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魔法学園フリザード  作者: 151A
再会の呪い
9/127

その時


 瀟洒な住宅街の呼び鈴を押してしばらく待つと、扉の向こうに人が歩み寄ってくる気配がする。

 ゆっくりと開けられた扉から金茶の髪を綺麗に纏めた女性が顔を出して不思議そうに「どちら様でしょうか?」と尋ねた。


 萌黄色のブラウスに茶色のスカートを着て、白いエプロンを着けている姿はリディアの母という感じからはかけ離れている。


「あの。魔法学園の同級生なんですけど……えっとリディアさんは」


 まさか誰かと問われることになると思っていなかったのか、しどろもどろになっているノアールに本当に良家の御子息なのかと首を傾げたくなる。

 だがそのひどく世間ずれしていない所がまたお坊ちゃんという見方もできた。


 助けを求めるように横に立っているセシルに視線を投げてくるが、わざと無視して戸惑うノアールの様子を楽しむ。


「お嬢様の同級生……。お嬢様は何か調べ物があると、学園の方へ行かれたと思いますが?お約束しておられたのでしたら入れ違いかと」

「そうですか」


 おどおどと俯いたノアールに申し訳なさそうな顔で女は軽く頭を下げる。

 得体の知れない相手を家に入れることはできないのだろう。

 やはり六年まえの誘拐事件がこの家を用心深くしているらしい。


 セシルは壁を這う蔓性の薔薇をぼんやりと眺めた。


 白い壁に縦横無尽に這うのではなく、ちゃんと誘引され計算しつくされた形で存在している。

 小さなピンクの花が緑の葉と白い壁に映えて美しい。

 下の方はちゃんと朝に花がらを摘み、色の変わった葉を取ってある。

 手の届かない所はどうするのだろうかと無意識に思考を遊ばせていると女が「綺麗でしょう?」と声をかけてきた。


 仕方がない。

 選手交代だ。


「奥様が大切に育てていらっしゃるんですよ」

「へえ。とっても綺麗。ねえ?おばさんは……名前なんていうの?あたしはセシル」

「私はマーサです」

「マーサって呼んでもいい?あたしのこともセシルって呼んで。その方が嬉しいから」


 こういう時は子供特有の図々しさで愛想よく笑って話しかけた方がいいとセシルは経験上知っていた。

 馴れ馴れしいぐらいの呼び方で相手の懐に入り込み、できるだけ邪気のない表情を作る。


「はい」


 クスクスと笑いながらマーサは人の良い顔をくしゃくしゃにして頷いた。


 善良な人間は簡単にほだされる。


 特にこういう人に尽くす職業をしている者は相手の保護欲をくすぐってやればいい。

 会話の中でありがとうとか、嬉しいとか、教えてとか言えばなんでも喜んで話してくれる。

 軽くお願いとかしてみればそれが叶えられるぐらいの願いならば聞いてくれるのだ。


「マーサはリディの家で働いて長いの?」

「ええ。お嬢様が産まれる前からこちらでお世話になっています」

「じゃあリディが誘拐された時も?」


 事件の話になるとマーサは顔を曇らせて黙った。

 セシルはそっと手を伸ばしてマーサの手を握り上目遣いで顔を覗き込むと「ごめんなさい」と謝罪の言葉を出す。


「ここにリディの友達が来ることってなかったの?」

「……お嬢様はお友達を作ることが出来ないんです。あの時のことを気にして」

「あたしとノアールはリディアからその呪いの話を聞いて協力するって約束したの。だから元気出して。マーサ」

「お嬢様がセシルたちに呪いの話を?」


 目を丸くしてセシルを見て、そしてノアールを見る。

 実際はノアールに話しているのを盗み聞きしたのだがそれは黙っておけば解らない。


 それに協力すると約束したことは本当だ。


 ノアールがなにか言いたげに口を動かしたが、それを遮るようにしてマーサに「そうだよ」と微笑みかける。


「リディは誘拐された時の事覚えてないって言ってたし、直接は聞きにくくて。だからマーサが教えてくれると助かるんだけど」

「そうですか……そうですね。確かにお嬢様には聞きにくい話ですね」


 他人に喋りたがらない呪いの話をリディアが二人に話したという言葉がきいたのか、マーサは深くため息を吐き、気が乗らないながらも当時の事を思い出そうとしてくれる。


「あの日お嬢様は外へ遊びに出かけたまま日が暮れても戻っていらっしゃいませんでした。心配して旦那様と私は街中を探しましたが見つけることが出来なかった。そして夜になっても帰っていらっしゃらないお嬢様の捜索を衛兵に頼みましたがやはり見つからず、夜が明けて眠れずに待っていた奥様が玄関へいらっしゃると扉の下から脅迫状が差し込まれていたんです」


 脅迫状はお決まりの文句と金の受け渡し場所と時間が指定されていた。


 場所は街の東側にある宿場街の中の宿屋の部屋。

 時間は明日の夕方の鐘が五つ鳴った頃。

 金額は家を一軒建てて一年はゆっくり生活できるぐらい。


「旦那様はお金を工面なさって宿屋へお越しになり、指示通りそこにお金を置いて黙って戻られました。衛兵がちゃんとその宿屋を見張っていたんです。それなのにお金は持ち去られ、犯人の姿を見ることもできなかった」

「宿屋の人が共犯だってわけでもなかった?」

「宿屋の方はみなさん協力的でした。その後厳しい取り調べにもあったらしいんですが、犯人に繋がる情報はなにひとつ……」

「それでリディアはどうやって帰ってきたの?」

「夜中に呼び鈴が押され急いで出てみると、放心状態のお嬢様があの薔薇の根元辺りに蹲るようにして座っていらっしゃいました」


 再び長いため息をこぼしてマーサはそっと目を閉じた。

 その目蓋の裏にはあの日のリディアの姿が鮮やかに浮かんでいるのだろう。

 微かに唇を震わせた後で目を開けると悔しそうに眉を寄せた。


「あの頃旦那様はちょっと強引な手で事業を拡大しておられました。それが原因で沢山の人たちの会社が潰れたと聞いています。きっとその恨みを晴らすためにあんな事件が起こったのだと奥さまは旦那様を酷く責めて。お坊ちゃまも一緒に遊んでいればと悔やまれていらっしゃいました。一時期は本当に壊れてしまいそうだったんです」


 目尻に浮かんだ涙を拭いマーサが声を震わせる。

 慰めるようにぎゅっと抱きしめてからセシルは「辛い話を聞かせてくれてありがとう」と感謝の言葉を伝える。


 だがそれでもまだ足りない。

 情報は多ければ多いほどいい。


「リディアのお父様は犯人探しに手を打たなかったの?だって事業を拡大した時に潰れた会社の関係者から犯人を割り出すのは簡単だと思うけど」

「そうなんです。旦那様が犯人探しに消極的だったことが奥さまの不満になっていらっしゃったんです。旦那様は身代金で失った部分の補填をするために更にお仕事に精をだされて。もしかしたら旦那様には犯人の目星がついていらっしゃったのかもしれません」

「……犯人が憎くなかったのかな?大切な娘が傷つけられたのに」


 マーサは「そんなまさか」と苦笑してセシルの頭を撫でてくれる。


 優しい温かな掌。


 いつもこんな風にリディアも甘えて撫でてもらっているのかもしれない。

 なんだかそう思うとくすぐったいような、悲しいような気持がした。


「子供を傷つけられて怒らない親などいませんよ。憎まないはずがない。旦那様には旦那様のお考えがあったのだと思います。きっと」

「うん。そうだね」


 素直に頷いてセシルはマーサの柔らかな腕から離れて笑う。

 それから左手を突き出してからリディアの傷跡がどんなふうに残っているのか尋ねる。

 マーサは掌の中心に指を置き、辛そうに顔を歪めてから「蛇が自分の尾に噛みついている模様です」と教えてくれる。


 そしてセシルの左手首を掴んで裏返し、親指の付け根から真っ直ぐ手首まで指を滑らせた。


「掌は焼き鏝で焼かれ、甲の方はナイフで傷つけられたようです」

「……執拗に傷つけられているって感じだ。犯人の恨みの深さを感じる」


 今まで黙っていたノアールが暗い顔で呟いた。

 セシルも頷いて「そして陰険だ。リディアの家族をじわじわ苦しめていくやり方が」と続け眉を寄せる。

 本当は殺すつもりで誘拐したが殺せずに暗示をかけたのかもしれない。

 それでも家族以外の交友関係を断ち孤独に生きて行かねばならない(と思い込んでいる)リディアにはなんの慰めにもならないだろう。


 そして言い訳にも。


 ふと傍らに立つマーサを見てから浮かんできた疑問を投げてみた。


「マーサはリディアとは血が繋がってないんだよね?それなのに呪いは発動しなかった?」


 家族以外の大切な人ができた時にまた会おう。

 その時が大切な人を失う時だ。


 というのが呪いの内容だった。

 マーサは長く勤めていて家族同様の人だろうが本当の意味での家族ではない。


「きっとお嬢様が本心から私を家族だと思っていてくれたからだと思いますよ」

「本心から……。うん。そうかも。ありがとうマーサ。助かった」

「いいえ。またなにかあったら来てください。今度はお嬢様がいらっしゃる時に。お茶とお菓子をお出ししてあげますよ」

「ありがとう。じゃあまたね」

「……失礼します」


 手を振りながら門へと歩いて行くセシルの後をぺこりと頭を下げてノアールが遅れてついてくる。

マーサが微笑んで手を振り見送ってくれるのをもう一度門の外へ出てから振り返って会釈した。


 住宅街の昼下がりをのんびり歩いているとそこかしこの庭先に春の訪れを告げる花々が咲き始めていた。

 どことなく港から吹いてくる風も暖かく、異国から運ばれた荷物と共に春がやってきたような気がする。


 無心に考え事をしているノアールを横目で窺い、セシルは暗示について知識の無い自分には判断できないことを聞いてみることにした。


「暗示はどこまで効果があると思う?実際にリディアに大切な人ができた時になにか起こると思う?マーサは家族同様だったからなにも起こらなかったのか、暗示をかけられる前に知り合っていた大切な人だから範囲外なのか。どっちかな?」


 答えはすぐに返ってこなかった。

 慎重に言葉を選んでいるのか、優秀な頭脳を働かせて答えをだそうとしているのか、その硬い表情からはなにも解らない。

 少し俯き加減にじっと地面を見つめて歩を進めているばかりだ。


 その隣を歩きながら近づいてきた広場へと目をやる。

 すり鉢状になった広場の階段を利用した椅子に腰かけて語り合う人々や広場を走り回る子供たち、日向ぼっこをする老人に旅の吟遊詩人が奏でるリュートの音。

 入口には数店の露店が並び賑やかだ。


「別人みたいだった」

「へ?」


 突然口を開いたノアールの言葉は待っていた質問の答えではなかった。

 突拍子もない内容に返す言葉も無く間の抜けた声しか出ない。


 だがノアールはもう一度同じ内容を繰り返して奇妙な表情でセシルを見ている。


「誰が?」


 問うと指を指された。

 何度か瞬きを繰り返してからセシルは自分を指差して「あたし?」と聞き返す。


「人懐こい無邪気な子供みたいな」

「ああ……あれか」


 小賢しい世の中を巧く渡るための知恵だ。

 父親から叩き込まれたどうしようも無い物。

 別にそれ自体は悪いことだとは思わないし、有難いとも思う。

 善意の裏側を無意識のうちに量ろうとしてしまうのは癪だが。


「女はいくつもの顔を持ってるんだよ。知らなかった?」

「……セシルが女を語るなんて思わなかった」


 憮然としたままでノアールは精一杯の嫌味を言う。

 それすらセシルを傷つけるほどの力は全く無い。

 寧ろ可愛すぎてからかいたくなるのだから逆効果ともいえた。


「じゃあ男を語ろうか?あたしが知ってる男ってのは碌でもない奴ばっかりだけど……。そんなにあたしの遍歴を知りたがるほど好かれてたなんて知らなかった」

「そ……そんなんじゃ!」

「照れない照れない」


 あははと笑い飛ばしてセシルは露店で売っている、玉蜀黍とうもろこしの粉を薄く焼いたパンに野菜と肉を挟んだものを買ってから広場の椅子に腰かけた。

 ノアールも同じものを買っていたがよく見たら肉抜きだった。


「で、さっきのあたしの質問に答えて」


 聞こえていたことを前提にして促してから自分はパンに齧り付く。

 ノアールも一口食べて咀嚼し、飲み込んでから口を開いた。


「暗示がどこまで効果があるかはわからない。何も起こらないかもしれないし、何か起こるかもしれない」

「なにか起こるとしたら何が起こる?」


 ノアールは言いたく無さそうにパンを食べながら先延ばしする。

 だからセシルも無言で食べながら自分で考えてみた。


 なにが起こる?

 なにが起こり得る?


 また会おうというのはまず無いだろう。


 再会するとしてもその瞬間ではないだろうし、魔法でもないただの暗示にはその時を感じることはできない。

 これはきっとリディアに恐怖心を与えるための言葉だと考える方が妥当だ。


 ならばその時が大切な人を失う時はどうだ?


 『その時』が再会の時ではなく大切な人ができた時にかかるのだとしたら。

 失うのは。

 失わせることが出来るのは。

 

「リディア本人」


 それしかない。


 暗示はリディアにかけられている。

 リディアが呪われていると深く信じているのなら暗示はそのままリディアを動かし相手を殺すかもしれない。


「起こらないかもしれないんだ」

「でも起きるかもしれない」


 なんと巧妙な暗示だろう。


 怨み憎んだ男の家族が苦しみ滅んでいくためにかけられた呪詛のような暗示。

 リディアが人を殺せば捕まり、会社は潰れ街にはいられなくなる。


 だが誰よりも苦しみ傷つくのはリディアだ。

 大切な人を殺め、家族を崩壊させる鍵となる。


 その前から誘拐された時の心の傷や左手の傷に苦しめられているのに。


「……こんなの酷い」


 ノアールの絞り出されたような声は擦れて打ちのめされている。

 まさかこんなに暗く深い執念であの暗示がかけられていたなんて思っていなかったのだろう。


 さすがのセシルも想像以上の怨念に身震いしながら最後の一口を飲み込んだ。


「止めなくちゃ……。暗示を解かなきゃだめだ」

「それよりリディにこのこといわなきゃいけないんじゃない?呪いではなく暗示だって」

「……ああ」


 頭を抱えてノアールが呻く。

 安請け合いした代償の大きさに後悔しているのか、その声の苦渋に満ちた響きが重くセシルの耳に届いた。


「解く方法は?ドライノス先生に聞いたんでしょ?」

「……鍵になる言葉をリディアに思い出してもらわないといけない」

「鍵ね。まあ、取りあえずは辛いだろうけどリディアに思い出してもらわなきゃならないってことか。気が重いね」


 重いといいながらもセシルの声は明るい。


 忘れているにしろ、忘れさせられたにしろ元々はリディアが経験した記憶には違いない。

 辛かろうが今は暗示を解くためにも思い出してもらわなければ先へは進めないのだ。

 それが家族を救うことになり、自身が呪いという暗示から解放される方法になるのだから。


「……セシルはなんか冷たいね」


 非難するようなノアールの視線を受け止めて心の中で他人はみな薄情だと毒づきながら「ありがとう」と微笑んだ。すぐに顔を顰めて「褒めてないよ」と返されたが気にしない。


「冷たいってことは大人ってことだから褒められてるの」

「そんなことは屁理屈だよ」

「ノアールはお子様だから理解できないだけ」

「そんなことないっ」


 むきになる所が子供だと思うが、からかうのはそこまでにして立ち上がる。


 リディアが学園に向かったのというのならば戻るしかない。

 愚図愚図していたらまた入れ違いになってしまう。


「行こう」


 促すと元気の無くなってしまったノアールが顔色悪く腰を上げるが立ちくらみがしたのかしばらく目を閉じて俯き眉を寄せる。

 じっとしている間に少しはましになったのか顔を上げて小さく笑ってみせてくれたが唇に色はない。


 ノアールに無理をさせないようにさっきよりも速度を落として歩く。

 広場を過ぎて知識の通りに入ると建物の影に入るので少し肌寒くなった。


「あの時殺されていればまだ苦しみは少なかったのかもしれないね」


 答えを求めて呟いたわけではなかったのにノアールが鋭くセシルの名を呼んだ。


 善良で優しい無垢な彼には通用しない考えだろう。

 生きる世界が違う所が感じられるのは楽しいことばかりではない。


 歯痒く苛立つこともままある。


 セシルの痛みや感傷など理解できないのだと目の前に突き付けられるとやはり辛い。

 だがそれが生きていくということなのだろう。


 完全に理解し受容できる他人などどこにもいないのだから。


「リディアが全てを知っても立ち向かえる強い心の持ち主だったらいいね」

「……どんなことがあっても最後まで協力する」

「そう?男だね」


 くすくすと笑い声をもらすとノアールは右の瞳だけを眇めてから反論しようと唇を動かしたが言葉にはならなかった。

 左の瞳も閉じられて眼鏡の上で眉が苦しそうに寄せられる。


「ノアール大丈夫?」

「……だい」


 右手で額を押えて膝から崩れるように倒れる。

 その細い身体をセシルは両手で抱き留めて支えた。

 肩に乗ったノアールの顔色は白く呼吸も浅い。

 熱もなさそうなのでただの貧血だろう。


「まったく困ったお姫様だなぁ」


 ノアールの身体の向きを変え、右手を腋の下から差し入れて背中を支える。

 左手を膝の下から持ち上げて抱え上げると苦笑しながら足早に学園へと向かう。


 街で倒れて女の子に抱えられて通りを歩いて帰ってきたと後で聞いたら羞恥で憤死してしまうかもしれないと思うと更に愉快な気持ちになる。


「女の子を救おうっていう男の子ならもっと強くならなきゃだめだよ。ノアール」


 揶揄の声も今は彼には届かない。


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