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第零ライン

「……ええと、何が?」


 突然見せつけられた銀色のつむじに戸惑った僕を、藤崎がちらりと見上げてくる。灰色の目に、夜が青く反射していた。


「あのね、私……あなたの事を疑ってたの。いくらなんでも、高校生にもなって突然魔力が目覚めるなんてそんなこと聞いたことなかったから、今まで魔力を隠してたんじゃないかって。それで、今朝あなたにちょっと聞いて……その、お父さんが亡くなったから経済的に厳しくなって、それで今度は実は魔法使いでしたって言ってこっちに来たんじゃないかって……そう思って、隊長にちょっと聞いちゃったの。そしたら、隊長も隊長でセイの事を調べてたらしくて……私、事故の事とか、セイの事とか、よく知らなくて……結局何だかいろいろと余計な事をしちゃったみたい。だから、謝るわ。ごめんなさい」


 ぺこり、と。

 再び頭を下げた彼女を見て、僕は慌ててしまった。


「いや、いいって。全然、藤崎が思ってるほど親父のことも気にしてないし……それに、向こうじゃ暮らせなくなったのは本当だし」


 大黒柱を失った僕が生活に困っていたのは事実なのだ。親戚の一人も持っておらず、生命保険にも入っていなかった親父が僕に残したのは、僅かな金と、見世物小屋の様になってしまったあの家だけだったから。


 だから、この島に送られたのはラッキーなのだ。僕はこれで良かったのだ。

 本土では生きていることさえ許されず、この島では生きていることしかできない餌などに、あの藤崎マドカが頭を下げる必要はない。


 だから僕は、あくまで軽く。


「しかも隊長にまで調べられてたんじゃ、藤崎が何も言わなくたってその内ばれたんじゃないかな? だから、藤崎は全く悪くないんだ」


 藤崎は顎に手をやって「うーん」と唸る。今一つ納得がいっていない様子だったので、僕はあきらめて別の話題を振ってみた。


「それに、いいきっかけになったんじゃないか?」

「きっかけ?」


 何が? と言う目で僕を見つめる藤崎マドカ。

 僕は意地悪な笑みを浮かべた。


「隊長と、話したんだろ? 僕をダシにして」

「へっ……?」


 油断だった。僕がからかおうとした相手は、西側最強の魔女なのだ。


 思い込みが激しく、壁を作り、他者に対して攻撃的。

 そんな風に、魔法使いの特徴を『情緒不安定』とした昔の本には、いつ逆鱗に触れるかわからないと書いてあったのを思い出す。


 一瞬の間があった後、僕の言葉の意味を理解した藤崎の束ねた髪が光ってうねる、灰の瞳が真っ赤に燃える。これはやばいと心が叫ぶ。


「……あんたね、人が真剣に心配してるってのに、随分調子がいいみたいじゃない? 言っとくけど、全然、全っっ然! そんなことないんだからね? なんであたしがあんなボンクラを好きになんなきゃいけないのよ? わかった……カナね? カナが余計なこと言ったんでしょ? ホント、馬鹿カナなんだからっ」


 目を見開いた藤崎が噛みつくどころか、噛み殺さんばかりの勢いで僕に迫った。


「あ、いや。最初会ったときにカナと言い合ってたし、何となく、そうなのかと思って……つい……」


 チッ! と激しく舌打ちした藤崎は、タンタタタンッとつま先で地面を叩いて苛立ちを表現する。


「あのね、カナにも言ってるけど、そういうことは一っっ切ないから。……まあ確かに挙動不審に見えたりする節はあるかもしれないけど、好きとかそういうんじゃ絶対ないし。私にとって隊長はただ、周りで一番年が近い男の人ってだけなの。だから、あんたも今度それをどっかで言ったら、絶対ただじゃおかないから。わかった?」


 冷たいマグマみたいな怒りを浮かべた藤崎の顔に僕は戸惑い、言葉を失う。

 獰猛な獣の目で睨まれながらも服従の言葉を吐かない獲物に、藤崎は再び大きく舌打ちをした。


「ふん。いいわ。だったら、具体的にどう只じゃおかないのかを教えてあげる」


 言うと同時に頭の後ろのゴムを解き放つと、豊かな銀髪がふわりと海風に広がった。

 思わず一歩後ずさったのは、彼女の怒りにではなくその力に恐怖したから。多分動物の本能と言う奴だ。目の前の小柄な魔女を、僕の身体中が恐れていた。


 夜闇に広がった銀髪の身体がゆっくりと浮き上がり、瞬きをした瞳が血の色に染まると、呼吸と共に彼女の小柄な体の周りに白い光の粒が集まり始める。


 どれくらいの時間か。やがて神々しい程に綺麗な光のドレスをまとった赤目の魔女は、口元をゆがめてニヤリと笑った。


「覚えといて損はないわ。月は私の味方なの」


 言うと同時、藤崎が掲げた両手の間に出現した薄紫色の球体がふざけた爆竹みたいに内爆発を繰り返し、あっという間に夜空を照らす月よりも大きく膨れ上がった。


 僕はただ口の中の唾を飲み込んで、尻もちをつきそうな圧力に耐えていた。


 見上げる先に、今にも弾け飛びそうにドクンドクンと脈を打つ巨大で透明な生きる爆弾。これを喰らったらひとたまりもないことくらい、僕にも一瞬で理解出来る程の。


 これが、西側最強と謳われる赤眼の魔女の、藤崎マドカの実力。圧倒的な魔力。絶望的な暴力。動画には映らなかった、純粋で透明な荒れ狂う怒り。


 興奮と恐怖が混じった様な引き攣った顔で笑いながら、大丈夫、いくらなんでもこっちに向けて撃ちはしない。だって僕の背後には蜘蛛の巣があるのだから、消飛ぶのは僕だけじゃ済まないはずだと頭のどこかで冷静に考えて。


「ね、セイ。知ってる?」


 それでもやっぱり、頭の上から聞こえた質問に『何を?』なんて言おうとした喉は空回った。


「噂よ、噂。藤崎マドカは、気まぐれで我侭な女なんだって。嘘だなんて言わないわ、その通り。でもここで問題なのは、私の場合、本当に大抵の我儘が許されてしまうってことなのよね」


 紫色の炸裂空間を頭の上に浮かべたまま溜息を吐いた藤崎の真っ赤な瞳が、僕を捉えた。


「例えば、ふざけた部下を病院送りにする位とっちめちゃってもきっと御咎めなしなの。なんて言っても、『第ゼロラインは命の価値が違うんだ』って上層部がおっしゃる位なんだから」


 言って、苛立ちを噛んだ唇に薄い笑み。


 僕は、ごくりと唾を飲み込んだ。

 洒落にならん。洒落になってない。気まぐれでも我侭でも、それが最強の魔法使いのモノならば、力のない人間にとっちゃ致命的だ。この子はいつでも僕を殺せる。

 いやでもまさか。いくらなんでも気まぐれや我侭でそんなことはしないって。ファージとは違う。彼女は人間なんだから。そうやって僕が必死に自分を励ましている内に、真っ白な舞台のはるか東、魔海があるというその方向へ藤崎マドカが掌を向けた。


 瞬間、銀色の髪を揺らし、何かが弾けるような音をひきつれて夜空をすっ飛んで行った紫の球体が、一瞬の太陽となって砕け散った。


 遥か遠くに五感が捉えた、夜と昼をひっくり返す程の巨大な音と光。


 花火と言うモノが日本人の心に刻まれた夏の風景を呼び起こすなら、それはまさに生物の脳味噌に命の終わりを刻み込む大爆発。


 目の前の現実と頭の中の常識の狭間で、僕は呆けた様にそれを見ていた。


 海面から空へと巻き上がり、やがて降り注ぐ海水を背中にしてくるりと振り向いた藤崎が、言葉も出ない僕に向かってふんと満足そうに鼻を鳴らし、赤みの残る瞳をすっと細めた。


「他人がどう言おうが、私は私。自分が決めた道を行くの。余計な事言う奴はみんなドーンよ! あんたも誰かの噂話なんか気にしてないで、おとなしくこの藤崎マドカの後ろにいなさい。ファージか私に殺されたくないんならね?」


 思い出したように呼吸を始めた胸に、ドキドキと鼓動が響いて。

 僕は必死で頷いた。

 すると一瞬目を閉じた彼女がくすりと笑った。


「返事は?」

「は、はい!」


 情けないほど腹から声を振り絞った。


「よろしい。んじゃ、あたし帰るから。飛べない隊員さんはちゃんと歩いて来なさいよね」


 向こうに小さく見える扉を親指でくいっと指して、藤崎マドカは舞い上がった。

 銀色の髪をなびかせながら、一人きりで飛んでいった彼女の小さな背を見えなくなるまで見送ると、僕は力の抜けた身体を重力に任せて溜息を吐く。


 圧倒的な力を前にして、震える体。

 足元に広がる舞台はすでに戦場だということに、やっと気がつく。


 僕はきっと、あの蟲共を前にした時も、またこうして震えるのだろう。

 そんな人間が闘いたい等と言ったら、勇敢な藤崎の邪魔になるのだろう。

 だから、ずっと藤崎マドカに守られて生きていくのだろう。


 今夜、彼女の力に怯えた人間が。明日には彼女を盾にして。


 そうやって、彼女を、いつか。


『この島に――最前線に送られたら、きっと死んじゃうから』


 そんな言葉を口にした最前線にして最終戦(あの子)を、見殺しにするのだろうか。


 右手に残る小さくて柔らかい感触と、月明かりに浮かんだきれいな横顔、全てを壊せる強さを背負って闇に溶け込む小さな背中を、僕は暫く手のひらの上に思い返していた。



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