後悔
紅蓮が故郷に帰ってしまう。
それはノアールにとって恐ろしい出来事で、あってはならないことだった。
これが平和なベングルへ夏休みを利用して帰省するというのなら何も問題は無く、気を付けてと手を振って送り出していただろう。
今やベングルは戦争の真っただ中で混乱を極めている。
そんな国へ帰ろうというのだから全くどうかしているとしかいいようがない。
「……きっと引き止めること
なんてできないんだよな」
ぼんやりと天井を見上げ、込み上げてくる無力さに打ちひしがれる。
今日は紅蓮だけがバイトへと出る日で、ノアールと一緒に食堂で夕食を食べてから元気に出かけて行った。
いつも通り。
なにも変わらない様子で。
「あの男に会いに行かなきゃよかった」
騎士団の詰所まで足を運んでベングルからやって来た黒服の男に会いに行った事がそもそもの間違いだったのだ。
故郷を心配し帰りたそうな顔をしながら、自分はディアモンドで学園に通い仕事をするのだといっていたのに。
「……違う」
あの男に会わなくても、双清とラッシュが訪ねて来なくてもいずれは帰るといっていただろう。
家族の安否も解らず、故郷が滅ぼされるかもしれないのに平気な顔で、ディアモンドで暮らせるような男ではない。
そんなことノアールでも解る。
所長もカメリアも薄々こうなるだろうと解っていたからと、紅蓮の決めたことに反対はしなかった。
ただ準備をするから少し待てとレットソムが逸る紅蓮を落ち着かせたのだ。
顔の広いレットソムのだから紅蓮の出立を少しでも安全な物にしてくれるはずだと信じたい。
「……ベルナール、今帰り?」
扉の開く音がしてそちらを見ると同室の少年が硬い表情で入って来た。
つんと鼻につく薬草の匂いに首を傾げるとベルナールは勢いよく頭を下げて「ごめん。ノアール!」と謝罪した。
そしてすぐに右肩を押えて苦しそうに呻く。
「ごめんって……。なにかあったの?怪我してる?」
謝られることなどされていないので困惑し、椅子から腰を上げて近づいた。
ローブを脱ぐのに手をかしてやると湿布薬の匂いと、腕を包帯でぐるぐる巻きにされているのが見えた。
「おれ……最低だ」
乱暴にベッドに座りベルナールは左手で頭を抱えた。
なにをしでかして自分を責めているのか知らないが、ノアールに謝らなければならないことなのか。
すでに門が閉まった後に帰って来たので、学園の医務室で手当てを受けていたのだろう。
となるとなにかあったのは学園内でということになる。
「で?どんな最低なことをしたのか教えてくれる?」
「…………ひでぇな」
「自分で言ったんだよ。最低だって」
「そりゃそうだけど」
がしがしと赤茶の髪を掻き乱し、ベルナールが悶えるように足を床に叩きつけた。まるで地団駄を踏むかのように。
「ほら。喋った方が楽になるかもしれないよ」
後で階下の寮生に文句をいわれることを思うとうんざりするが、今はこの鬱陶しい同室の少年をなんとかしなければ心地よく眠ることはできない。
吐き出させてすっきりさせようと促すとベルナールは足と手を止めてじっと息を潜めた。
ここまできてだんまりはあんまりだ。
「ベルナール。謝るのなら内容をいってくれなくちゃ許しようもないよ」
「…………許してくれるのか?」
上げられた碧色の瞳があまりにも弱々しくて聞く前に許してしまいそうだったが「内容によるね」と伝える。
途端に泣きそうな顔で面を伏せるので、一体なにをしでかしたのかと段々怖くなってきた。
「そんなにいえないようなことなの?」
「男として……最低なことをした」
「男と……してって。まさか」
男としてということは、相手は女であるということ。
つまりノアールに謝ると言うことは、ノアールの親しい女子で。
くらりと眩暈がした。
ベルナールとリディアの話をしてから二週間は経っている。
その間色々あってリディアに忠告しておくのを忘れていた。
ノアールの失態だ。
「確かめたの?」
恐る恐る確認するとベルナールは頷いて、その後ゆっくりと横に首を振った。
つまり確かめようとしたが拒まれた、もしくは思い止まったか。
最低なことをしたと謝罪するほどなので思い止まったということはないだろう。
とにかく失敗に終わったのは喜ぶべきことだ。
「最低最悪だ。好きな子に嫌われて」
「自分のやったことだからね。仕方ないよ」
「おいおい。慰めてくれないのかよ~」
「慰めようがない。残念だけど。それに謝るのは僕じゃなくてリディアにしたら」
「あんなことした後じゃ近づけないって。これ以上怪我すんのはごめんだ」
「本当に、どんなことしたんだよー……」
今度はノアールが頭を抱える番だった。
ベルナールには気をつけろとやはりいっておくべきだったと後悔が身を苛む。
なにがあったのかを想像することも恐ろしくて思わず身震いした。
「壁際に追い詰めて強引に触ろうとしたら逃げられて。それを追いかけて背後から抱き締めた」
「──変態!」
「色々あるんだよ!おれだって無理やり触ろうなんて思ってなかったさ。でも」
ベルナールは顔を歪めて目を反らす。
「学園辞めるとかいうから」
「──辞める?」
「そうだよ!お前が傍にいてやればよかったんだ。そしたら寂しくて辞めようとか考えなかっただろうし、おれだって近づいたりしなかったよ!」
「僕が傍に……」
クラスが離れて寂しかったのは事実だろう。
そしてセシルが執着するのを恐れて避けて喧嘩してしまい、ノアールも忙しくしていたからリディアの孤独は更に増した。
そしてベルナールが近づいてきて追い打ちをかけたのか。
「なんとなく、リディアは辞めないだろうって勝手に思ってた」
来たくてここに来たわけじゃないと前々からいっていたセシルが辞めると言い始めたのならすんなりと受け入れられたかもしれない。
まさか、という気持ちでいっぱいで他になにも浮かんでこない。
「どうしよう」
リディアはディアモンドの住民なので辞めたとしても家へ訪ねて行けば会うことはできる。
それでも今までのように毎日顔を合わせるじちなどできはしない。
学園に行けば喋ることはなくても、廊下や休み時間で顔を見ることぐらいはできた。
ああこれから物理学の授業なんだなとか、次は移動教室だなとか時間割で行動を知ることも出来たのに。
「辞めてどうするんだろう?」
「おれに聞くなよ」
「そうか。……そうだよね」
至極尤もな答えにノアールは自分がひどく動揺しているのに気付いた。
リディアは一体どんな気持ちで退学することを決めたのだろうか。
「ああー!どうしよう。今更謝ったって遅いし!」
そもそもなんといって謝るつもりだ。
勉強とバイトの両立は難しく、リディアに割ける時間は少ない。
休み時間の度に様子を見に行けば、きっとまた変な噂を流されてお互いが困ることになる。
解決策など無い。
「おい!素直に受け入れんなって!リディアが辞めるって決めたのはおれがしつこく付きまとったからで、さっきのはおれの八つ当たりなんだから!」
苛々とベルナールが左手を伸ばしてノアールの肩を掴んで揺さぶった。
「全部悪いのはおれなんだよ!」
だからおれを責めろと真っ直ぐ見つめられて、ノアールはため息を吐く。
「きっと……僕達は両方とも責任があるんだと思う」
喪失感に悲しくなりながらノアールはそっと目を伏せた。
そしてどんなに噂になろうが明日リディアに会いに行こうと決めた。




