくていいですよぉ。マドカさんは焼きもち妬いてるだけですからぁ」


 さっぱりした黒のショートカットに切れ長の目。清純そうな顔立ちからは想像もつかない色気のある声と仕草で笑ったカナさんの言葉に、ぎろりと藤崎マドカの瞳が動く。


「はあ? 誰が、誰に、焼きもち妬いてるって言うのかしら? あたしはね、単純にこの礼儀知らずで役立たずの馬鹿面があたしの時間を奪ったことが気に入らないの」

「そうですよねぇ、この三十分で隊長とユイさんが何してたかなんて全然気にしてないですよねえ? きっとぉ一緒にご飯食べたりぃ……」

「うるさい、黙れ。エロ女」

「あれぇ? 一緒にご飯のどこがエロなんですかぁ?」

「あんたの存在がエロいのよ、この色魔、発情期、スケベニンゲン」

「……チビ、貧乳、癖毛、エロマンガ」

 シャーッといがみ合い始めた二人の少女を前にして、僕は思考を放棄した。別に、汚い言葉で罵り合う女子の姿に頭が痺れる程の興奮を覚えていたわけじゃなく、ただ単純にどうしていいかわからなかったから。


 すると、不意に。


「小田島さんだって、あたしの方が良いと思いますよねぇ?」

 黒髪のカナさんの声で我に返った。

「ま、こんな雑魚の意見なんて私はどうでもいいけどね」


 何となくいがみ合いの流れを察した僕は小さく頷き二人の顔をゆっくり見比べて。


「ええと……藤崎マドカさんなら知っているんだけど」

 なるべく波風の立たないようにそう答えると、当人の眉がピクリと動いた。


「へえ、もしかしてあたしって本土でも有名なの?」

 どこか嬉しそうに口元を緩ませる彼女に、僕は曖昧にうなずいた。

「まぁ、うん。それなりに」

 多分彼女の知名度なんて、クラスのアイドルマニアが見せてきた「ランランガールズ」とか言う聞いたこともないアイドルと大差無いのだが。


 そんな地下アイドルと同じくらいの知名度と一部のファンを誇る最強の魔女は、耳の下でうねっている銀髪をいじりながら、照れくさそうに、でもとても嬉しそうに笑った。


「ふうん、そうなんだ。まあ、しょうがないわね、規制されてるとはいえ、情報ってのは漏れちゃうモノだもんね。向こうにファンが出来ちゃうのも仕方無いか」

「……てか、ファンだなんて一っ言も言ってないですからぁ。あたしまで恥ずかしくなるんでやめてもらえますぅ?」

「あーら、ごめんなさいね。あなたも頑張れば本土にファンができるわよ。あ、でもあんたの場合ヌードの方が早いかしら? 裸で出撃でもする? でも隣に私がいたらどうしても私の方が目立っちゃうわよね? ああ恥ずかしいわ、自分で自分が怖くなっちゃう」


 頬に手を当てて声を作る藤崎マドカをうざったそうに見下ろした黒髪の彼女は、はあっと嘆息して僕に向き直った。


「ええと、じゃあ案内しますね。小田島さん、飛べますか?」

 いえ、無理です。

「え、そうなんですかぁ? じゃ、歩きましょうか。こっちです、近いですよぉ」

 僕の答えにぱちくりと目を瞬いて、ぱっと笑顔を取り戻した空飛ぶ少女は元気いっぱいに歩き出した。



 それからしばらく、藤崎マドカを先頭に鋭く尖った三角形を描く布陣で目的地を目指しながら僕は隣の大人びた女の子のお喋りを聞いていた。

有沢ありさわカナ、花も恥らう十五歳です。今年から高校生なんですよぉ」

 と名乗った黒髪の彼女は、どうやら藤崎マドカと同じ小隊に所属する後輩隊員らしかった。


 一応ネットに流れる噂は目にしていたけれど、実際に目の前にした『赤眼の魔女』と呼ばれ『最前線にして最終線(第ゼロライン)』等という大袈裟なあだ名を持つ西側最大の戦力が本当に僕と同い年だと聞かされると、僕は素直に驚いた。だがそれ以上に、それを教えてくれたこのあれもこれもが大人びた女の子が一つ年下だと言うのにも驚かされた。

 だって、このスタイルでほんの少し前まで中学生だってことだろう? 実にけしからん。


 そんな有沢のお喋りによると、どうやら彼女達は「年が近くて暇だった」という理由で僕の迎えに指名されたらしい。僕にも聞きたいことは色々あったけれど「そんなことよりぃ、本土は何が流行ってるんですかぁ?」という一言でこちらの質問は却下された。


 ちなみにむっつりと黙りこんだまま大股でツカツカと先を急ぐ藤崎には、全身から嫌な感じが漂っていてとても話しかける気にはなれなかった。


『思い込みが激しく、壁を作り、他者に対して攻撃的』


 言われてみれば自分にも良くあてはまる魔法使いの典型的なイメージ。

 それがこんなに似合うだなんて、さすがは最強の魔法使いだと、その小さな背中に頷いた。



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