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魔法学園フリザード  作者: 151A
ラティリスの毒
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学生の本分③


 セシルは昼食も食べずに薬学室にいた。


 正確に言うならば薬学室の隣にあるドライノスの私室に、である。

 本来ならこの部屋は講師の準備室として与えられているものだ。

 そこにカウチを持ち込んで寝泊まりしているらしい。

 生々しい気配の毛布と枕代わりのクッションがその上に鎮座しており、そこに腰かけろと勧められたが流石に躊躇われセシルは立ったまま作業中のドライノスを眺めていた。


 艶のある美しい黒髪が流れる背中は薄く、身に着けた灰色のローブは陰鬱な雰囲気を醸し出している。

 植物学講師として雇われているドライノスだが、薬学講師不在の今は両方を兼任しており意外と忙しいのだろう。


 呼びつけておいて放ったらかしのドライノスはセシルの視線など気にも留めずにゴリゴリと擂り鉢を捏ね回している。


 欠伸をしてセシルは部屋の二つの壁を占拠している棚へと近づく。

 この部屋は扉のある壁と窓のある壁以外は棚で覆われている。

 棚自体の厚みはないからか圧迫感は無いが高さは天井まで届いていて、一番上ものを取ろうとすると梯子が必要となるぐらいだ。


 魔法学園の建物は歴史が深く、立派な建造物である。

 壁も厚く、天井も高い。

 荘厳というより仰々しいと感じるのはセシルが庶民だからだろうか。

 必要も無い装飾は自信の無さの表れのように見える。


 虚飾だ。

 金持ちは虚勢と見栄を張るのが好きである。


「……腹減った」


 待たされると知っていれば学食で食べてから来たものを。

 長居するのが嫌だったので用件を聞いたらさっさと辞するつもりだったのに。


 抗議する胃をそっと押えて透明の瓶に入れられた乾燥した薬草をひとつ手に取った。

 ラベルが貼られ、そこに流れるような青いインクで薬草の名前が書かれている。


「クチナシ?」


 クチナシとは山梔子のことだろうか。初夏に甘い芳香のある白い花が咲く木だ。

 だが中に入っているのは葉ではなく小さな実だった。

 元は黄赤色だったのだろう茶色の実が沢山入れられている。

 団栗のようなアーモンドのような涙型をしていて、乾燥しているからちょっと皺皺と細い。


「効能は消炎、利尿、鎮痛、止血、炎症による心煩。吐血や黄疸にも効く」

「黄疸?へえ」


 別に興味も無いので聞き流し棚へと戻す。

 その隣の瓶を眺めていると更にドライノスの講釈は続いた。


「クチナシは打撲や挫傷に黄柏と呼ばれる生薬と混ぜて酢で練り湿布薬を作ることもできる。今手にしているのはトウキだ。山地や崖に自生している多年生の植物で貧血、冷え症、月経不順に効果がある。単品で用いることは少ないな。他にセンキュウ、シャクヤク、ソウジュツ、タクシャ、ブクリョウを合わせて使う。因みにセンキュウは補血、鎮痛薬、月経痛、貧血に。シャクヤクは消炎、鎮痛、抗菌、止血、抗痙攣作用。ソウジュツは健胃、利尿、発汗、鎮痛。タクシャも同じく鎮痛、利尿、浮腫み解消。ブクリョウは――」

「ちょっと待って」


 瓶を戻して振り返るがドライノスはこちらを見もせずに作業を続けている。

 それなのにセシルがどの瓶を手にしているか分かっているようだ。


 いやそんなことはどうでもいい。


 何故ドライノスは自分に薬効を語って聞かせる?

 何故わざわざ私室へと招き入れた?


「用事が無いなら戻るよ」

「……?用事ならある」


 だから呼び出したのだとようやく植物学講師は表情の読み取りにくい顔をこちらへと向けた。

 細い顎、鋭い灰緑色の瞳、薄い唇、高い鼻。

 整っているが、それ故に冷たい印象を与える。

 だがドライノスが旧知のアイスバーグといる時は少し油断していて可愛らしい素顔を覗かせる瞬間もあった。


 今は動かない暗い顔の彫像のようだが。


「なに?またなにか嫌な仕事でもさせようっての?」


 前回のことがあるので仏頂面になるのは仕方が無い。

 ドライノスが喉の奥でクッと笑い微かに口角を持ち上げる。

 その笑顔が不穏でセシルは答えを聞きたくなくて「やっぱりいい」と制止した。


 床を擦る音をたてて立ち上がるとゆっくりと棚へと歩んでくる。

 細く背の高いドライノスが隣に来ると威圧感があった。


「私は君の能力をかっているんだ。レイン」

「……他人の評価は別に欲しくない」


 今までだって自分の好きなように生きてきた。


 誰かに利用される生き方は本来好きではないし、本意でもない。

 勝手に期待されるのは虫唾が走るほど嫌だし、過剰に才能をかわれるのも御免こうむる。

 

「そうか……。そうだろうな」


 薄情そうに見えて実は人情家のドライノスは独り納得して薬草の入った瓶を手に取る。

 その瞳がほんの少し優しくなったのに気付き目を反らす。

 さっきまで作業していた机の上を見ると擂り鉢の中には桃色の液体が満たされていた。


 一体なにを混ぜたらあんなに鮮やかな色がでるのか。


「なんか、やらしい色だね」

「その通りだ。レイン。あれはいやらしい薬だからな」

「ちょっと!学校でなんてもん作ってんのさ」


 驚愕に慄くとドライノスが「お前にも倫理観があるのか。面白い」とにやりと笑う。


「……あたしはこの学園の生徒で、ドライノスは先生だ。それに花も恥じらう乙女の十五歳だし?」

「薬も魔法も、武器も知識もどう使うかはそれを扱う者次第だ。作る者には罪は無かろう」

「いやいや。作る人にも罪があるよ。初めからなければそれを悪用しようとは思わないんだからさ」

「それもそうだな」

「あのね……一体なんなのさ?」


 先程答えを拒否したがこのままではいつ解放してくれるか解らない。

 諦めて用件を聞いた方が利口なようだ。


「降参。だから教えて。なんの用?」

「ただの気紛れだ」


 そっと影のような腕が伸びセシルの肩を掴んだ。

 その節が目立つ指とは裏腹に柔らかな掌が温かな温もりを伝えてくる。

 そういう趣味があったのか呆れながら見上げると、灰緑色の瞳はじっと真摯にセシルを眺めていた。


「そういう艶っぽいことはアイスバーグとやったら?」

「なんのことだ?私はレインに私の知っている全てを教えようと考えているだけだが?」

「あらら。惚けちゃって。アイスバーグは絶対にドライノスに気があると思うんだけど」

「私もあいつも道を違えたまま彷徨っているんだろう」

「勘弁して。恋の代理も、先生の弟子にもなる気は無いから」

「何故だ?それだけ聡いくせに、その対価に見合う仕事も技術もいらないとは」

「もう!本当に勘弁してよ。あたしはレインなんだよ?根なし草のレイン!」


 いい加減うんざりだ。根なし草は根が無いから根なし草なのであって、根づいてしまえばそれは本来の姿とはかけ離れた別の物になってしまう。

 地面に縛られ身動きができず、囚われた無様な姿を晒さなければならないというのならセシルは死を選んだっていい。


 そう育てられた。

 そうあるようにと。


「何故名にそれほど拘る?」

「ドライノスは拘らないの?ミシェル=ドライノスって名前でずっと生きて来たんでしょ」

「いや……。名よりもなにを成したかに拘りたいと思っているからな」


 それこそ価値観の違いだ。


 セシルはなにかを成し遂げたいなどという大義は無い。

 縋るべきものは与えられた名前と己の身体だけ。

 あるのは今まで生き、糧としてきたレインとしての技術のみ。


「買い被りすぎだよ、先生。あたしは良い子のノアールでもないし、未来を請い願う純粋なリディアじゃない。あたしは先生の期待には応えられないよ」


 それ以下でもそれ以上にもなりたくはない。


「今はまだそれでもいいだろう。だが私はあきらめが悪いからな。覚悟しておけ」

「おあいにく様。あたしを捕まえるのは簡単でも、捕まえておくのは難しいからね」


 ふわりと笑いセシルはドライノスの手を擦り抜けて扉へと向かう。

 今は逃がしてくれるという言葉通り止められはしなかった。


 厄介な人物に目を点けられてしまったなと舌打ちして薬学室を出ると、話し込んでいた時間が長すぎて学食で昼食を食べる余裕がなくなっていた。

 食欲も失せていたので丁度よかったのかもしれない。

 授業を受ける気分にはなれなくてセシルは教室とは反対の方向へと向かった。


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