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魔法学園フリザード  作者: 151A
ラティリスの毒
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未来へ③



「ちょっといいかしら」


 可憐に微笑んでヘレーネが中へ入れてくれと頼む。

 ノアールは扉を開けてヘレーネの後ろにライカも立っているのを見てなにごとかと訝りながら「どうぞ」と招き入れた。


 お茶の時間は過ぎ、明日に備えて色々と考えていた所だったのであまり長居されたくないなというのが本音だった。


 それにリディアはルーサラを上手く説得できただろうかと心配し、任せてといったセシルがどんな手を使ってフィリエスを従わせるのかと不安で暢気にお喋りをしている気分ではない。


 ノアールの部屋は小さな居間の左の壁に隣の書庫兼私室、そしてその私室の奥に寝室という作りになっている。

 大体は書庫兼私室に閉じ籠っているが、ルーサラを説得しに行ったリディアが帰りに寄るかもしれないと居間の方で待機していた。


 訪ねてきたのはリディアではなくヘレーネとライカだったが。


 小さな丸テーブルに椅子が二脚しかないので、二人に勧めて取り敢えず私室から机の椅子を抱えて持って行く。

 戻ると勝手にテーブルの上に乗っていた水差しからレモン水をグラスに注いでライカが飲んでいた。


「こっちは過ごしやすくて楽でいいな」


 ニカッと悪びれもせず笑い残りを飲み干すと、更に注いで口をつける。

 ヘレーネが呆れた顔で首を振り「行儀も礼儀も知らない男は嫌われるんだから」と嫌味をいうがライカには効果は無い。


「滞在中に不都合は無い?」


 セシルとリディアはノアールのためにとラティリスまで来てくれたが、ヘレーネの来訪の意図が読めず未だになにをしに来たのか分からなかった。


 ヘレーネはライカと共に敷地内を歩き回ってお喋りに興じ、街へ下りては工房や宿場町等の店を回り、騎士の詰所に押しかけては質問攻めにしているとテレサから聞いていた。

 食堂で一緒に食事をしているとノアールよりも親しげに侍女たちと会話をし、打ち解けていたのでまるでヘレーネの方がこの屋敷の子息のようだと苦笑いしたほどだ。


「なにも。快適に過ごさせていただいてるわ」

「よかった……」

「ねえ、ノアール。一週間後から明日に変更した理由は教えてもらえないの?」


 唐突に斬り込んできた質問に狼狽えるよりも驚きで反応できなかった。

 目を瞬かせて一呼吸おいてから「決意が揺るがないように変更してもらった」と答える。


 間違いではない。


 ずるずると時間が経てばまた迷い、決心が揺らいでしまうのが恐かった。


「決意……ね。じゃあノアールはどちらを推すか決めたのね?それとも自分が継ぐ決心をしたのかしら?」


 華やかに微笑むヘレーネの紺色の瞳は凪いだ夜の海のように静かで、笑顔とは程遠い表情を湛えていた。


「ヘレーネは誰が継いだ方が満足なのか……聞きたいけど止めとく」

「賢明な判断だわ」

「ま。別に誰が後釜に座ろうがそう関係ねぇって」


 欠伸をするとライカはつまらなさそうに半眼になる。

 誰が次代の伯爵になろうが大差は無いといわれたようでむっとすると、ヘレーネが「私はノアールでなければ良いなと思ってる」と真摯な態度で窺ってきた。


「……僕は最初から継ぐつもりなんてないから」

「良かった。それじゃあフィリエス様かしら」


 小さな顎に手を添えてひとり考え込むヘレーネを黙殺する。

 まだどうなるか分からない状況で、こんな不安定な時に確信を得られないまま返答するのは危険だ。


「ああ。やだやだ。探り合いなんて疲れることはしたくない。私達は友人でしょ?率直に話しましょう」

「……いいたくないことはいわないから」

「それで結構」


 美しく微笑み満足そうに頷く。


「私達がここに来てからあちこちに顔を出して色んな人達と話しているのは知っていると思うけど、遊んでいたわけでも含みがあったわけでもない。全部ノアールのために行動していたのだと信じてもらいたい」

「あんまり大したこと分かんなかったけどなぁ。北の民は口が堅いって噂は本当みてぇだな」

「僕の……ため?」


 全部というのは大袈裟かもしれないが、きっと本当に半分以上はノアールの為に動き回っていたのだろう。


「全部噂の域を出ないような話が殆どだったけれど、きっと真実だって思える話もあったから」

「あまり楽しそうな話じゃないみたいだ」

「でもねぇよ」


 噂など碌な内容ではないことが多い。

 真実からは程遠く、人を中傷したり貶める物が大半だからだ。


 ノアールは学園で流れる噂にも興味が無かった。

 だから紅蓮と初めて会った時に、彼が寮生の中で有名だと知らなかったぐらいだ。

 バイト中に忽然と行方を眩ませて、八ヶ月後にディアモンドに戻ってきた男。

 記憶を失いながらも生きて帰ってきた生徒。


 そのお陰で先入観なく紅蓮と仲良くなれたので、噂に振り回されない生き方のほうがノアールに合っていると思う。


「お父上が苦手だって聞いたけど、伯爵様はノアールを大切に想っているわ。お優しい方だし、御子息全てを想っていらっしゃる」

「……そうかな」


 父から優しさなど感じたことは無かった。

大切にされているのかどうかも怪しい。

ノアールがディアモンドのフリザード魔法学園に行きたいと願った時も、仕事の片手間に聞きながら「好きにすればいい」と簡単に了承した。


 ヴィンセントが強要したことなどなにひとつない。


 それは関心が無いからかもしれないと子供心に怯え、期待に応えたくても指し示される要望がなにひとつないという途方に恐怖。

 兄達は求められる子息像を敏感に感じ取る感覚が備わっていたのか、優秀に育ち、周りからも称賛を集めるようになっていったのに。


 ノアールにはなにひとつ兄達に敵う能力も無く、早々に比べられることに嫌気がさした。


 同じことをしても勝てるわけが無い。


 だからノアールは本の世界に逃げ、そして魔法に傾倒した。

 完全なる現実逃避だが、魔法だけがノアールの心を支え、温もりと安堵を与えてくれたのだ。


「後継者をご自分で決められないのもそのせい」

「……父上は僕達が苦しんでいるのを知らないんだ」

「苦しんでいるのは自分達だけだと思っているのなら間違いだわ」


 どうしてヘレーネが父の側に立ち、ノアールを責める。

 なぜ父のことを息子である自分より理解できるのだ。


「伯爵様はご自分の事を責めていらっしゃる。後悔して、苦しんで今も悩んでおられる」

「なにを?母上と結婚したこと?それとも結婚してもフィリエス兄さんの母上と通じていて子供を作ったこと?」


 激しい怒りと無力感がノアールを大きく揺さぶり、確かだと思っていた足元を崩していく。

 さらさらと砂が零れ落ちるように緩やかに。


「全てよ。ノアール。伯爵様は全て知っていて、決断できずに悩んでいるの」

「知ってるって、なにを」

「ルーサラも知ってるはずだぜ。だからノアールだけだ。なにも知らねぇのは」


 自分だけが知らない事実。


 そしてヘレーネとライカはこの短期間で歩き回り、その事実に近づいたのだろう。


「ただの噂だ」


 拒絶したい気持ちに嘘はつけない。


 ノアールは頭を振って冷静になれと心で唱える。

 惑わされてはいけない、しっかりと立たなければ。


 ライカが「おいおい」と天を仰ぎ、次の瞬間テーブルを挟んだ向こう側から腕を伸ばしてノアールの胸倉を掴むとぐいっと引き寄せる。

 そして怯んで反応できずにいる無防備な額にごつんと頭突きを喰らわせた。


 一連の流れるような動作にヘレーネが制止する暇も無かった。


「痛った~……!」


 掴んでいた手に乱暴に突き飛ばされ椅子に逆戻りした身体にも衝撃が与えられる。

 そして今まで味わったことの無い額への強い攻撃に脳が揺れていた。

 眼鏡が壊れなかったのが不幸中の幸いである。


「目覚めたか?」

「さ……覚めてるよ!ずっと」


 抗議するがライカは胡乱な顔でこちらを眺めるので、これ以上なにかいってまた頭突きを喰らわされては困るので黙ることにする。


「話を戻すわね。ノアールは自分の母上の死に疑問を抱いたことはある?」


 有りか無いかで問われれば有る。

 母の病気は原因不明でどんな薬も効果は無く、高名な医者を呼び寄せても病名の解明もできなかった。


 あれが病気だったのか。

 誰にも分からない。


「じゃあフィリエス様の母上の死は?」

「毒殺だと噂が流れたよ」

「その通りだな」


 そう。


 まず間違いなくフィリエスの母の死因は毒殺による突然死。


「有力で真実味が高いのはノアールの母上を病気に見せかけて殺したのはフィリエスの母上。そしてそれを赦せなかったフィリエスは己の手を汚し、母を毒殺したというもの」

「そんな!フィリエス兄さんがどうして」


 自分の母を殺そうとする。

 例えノアールの母を病気に見せかけて毒殺したとしても――。


 凍てつくような瞳で母親の棺を睨むフィリエス。

 憎しみに彩られた瞳が向けられていたのは己の母親に対してだ。


「そんな。まさか」


 信じられないが、それが事実だとしか思えない。

 冬の寒さよりも更に冷たい眼差しが今でも思い出されて離れないのに。


 後ろ盾となるはずのソコトラーナ家の刺客からノアールを護ってくれていたのは、兄としての立場ではなく裏切り行為を働いた母の代わりの罪滅ぼしだったのか。


 心の底から笑った事など無いといったフィリエス


 そんな状態で心から笑えるなどできるはずがない。


「伯爵は今回フィリエスがリアトリスで出した損失の原因が意図的に毒を使った物だと分かってるぜ。でも責めれねぇ」

「そんなことしたら、フィリエス兄さんはラティリスに居られなくなる。罪を問われ牢で一生を終えることになるかもしれない」

「セレスティア家の名誉も傷つく。できっこねぇよな」

「ノアール。伯爵様がリアトリスへフィリエス様を派遣したわけじゃない。フィリエス様が望んで行かれたのよ」

「どうして?」


 ステフィラム家の派閥が多いリアトリスに望んでフィリエスが行く利点などなにひとつないのに。


 どうして。


 ヘレーネが弱い笑みで「ノアールがディアモンドに行く少し前に決まったでしょ?」と質問に問いで返す。


 分からない。

 首を振るとライカが「人質だ」と短く答えた。


 人質?


「ノアールを追って刺客がディアモンドに来ることは無かったはずよ。それはフィリエス様がステフィラム家の手中にあったから、ソコトラーナ家は動けなかった。戻って来てノアールが襲われたのは、フィリエス様が失態を犯し後継者候補としての立場が危うくなったから。ノアールがいなくなれば後は目の見えないルーサラ様しかいなくなる」

「そんな……」


 フィリエスはずっとノアールの為ために動いていてくれていた。

 刺客から護り、遠く離れた場所で自分の身を危険に晒し、後継者として才覚が無いと思わせて。

 

 全てはノアールに爵位を継がせるため――。


「そんなの……愛なんかじゃない」


 ちっとも欲しくない爵位を捧げようと自らの手を汚すフィリエスの傲慢な想いは苦しくて、切なくて、痛い。


 セシルは愛されている証拠だといったけれど、それを愛と呼ぶには歪みすぎている。


「自らの欲のための行動ならば伯爵様もフィリエス様を断じたと思うけれど、ノアールに全てを差し出そうとしている気持ちを思えば決断できないんでしょう」

「僕の意思はそこにない。望んでない。父上も兄さんも間違ってる」


 重くて煩わしい。


「どうしてみんな幸せになれないんだ。誰かの犠牲の上に立つ幸せなんて嬉しくないのに」

「伯爵様はフィリエス様を駆り立ててしまったのは自分のせいだと思っているのよ」

「……もうたくさんだ。変える。変えてみせる。全員が幸せになれる道が必ずあるから」


 負の連鎖を断ち切るのはきっと今しかない。


 フィリエスのことはきっとセシルが上手くやってくれる。

 そしてルーサラのこともリディアが。


 だから自分は絶対に全員が幸せになれる道を探して、この暗く沈んだ屋敷を変えてみせよう。

 今必死で悪あがきすればきっと未来は変わる。

 将来を揺るぎ無い物へと変えられると信じて。



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