羽化⑨
自由と責任について考えていたら約束の時間を過ぎていて、慌ててノアールは一階へと下りセシルとリディアの部屋へと向かった。
廊下を歩いているとその部屋の扉が外へ向かって開けっ放しになっているのが見え首を傾げる。
「セシル?リディア?」
そっと覗きこんで声をかけるが居間にはいない。
留守なのかと訝りながら数歩中に入ると風に乗って楽しげな会話が聞こえてきた。
耳を澄ませて声を追うと外へと出る窓もやはり扉同様開いていて、誘われるようにそちらへと足を向ける。
「兎と狼だなんて……ちょっと安直すぎる比喩だね」
「きっとわたしに合わせて分かりすいようにって考えてくれたんだと思う」
「リディ鈍いもんね」
「なんどもいわなくても、分かってるから――。あ。ノアール」
白い滑らかな石が敷き詰められたテラスには部屋にあった物を全部持ち出したのか、沢山のクッションが広げられその上に二人の少女が腰かけていた。
敷物も敷かずに冷たい石の上にクッションのみで座るその姿が、学園の芝生に座ってどうでもいい話をしていた日のことを思い出させる。
そんなに日が経っていないのに、なんだかとても遠い昔のことのように感じられて胸の奥がきゅうっと締め付けられた。
「どうしたの?」
知らず胸を押えていたノアールを心配そうに見上げて、リディアが腰を浮かせる。
それをなんでもないと手を振って止め、急いでテラスに出るとあぶれているクッションに座った。
「なんか、ひさしぶり」
「うん。お世話になってるのに顔を出せなくてごめんね?本当はすぐにでも会って、色々謝りたいこととかあったんだけど」
「仕方ないよ。それで体調は……」
「も!大丈夫だから。心配とか全く必要ないし!」
「そうそう。あたしが手厚く看護して、薬も用意してあげたんだから」
なぜだか力いっぱい体調は良くなったと主張して、リディアは視線を泳がせると少し赤くなった頬を隠すように俯いた。
「それなら良かった」
「そういやノアールに謝りたいことってなんなのさ?教えなよ。リディ」
肘で斜め前に座るリディアの二の腕を突き、セシルが常に上がっている口角を更に上げてニマニマと笑う。
まだ朱に染まっている顔を少し上げて「ちょっとやめてったら」と抗議して突くのを止めさせ大きく息を吸う。
「えっとね。まずフィリエスさんとの仲のこと、よく知りもしないで聞いちゃってごめんなさい。わたし、上手く言葉にできなくて後悔してて。しかもノアールのこと好きな女の子たちとちょっともめて、最終的には怯えさせちゃったし。あとノアールが苦しんで悩んでるのに、なにもできなくて。それからディアモンドで見送った後であれが最後かもしれないって思ったら、いてもたってもいられなくて無理矢理押しかけて。いっぱい、いっぱいごめんなさい。わたし本当に子供で、なにも知らなくて。呆れられて当然だし。沢山迷
惑かけた。なのにこんなわたしと友達になってくれて、ありがとう」
大きな緑の瞳が無垢な光を湛えてノアールを射抜く。
真っ直ぐで、純粋な瞳。
緊張のためか耳が赤くなり、小さな唇が必死に言葉を伝えようとしている。
久しぶりに会ったリディアは少し痩せ、丸かった頬が少しだけ細くなり今までより大人っぽく見えた。
「……なんだか気になる箇所があったけど、僕にも知らないことが沢山あって。父上の出してくれていた授業料や生活費がどこから集められたものなのかも深く考えて無かった。いや。考えようとしなかったんだ。そんな僕がリディアをなにも知らないなんて馬鹿にしたりできないし、こんな遠くまで来てくれた二人に感謝しなきゃいけないのはこっちの方で」
自分の好きなこと、興味のあることにしか真剣に向き合えないのは常識的に見て欠けているのだ。
やりたいことだけできる者など恵まれていて、自分はそれを与えられている立場にいて更に当然なのだと疑問にも思っていなかった。
自由と責任。
役目と義務。
一方的に与えられ続ける立場などありはしないと分かっていいはずなのに。
「もう、考えても考えても結論が出なくて困ってるんだ」
これからどうするのかの答えを出せずにノアールは一日中解決策を求めて頭を働かせていたが煮詰まってしまった。
自分のやりたいことをするためには役目と義務を背負い、責任を持たなければならないが、そうなるとやりたいことはできなくなる。
「お手上げだよ」
額を押さえて項垂れるとセシルがクスクスと笑った。
「ノアール。こういう時はなんていえばいいか知ってる?」
「なに?」
「“助けて”っていえばいいんだよ」
「助けて?」
「そう。誰かに話すことで解決することも、見えてくるものもあると思うけどね」
顔を上げると珍しく真剣な瞳をしたセシルと目が合った。
そしてリディアも身を乗り出してきて「そうだよ!」と同意する。
「ひとりで悩んでいるより、相談して色んな角度から一緒に考えたらきっと解決策見つかるよ」
学園で変り者、変人と呼ばれる二人だが、彼女たちにはそれ以上に魅力的な物を持っている。
信頼できるし、きっと常識的なノアールには考えつかないような答えを出してくれるかもしれない。
そんな期待を抱いて。
「セシル、リディア。僕に力を貸して。助けて欲しいんだ」
人を頼ったり助けて欲しいなんて口にしたことなんて無かったけれど、この時は不思議と素直に言うことができた。
言葉を発して初めて照れ臭さを感じて、誤魔化すために笑顔を刻む。
「もちろん。今度はわたしがノアールの力になる番だから。任せて!なんて大きなことはいないけど、頑張って考える」
「で?あたしのお姫様は一体なにを悩んでるの?」
両拳を握って鼻息荒く頷くリディアといつも通りの食えない蠱惑的な笑みでセシルが問題解決への一歩を踏み出すようにと促す。
だからノアールは心を決めて。
「これから僕が学園に通い続けるための大義名分が欲しいんだ」
「いいね。前向きなことで悩むのは悪くない」
「でも大義名分が欲しいってどういうこと?」
「ルーサラ兄さんに卒業したらどうするのかって聞かれて、故郷に戻るって答えたんだけど、戻って来て学んだことがセレスティア家に活かせるのかっていわれて。確かにその通りで。さっきいった通り、授業料も生活費も領地の人達の税収からも賄われているということにこの時気付かされて、実はかなり落ち込んでる」
「えっと。じゃあ学んだことが活かせれば問題ないってこと?」
「魔法学園で四年間学んでも、活かせるほどの魔法を身につけることは難しいから」
「そっか。そうだよね」
「学院に行ければ、研究とか開発とかできるんだけどなぁ」
「ノアールなら進学できると思うけど、卒業するまでに五年はかかっちゃうよ」
「研究開発した魔法道具が認められて売れればいいけど。なかなかうまくいかないだろうし。学園卒業まで三年、更に五年で合計八年はちょっと長いかな」
院生が研究開発した魔法や道具が国に認められ、商品化されることもままあるがそう数は多くは無い。
商品化されれば国から報奨金が与えられるが、元々学院に進む者は金に執着しない者が多いので喜ばず辞退したという逸話もあるくらいだ。
「……そもそもさ。絶対に故郷に帰らなきゃならないって決まりがあるの?」
今まで黙って聞いていたセシルが不思議そうに問う。
ラティリスに戻るという前提を疑問視されノアールは少し狼狽えた。
「いや。別に絶対ってわけでもないけど」
「それとも、ノアールは戻って伯爵になりたいの?」
「なんでそう極論にはしるかな……」
「爵位を継ぐわけじゃないなら戻る必要無くない?学園で勉強して、好きな仕事をすれば問題ないと思うけど」
「あ。確かに。ルーサラさんかフィリエスさんが後継者になって、どちらかが支えてくれればラティリスは安泰だよね。それにノアールのお父さんもまだまだ引退するような歳じゃないし」
「普通長男が継いで、残りの子息はそれぞれ家持ち爵位持ちの令嬢と結婚するとか、騎士になって身を立てるとかで自立するしさ。それをどうしてノアールができないのさ?」
「自立……」
その言葉に金の巻き毛の上級生の顔が浮かぶ。
技術を身につけて自立するために魔法学園に入学したと言い切った強い瞳には決意が見えた。
今経験したことが、将来を揺るぎ無い物にすると信じているのだと明るく笑おうとしていたローレン。
彼女にできて自分がそれを選択できないのはなぜなのか。
「今更、学園に通わせてもらっているのにそんな勝手が許されるとは思えない」
「ノアールしっかりしなよ。子供が親の世話になってなにが悪いのさ?それでもお金のことが気になるっていうのなら学費と生活費は国に払ってもらいなよ」
「国に?……そうか、奨学金か」
「そう。特待生は貧しい家庭の子の為の物だから無理だけど、奨学金は国に借金して後は出世払いだし。ノアールは伯爵の子だから申請してすんなり通るかは疑問だけど、院まで行ったら奨学金チャラになるしね」
「え!?そうなの?」
リディアが驚いて叫んだ。
だがノアールも初耳だったので「知らなかった」と首を振る。
「なんか学園側が代わりに支払ってくれるそうだよ。研究と開発に集中できるようにってさ」
「じゃあ奨学金の申請が認められれば学費はなんとかる?」
「学費は一年間で金貨二枚。奨学金は年間金貨三枚支給されて、寮の費用は月に銀貨四枚で年間四十八枚必要。金貨一枚と銀貨五十枚が等価だから、ぎりぎりだね。紅蓮みたいにバイトすればいいんじゃない?」
「うんうん。なんとかなりそうだね」
セシルからの具体的な数字を聞いてリディアがキラキラと目を輝かせて良かった良かったと手を叩いているけれど――ノアールはそこまで楽観的にはなれなかった。
突いて出た言葉は「でも申請が認められなければ意味が無い」で。
「ちょっと。ノアール。覚悟が足りないよ!全然足りない。セレスティア家と縁を切ってもやってやるってくらいの意気込みじゃないと無理だと思うけど」
大きく首を振ったセシルの髪がふわりふわりと揺れる。
しっかりしなよと激励されてもノアールの不安は消えない。
「ねえ。ノアールはどうしたいの?卒業後に帰らなきゃって思ってるのか、帰りたいと思ってるかで全然違うけど?」
帰らなければと思っているのか。
帰りたいと思っているのか。
それは間違いなく前者だ。
でもそれを口にすることが兄達に対しての裏切り行為になってしまいそうで怖かった。
縁を切ってまで自分のやりたいことを通せるほど自信も勇気も無い。
結局セレスティア家の後ろ盾が無ければなにもできないのだ。
不甲斐無い。
「ノアールは贅沢だよ。あれもこれも欲張って。本当にやりたいことはひとつに絞らなきゃ。きっと迷って選べずに、後悔するよ」
「色々あると思うけど、難しいことは考えないで本当にしたいことをいってみなよ」
「本当にしたいこと――」
少女二人に責められて慌てて自分の心に問いかければ。
浮かんだのは図書塔で見た美しい魔法。
そしてそれを構築し編み出した学院生のガイ、原理など面倒臭いといいながら見事に操る学園創設者の子孫であるザイル。
胸が熱く揺さぶられ、家を継ぐよりも魔法の道を進みたいと思わせてくれた出会い。
今は基礎の魔法しかできないが、膨大な魔法を読み解き自分の物にしたいと思う欲求がある。
こんなにもわくわくさせてくれるものは他には無かった。
魔法は自分にとって特別な物。
「僕がやりたいのは、魔法を勉強し習得することだ。それはずっと変わらない」
「じゃあ余計なことは考えずに、それだけ願えばいいんだよ。絶対叶うから」
セシルがけろりとした顔で言い放つ。
なんてことの無い様な口調でいうので呆れるやら、面食らうやらでノアールはがっくりと肩を落とす。
「その根拠はどこからくるのか知りたいや」
「根拠なんかないよ。叶えるのも行動するのもノアールだしね」
「結局そこか」
他人事だと突き放されため息を吐くと「当然」とセシルはにっこり微笑んだ。
「でもノアールがやりたいことができるように、わたしも協力できることはするから」
「リディア、ありがとう」
「まずディアモンドに帰ったらお祖父さまに奨学金の申請の件お願いしてみるね。その辺は顔効くと思うし」
一先ず実現可能な提案をしてくれたリディアに心から感謝する。
「ほら。一歩前進」
「うん。まだちょっと踏ん切りついてないけど、やりたいことはそれだけだし。父上と兄さんたちにもちゃんと分かってもらえるように努力する」
そうした方がいいとセシルとリディアが頷く。
自由に対しての責任をどうやって負うかの結論は出ていないが、当面の目標ができた所でふらふらとしていた気持ちが定まった。
責任については追々ゆっくり考えたい。
今は自分になにができるかすら分からないのだから。
「ところで、ノアールは後継者にどっちを選ぶか決めた?」
リディアは膝を引き寄せて三角座りをし、上目遣いで尋ねる。
誰が後継者になるのか彼女も気になっているのだろう。
そしてノアールがどちらを選ぶのかも。
「実はまだ迷ってるんだけどルーサラ兄さんは僕が跡を継ぎたくないのを知ってるからフィリエス兄さんを推すと思う。フィリエス兄さんは多分僕の名前を挙げる」
「ノアールがルーサラを選べば結局決められなくなる」
兄弟で決めろといわれても決められるわけが無いのに、父はなにを考えているのか。
いっそのことヴィンセントの独断で後継者に任じられれば、兄弟は誰も文句はいわずに従うのだ。
もしノアールが選ばれたとしても、仕方が無いと諦めはつくかもしれなかった。
「どうして誰も自分が継ぎますっていわないんだろう」
「あれ?アリッサムでは業突く張りの領主なんかにノアールをしたくないって息巻いてたくせに」
「だって!あれはヘレーネとセシルが、それが領主として必要なことだとか教えるから。でもルーサラさんとお話しして沢山教えてもらって、領主としての在り方って色々あるんだなって分かったの。大変な仕事だけど面白そうだなって」
膨れっ面をして反論するリディアの言葉を最後まで聞くと、セシルは眉を寄せて琥珀の瞳をきらりと光らせた。
いつも弛んでいる口元が引き結ばれて表情が無くなる。
じっとリディアを見つめているのに、その視線は違う所――いや。まるで未来を見通そうとしているかのように険しい。
「セシル?どうかした?またわたし変なこといった?」
当惑して手を伸ばし、セシルの袖を引く。
すると目を閉じて深く息を吐き出すと微かに首を振った。
それはなんでもないという意味ではなく、どうしようもないことなのだと自分に言い聞かせているかのようだった。
「リディアはルーサラ兄さんに後継ぎになって欲しいの?」
「うん。おかしい?」
「いや。でもルーサラ兄さんは目が見えないから反発も多いし」
「目が見えないってそんなに特別なことなの?」
「え?だって見えないんだよ?」
「わたしたちは視力に頼りすぎて真実が見えなくなりがちだけど、ルーサラさんは見えることに囚われないから色んな物が見えてると思う。見た目で判断することは無いし、誰にでも平等に接することができるってすごいことだよ。それにルーサラさん、目が見えなくて感謝してるっていってた」
目が見えない事を感謝するなど、もし自分が同じ立場なら言えただろうか。
きっと無理だ。
できないことばかりを挙げて、誰かに当たり、泣き喚いて、最低の人間になっているだろう。
ラティリスを出ることができないから、ノアールには色んな経験をして、沢山の物を見て欲しい。
行きたい所にはどこへでも行って欲しい。
自由なのだから。
ルーサラは一体どんな気持ちでそういったんだろう。
「デュランタを見たらルーサラさんがどんな風に治めていたのか分かる気がする。もしわたしがラティリスに住む住民ならルーサラさんに領主になって欲しい。決めるのはノアールだから口出ししちゃダメだって思ってたけど。どうしてもいいたくて」
「いや……」
心のどこかでルーサラは盲目だからと候補から除外しようとしていた所があるのは否めない。
実際デュランタがあれほど明るく、活気のある街へと変わっていたのを見ていたのにも拘らず。
領主としての才覚は間違いなくあり、長男でもあるルーサラは爵位を継ぐ権利に一番近い。
それを血の繋がっているノアールが兄を差別して、フィリエスを後継者に選ぼうと思っていたのだ。
きっとルーサラはそれを勘付いている。
「僕は間違ってた。ずっと」
そして傷つけていたのだ。
歯痒かったはずだ。
目が見えていれば後継者として生きられたのにそれを取り上げられ、実の弟は権利を嫌がり逃げているのだから。
なにを返せるだろうか。
兄たちに。
そして父に。
「もう一度考えてみる」
身体的特徴を抜きにして、純粋に人柄だけで後継者として相応しいのがどちらなのか。




