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魔法学園フリザード  作者: 151A
東方の魔術師
85/127

にせものは誰だ

誤字修正しました。


 紅蓮は厄介事万請負所“便利屋レットソム”の扉を開けて「お疲れさんです」と声をかけて入る。

 狭い事務所には机が二つ。一つは所長用、そしてもう一つは事務のカメリア用だ。

 事務員として働いているカメリアはいつもなら帰り支度をしていて、紅蓮が来るのと入れ替わりに出ていく。

 だが今日は表情の乏しい面にどこかそわそわした様子を覗かせて入って来た紅蓮を迎えた。


「なんかあったんすか?」

「……弟が、ベングルからわざわざいらしてます」


 貴方のという言葉をすっ飛ばしてカメリアが視線で所長の机の後ろにある応接室を見る。

 どうやらそこに二日前に会った双清がいるらしい。

 がしがしと頭を掻いてやはり訪ねてきたのかという面倒な気持ちと、元気の良いやんちゃそうな憎めない笑顔をまた見られるのかという嬉しさに複雑な気分になる。


 沈着冷静で感情の起伏の少ない彼女が落ち着かないのはとても珍しく、紅蓮はそれ故に不安を煽られ「なんか問題でも?」と尋ねた。


「ノアールが『違う』といっていたので問題ありだと思います」

「違う?」


 どういうことだ。


 今日ノアールの方が先に事務所へと来ていた。

 昨日の段階で来ていた依頼がノアールひとりでも対応できるような簡単で単純なものだったからだ。

 紅蓮が担当しているのは荒事が多く、そういう仕事は夜が更けてからの方が多い。


 だから出勤が遅く、寮で食事を終え風呂を使ってから出てくることがほとんどだった。

 最近は寮で寝ることも少ない。

 この事務所の奥にある仮眠室で床に転がって数時間眠り、その足で学校へと登校する毎日だ。


 紅蓮は体力だけが自慢なのでそんな無茶な日々を送っても問題ないが、ノアールはそうはいかない。

 なるべく寮に帰らせ、ベッドで眠ってもらわなければ体調を崩し、勉強にも仕事にも支障が出てしまう。

 出勤は週に三日。

 二日ある学校の休日の内一日だけ出勤し、後の一日はゆっくりとしてもらうという契約を最初に結んでいる。


「二日前に会った弟と今日来た弟は別人だそうです。応接室で所長と一緒に紅蓮が来るのを待っています」

「この間の弟と別人たって」


 どちらが本物の弟か紅蓮には判断することができない。

 会っても本人なのか確認する術がないのにどうすればいい。


「取りあえず会ってみてから考えましょう。私も今日は残ります」

「カメリアさん、でも病気の」

「一日ぐらい問題ありません。今は紅蓮の問題の方が重大ですから」


 彼女が一分一秒でも無駄にしない働きで仕事をこなすのは、家に病気の父がいるからだ。

 昼間は母親が看病し、夕方からはカメリアが傍につく。

 そして夜中は弟が寝ずの番をするのだ。


 そんな暮らしがもう二年も続いているというのに、カメリアは疲れも見せずに淡々と同じ毎日を送っている。

 結婚していてもおかしくない年頃の彼女には友人と遊ぶことも、恋人を作ることも、着飾ることも、笑うこともできずにいるが、それを苦には思ってはいないようだ。


 現実を受け止め、堅実に今やるべきことをやる。


 カメリアは感情の無い女性ではない。

 そして思いやりの無い女性でも。


「ありがとう。カメリアさん」


 頷くカメリアに背中を押されて紅蓮は応接室のドアを開けた。

 所長の隣に座ったノアールがはっと顔を上げて眼鏡の向こうで多くのことを語ろうとしている瞳がこっちを見つめる。

 それに目線で応えて所長に「お疲れさんです。弟が来てるとか」と軽く会釈した。


 レットソムは眠たそうな目で「そうなんだよなぁ。なんか面倒臭い事になってんなぁ」耳に小指を入れて掻きながら欠伸をひとつ。


「兄さん。久しぶり」


 こちら側に背を向けて座っていた少年が赤い髪を揺らして振り返るとにこりと微笑む。

 柔らかそうな赤い髪は長く、耳の高さで一つに束ねられている。

 青い瞳はどこか優しげで二日前に会った双清と比べるとどこか頼りない感じがした。

 輪郭は細面で、全体的に与える印象が細く弱い。


「双清……?」

「そう。でもラッシュって呼んで。前はそう呼んでたよ?」


 確かにこの前会った弟、双清とは別人で、どちらが本当の弟なのか解らない以上、同じ名前ではややこしい。

 それならば最初会った方を双清。

 そして新たに現れた方をラッシュと呼んだ方がいいだろう。

 要求通りラッシュと呼ぶことにする。


「なにしに来た」


 三ヶ月以上もかけて船に乗りディアモンドまでやって来たのは紅蓮を利用するためか?

 それとも利用されまいとしてか。


「兄さんにお願いがあって来たんだよ」


 弱々しく微笑むラッシュの麻でできた襟なしのシャツは長旅で汚れ、所々解れていた。

 袖の無い長いベストは綿が裏打ちされ、鮮やかな青い色をしている。

 そして胸元に銀糸で龍の刺繍がしてあるのを見て紅蓮は失った記憶の中に同じものを見たような気がして胸が騒いだ。


「……知っている」


 漠然とした事実に驚愕して思わず呟いた言葉に反応したのは意外にもレットソムだった。

 眠たげな目蓋を押し上げて鋭い瞳を紅蓮に向ける。

 翡翠色の目が紅蓮の動揺を抑えるように力強く見つめているのに気付き、知らず力の入っていた身体からゆっくりと力を抜いて行く。


「当然だよ。この龍はおれたちの家の紋章だから。もしかしたら思い出し始めてるのかもしれないね」


 嬉々とした顔でラッシュは無邪気に笑う。

 そしてソファの左端に寄ると隣の座面をポンッと叩いて座るようにと促してきた。


 二日前の双清の時には感じなかった物をラッシュから感じて、紅蓮は目の前にいる方が本当の弟なのかもしれないと思い始めていた。


「ねえ。兄さん。ちょっと困ったことになってるんだ」

「……反乱軍の事か?」


 だがラッシュは眉を下げて首を振り「父さんとお祖父ちゃんのこと」だとソファの背もたれに深く沈み込む。

 優しげな顔立ちは弱り切った表情をすると更に儚さを増し、なんとかしてやらねばと思わせる。


「父さんと祖父ちゃんがどうかしたのか?」

「どうしたって……?兄さんは暢気だな。もう大変なことになってるんだから」


 上目使いでラッシュが泣きそうな顔をする。

 そのあざとさに一瞬、手紙のやり取りから想像していた弟像との差を感じ紅蓮は隣に座りながら注意深くレットソムに視線を送った。


「大変なことってどんなことか聞いてもいいかなぁ?」


 所長が坊主頭を撫でながら気乗りしていない口調でラッシュへ問う。

 自称弟はレットソムに向き直ると「はい」と返事をして話し始めた。


 父と祖父の意見が割れ、別々の派閥に分かれて争っている。

 今まで二人の意見が異なることなど無く、概ね祖父の決めたことに一族は従っていた。

 だがなぜか父は反乱軍に力を貸し、トーキの街を落とそうとしているのだという。


「お願いだよ。兄さん。戻って来て二人を止めて欲しいんだ」


 説明の後ラッシュは隣の紅蓮に懇願してきた。

 涙を浮かべて見つめてくるその瞳に嘘や偽りなど無いように見えたが、単純な紅蓮にはそれが演技かどうかは解らない。


 そしてどちらが本当の弟なのかも。


 届けられる手紙からは考え方や文章の書き方からやんちゃさと賢さを感じ、どちらかというと最初に会った双清の方がその印象に近い。

 だがラッシュに感じたような記憶を喚起するような物はなにひとつ無かった。


 どっちだ?


 紅蓮を利用しようとしている偽者の弟はどっちだ。


「……解んねぇや」


 記憶を失っている紅蓮はきっと利用するには都合がいい。

 逆に利用されたくない方には記憶が無い事が障害となる。

 紅蓮には判断する事が難しい。


 できない。


「どうやって紅蓮をベングルに連れ帰るの?出入りを規制されてるんだよね?」


 ノアールが迷っている紅蓮の代わりに質問する。

 ラッシュは慎重に頷いて「協力者がいるんだ」と囁く。

 遠く離れたフィライト王国でベングルの反乱軍が聞いている可能性があるのだといわんばかりの小さな声。


 実際にベングルから双清を追って刺客がやって来たことを思えば慎重になるのも頷けた。


「ベングルと接しているノデっていう小国の国境の街バンダの衛士に知り合いがいて。その人がおれと兄さんをベングルへ入れてくれる手筈になってるんです」

「そこに行って二人とも反乱軍に売られるってことも最悪あるぞ?」

「大丈夫です。その人はお祖父ちゃんの古くからの知り合いで、信頼できる人ですから」

「信頼できる奴こそ裏切るもんだぞぉ?もしもの時はどうするか、ちゃんと次の手を打っていないのなら紅蓮を行かせること許可できねぇなぁ」

「もしもの時は戦って活路を見出します」

「えれぇ自信だなぁ」

「こう見えてもおれ、水を操る力ならベングル1だって自負してますから」


 弱く頼りないラッシュが得意げに胸を張りにこりと微笑んだ。

 そして紅蓮を横目で「兄さんの強さもおれ知ってるし」頼りにしてるからと期待している目で見つめられた。


 紅蓮ができるのは炎を操ることではなく、戦う事だけだ。

 それだけしかできない。


 でも己の能力を揮う相手を見極めることができない以上、ベングルに戻るのは早計だ。


「三ヶ月かけて戻っても決着が着いていたら意味が無いと思う。それに君がまだ紅蓮の本当の弟か解らない。証明できる?自分が紅蓮の弟だって」


 ノアールは疑いの目を隠さずにラッシュへと向けている。

 血が繋がっているだろう紅蓮でも信じられないのだから、他人なら尚更だろう。


「……信じられないのも無理ないと思います。水を操ってみせてもベングルには水を操れる人間は沢山いる。おれがラッシュ・ニコル・双清だって証明してくれる人もいない」


 それでもとラッシュは立ち上がり両掌を上に向けて目を伏せた。

 腕を前に出してから呼吸を整え胸の前で掌を合わせる。


 ペシッと乾いた音ではなく湿った音が部屋に響いた。


 よく見ると指から水が滴り落ちている。

 その雫はひとつひとつが意思ある物のように別々の動きをしてラッシュの手を覆っていく。

 流動的な水滴の量が増え燐光を放ち始めると、腕に鱗状の模様が浮かび上がる。


 項の後ろにチリッと焼けるような痛みを覚え全身が警鐘を鳴らした。

 紅蓮は素手で武器などなにも持っていない。

 腰を浮かして正面に座っているノアールを庇おうとしたが、標的はどうやら前ではないらしい。


 冷たい空気が左前方から叩きつけてくる。

 頼りない風情のラッシュの顔には残忍な笑みが浮かんでいた。

 紅蓮は難しいことを考えるのは止めにして頭を真っ白にする。


 そうすれば後は体が勝手に反応してくれる。

 記憶は無くても戦い方は身体が覚えているからだ。


「お前が弟でも」


 そうでなくても。

 戦いを挑まれては引けない。


「手加減無しだ!」


 紅蓮は触媒が無ければ炎を出すことができないが、優れた術を扱えても華奢なラッシュの肉体はやはり打撃には弱い。

 術を喰らう前に打ち据えてしまえば紅蓮には敵わないはず。


 浮かせた腰をソファに戻し、肘かけに左腕をかけて右足をラッシュの右膝に打ち込む。

 そのまま身体を反転させて右足で巻き込むようにすると、弟の腿に右膝の内側がぶつかるので更に体重をかける。

 ラッシュは体勢を崩しながらも水を纏った両腕を紅蓮の顔へ向けて振り下ろしてきた。


「当たらなきゃ意味ないぜ?」


 紅蓮は右手を伸ばして胸を掌底でドンッと思いっきり突く。

 怯むかと思ったがラッシュが眦を上げ、伸ばされた右手に右腕を絡ませて笑う。


「逆に当たったらこっちの物だよ。兄さん」


 ひんやりとした感触と共に流れ込んでくる波動が腕を伝って脳へと到達する。

 脳が揺れたからか視界も揺れた。


 視界の端からラッシュの左手が喉元へと突き出してくる。


 あれを喰らえば次は心臓が攻撃され、戦闘不能に陥る事になるだろう。

 それは敗北を意味し、そして死を覚悟せねばならない。


「……っざけんな!」


 血が巡る。

 熱い炎に似た滾る波動に身を任せ、絡められた腕に力を込める。

 ギリギリと限界まで筋肉が緊張していく。

 限界までに張り詰めた皮膚の下から熱が吹き出し、濡れたラッシュの腕から水蒸気が挙がった。


「っ熱!」


 堪らずラッシュが腕を離して下がるのを見ながら床に膝を着き疼く右手を左手で押える。

 折れた後なんの手当もせずにくっついた右肘は変形していて、無理矢理出現させられた炎の負荷に耐えられなかったのか強い痛みを訴えていた。


「……殺す気だったな?」


 胡乱な瞳でラッシュを見上げると弟は悪びれもせずに微笑んで「手加減無しっていったのは兄さんの方だよ」といい放った。

「全く……ベングル人は暇さえありゃ殺し合いしてんのかねぇ。事務所壊されちゃ困るから、止めてくれよ」


 ソファの後ろからのっそりと立ち上がり、やれやれと首を回しレットソムが仲裁に入った。

 ノアールも青い顔でソファの背もたれから目だけを覗かせてこくこくと同意している。

 紅蓮は右肘を押えたまま立ち上がるとラッシュに一瞥をくれ扉へと向かった。


「悪いけど、ベングルに帰る暇は無い。記憶の無いオレが戻った所で親父や祖父ちゃんを止められるとは思えない。諦めて帰れ」


 難しいことは考えても解らない。

 だから今できることをする。


 今すべきことは“便利屋レットソム”の力を必要としてくれる人たちの手助けをすること。

 ベングルに帰ることではない。


 だから帰れ。

 そう心で強く願った。


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― 新着の感想 ―
[良い点] うむ!あっちもこっちもややこしいことになってきた! ややこしいのは、みんなそれぞれ自分の気持ちを少しずつ抑えてるからだよなぁ、切ない……。
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