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魔法学園フリザード  作者: 151A
ラティリスの毒
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未来へ④



 窓から見える背中は決して油断などしていない。

 書類をめくり、目を通し、時には分厚い本を手に取り熟考している。

 そんな中でも決して気を抜かないその姿勢があまりにも孤独で美しい。


「いつまでそんな所にいるつもりかな」


 こちらを見もせずに窓からの来訪者が誰かもわかっているようだ。

 この窓はテラスに続く窓ではなく、普通に採光と空気を入れ替えるためだけに作られた物だから窓枠に掴まり、石を積み上げた作りの壁にあるちょっとしかない引っ掛かりに爪先を乗せている不安定な状態でセシルはずっとフィリエスの背中を眺めていた。


「できればもっと早く声かけて欲しかったよ」

「鍵は開いてるから、どうぞ」

「それはどうも御親切に」


 外側へと向けて開く窓に右手を離し爪を引っかけて開け、枠に肘を乗せて体重を支え左側も開ける。

 鍵を開けていたということはセシルが来ることは分かっていたようだ。


「察しが良くて助かる」

「普通に訪ねて来てくれる方が私としては嬉しいんだけどね」


 ひょいっと身軽に窓枠を飛び越えて無事に柔らかな絨毯に足が触れると、緊張から解き放たれた筋肉が一気に緩む。

 左肩に右手を置いてぐるりと肩甲骨を意識して肩を回すと痺れたような疲労が流されて気持ちがいい。


「寝入った頃に忍び込もうかとも思ってたんだけど、それは流石に危ないからさ」

「そうだね。きっと問答無用で首を刎ねていたと思うよ」

「だろうね」


 笑顔でフィリエスは冗談のように軽く口にしたが、それが戯言ではないのは十分空気で伝わってくる。

 自分の手を汚すことをなんとも思わない。

 たとえノアールの友人として滞在しているセシルでも簡単に斬り捨てるだろう。


「なんたって覚悟決めてるもんね」


 喉の奥で笑いフィリエスは書類の最後に署名を刻んで机の脇に寄せた。

 大きな執務机には沢山の資料や書類、本が積まれている。

 雑然と置かれているわけでは無く、整然と置かれている様はフィリエスの性格を表しているかのようだ。


「ねえ……。本当に諦めちゃうの?」

「諦める、とは?」


 セシルは書類を無造作に掴んでさっき目を通し署名された書類の上に放り投げる。

 フィリエスの美しい眉がピクリと動くが気にしない。

 更にインク壺とペンを押しやって場所を開ける。

 斜めに背負っていた袋を背中から胸に回して開口部分を持ってくると、そこから乳鉢と薬瓶、そして水の入った革袋を取りだし置く。


「別にフィリエスが伯爵になっても構わないんだけどね。もう決めちゃったらしいから」

「決めた?」

「ノアールを恨まないでやって。ここを変えたいって。そのためにはフィリエスじゃなくてルーサラが適任だっただけのこと。心からあんたを敬愛している。その気持ちはなにをされてもきっと変わらないよ」

「……そうか。ノアールはルーサラに決めたのか」


 安堵のような、嫉妬のような感情を緑の双眸に燃え上がらせフィリエスはふうっと息を吐く。


「がっかりしないで」

「ふふ……。がっかり、か。確かに私よりルーサラを選んだノアールに失望をしている自分がいるな。でもそれを面白がっている私もいる」

「フィリエスはノアール推しなんだよね?だから説得しに来た」

「ノアールではなくルーサラを推せと?」

「もちろんタダでとはいわない。フィリエスの願いを叶える代わりに、こっちの願いも聞いてもらう」

「説得では無くそれは交渉というよ」

「リディと違って純粋な気持ちで説得するより、互いに欲しい物を差し出して交渉する方が遥かに簡単だし向いてるから」

「成程ね。では君はなにを対価に払う」

「確実に殺せる毒を調合する」


 手を広げて机に置いた道具を指し示す。

 机の上の角灯と壁に掛けられた燭台のみの灯りでは部屋の隅々までは照らせない。

 お互いに手の届く距離に居ても二歩下がればその手になにを持っているのか確かめることは難しい。


 机の下に置かれたフィリエスの左手が危険な武器を隠し持っているか否かも。


「……その毒で私がノアールかルーサラを殺そうとするかもしれない」


 静かな声が密やかに漂う。

 フィリエスの紫紺の髪は夜の灯りの下では漆黒の闇のように輝いている。

 艶々と艶やかに笑みを形作る薄い唇に、色香を匂わせる怪しげな目元。


「明日。ルーサラが選ばれれば問題は無いからね。それでもいいんだ」

「警告でもするつもりかな?」

「そんなことしないよ。する必要ない」

「なぜなのか聞いてもいいかな?」

「いいよ。だってフィリエスが殺したいのは誰でもない」


 白い陶器の乳鉢は可愛らしい形で無愛想な執務机の上に存在している。

 その丸い縁をそっと指でなぞり「自分自身だから」と囁いてフィリエスを見つめた。


 その美しい顔には動揺も無く全てを諦め、覚悟している人間だけが持ち得る泰然とした穏やかさにも似た笑みだけがある。

 いっそ清々しいともいえる儚い光。


「君が調合した薬を私が信用できるかな?」

「できるさ。フィリエスが“冬の森”で採取したラティリスの毒を使うからね」

 

 自分が持っている毒草を使うならば効用を疑う必要も無い。


「まずはこっちが毒を目の前で作る。その後にルーサラを推薦する書面を残してもらう」

「…………。悪くは無いね」

「死んだ後で誰が伯爵になろうがフィリエスは構わないよね?」

「まあね。正直ノアールは爵位を継ぐには優しすぎる所があるから」

「心配なら、ずっと傍で護ってあげればいいのに」

「そうしてあげたかったけどね。周りが煩わしくて我慢ができなくなった」


 ケインがいっていたように倦んでいるのだ。

 長く続いた後継者争いのせいで、フィリエスの精神が歪み耐えられなくなっている。


 触れれば斬りつけられそうな空気を放ち、危うい場所で常に毅然として立ち続け、本心を曝け出せず、安寧を与えられないまま育ったフィリエスは孤独で美しく、今にも壊れてしまいそうだ。


 だからセシルはフィリエスの手伝いをしてやりたくなった。

 その願いを叶えてあげたいと。


「じゃあ交渉成立ってことで」


 掌を上にして差し出すとフィリエスは一瞬目を伏せ、すぐに自嘲の笑みを浮かべ懐から鍵を取る。

 左手を鍵穴のついた引き出しに伸ばし開け、軽い力で引き出すと大事そうに置かれているハンカチを手に取りセシルの掌に乗せた。


 折り畳まれた布を開くと変色の始まった乾いた草が姿を現す。

 それを乳鉢に入れ、乳棒で叩くようにして細かくする。

 あらかた小さくなった所でゆっくりと側面に擦りつけて更に小さくなるように潰していく。

 多少のばらつきはあるが半分は粉末に近い状態になったので手を止め、持ってきた薬瓶から別の薬草を乳鉢に入れてまた乳棒で擂り潰す。


「それは?」


 途中で加えられた物がなんなのか気になるのか尋ねてくる。


「効果が増すやつ」

「なんという毒草かな?」

「騎士隊でもらってきたやつだから普通は薬草として使われるんだけど、摂取量によっては神経麻痺や血圧降下が起こる。トウショウソウだよ」

「……胃腸薬として使われているやつか」

「薬と毒は紙一重だからね。知ってると思うけど」

「胃腸薬なら逆に効果を半減させそうだが」

「“ラティリスの毒”は猛毒だから、トウショウソウぐらいの薬効で半減なんてできないよ。それから……苦しまないで良いように、睡眠薬を入れたげる」

「できれば苦しんで全てを恨んで見苦しく死にたいんだけどね」

「そんな姿で死なれちゃノアールに言い訳できないよ。それにフィリエスみたいに、いい男の最期はやっぱり狂おしいくらい綺麗に迎えて欲しいしね」


 睡眠作用のある薬草を入れて三種類を混ぜ合わせると革袋から水を入れ、ゆっくりと掻き混ぜる。

 ドロドロしていて粉末になり損ねた草の繊維が残り、飲むのに抵抗を感じさせる仕上がりになっていた。


「さて。ここからが本番」


 乳棒を横に置き、セシルは両掌で乳鉢を上から包み込むようにした。

 混ざり合った植物がそれぞれの主張をしていて鬩ぎ合っているのが肌から感じられ、それを宥めるようにそっと力を送る。

 親指に力をほんの少しだけ加えて、空気を押し出すようにすると植物が反発するように押し返した。

 セシルも同様に押し返す。

 植物がうねりながらさっきよりも強く抵抗するので口元に笑みを刻むと「……アストラガルス……シニクス」と囁く。


「ほう……」


 フィリエスが感嘆の声を上げたのは、乳鉢と掌の間から緑色の粒子が零れ空気中に漂い始めた頃だった。

 優しい風がふわりと草原の匂いを連れて舞う。

 綿毛が風に飛ばされるようにセシルの魔力も軽やかに舞い上がる。


 柔らかな髪を擽り、頬を撫でる風は上に昇ったと思えば次は横から吹く。

 そして下へと下りてまた昇華する。

 規則性など無いその自由さにセシルの心は晴れやかに、伸びやかに、安らぎを得る。


「……さてと。そろそろいいかな」


 満足して呼吸と共に魔力を吐き出すと力を抜いた。

 唐突に光と風は消え、確かに発現していた魔法の余韻だけが微かに残る。


「魔法学園は質の高い授業をしているらしい」

「そんなことないよ。基礎ばっかりでまともな魔法を使える生徒は少ないから」

「でも今」

「前にいった扱き使われてる植物学の権威が無理矢理面白がって教えた魔法で、本当は生徒に教えちゃまずいやつなんだ。だから勝手に使ったらなんていわれるか分かんない。フィリエス内緒にしといてよね?」

「内緒にするもなにも。これから死のうかという人物に口止めする必要は無いだろうに」


 くすりとフィリエスが笑ったので、セシルは肩を竦めて返す。


「次はフィリエスの番だよ」

「いいだろう。それで?なんと書けばいい?」

「そうだね……」


 考えている間にフィリエスは木彫りの美しい箱の蓋を開け、そこからセレスティア家の紋章の入った羊皮紙を取り出した。

 盾に百合の花が紙の上部に金箔で型押しされた物は正式な書類を意味する。


「う~ん。『私、フィリエス=セレスティアはルーサリマニタ=セレスティアが最も後継者として相応しく、支えるに値する人物であると認め、私の名誉と尊厳をかけてルーサリマニタ=セレスティアを推薦し、速やかに受理されることを望む』ってのはどうかな」

「私らしくない文面だが、書けといわれれば書こう。だが見る者が見れば誰かに書かされた物だと見抜かれる」

「フィリエスらしいってどんな感じ?」

「まず名誉と尊厳など使わないね」

「そっか。じゃあフィリエスらしく言い換えてみてよ」

「ふむ……。そういわれてみれば思いつかないな。名誉も尊厳も激しく信用していないからね」

「じゃあフィリエスが一番大事で信用しているのってなに?」

「そうだね……。ノアール。それからルーサラも信用に足る人物だと思っているかな。後はノートン」

「ノートン?」

「私の料理人だよ。この離れにいるのを許しているのは彼だけだから」

「ふ~ん。でも流石に『ノートンの名にかけて』とは書けないじゃん」

「確かに」


 楽しげに声を上げて笑い、フィリエスがペンを取りインクをつけた。


「では『私フィリエス=セレスティアは、後継者として最も相応しく信頼に足る人物であるとルーサリマニタ=セレスティアを認めここに推薦し、私の命と親愛をかけて周囲にも等しく認められることを心より望む』……いかがかな?」

「ん~……さっきよりはいいのかな。じゃあ『信頼に足る』の後に『支えるに値する』ってのを入れて『信頼に足り、支えるに値する人物である』に変えて」

「大して変わらない気もするけど、いいよ」

「じゃあそれでよろしく」


 フィリエスは流れるような筆跡で淀みなく最後まで書ききると、一番最後に署名をしてペンを置いた。


 机の上には書類と毒薬。


 セシルは羊皮紙を取り、フィリエスは毒薬の入った乳鉢を持つ。


「言い残すことはある?」

「そうだね……。いや。未練たらしく言葉を残すのは止めておこう」

「最期まで見届けてあげるから安心して」

「あんまり長居するとノートンがやってきて騎士の詰所に突き出されるよ」

「そん時は逃げるから」

「ノートンを甘く見てると痛い目に合う」

「気を付けるよ」


 白い陶製の乳鉢が長く美しい指に包まれてゆっくりと持ち上げられる。

 まるで酒の入った盃を口に運ぶように迷いなく近づけると、フィリエスはそっと目蓋を閉じて一気に飲み干した。


 喉が上下に動いて毒薬を嚥下する。


 ラティリスの毒もトウショウソウも神経を害する作用があり、吐き気と共に手足の痺れが起こる。

 血圧が降下し呼吸が減少する前に、一緒に混ぜた強力な睡眠効果のある薬がフィリエスを速やかに眠りに誘ってくれるはずだ。


「おやすみ。フィリエス」


 今まで苦しんできたフィリエスには安らかに迎えて欲しい。


 痺れと強烈な睡魔に襲われたのか手から乳鉢が転がった。

 セシルはフィリエスの身体を支え、そっと机に俯せに凭れ掛からせる。

 まるで疲れて眠ってしまったのだと見えるように。


「……のあ、る。るー……さら……ど、か……し、あわ……せに」

「大丈夫。みんな幸せになれるよ。きっと」


 安心させるように耳元に囁くとフィリエスはようやく苦しみから解放される喜びに幸せそうに微笑んだ。


 呼吸が浅くなり苦しそうに眉が寄せられたが、唇は微笑みを浮かべたままだった。


「おやすみ。フィリエス」


 もう一度囁いてセシルは美しい闇色に輝く髪を一掬いして流した。


本来ならセシルの協力がなくてもフィリエスは自分でラティリスの毒を煎じて飲めば死ねるのに交渉に応じたのはなぜなのか。

背中を押してもらいたかったのか。

それともノアールが自分を推さなかったことに絶望したのか。

本当は死(孤独)が怖かったのか。

色々考えるとなんだか切なくなります。

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