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魔法学園フリザード  作者: 151A
ラティリスの毒
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未来へ②


 午前中は忙しいだろうからと午後のお茶の時間を見計らってルーサラを訪ねることにした。

 セシルから命じられた任務は会話術と人間関係について経験が浅いリディアに任せるには困難な物だったけれどここまで来てできませんなんていえるわけがない。

 心からルーサラに継いで欲しいと願う気持ちがあるからなんとか頑張れるけれど。


 でもなにができるだろう。


 分からないけれどルーサラに「はい」といわせるように努力するのみだ。

 そのためにはリディアの全てをかけて挑むと決めたから。


 決意の証につけてこなかった手袋をしていない左手が外気にさらされている。


「うー……緊張する」


 執務室を前に胸を押えてゆっくりと深呼吸する。

 実技の試験の時よりも遥かに緊張しているのを自覚してよけいに心臓が跳ね上がった。


「大丈夫。大丈夫。きっと上手くいくから……」


 言葉には力があると言語学の講師ホイスラーがいっていた。

 念じながら出された言葉には力が宿り、そこに魔力が宿ると教えられた。

 だから心を込めて上手くいくと言葉にすればきっと叶う。


「魔力は人の中に。命の力であり心の力。繋ぎ合わせて、混ぜ合わせて、命を吹き込む」


 きっと魔法も同じだ。同じ工程で魔法の源と練り合わさり発動する。

 言葉に力があるから魔法は輝くのだ。


 不可能を可能にする。

 不可視を可視にできる。


「そっか。きっとルーサラさんは魔法使いなんだ」


 思わず零れた言葉にくすりと笑われ、はっと顔を上げると何時の間にか扉が開けられており、そこに立っていたジェンガが「だそうですよ」と中にいるルーサラに声をかけていた。


 しまった。


 またぼんやりとしていて、しかも呟きを聞かれた。


「魔法使いはリディアの方でしょう」


 穏やかな包み込む声が笑いを含んでいて、羞恥が込み上げてきたが必死でそれを押え込んだ。

 迂闊なのはいつものことだからと自分を無理矢理納得させる。


「忙しいとは思うんだけど、少しお話させてもらってもいい?」

「どうぞ。私もラティリスへ来てからリディアとの楽しい会話が無くて寂しく思っていた所なので喜んで」

「……嘘でも嬉しい」


 社交辞令だと解っている言葉に苦笑しながら、嬉しいと口にするのは礼儀でもあったが本当に少しでもそう思ってくれていたらいいなという期待も込める。


「ルーサラ様は若くて可愛らしいお嬢様とお話しするのが好きなんです。私が仕事の話ばかり向けるとリディア様やセシル様が訪ねて来ないかと愚痴って困ります」

「ジェンももっと可愛らしい会話や仕草をしてくれたら私も仕事の憂さを忘れられるのに」

「私の年齢と仕事で可愛らしい会話や仕草を求められても困ります」

「ああ。リディア……早くこっちへ来て一緒に楽しいお喋りをしよう」


 手招きしてルーサラは執務机から立ち上がると右手奥にある扉へと向かう。

 ジェンガは逆に左手奥の部屋に入って行くので、リディアはルーサラを追って右奥へと急ぐ。


 ルーサラの執務室は落ち着いた茶色でまとめられ、華美な装飾は一切なかった。

無駄な家具も無い。

 足元を危うくさせるような段差も物も無いのは目の見えないルーサラが過ごしやすいようにと考えられているのだろう。


 隣室は客を招き入れる物というよりも、ルーサラが寛いで休むための部屋のようだった。

 私室に近い雰囲気にリディアは一瞬入っても良いのか戸惑う。


 異性の私室に入るなんて家族以外の部屋の他は初めてだけれどここは私室ではないのだからと思い直して「お邪魔します」と中へと入った。


 一歩踏み入れるとふわりとハーブと柑橘系の混ざったような、安心感と落ち着きのある香りが香った。


「……ルーサラさんの匂いがする」


 穏やかな中に温かみのある香りを嗅ぎながら部屋を見渡す。

 北向きにある窓から射し込む光は弱々しく、縦に細長い部屋の奥までは照らし出すことはできないようだ。

 入口は窓の近くにあるので少し薄暗い奥の方に寝椅子と書棚があるのが衝立の向こうに見えた。

 明るい入口側にひとり掛けのソファが向かい合わせで置かれ、壁に家族の肖像が掛けられていた。


 伯爵だろうルーサラと似た顔の男性と銀色の髪の美しい女性はノアールに少し似ている。

 二人が並んだ前に椅子に座る十歳ほどの目を閉じたルーサラと五歳ほどの幼いノアールが描かれていた。

 幸せそうだとはお世辞にもいえず、硬く威圧的な父と、儚い美しさの母、穏やかに微笑むルーサラと何が気に入らないのか不機嫌そうな顔のノアール。


 普通絵師はこういう時はありのままを描くのではなく、幸せそうに見えるように脚色するはずなのにこの絵を描いた人は見たままを確実に描き切っていた。


「リディア、あまりそういうことはいわない方がいいよ」

「そういうこと……?」


 肖像画をぼんやりと眺めていたからルーサラのいう「そういうこと」について理解できずに首を右に傾ける。


「私の匂いがする、と」

「ああ。ごめんなさい。気持ち悪かった?もういわない」


 入ってすぐの感想が匂いについてとは、流石にちょっと気分が悪いかもしれない。

 不愉快にさせる言動に反省して謝罪すると、ちょっとルーサラが困った顔をして「いえ。相手が誤解しては困るでしょう?」と確認してきた。


 確かに相手に好意を抱いていないと誤解されるのは困るので素直に頷く。


「つい。安心する良い匂いだったからいっちゃったけど、あんまり嬉しくないよね」

「……リディアは無自覚ですね」

「あ。また良い匂いとか……ごめんなさい」


 口を押えてこれ以上墓穴を掘らないように戒めてソファに腰を下ろすと、ルーサラは苦笑して窓を開けてから向かいの席へと座った。


 心地良い風が入って来て中庭に植えられている芳しい花の匂いが運ばれてくる。

 ルーサラの匂いはあっという間に消えて少し残念に思うが、それをまた口にしないように前歯で唇を噛んだ。


「さて。今日はどんな御用かな?」


 本題に触れられ治まっていたはずの鼓動が再び跳ねて激しくなる。

 大丈夫だと心に言い聞かせてリディアはこくりと唾液を飲み込む。


「後継者問題についてお願いがあって来たの」

「お願い?ノアールが昨日父上に決定日を速めて欲しいと懇願したことにも関係がありそうだね」


 リディアがルーサラをその気にさせられるかが勝負の分かれ目だと、セシルに送り出された時にゆっくりと念を押されたのでその重責に押し潰されそうだ。


 もう一度大丈夫だと繰り返して、失敗を恐れる弱い心を打ちのめす。


「ルーサラさんに爵位を継いで欲しいんです」

「私に……?」


 部外者が立ち入れるような用件ではないのは分かっているので、急いでそれをノアールも望んでいると伝えた。

 すると眉を寄せて怪訝そうな顔する。


「ノアールのこと信じられないの?」

「いえ。てっきりノアールは私ではなくフィリエスを推薦すると思っていたので驚いた、というか」


 上手く感情を表せないのかルーサラは困惑した表情で首を捻る。

 確かに昨日の昼まではノアールはフィリエスを推すほうに気持ちが傾いていたようだったから、血の繋がっている兄にもそれを勘付いていたのかもしれない。


 だがノアールは考えて、そして変化を選んだ。

 そのためにはフィリエスよりもルーサラの方が適任だと決めて。


「この街が嫌いだってノアールは言ってたよ。重苦しくて、威圧的で。自分がもしこのラティリスの住民だったらどうだろうって考えて、このままじゃ嫌だって思ったから。ルーサラさんがみんなと作った、住民たちが幸せな街にここを変えて欲しいって」


 このソファは向かい合っていて間にテーブルを挟んでいない。

 だから手を伸ばせばルーサラに手が届く。

 この微妙な距離が今現在の立ち位置を表している気がしてリディアは言葉を次ぐ。


「ノアールやフィリエスさんが見ることができないラティリスの未来の姿はルーサラさんの中にあるから。ルーサラさんに導いて欲しい。わたしが住民だったら絶対にルーサラさんがいい!ルーサラさんが見ている世界をノアールもわたしも見たいから」


 心の中で手を伸ばす。


 言葉に力が宿るように強く念じてルーサラに届くように。


「それはルーサラさんにしかできないから」


 一旦止めてゆっくりと息をする。緊張はどこかに行って、軽い興奮が身体を巡っていた。

 血液が勢いよく流れ、魔力が漲っているような感覚に震えがくるほど気が昂ぶっているのを感じる。


 ルーサラは微動だにせずただ聞いていた。

 表情は無く、何を考えているのか全く読めないので焦りがじわりと胸の奥を焦がす。


「もしかして自分は目が見えないからその権利が無いと思ってる?」


 そう考えているのなら間違いだと伝えたい。

 確かに多くの人が目の見えない者が統治するなど不安で、拒否反応をおこすこともある。

 見えないという事実がルーサラを他者よりも劣っているのだと世間一般が判断するだろう。


 でもそれがなんだ。


 ルーサラは自分の中の世界を現実の物とするために人々の力を借りて、みなが笑顔で暮らせる街を作り上げることに成功している。


 疑うなど愚かで、間違っているのだから。


「目が見えないことに感謝してるってわたしにいったじゃない。飾らないルーサラさんが今のラティリスには必要なんだから。見たいものしか見たくないのは誰だって同じだよ。全然卑怯なんかじゃない」


 世の中は理不尽なことが多くて、生きたいように生きられる幸せを手に入れるには他の人を押し退けなくてはならないことだってある。


 幸せになりたくてもがき、見返したくて転げまわり、認められたくて奮闘するのだ。


「みんな信じたいものしか信じないし、信じられないんだから」


 父も母もきっとそうだったのだろう。

 幸せになりたくて家を飛び出して、見返したくてがむしゃらに働き、認められたくて他人を蹴落とそうとした。


 その結果が起こったことは誰か個人を糾弾しても仕方の無いことなのだ。


 きっと。


「わたしは昔事件に巻き込まれて当然の権利を奪われた。恐くて、悔しくて、恨んだ。たった独りで暗闇の中にずっといた気がした。でもそれは違う。独りだと思い込んでただけで。ルーサラさんみたいに周りの人に助けてもらえばよかったのに、わたし意固地になって全て拒絶してた。その所為で無駄に九年間も苦しんだけどそれは自業自得。前にルーサラさんと話した時に赦せるような人になりたいっていったでしょ?」

「…………ええ」


 ルーサラが漸く返答した。

 擦れて酷くざらついていたが気持ちに揺らぎは感じられない。


 冷静にリディアの話を聞いて判断しようとしている。

 そのことに安心して続けた。


「それね。一番赦したいのは自分自身なの。本当にわたしは頑固で愚かで自分勝手で。自信もないくせに努力もせずに人を羨んでばかりいる子供だから。いつも理不尽だ、不公平だって文句いっている嫌な人間だったから。そんな自分を赦せればきっと周りの人に優しくなれるし、成長できるかなって。自分を赦せれば大抵の人の事は赦せると思うし」


 少し話がずれたが自分の考えを分かってもらうには必要なことだと思ったから。

 大きく息を吐き出して心を奮い立たせる。


 あと少し。


「今でも理不尽なこととか不公平なことにはすごく腹が立つんだ。権利を奪われることも。だから。ルーサラさんが自分で権利が無いんだって思い込んでいるのが本当にイヤ!他の誰かが思っているのなら仕方が無いけど、ルーサラさんにはちゃんと爵位を継ぐ権利がその手の中にあるんだって思い出して欲しい」


 右腕を伸ばしてルーサラの腿の上に置かれた手を握る。

 そしてそっと持ち上げて左掌を滑り込ませた。

 冷たいルーサラの指先が焼き鏝で焼かれ爛れた皮膚を掠め、その感触の恐ろしさにリディアは悲鳴を上げそうになるのを堪える。


「……リディア?」


 なにが起こっているのかルーサラには分かるはずがない。

 リディアの掌に刻まれた恐怖と怒りの傷痕が、どんなに長い間苦しめてきたのか。

 そしてその傷に触れさせることでリディアが乗り越えようとしている物に。


「これは、わたしそのもの。歪んで、引き攣れて、醜い。でも、それがわたし。取り戻す。全部。わたしの権利だった全てを。赦し。受け入れる。――だから」


 声が震える。

 膝も腕も指も。


「ルーサラさんも受け入れて!取り戻して。全部」


 その手に。


 過去は変わらない。

 変えられないのだから仕方が無いのだ。

 それならばどうすればいいのか。


 簡単だ。


 未来を変えればいい。

 自分が変わればいいのだ。


「簡単なことなのに、それはとても難しいから」


 一番弱い部分をルーサラに触れさせることで恐怖を乗り越え、強くなりたいと願った。

 そして同じようにルーサラにもその手に権利があるのだと気づいて欲しかった。


「お願い。ノアールの想いを信じて。自分を信じて」


 信じられることしか信じないというのなら、ノアールやリディアの望む世界を感じ信じて欲しい。

 そうすることでルーサラの力になれるのなら喜んで協力したかった。


「リディア……。そうまでしてなぜ」

「だって。わたしはルーサラさんがラティリスの人全員を幸せにできるって信じてるから」


 それだけの力があるのに身を引き、他の兄弟に権利を譲ろうとするなんて許せなかった。

 自分の力を信じないルーサラに腹が立っただけだ。


 だから強引に気持ちを押し付けた。


「信じる……か。ありがとう。リディア」


 漸くふわりと微笑みルーサラが両手でリディアの左手を包む。

 壊れ物を扱うみたいに、風に舞いあがる蝶をそっと掌で捕えようとするかのように優しく。


「歪んでも、醜くもないよ。高潔で気高い」


 歌う様な声で囁き、ルーサラは顔を近づけて花が開くように掌を離すとリディアの甲に口づけた。


「……勇気が出た。そして自信も。私も独りではない。だからみんなでラティリスをより良い街へと変えていくことを約束するよ」

「じゃあ」


 顔を上げてルーサラがにこりと笑う。


「父に私が後継者として立つことを許して貰えるよう努力するよ」

「ありがとう!」


 どういたしましてときゅっともう一度掌を包まれ、リディアは口づけられたことを思い出して頬を赤くした。


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