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魔法学園フリザード  作者: 151A
ラティリスの毒
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学生の本分⑧


 ハーブの爽やかな匂いと薬草の苦い臭いが混じりあう。

 粗い綿の布にたっぷりと塗られた軟膏は、見た目は透明でプルプルとした粘度がある。

 それが肌に触れると最初はひんやりと冷たく吸い付くように、そして体温で温まるとだんだんと馴染むのを前回の施術で知っている。

 そしてそれを外さずに三日放置してから剥がすと驚くことに傷痕が薄くなった。


 これが高価な治療だということは誰の目にも明らかである。


「だ~か~ら。必要ないっていってんのに」


 シャツを脱がされて肌着一枚になっているセシルの左腕にはピンク色の傷痕が肘に向かって斜めに走っている。

 アイスバーグの縫合は巧いが、やはり傷口が深かった場所はそれなりに残っておりギザギザとして見えた。


 そして少し盛り上がっている。


 それでもあの傷を思えば、これで上々だといえる。

 普通ならこれ以上の治療など必要ないし、普通の生活をしている者ならばそれ以上を望むなどあり得ないことだ。


 それをこの上級生は。


「なに?」


 背後に立つヘレーネを見上げると座って治療を待っているセシルににこりと微笑んでくる。

 満足気なその笑顔に呆れながら「さっきいったこと聞こえてなかった?」やれやれとため息を吐く。


「それにあたし今肌着一枚だし。なんで堂々と一緒に居て、しかも見てるわけ?」

「貴女が逃げないように見てないとね。それに貴女は気にしないでしょ?」

「授業始まってるけど?」

「私がこの学園に生徒として正式な手順を踏んで入学していないのを知ってるでしょ?」

「あーあ……」


 最近のヘレーネはこの調子で全く面白くない。

 セシルが煙に撒こうと言葉を尽くしても、にこりと笑って動じないのだ。

 しかもその容姿に似合わず頑固で、しかも強引だ。


「レインくんが押されてるのを見るのは新鮮だね」


 くすくすとアイスバーグが忍び笑いを洩らしながら消毒薬を含んだ布で傷痕を拭う。

 優しく丁寧に扱われると尻がむずむずして逃げ出したくなる。

 いっそ乱暴にゴシゴシと拭いてくれればいいのに。


「必要ないよ。もう治ってる。痛くもないし」

「これでも医者だから治ってるのは分かってるよ。でも強く押せばまだ中が痛む」

「ほら。まだ治療が必要なのよ」

「誰も好き好んで傷痕ぐいぐい押したりなんかしないって。そんな趣味無いし」


 痛みで喜ぶ性癖の持ち主も広い世界の中に少数だが確かに存在はする。

 痛めつけて喜ぶ人間はその倍以上、いや。

 殆どの人間の中に潜んでいる暗い感情だとセシルは理解している。


 優越感。

 征服欲。

 支配欲。


 人は綺麗なままで生きていくことはできない。

 純粋なままで生きていけるほど社会は優しく無害ではないのだから。


「自己満足の為にこんな高価な治療してなにが楽しいんだか」

「自己満足上等!怪我させてしまった責任を取る権利と義務が私にはあるんだから」

「……そのお金はどこから出るのさ?税金?」


 ヘレーネとアイスバーグの纏う空気が変わる。

 どうやら触れてはいけない所に話が掠めたらしい。


 分かっていてやっているから別に狼狽えはしないが、自分の推測を補填する反応には正直辟易する。


「ほんと。めんどくさい。巻き込まないでくれると助かるんだけど」


 秘密とやらをこれ以上突くのは藪蛇になりそうなので作業台の上に乗っている高価な軟膏を塗りつけている布を指差す。


「早く終わらせてよ。治療を受ければ満足なんでしょ。あんたらは」

「面倒臭い、巻き込むなといいながら探りを入れてくる度胸には驚かされるよ」


 すぐにいつも通りの微笑みを浮かべ、アイスバーグは布をセシルの腕にそっと貼り付ける。

 前回と同じように吸い付くと布は色を変え、体温を奪うほどに肌の色と同化した。

 そして一体化し、そこに軟膏と布の存在を示す物はなにひとつ無くなる。


 魔法の糸で編まれた特殊な綿の布と、魔法を練り込んだドライノスの軟膏が合わさり効果を顕す。

 魔法と科学技術を使用した高価な治療。


「金持ちの気紛れに助けられてあたしは生きてるから。礼はいわない」


 立ち上がりセシルはシャツを羽織る。

 ボタンを留めようとしている手を掴まれて、その相手を正面から見つめた。

 その柔和な顔立ちには同情と気遣い、そして好奇心が隠されもせずに出ている。


「ねえ。お願いだからミシェルの提案を受け入れてはくれないかな?」

「ちょっと。どれだけ人を利用すれば気が済むのさ」


 だからここには来たくなかったのだ。

 アイスバーグとドライノスの仲を考えれば、こういう話に流れが行くのは自然である。


「悪い話ではないはずだけど?」

「ドライノスにはいった。恋の代理も弟子もやらないって」

「ドライノス先生に弟子にならないかと誘われたの!?あのドライノス先生の!?」


 ヘレーネが弾かれたように叫んで身を乗り出して確認してくるので若干引きながら「なにがおかしいのさ?」と尋ねる。


「おかしいもなにも。ドライノス先生は講師になるのも拒むほど、人に自分の知識と技術を教えるのを嫌がってたんだから。大陸中を旅して得た知識と技術、そして種と苗は貴重だから無理ないんだけど。それを貴女に教えてもいいってことは素晴らしい名誉なことだわ。信じられない」

「そんなに名誉ならヘレーネに譲る。あたしには必要ない」

「でもその技術と知識があれば君は施しを受けなくても生きていけるようになるよ」

「いったよ。必要ないって」


 冷たい素振りをしながら情に厚いドライノス。

 優しげな顔で別の生き方を示唆するアイスバーグ。


 いい大人がむきになって価値も無い自分に執着する滑稽さ。

 そして苛立ち、動揺する自分の未熟さ。


「みんなおかしい。どうかしてる。あたしはこのままで幸せだし、このままでいたいんだ。それを他人が口出しするなんて余計な御世話だ」

「セシル」

「そんなに欲しいなら。――あたしが欲しいなら方法はただひとつだよ」


 アイスバーグはゆっくりと息を吐きながら「名を奪えと?」と確認してきた。


「あたしにはそれしかない」


 それしか持っていないのだ。


 でもそれだけでいい。

 それ以上を望まないから。

 だから放っておいて。


「それは相手が私でも可能なのかな?」

「は?本気でいってんの?」


 アイスバーグが口にした言葉はさすがに冗談でも笑えない。

 医者は真剣な目でセシルを見つめてくる。

 背後で息を飲んで固まっているヘレーネの気配がしていた。


「それで君がミシェルの弟子になってくれるのなら。ミシェルの望みどおりに」


 重い。

 息苦しい。


「……あんたらは不毛だ。そんだけ想い合っていながら」

「ミシェルの気持ちは分からないけど、そうかもしれない」

「ドライノスをこれ以上刺激したらあたしの身が持ちそうにないから、アイスバーグの有難い申し出はお断りする」


 その代わり。


「ドライノスの助手ぐらいはしてあげるよ」

「ありがとう」


 ドライノスの願いが叶えられ幸せそうに微笑むアイスバーグの顔から視線を外し、掴まれていた手を振りほどいてボタンを閉める。


 結局流されて。


「ヘレーネ?」


 振り返ると思いつめた表情でこちらを見つめているヘレーネの紺色の瞳にぶつかった。

 なにかを堪えるような、我慢しているような顔で。


「悪いけどこれ以上の頼みは聞けないからね」


 今は付き合っている余裕は無い。

 あまり流されると面倒なことになる。


 だから。


 早く迎えに来てほしい。


 心からそう願いながらセシルは足早に医務室を出た。




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