信頼できるもの
双清と呼びかけるとこちらを振り返るあどけない顔。
肩にかかる赤い髪がさらりと流れて左頬の笑窪が隠れた。
初めて会った時と同じ旅装で、小さな革の袋を身体にぴったりと背負っている。
「兄さん。帰る前に挨拶に来たんだ。所長さんと綺麗な事務のお姉さんにはお昼ご飯まで御馳走になっちゃったよ」
可愛らしい笑顔でレットソムとカメリアを振り返り御馳走様でしたと頭を下げる姿に紅蓮の胸がぎゅっと締め付けられるように痛んだ。
「帰るっていつの船だ?」
「ベングルに行く船は無いからリカステ行きの船にのるつもり」
「……リカステ行きならば今夜ですね」
カメリアが各国の航行表を捲って教えてくれる。
眠そうなレットソムは欠伸をしながら「そこからは陸路か」と呟く。
リカステはベングルのひとつ手前の国だ。
そこで下りて陸路から国境を超えてベングルへ入るしか今は方法が無い。
「今夜か」
「うん。色々考えたけど早い方がいいと思って。兄さんがいってたように一日でも早く戻れるように」
でも安心したと頷いて双清は青い瞳を細めて微笑むとレットソム、カメリア、ノアールを眺める。
「こんなに兄さんのことを思ってくれている人がディアモンドにいるなんて思ってなかったから」
これからも兄をよろしくお願いしますと頭を垂れて。
「なんでだ」
思わず洩れた言葉に双清が不思議そうに振り仰ぐ。
その顔を見降ろしながら悔しくて腹が立つ。
なぜ双清に懐かしさを感じないのだ。
双清が弟ならばいいのにと思うのに、心が動かない。
失った記憶が反応を示さないのだ。
それなのに放ってはおけないと胸が騒ぐ。
「この間もう一人弟を名乗る奴が来た」
はっと顔を強張らせて双清が「やっぱり足止めは無理だったか」と唇を噛んだ。
その言葉の真意は解らないが動揺は無く、双清は諦めたように肩を落とした。
「こんなことなら止めを刺しておくべきだったな」
物騒なことをなんでも無いことのように口にするのはやはりベングルの民だからだろう。
戦うことに誇りを持ち、戦いの中で命を失うことがあっても後悔はしない。
それは己の弱さゆえに招いたことだからだ。
ただ無闇に戦うことを尊んでいるわけでは無い。
抵抗できない相手や女子供の命を無差別に奪うことは賤しい行為で、それなりの報復を受ける。
死にたくなければ戦わなければいいのだ。
だがそれをベングルの男達は忌み嫌う。
己の信念のため、家族のため、故郷や部族のために勇ましく戦うことが尊いとされている。
だからこそ争いが絶えないのだろう。
「どういうとだ?説明してくれ」
「信じてもらえるか解らないし、信じてもらえるだけの証拠をおれは出せないんだ」
「それでも」
説明を請うと双清は真っ直ぐにおろされた前髪を掻き分けて白い額を曝け出した。
そこには墨で書かれたような模様があった。
「それは?」
問うのは魔法に興味のあるノアール。
まるで目のような模様を狐のような動物が抱え込んでいる図案。
「口寄せの術」
「それって憑依の術っていわれてるやつだよね?」
驚きながらもノアールは額の模様に触れようと手を伸ばした。
それを前髪を下して遮り、更に後ろへと下がって距離を取る。
「不完全だから他人に触られると解けるんだ」
囚われた状態で手に入れられる材料には限りがあるから。
続けられた言葉に紅蓮は激しい怒りを燃え上がらせた。
つまり双清は故郷で反乱軍の手に捕らえられているということだ。
「……許せない!」
「ちょっと紅蓮。落ち着いて。双清くんのいっていることが本当だって解らないんだから」
握った拳が震えるのを押えるようにノアールが手を添えて眼鏡の向こうから強い瞳を注いでくる。
そうだ。
落ち着かなければ。
今はまだなにが本当で嘘なのか解らないのだ。
「おれが学園に兄さんを訪ねていけないのはこれのせいなんだ。入口になってる移動用の魔法陣は様々な魔法も術も無効にさせる力があるから」
「え?そうなの?知らなかった」
魔法好きのノアールでも知らないということは情報を操作して伏せられていることなのだろう。
「上層部しか知らないが、それでも魔力が強い奴ならなんとなく気が付くくらい強力な魔法が施されてるからなぁ」
不精髭の覆っている顎を擦りながらレットソムがしみじみと独白。
カメリアはお茶を淹れる為に一旦席を外していたが戻って来てテーブルに並べる。
一緒に揚げパンを持ってきてくれたので喜んで頬張った。
そして双清もノアールも手を伸ばして食べ始める。
成長期の只中にある自分達にはいくら食べても足りないぐらいだ。
「なあ。双清」
「むう?」
咀嚼しながらの返事があまりにも可愛くて紅蓮は苦笑する。
「帰るの、少し待ってくれないか?」
目を丸くしながら飲み込んで、お茶を啜ってから「どうして?」と首を右へと傾げた。
紅蓮は残りを全部口の中に入れて食べ終え左手で双清の頭を乱暴に撫でる。
「おれも帰るから。その時一緒に帰ろうぜ」
「兄さん!それは」
「もうひとりも連れて帰る。それから……所長。お願いがあるんですが」
反論する双清を黙らせてレットソムに向き直る。
相変わらず眠たげな目でなんだと応えた。
紅蓮がこのディアモンドで一番信頼している男。
レットソムに任せればきっとなんとかしてくれる。
面倒くさそうな顔をしながら、いつだって人のために動く。
気だるげに見せているのは相手を油断させるためだと紅蓮は思っている。
「騎士団の詰所にいるあの男も一緒に連れて行きたいんです」
「そら難しいなー」
「所長なら可能なはずだ」
「そりゃ買い被り」
耳をほじりながらそっぽを向くレットソムに「お願いします」と頭を下げた。
いい返事が聞けるまで顔を上げるつもりはない。
「所長」
カメリアが紅蓮の横に立ち珍しく柔らかい声で呼びかける。
レットソムの纏う雰囲気が少し硬くなるのが解った。
そしてノアールまで「所長お願いします」と懇願して、レットソムが降参した。
「解ったよ!やりゃいいんだろ。やりゃ」
面倒くさいなー、頭下げんのやだなー等と愚痴愚痴と零していたが揚げパンとお茶を胃におさめるとのっそりと立ち上がり「行ってくるわ」と気乗りしない様子で扉へと向かう。
「ありがとうございます!」
礼をいうと振り向きもせずに手だけひらひらと振って出て行った。
きっとレットソムが手を回してくれる。
大丈夫だ。
「問題はもうひとりの少年をどうやって見つけ出すかですね」
「そうですね」
「それなら」
双清が手についた砂糖を舐めてからにこりと微笑んで「任せてください」と胸を張った。




