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魔法学園フリザード  作者: 151A
ラティリスの毒
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ラティリスの毒④

ほんの少し流血あります。



 しんと静まり返った早朝の空気が部屋の中に層のように折り重なっているようだ。


 空気だけでなくこの部屋の住人だった母の想いも一緒に。

 

 ノアールは庭へ出る窓を開けると露に濡れた芝生の上に足を下した。

 薄らと靄に包まれた庭には山梔子の匂いが充満している。

 甘いその匂いは胸を悪くさせ、掌に指の感触を思い出す。

 震える指に力を入れて何度も、何度も繰り返しその名を書く。


「母上」


 ぎゅっと握りしめ俯く。


 母はノアールが跡を継ぐことを望んでいた。


 生まれつき目の見えないルーサラを産んだことで悩んでいた母は、三年後に子を身籠ったがすぐに流産した。

 その四年後に前領主である祖父が亡くなり、父ヴィンセントは女性と四歳になるフィリエスを連れてきた。


 父は母と政略結婚をする前に新興貴族の女性と恋仲になっていたのだ。

 結婚後もその関係は続き、そして子供まで作った。

 祖父が死に、正式に伯爵を継いだ父には誰も逆らえない。


 もちろん母も。


 妾として離れに迎えられた女性は目立たず、正妻を立てた。

 だが周りは黙ってはいない。


 正妻の子の目の見えぬルーサラか、妾の子のフィリエスか。

 どちらが跡を継ぐのかと牽制し反目する。


 正妻であるルーサラとノアールの母の生家はステフィラム子爵。

 妾のフィリエスの母の生家は新興貴族であるソコトラーナ男爵。


 対立する両家にセレスティア伯爵は言明を避け、それが更に混乱を招く。

 そしてフィリエス親子が来てから一年後ノアールが生まれた。


 均衡が崩れたのだ。


「息苦しい……」


 詰襟に指をかけて喉元を広げると浅く呼吸を繰り返す。

 健康な正妻の息子はステフィラム家には吉報で、ソコトラーナ家には凶報だった。


 正当な後継者として父はノアールを扱わず、三人の息子を平等に扱ってくれた――が、周りは己の利を得ようと画策する。


 一度や二度ならずノアールは命を狙われ、危険な目にもあった。

 その度に現れ助けてくれたのはフィリエスで。

 自分を庇って怪我をしたこともあるフィリエスをノアールが兄と慕うのは当然のこと。


 それは今も変わらない。


 フィリエスが伯爵家を継ぎたいと望むなら諸手を挙げて歓迎し、祝福するのに。


「……望んでないのは僕だけじゃないってことか」


 目をつむりノアールは呟く。

 無力感は常に付きまとう。

 自分らしく生きることの難しさに憤りを覚えることも多い。


「帰ってきた途端にこれだ」


 両手をだらりと下げて目をのろのろと開けると、靄の向こうに複数の気配があることを確認する。

 一年間感じることの無かった殺気で生々しい記憶が呼び起こされ、諦めに似た脱力感が襲う。


 そんなにもノアールが邪魔なのか。


 じりじりと包囲網が狭まる。

 靄を超えて黒っぽい服を着た人影が五つ現れた。

 手には短剣が光り、顔は覆面で隠されている。


「権利を放棄するために戻って来たのに。それでも命を狙うの?」


 元より聞く耳など持たない襲撃者を、いくら説き伏せようとしても意味は無い。

 命乞いかと思われるだけだろう。


 声も思いも届かないとは。


 無念さが頭を真っ白にする。

 抵抗など無意味。


 甘い、甘い山梔子の匂い。

 母の指が注意を喚起する。


「フィリエス兄さん……」


 思わず零れた声に応えたのは伸びやかな声ではなく剣が空を切る音。

 朝日を浴びて煌めく金属は右から、そして左から。

 背後から襲う卑怯者はいないようだ。

 一斉に襲えば簡単なのに、それを実行しないのはノアールを簡単に殺せると思っているからだろう。


 香りが動く。


「ぐうっ」


 くぐもった呻き声が左から上がり、生臭い臭いと共に襲撃者のひとりが地に倒れ伏す。

 俯せに倒れた男の右脇腹から血が溢れ、必死になって傷を押え悶えている。

 そして血の滴る剣先が次に狙いを定めたのはノアールの右側から襲ってくる影。


 鮮やかな足捌きで一歩を踏み込むと、細い刀身を捩じりながら黒装束の胸に突き刺す。

 片手で操れるように細く、長く作られた剣は斬るよりも刺すことの方が向いている。

 セクト鉱山で採れる良質な鉱石をラティリスの職人が磨いて鍛えた剣は、芸術的価値を持ちながら貫くというその一点では並ぶ物は無い。


 引き抜くと同時に方向を変え、近くで構えていた刺客の背後へと回り込むと左手で顎を押え、刃を喉元に当てるとまるでバイオリンを弾くかのような動作で斬り裂いた。


 一連の動作に無駄が無い。


 目の前で殺戮行為が繰り広げられているのに恐怖心は一向に湧かない。

 驚いて固まっている内に全てが終わる。


 三人が倒れた所で残りの二人は逃げ出した。

 朝露ではなく赤い血液で濡れた芝生と事切れた死体が二つ。

 そして痛みに苦しむ襲撃者が一人。


 刀身にべったりとつく血糊を軽く振って飛ばし、懐から白い布を取り出して拭い鞘に納める頼もしい背中。

 そして痛みに転がり回る襲撃者の背中を靴で踏みつけ「誰の差し金だ」と厳しく問い詰めるその横顔は美しく、妖艶さも兼ね備えていた。


 真っ直ぐ長いさらさらの紫紺の髪。

 宝石を思わせる緑の瞳。

 魔法のようにいつもノアールの危機に現れ助けてくれる。


「…………フィリエス兄さん!」


 呼びかけると追及の手を止めて顔をこちらへ向けてくれた。

 三人を倒したというのに息も乱さずに艶然と微笑む。


「お帰り、ノアール」

「ただいま。兄さんもお帰りなさい」


 フィリエスは前日に戻ってくる予定だったが、遅れて今朝早くに着いたのだろう。

 お陰で命拾いをした。


「相変わらず護衛無しか。命知らずだね、ノアールは」

「護衛なんて意味無いよ。信用したその護衛に命を狙われてもおかしくないんだから」

「それもそうだ」

「それにフィリエス兄さんも護衛いないし」

「私は自分のことは自分でできるからね。ノアールと違って。さて。誰か呼んできてくれるかな?片づけないとね」


 襲撃者を踏みつけたままでフィリエスが人を呼んで来るようにと頼んできた。

ノアールは頷いて母の部屋に入ると廊下に続く扉を開けて人を呼んだ。




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