魔法の心得
学生食堂で昼食を食べていると正面に紅蓮が座った。
安さと味が自慢の学食はいつも学生で一杯だ。
すぐに売り切れることもあって、食べたいものを手に入れるなら人を押し退けて前へと出なくてはならない。
フィルはぎりぎりBランチを買うことができたが、紅蓮は間に合わなかったのか野菜と豚肉の煮込み料理と硬めのパン、果物が乗ったCランチをテーブルに置く。
Bランチは魚に衣をつけて揚げたフライとサラダ、外側がカリッと焼けたパンとヨーグルトにスープがついている。
成長期の男子の胃袋は満腹にはならないが、安さを考えれば十分で、更に味は問題にならないほど美味いのだから学生には有難いばかりだ。
「購買部で買い食い決定だな」
むしゃむしゃとパンを頬張りながら紅蓮がやれやれと首を振る。
フィルは買い足して食べなくても持つが、背が高くがっしりとした体を維持するのは大変そうだ。
「ぼくは燃費が良くてよかった」
「オレの身体は効率が悪いんだろうな。いくら食べても足りない気がする」
「それだけ動いてるってことだろうね」
左手でスプーンを動かし、右手でパンを食べる紅蓮の皿はあっという間に空になる。
フィルはパンの間にサラダと魚のフライを挟んで手早くサンドイッチにすると咀嚼しながらスープで流し込む。
「次から次と」
紅蓮が水を飲みながら入口の方へ視線を向けた。
全校生徒約360人。
全員が学食に来るわけでは無いが殆どの学生が来るといっても過言ではない。
しかも授業が終わるのは同時なので、一斉に押し寄せてくることになる。
食堂に設置されているテーブルとイスは十分な数を揃えているとはいい難く、ゆっくりと食事をしている余裕は無い。
のんびりしていると食事の乗ったトレイを手にした学生たちに「はやく明け渡せ」と言葉にならない重圧をかけられることもしばしばだ。
食事を終えても立ち去らない紅蓮にフィルは「また例のやつ?」と確認した。
だが珍しく険しい顔で首を左右に振ると「別件で相談がある」ため息と共に吐き出す。
「了解」
また魔法がらみだろうか。
そうでなければ紅蓮がフィルに相談などしないだろう。
「先に購買部でなにか買ってたら?直ぐに下りるよ」
「そうする」
さっとトレイを手に立ち上がると、直ぐに学生が席を確保しようと近づいてくる。
紅蓮の後に座ったのは二年生だ。
赤茶色の髪に碧色の瞳のどこにでもいるような少年にフィルは目を反らし食事に集中する。
「あのー……三年のフィル・ファプシスさんですか?」
だがなぜか少年は声をかけてきて器用に手を動かしながら目を細めて笑むと会釈をしてきた。
フィルが入学してきた当時は魔法都市トラカンからの編入生として騒がれたが、控えめに過ごしていたからかあっという間に忘れられ、今でも居ても居なくても問題は無いほどだ。
つまり一年下の後輩が自分の名前と顔を知っていることは有り得ない。
なんらかの思惑があって近づいてきたと判断して間違いないだろう。
「君は?」
「おれはベルナール。ノアールの同室なんですよ」
「へえ……」
そのノアールと同室の少年がどうしてフィルに接触してくるのか。
「悪いけど、急いでるから」
相手にするほど暇ではない。
さっさと食事を済ませて腰を上げるとベルナールは「そんなの見てりゃ解ります」と人の悪い笑顔を向けた。
「宣戦布告です」
「なにを戦うの?」
意味不明な発言に怪訝な顔で尋ねると「おれ負けませんからね!」鼻息荒く宣言するが、理解不能なので会話を続けるのを諦めた。
「そう。頑張って」
「はあ!?頑張ってだって!?おれとあんたが戦うってのに、そりゃないわ!」
勢い余って砕けすぎた口調になっているベルナールを一瞥して首を傾げる。
「え?ぼくと君が戦うの?なんのために?」
「決まってるだろ。男が戦う時はいつだって愛のためだ!」
「…………ひとりで頑張れ。付き合ってられない」
愛のためなどくちにしていて恥ずかしくは無いのだろうか。
背を向けると「なんだよぉ。あんたもノリ悪いな」ドンドンとテーブルを叩いて悔しそうに悶える姿を横目で見ながらフィルは食器を返却口へと持って行き学生食堂を出た。
あんな面倒臭い少年と同室になるとは気の毒に。
ノアールに同情しながら廊下を歩いて学生ホールに着く。
広い空間に食事を終えた学生たちが数名楽しそうに喋っていた。
右奥にある廊下を進めば教員室や戦術研究室、そしてドライノスのいる薬学室へと繋がっている。
フィルはホール奥にある階段を使って二階分下りた。
学園の玄関ホールに出るが購買部もそこにある。
パンと焼き菓子を購入した紅蓮がすでに待っており、並んで医務室の前を通り回廊へ出てグランドへと足を向けた。
膝丈で剪定された植込みの間に時折木が植えられベンチが置いてある。
そこに座って待ちきれないようにパンを食べ始めた紅蓮を眺めて苦笑いを浮かべた。
「本当によく食べるね」
「食うか?」
「欲しがってるんじゃなくて呆れてるんだよ」
拒否すると安堵の表情で笑い紅蓮はごっくんとパンを飲み込むと瓶に入った牛乳を一口飲んだ。
「実はベングルから弟が二人来てる」
「……ふたり?」
唐突に始まった会話にフィルは首を傾げた。
紅蓮の弟はひとりのはずだ。
そう伝えると「そうだ」と頷きそこが問題なのだと思案顔で焼き菓子を食べる。
「生憎記憶がないからどっちが本物か解らなくて困ってる」
成程。
「会った時になにか感じなかったの?」
「感じなかった……ような、感じたような」
「なに?曖昧だね」
「片方の着てた服に刺繍されてた龍の模様は見覚えがあるような気がした」
「顔じゃなくて、着ていた服の模様に反応した?」
神妙に首肯する紅蓮にフィルは悩む。
弟本人に反応していないのなら、それはどちらも偽者の可能性はある。
記憶がないのを知っているのならば、強く喚起するような物を見せれば紅蓮が勘違いして弟だと思い込ませることは簡単だ。
「最期の手紙はいつの物だったっけ?」
「八ヶ月前に出されて二カ月遅れて届いた」
「その時は戦争のことに触れてなかった?」
「無かった」
書いた時には戦争の発端は感じられていなかったか、もしくは解っていて心配かけないように黙っていたのか。
しかし手紙が届くだろうと疑っていなかったのは確実だろう。
つまり出した時は平和だった。
手紙が国から出る前に戦況が悪化し、届くはずの日数より二カ月後に遅れて紅蓮の手元にやって来た。
「……計算が合わない」
「ん?どうした」
「いや。自称弟の二人は一体いつ国を出たんだろう?八ヶ月前出された手紙が送れるほどなのに、二人は通常通り三カ月ちょっとでベングルからディアモンドまで来たのかな?」
人が出入り出来なくなっても通常物資は動くので荷や手紙は遅れてでも届く。
小さければ小さいほど隠すことが可能で、金さえ握らせれば荷は途中で奪われるが手紙は人の手を借りて外へ出ることはできる。
それなのに手紙は遅れて、人は遅れないということが有り得るのだろうか。
勿論足を使って国境を超えてからフィライト国へ向かう船に乗れば可能だろう。
だが手紙すら擦り抜けるのが難しい規制の中で、有名な“東方の魔術師”の孫が三カ月前に国を出られるとは思えない。
「所長もノアールもそこ気にしてたな。多分両方偽者だっていってた……けど」
こうしてフィルを頼って来たということは偽者だと斬り捨てることができないのだろう。
記憶がなくとも助けを求めてはるばるディアモンドまでやって来てくれたかもしれない弟を見捨てることは紅蓮には難しいだろう。
確たる証拠があれば決断できる。
だから。
「もしものことがあるからな。なにか方法を探して欲しいんだ」
真摯な頼みにフィルは小さく頷いた。
「方法ならあるよ。相手が真実をいっているかどうか確かめる魔法がある。その真偽の魔法は直接会ってかけないといけないいけないんだけど……魔術の使う相手にぼくの魔法が通じるかどうか」
魔法自体は簡単にかけることができるだろう。
だが魔法の心得がある者にはすぐに真偽の魔法がかけられたことがばれてしまう。
抵抗されて魔法が返されればフィルは無傷ではいられない。
魔法返しされた者は使用した魔力の倍以上の威力の打撃を受ける。
それは肉体にではなく精神に。
相手の力量によっては肉体は生きているのに精神が死んでしまうとこともあるという。
「頼む」
拝まれてフィルは苦笑する。
魔法の心得に疎い紅蓮は自分がどんなに危険なことを頼んでいるかなんて知らない。
それでもフィルは紅蓮の頼みならば聞くのだ。
母を説得してディアモンドまで連れて来てくれた恩があるから。
「いいよ。いっとくけど失敗する可能性もあるから」
「悪い。それでもいい」
「その二人が揃ったら連絡くれる?いつでも呼ばれればそこに行くから」
グランドで遊んでいた生徒が北校舎の方へと流れていくのを見て、休憩時間が残り少ないことを知る。
立ち上がりフィルと紅蓮もその流れに乗り校舎へと入った。
「じゃ、またな」
手を振って教室へ消えていく紅蓮に笑顔で頷き、フィルは魔法が返された時のことを想像して身震いした。
恐怖は確かにあるのに、もしかしたら苦しみから解放されるかもしれないという期待に胸がざわめく。
ふとフィルは聞き馴染んだ声が遠くから聞こえて振り返る。
廊下の向こうでリディアとヘレーネが手を振りあってそれぞれの教室へと向かうのが見えた。




