学生の本分⑨
「今日もだめだった……」
ぐるぐると自分の中で渦巻く負の感情に支配されたまま本日も授業終了。
試験前なのに結局授業の内容を理解することも、集中もできない愚かな自分を再認識したところでまたしても自己嫌悪に苛まれる。
ノアールともあれから話すことができていない。
なにを話したらいいのか、謝るべきなのか、それともそっとしておくべきなのか。
こういう時どうしたらいいのか分からない。
だから逃げている。
リディアは鞄を斜めにかけて教室を出ると回廊を通って本校舎に入る。
それから吹き抜けの玄関ホールを抜けて大講堂へ続く扉を潜った。
そこは中庭を通る通路だ。
ここも回廊と同じで壁は無く、ただ四角く白い石が並べられドーム型になっている屋根がついているだけの物。
通路といってもかなりの幅があり、生徒が集団で歩いてもすれ違うことができるほど広い。
「ちょっといいかしら」
通路を幾らも進まないうちに声をかけられた。
背後から。
だから自分のことだとは気付かずにそのまま進んでいて後ろから肩を掴まれて漸く不味い状況になっているのだと理解した。
「なに?なにか用?」
どう考えても「ちょっと」で済む用事とは思えない。
振り返った先にいたのは同級生の女子二人。
足音がしたので大講堂側の入り口を首を捻って眺めれば隣のクラスの女子が三人。
囲まれている。
面倒なことになった。
原因はやはりノアールか。
それともリディアが知らず知らずに彼女たちの神経を逆なですることをしてしまったのか。
恐らく両方。
「ほんと……面倒だなぁ」
負の感情に囚われたままのリディアは小さな小さな声で呟き、胡乱な瞳で彼女たちを見回す。
ひとりに対して五人。
集団でしか行動できず、気に入らない者や思い通りにならなければ潰しにかかる。
卑劣なやり方だが効果はある。
「なにを考えてるか分からないセシル・レインはこの際放っておいて。リディア=テミラーナ。あなた最近目障りなのよ」
おっと、そうきたか。
でも分かりやすいリディアより、なにをしでかすか解らないセシルの方こそ本当は警戒しなければならないのに。
「なにを笑ってるの?今の状況を理解できてないようね?」
薄く笑ったリディアを見て少女たちは嫌悪感をあらわに蔑んだ瞳を一斉に向けてきた。じりっと包囲網を狭めてきたが、圧力は感じない。
リディアは本当の恐怖を知っている。
絶望を。
痛みを。
そしてそれを超える温かな物を手に入れた。
だから彼女たちなど恐くない。
数で対抗するしか勝ち目がないと知っているということは、彼女たちが個では弱いと大声で叫んでいるような物だ。
逆にたったひとりで少女たちの中の誰かがリディアに向かって来ていたら、その強さに怯み笑ってなど居られなかったと思う。
「理解はしてると思う。わたし忙しいから、手短にお願い」
図書塔でフィルが待っている。
さっさとすませて集中できなかった今日の遅れを取り戻したい。
大体彼女たちは学校になにをしに来ているのか。
「そう。じゃあ手短にいうわ」
「この間ノアールとふたりきりでなにを話しての?」
「この間……?」
最近周囲の目が厳しいことに気付いてなるべく二人きりで会話しないように気を付けてきた。
肝心な所で抜けていると自覚しているから完璧にはできなかったと思うけれど、慎重に行動してきたつもりだ。
でも。
ついこの前。
二人で話した。
それもその所為で気まずくなってしまったのだから、彼女らのいう“この間”がその時のことだろう。
「あなた告白したんですってね?」
「…………?」
少女が半目になって問い詰めてきたが一体なんのことを聞かれているのかわからずにきょとんとしてしまう。
「告白ってなんのこと?」
「聞いてた子がいるんだから!しらばっくれても無駄よ!」
「しらばっくれるもなにも」
身に覚えがない。
戸惑っているリディアに「感謝してるとか、尊敬してるとかいった後で好きだっていったんでしょ!?」と腰に手を当てて上から睨んできた。
「あ」
いった。
確かにいったけど。
「それは違うよ。告白じゃないし」
「なにがどう違うのかしら?好きって、まさか友達としてって事だっていうつもり?十五歳にもなって同級生の、しかも異性に、好きって下心なしに堂々という女がいるとでも?」
いる。
ここに。
あなたの目の前に。
「だって、下心なんてないもの。あなた達と違って好きだけど好きっていえずに、近づきたいけど近づけないなんて、そんな大人びた感情わたしには分かんない」
六年間も時は止まったままで。
「どうしたら胸が大きくなるのかも、どうやったらあなた達みたいにそんなにお洒落で大人っぽくて綺麗になれるのかも、恋する気持ちも。わたしには友達とうまく接することすら難しくて。だから、分かるわけ!」
いえばいうほどだんだん腹が立ってきた。
やばい。
止まらない。
「友達が困ってるのにどうしたらいいのか分からない。励ますことも、元気づけることも、怒ることも、笑いかけてあげることも、気持ちを察してあげることもできないんだから!こんな無力な子供を敵視して、責めてなにが楽しいの?」
欲しいなら手に入れればいい。
彼女達ならできるのだろうに。
経験はたくさんあって、駆け引きも上手にできるはずだ。
それなのに行動せずに好意を抱く者の傍にいる者を邪魔だと排除しようとするなんて。
「卑怯者といわれても仕方が無いんじゃないの?」
リディアの勢いに少女たちが怯んだ。
「告白したかったらすればいい。ノアールが決めることだし。わたしが近くにいてもいなくても結果は変わらないと思うけど?」
実際告白している女子もいる。
断られる理由は毎回同じ。
今は勉強が一番大事だから、それ以外のことはちょっと考えられない。
親しく話したことも無い女の子からの告白は結局見た目で素敵だと思われ、中身は勝手に都合のいい物に変化させられ、恋という妄想に恋しているだけのような気がする。
中身を知らずになにが恋なのか。
リディアだって恋を知らないが、話したことも無い人に「好きです」といわれても気持ちが悪いだけだ。
「仲良くなりたくて近づいても、ノアールは迷惑そうだったから。時期を見て徐々にって思ってたのに。あなたやセシルがどういう訳か春休みが明けたら仲良くなってて。どんな手を使ったのか知らないけど、変り者のリディアと変人セシルが友達ってことはもしかしたらそういうことなのかしら」
「――どういうこと」
苦し紛れに傷つけようと口にされた言葉は何故かリディアを攻撃する物ではなかった。
顔色を変えたリディアを見て好機だと勘違いしたのか少女がにこりと微笑む。
「ノアールも同類って事なんじゃない?」
「―――――!」
ぎゅっと握りしめた拳はぶるぶると震えていて視界が真っ赤に染まった。
自分のことならまだいい。
そしてセシルもきっと気にしない。
でも。
「一緒にするなっ!!」
気付いたら目の前の少女の胸倉を掴んで引き寄せて怒鳴っていた。
「なにすんの!放して」もがく少女の隣にいた少女がリディアの腕を捕まえて、背後にいた三人のうちのひとりが羽交い絞めにして引き離そうとする。
残りの二人は間に入って宥めたり、おろおろしたりしている。
「あんたたちにノアールのなにが分かるの!?」
リディアでさえ分からないことが多い。
でも分かることもある。
彼が純粋で優しいこと。
だからこそ人付き合いを広げることができないこと。
学ぶことをなによりも幸せだと感じていることは分かるから。
だからこそその邪魔はさせたくない。
したくない。
「わたしの回りにいる人を傷つけることは許さないんだから!」
両手に込めた渾身の力で少女の胸を押すと「おねが、放して」と怯えた瞳で懇願された。
柔らかなその胸の感触にゆっくりと冷静さが戻ってくる。
意識しながら大きく息を吸って時間をかけて吐き出す。
苦心しながら指を一本一本外し、少女を解放して睨みつける。
「二度とノアールを侮辱しないで」
吐き捨てるように言い残してリディアは大講堂の入り口を入る。
そしてそこに立っていたライカの姿を見つけ、気まずい感情を消せずに立ち止まった。
「見てたなら助けてくれてもいいのに」
ライカは三白眼を瞬かせて「必要だったら助けてやっても良かったけどな」と一言。
そしてニカッと楽しそうに笑い、労わるというには強すぎる力で背中をバシバシと叩いてきた。
それが「よくやった」などと褒めてくれているように感じたので文句をいうのは止めておいた。




